秋風吹いて 二

文字数 3,398文字

 夜の幹線道路を、車で走る。まだちらほらと歩道を歩く人もいるけれど、人影は少ない。時間は22時過ぎ。俺は仕事を終えて別のコンビニへ向かっている。
 用事はひとつ。彩佳を迎えに行くためだ。俺が本店に移ってから、彩佳は夜に会いたいと言ってきたので、ドライブがてらに彩佳と会って、そして彩佳の自宅まで送り届けるのがパターンになっていた。
 駐車場に入る。すでに彩佳はお店の前で待っていた。俺の車を見つけると、小走りに近寄ってくる。それがなんとなく可愛かった。
「今日もありがとうございます!」
「お疲れ。忙しかった?」
「フツーかな」
「そっか」
「今日、モンスターマダム来た」
「マジか、大丈夫だったか?」
「モンスターマダムがレジ並んでる時、私商品補充してたんだけど、即行レジ入ったからね。そしたらさ、あなたできるようになったわね~とか言われた」
「スゲーな。モンスターマダムに褒められたことなんてないわ」
「はっはっはー、もっと褒めて」
 彩佳が肩にもたれかかってきた。右手で彩佳の頭を撫でる。
「今日はどうする?」
「う~ん。街中をぐるんとしたいけど、明日病院なんだ」
「なんかあった?」
「んーん。いつもの。定期的な検診」
「そうか。じゃあ、今日は直帰だな」
「さみしー」
「帰ったらLINEするよ」
「ならよし」
 車を発進させる。よくよく考えたら、車内でとんでもないことをしているな、と感じた。別に窓にスモークなんて張っていないのだ。でも、そんなことどうでもいいくらいに、俺と彩佳はお互いを好き合っている。
 今日、車内には流行している邦楽が流れている。これは彩佳のリクエストだ。ジャズだけだった俺の車内も、いろんな音で賑わうようになった。
 彩佳は窓の外を眺めている。なかなか上機嫌だ。苦手だったモンスターマダムの接客が上手くいったことも、影響しているのだろう。
 この間、福ちゃんからLINEがきて、いろいろ店のことでも情報を交換した。
 彩佳は俺のいなくなった後、夕方にきっちり商品の補充を行い、商品棚を整理整頓し、発注業務をやらせてくれと、自分から進んで志願したらしい。
 俺がいなくなって、夕方はどうなるかと、福ちゃんは気をもんでいたらしいが、結果として彩佳が俺の穴を埋めるような形になった。真面目で仕事も丁寧だと、福ちゃんも関心していた。苦手だった接客も徐々にだが改善しているらしく、お客の中にも彩佳のファンが増えているらしい。
 彩佳のファン、というところにモヤモヤしたものを感じるけれど、喜ばしいことであることは事実だ。自分が働いているからという理由もあるけれど、接客業を嫌いにならなくてよかったと思う。
 でも、思うことがある。彩佳はこれまで、社会との接点があまりないままだった。だからこそ、コンビニのアルバイトに終わらず、いろいろなことを経験して、自分のやりたいことを見つけてほしかった。
 そう彩佳に伝えたこともあるけれど、まだよくわからないと返されてしまった。それはそうか、という気もした。二年前まで、彩佳は余命いくばくもない生活をしていたのだ。
 自由も奪われて、閉ざされた絶望の世界に身を置いていた。今は単純に、見るもの。聞くものがすべて新鮮で、こうして自由に生活していることが楽しいのかもしれない。まだ二十二歳だ。焦ることもない。
 人のことよりも、自分のことか。と思った。今の時代、正規雇用にこだわる必要もないけれど、残念ながら地方住みでは周囲の眼というものがあるのだ。それに、自分の中でも、もう一度社会でしっかりと働きたいという気持ちがあった。だが目標の求人には巡り合えないままだ。
 彩佳の家に着いた。家に着くと、彩佳はどこか寂しそうな顔をする。普段はあまりベタベタしてこないのに、別れ際になるとやたらスキンシップを取りたがるのだ。
 彩佳が手を握ってくる。伏し目がちだった顔を上げて、じっとこちらを見つめてくる。
「じゃあね」
「ああ」
「LINEしてね」
「ああ、わかってる」
「うん」
 なかなか出ていかない。ぎゅーっと手を握る力が強くなる。
「じゃあ、ちゅーしてもらおっかな」
「は?」
「明日病院で、明後日大翔さんお休みじゃん。しばらく会えないから、大翔さんパワーを充電しておかないといけないな」
