ひこうき雲 七

文字数 2,095文字

 今日はお母さんと郊外のショッピングモールに来ている。やはりお互いに女子なので、買い物は長くなりがちだ。
 お母さんは化粧品販売のスタッフさんに捕まり、私はネイルショップのスタッフに捕まった。そういえば、ショッピングモールに来た目的はなんだったか。それを忘れるほどに長時間の滞在だった。
「そういえば、もともと何買いに来たんだっけ?」
 私が訊きたいよ。というより、クラッシュシェルのネイルデザインがめっちゃ気に入ったので、もう他のことはどうでも良かったりする。
 結局、食料品や日用品をショッピングモールで買った。エコバッグに買ったものを詰めて、ショッピングモールを歩く。
 ふと、あるポスターが目にとまる。この地域一番の夏祭りの開催を告げるものだった。
「あら、祇園祭ね。これが始まると夏って感じ」
「前夜祭もあるんだよね?」
「最近はね」
「そういや、行ったことないかも」
「あるわよ。小学校一年の時に。アンタ人混みで揉みくちゃにされて、ギャンギャン泣いて、それ以来行かなくなったのよ」
「そだっけ?」
「そう」
 中学になってからは心筋症になったから、それどころじゃなかった。病室に入ってから、夏祭りっていう響きに憧れていた気がする。
「行きたいの?」
「え?」
「顔に行きたいって書いてあるわよ」
「消してよ」
「馬鹿」
 行きたいのか。私。夏祭りに。お祭りなんて、子供や学生が行くものだ。なんて考えていたこともある。でも、学生時代、青春らしい青春とは無縁だった。私の中には、失った青春を取り戻したいという気持ちがあるのかもしれない。
「行ってくれば? 高橋くんと」
 お母さんの言葉に、足が止まった。
 そうか。私には、今、大翔さんがいる。青春を取り戻せる方法が、ひとつだけある。大好きな、大翔さんと時間を共有することだ。夏祭り。大翔さんと一緒に行けば、失ったあの時を取り戻せるのか。
「お祭り行きたいなんて言ったら、子供っぽいって思われるかな?」
「考えすぎなの。アンタは。別にフツーよ。恋人同士が夏祭り行くなんて」
「そっか」
「そう」
 考えすぎ、か。病院では考えるしか出来なかったからな。考えるのが当たり前になっているのかもしれない。
 お母さんの車に戻って、荷物を積む。助手席に乗ると、お母さんがエンジンをかけた。ボーッとしてしまっていた。
「さて、八月一日は、なんの日でしょうか?」
 急にお母さんが私に話しかけてきた。なんのクイズだろうか。私が首を傾げると、お母さんが笑った。
「祇園祭。八月一日よ。あなたもクイズを出してみたら?」
 あ。…そういう、ことか。つまり、それで私の意思を暗に伝えろってことか。なかなかお母さんも策士だな。私はカバンからiPhoneを取り出した。LINEを開いて、大翔さんにメッセージを送る。

『八月一日は何の日でしょう?』

 しばらく液晶を眺めていても、既読はつかなかった。仕事中なのかもしれない。お店が変わってから、大翔さんのシフトは完全には把握できていない。
 車でしばらく走っていると、LINEの通知音が鳴った。慌ててiPhoneを見る。大翔さんからだ。

『急にどうした?笑』

 まあ、そうなるよね。なんかヒントをあげた方がいいのかな。
「お母さん、ヒントは?」
「ヒント?」
「八月一日のヒント」
 私が訊くと、お母さんは少し考える表情になった。しばらくしてから、お母さんはニコッと笑顔になった。名案が浮かんだのか。
「高橋くん、歴史が好きなんだっけ?」
「うん。歴史っていうか。戦国オタク。本人曰く」
「じゃあ、ヒントは政治(せいじ)よ」
「政治ぃ?」
「そ。ただし政治のじの字は、事件の事って書くのよ。それで政事(せいじ)
「それでわかる?」
「多分、ね」
 私はiPhoneの液晶を操作した。

『ヒントは、政事(せいじ)

 また、しばらくしてから既読がついた。返信に時間がかかっている。3分くらいしてから、返信がきた。

『彩佳にしては、凝ったヒントだな笑』

 彩佳にしては、ってなんだ。笑ってなんだ。なんかちょっと馬鹿にされた気分。ぶーたれるぞ。
 返信しようとしたら、大翔さんからさらにメッセージが送られてきた。

『行こうか。祇園祭』

 ドクン、ドクン。…どっくん。

 行きたい。大翔さんと一緒に。夏の夜空の下を歩きたい。
「伝わった?」
 ドヤ顔のお母さん。今回ばかりは偉大なる母に感謝だ。親指を立てて笑って見せると、お母さんが声を上げて笑った。
「でも、どうして?」
「昔はね、政治のことを、政事(まつりごと)って言ったの。簡単に言うと、宗教と政治が同じものとして扱われていた。祭政一致のことね」
「ふーん。彩佳にしては凝ったヒントだって返されたよ」
 またお母さんが声を上げて笑った。

『行きたい! 大翔さんと行きたい‼︎』

 メッセージを返した。また、しばらくして既読になって、返信がきた。

『楽しみだな。イカ焼き食べたい』

 思わず吹き出した。うん。私もイカ焼きを食べたかった。
 まつりごと。なんかスゴいイベントに思えてきた。
 祇園祭。夏の始まりを告げる。青い空。空を行く飛行機。
 ひこうき雲が、ずっと続いていた。こんな風に、ずっと続いてほしい。大翔さんとの時間も。この夏も。
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