砂時計 七

文字数 3,044文字

 平日なのに人がたくさんいる。印象はそんな感じだ。
 有名どころの総合スーパー。食品や生鮮品だけじゃなくて、家電や家具、雑貨、衣類など幅広く取り扱っている。
 こうした業態は、ひとつの店舗でいろいろな用事を済ませられるので、週末に家族連れを呼び込みやすい。と高橋さんが言っていた。
 私と高橋さんはまず携帯電話ショップに足を運んで、高橋さんのiPhoneを購入しにいった。二人並んで、店員さんの話を頷きながら聞いていた。私の知識はまるで無力だった。
『彼女さんも機種変更されますか?』店員さんにそう聞かれた時、顔が赤くなってしまって恥ずかしかった。
 でも、高橋さんは否定しなかった。説明するのも面倒というのもあるけれど、なんかそれが嬉しかった。つまり今日一日、高橋さんの彼女でいいっていうことだ。と勝手に解釈した。
 部屋の調度品が欲しい私。高橋さんはまずこの総合スーパーに私を連れてきてくれた。ちなみに道路の向かいに大型のインテリアショップもある。ここでいいものがなかったらそこへ行けばいいのだ。
 本音を言えばどこでもいい。高橋さんと一緒に時間を共有できれば、それがどこでもかまわない。
「けっこう人いるね」
 おんなじことを思ったのか。高橋さんが口に出していた。
「いろいろお店が入ってますね」
「うん。テナントだね。お金を払ってスペースを間借りして、それでお店を開いているんだよ。本元の会社からすれば、いろんなお店があれば集客に繋がるし、テナント料も入るから丸儲け。入る側はテナント料を払うけれど、これだけ集客のある大型店舗の区画にお店を出せるから、メリットも大きいよね」
 さすが、詳しい。高橋さんといると、楽しいだけじゃない。いろんなことを学ぶことができる。
 いつの間にか、生鮮品のコーナーに迷い込んでいた。高橋さんもあまりこのお店には来たことがないようだ。高橋さんの後をくっついていくのが癖になっているので、高橋さんが迷うと私も迷う。
「あれ…」
 高橋さんが足を止めた。お菓子コーナーの一角。高橋さんは和菓子を手に取った。
「どうしたんですか?」
 高橋さんは和菓子の袋の裏をじっと見ている。コンビニで見る、仕事をしている時の目だった。ちょっとキュンとしてしまう自分がいる。
「この和菓子。ウチのお店にも置いてあるんだけど、この製造メーカーって、小さい企業なんだよね。でもこんなところにも商品が置いてあるってことは、技術が認められて販路が増えたってことなのかな」
 うん。よくわかりませんね。
 製造メーカーの名前を覚えていて、そのメーカーがどんな会社かって、知っているのは貴方だけです。和菓子を一目見ただけで、それがコンビニにも置いてあるってわかるのも、貴方だけです。でも、そんな貴方が素敵でカッコいいです。
「高橋さん」
 仕事の目をしていた高橋さんが、急に私といる時の優しい目の高橋さんに戻る。よかった。現実世界に還ってきたみたい。
「高橋さん、工場の製造業に就きたいんですよね?」
「うん。それがどうかした?」
「なんか、もったいなくないですか?」
「もったいない?」
「はい。私、高橋さんのお話を訊いていて、いつも思うんです。こんなに食品に関心があって、知識があるなら、それを生かした仕事をすればいいのにって」
 本当に正直そう思っていた。これだけ無意識に食品に関心を持っているなら、それを生かした仕事で、フルに能力を発揮すればいいのに。いつもそう思っていた。
 高橋さんは固まってしまった。多分、自分でも考えたこともなかったのだろう。今の高橋さんがその知識や能力を捨てて、工場の製造業に就く。私はそれに異議を唱えたい。だってもっと輝ける人だと思っているから。
「あ、なんか変なこと言っちゃいましたかね」
「い、いや、うん。変ではないけど、そんなこと川端さんに言われるとは思ってなかった」
 でしょうね。でも、私、高橋さんが思っているよりずっと、仕事してる高橋さんを見ている。真面目で、黙々と仕事するスタイル好きです。
「あ、アイス」
 少し変な空気になったので、私はわざと話題を変えた。有名なアイスクリーム専門店が、お店を出していた。
「アイスって、あれか」
 食いついてきた。そう、私は知っている。高橋さんはけっこう甘いものが好きだったりする。
「他のショッピングモールにも入っているけれど、いつも一人だから敷居が高いんだよね」
 はい。そうですよね。でも大丈夫です。今日は私いますから!
「暑いからアイス買いたくなりますね」
「うん。でもめっちゃ並んでるな」
「そうですね。じゃあ、先に私の家具見に行っていいですか?」
「そうだね。そうしよう。それからもう一度来てみようか」
 並んでエスカレーターに乗る。ふと気づく。
 私たちの距離ってこんなに近かったっけ?
 すぐ横に高橋さんがいる。この距離感はいつから生まれたのかな。初めて会った日から、私たちの距離はこうして、手を伸ばせばすぐ届く距離まで近づいているんだ。
 右手が、少し動く。あと少し。もう少し。すぐ横に高橋さんの手がある。神様、お願い。私にあと少しの勇気をください。
 胸の鼓動。聴こえる。最近やけに聴こえる。心臓に異常がある訳じゃない。検査ではいつも正常だ。この鼓動は、異常なんかじゃない。でも正常でもないのかも。
 手を伸ばす。あと少し。ああ、時は無情だ。エスカレーターが終わって、高橋さんが一歩踏み出す。私の手はすり抜けるように虚空を掴んだ。
 手を掴もうとして、私の身体は前へ出てしまった。エスカレーターのステップでつまづいてしまう。
「危ない!」
 虚空を掴んだ私の手を、がっしり握る手。力強くてあったかい。そう、私の触れていたいもの。ぎゅっと握り締める。
「あっ…」
 どうして、こうなった?
 私の身体は、すっぽりと高橋さんの腕の中に収まっていた。ぎゅっと、高橋さんの腕が、私を抱きしめる。

 どくん、どくん。

 心音。ヤバい。スゴい響いている。ごめんね。びっくりしたよね。こんな展開予想外。うん、私も予想してなかった。
「…だ、大丈夫?」
 近い。こんなに近い。高橋さん、鼻の隣に、小さいほくろがあるんだね。また高橋さんの新しい一面発見。なんて、考えてる場合じゃない。
「だだだ大丈夫です! ごめんなさい‼」
 ああ、恋愛経験値のない私。このまま高橋さんの手を握っていればよかったのに、なんかこんな公衆の面前で、子供連れのお母さんめっちゃ見てるし。恥ずかしくて離れちゃったよ。
 顔、真っ赤になってるよね。うん。わかる。恐る恐る、高橋さんの顔を見た。
「あ…」
 なんだろ、この光景。私が好きでたまらない、高橋さんの笑顔。その笑顔を見せている高橋さんが、私に右手を差し出している。
「危なっかしいな、川端さんは」
 ちょっと身がすくむ。え? え? いいんだよね⁈ この手を取って、いいんだよね?
 小さく頷いて、私はおずおずと手を差し出す。高橋さんの手を掴む前に、高橋さんから私の手を掴んできた。
 ぎゅっと。繋がってる。ふたりの手。
 ダメだ。なんか気分がフワフワしてる。何しに二階にあがったんだっけ? もうそんなのどうでもよくなってきた。
 ねえ、高橋さん。あまり早く歩かないでね。
 もっとこうして、高橋さんと手を繋いだまま、ずっと歩いていたいから──。
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