「なんだ、それ」
 俺がさらに何か言おうとする余地も与えず、彩佳はゆっくりと眼を閉じた。有無を言わせぬ圧力だ。
 彩佳の頬に、右手で触れる。眼を閉じた彩佳の顔。綺麗だし、キスを待っているその様子が、とても可愛かった。
 薄暗い車内。わずかに届く街灯の明かり。薄くリップが引かれた彩佳の唇に、自分の唇を重ねる。その瞬間、彩佳が俺の首に両手を回してきた。
 いつもより長いキス。顔を離すと、彩佳は少し頬を赤らめていた。
「充電できた?」
「うん。ありがと」
 バッグを持った彩佳が、正面を向いて表情を変えた。俺もつられて正面を見る。
「あっ」
 ふたり、思わず同時に声をあげた。フロントガラスの向こう側。街灯の下に、彩佳のお母さんがいた。どうやらばっちり見られてしまったらしい。
「マジ、最悪っ」
 彩佳は赤面どころの騒ぎではない。耳まで真っ赤になっている。自分から俺の首に手を回す積極性まで見せたのだ。それを母親に見られたとあっては穴があったら入りたい心持ちだろう。
「じゃ…」
「あからさまにテンション下がるな」
「だって~」
 それでも彩佳は笑っていた。まあ、こういうこともあるだろう。彩佳のお母さんはお隣さんと仲が良くて、よくおしゃべりに行っているらしい。御主人は不在がちだというし、一緒に住んでいるのは義理の母に当たる。いろいろ溜まるものもあるのだろう。
 彩佳が車のドアを開けると、「お帰り~、彩佳」という彩佳のお母さんの声がした。顔がにやついている。
 後で娘を問い詰める気満々である。巻き込まれてはたまらない。彩佳には悪いが、ここは早々に撤収させていただこう。
 彩佳のお母さんと眼があった。俺が軽く会釈をすると、彩佳のお母さんも会釈を返してくれた。長居は無用である。お父上でなかったことを幸運に思うしかない。
 彩佳に手を振る。幸い、機嫌は損なっていないようだ。笑顔で手を振ってくれた。母娘関係もいいのだろう。彩佳の口から家族の不満を聞いたことはない。
 車を発進させる。彩佳はこちらの姿が見えなくなるまで見送ってくれた。こちらの姿が見えなくなって、お母さんにいろいろ訊かれるのだろう。
 すまない、彩佳。俺にはどうすることもできないのだ。
 ひとりの車内に寂しさを感じることもなくなった。彩佳リクエストの音楽が流れ続けているからだろうか。特に用事もないので、そのまま自分の部屋へ直行した。
 車を駐車場に停める。相変わらず、集合ポストにはいろいろチラシが投函されている。捨てるのも面倒なので止めてもらいたいものだ。特に、美容院と不動産、宗教関係のチラシはうんざりする。
 ひらりと、一枚のチラシが落ちた。たまに投函されている、求人情報を掲載したチラシだ。手に取ってなんとなく目を通す。以前にも見たことはあるが、このチラシにはあまりいい求人は掲載されていない。
 ふと、ひとつの項目に目がいく。正規雇用の求人だ。地元に本社を置く、大手食品メーカーの求人が掲載されていた。キャリア採用の求人である。
 意外だった。全国展開もしている結構大きな会社で、業界でも大きなシェアを誇っている。それがこんな紙切れの求人チラシにキャリア採用の求人を掲載するとは思わなかったからだ。

『私、高橋さんのお話を訊いていて、いつも思うんです。こんなに食品に関心があって、知識があるなら、それを生かした仕事をすればいいのにって』

『ま、工場にこだわる必要はないんじゃない。ひろにはひろのスキルがあるだろ』

 彩佳の言葉が不意に甦ってきて、同時にいつか聞いた福ちゃんの言葉も頭の中で再生された。どこか引っかかっていた言葉でもあった。
 自分のスキル、知識、か。そんなもの大したものじゃないって思っている。第一、これほどの大手食品メーカーが、俺みたいな学歴も経歴も大したことのない人間を雇うとも思えない。
 部屋に入る。手に持ったチラシをゴミ箱に捨てていく。
 求人情報のチラシ。それを捨てようとして、なぜか机の上に置いた。なぜだかはわからない。それでも、なにかが俺の中で引っかかったままだった。
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