くろがねマスク 六

文字数 1,772文字

 バタン、と扉が閉まる音。ロッカーの扉を閉める音は、事務室にも聞こえてきた。時間はすでに午後十時。長針は十五分を回っていた。
「お疲れ様です。お先に失礼します」
 事務室と休憩室を繋ぐ扉のところに、川端さんが立っていた。ファーフードの付いた、白いダウンコートを着ている。俺と福ちゃんは、事務室のパソコンの前で、来週の新規商品について意見を交換していた。
「ああ。お疲れ様。またよろしくね」
「はい。あの、今日は本当にすみませんでした」
 モンスターマダムが去った後も、電子マネー決済の操作でミスがあり、それで川端さんはさらに気落ちしていた。
「いやいいよ。次からまた気をつければいいから」
「はい。ありがとうございます。それでは失礼します」
 もう一度頭を下げて、川端さんは休憩室から出ていった。福ちゃんと会話をしながら、なんとなく監視カメラの映像に目がいく。
 店内と屋外に設置されているカメラの映像。店から出た川端さんが、駐車場に停車している車の助手席に乗り込むのが見えた。車種は黒色のAudi A2だった。高級車である。彼氏だろうか。
「やれやれ。これで接客が嫌にならなければいいけどな」
 小さく息をついた福ちゃんが言う。やはり気になるのはそこか。コンビニの仕事で最も嫌なことといえば、質の悪いお客が来ることだ。それが常連客ともなれば、ますます嫌になるはずだ。まあ今回に限ってはこちらの不手際もあった訳だが。
「いきなりあれは正直キツいわな」
「丸腰で戦に行くみたいなものだからな。足軽と大将格みたいなもんだよ」
 後は川端さん自身の問題になる。俺たちではどうしようもない。できることは精一杯フォローすることだけだ。
「で、どうでしたか? 高橋さんの採点は?」
「川端さんのこと? まあレジ業務については問題ないんじゃないかな。電子マネー決済のミスだって、誰でも起こすものだし、慣れだと思う。品出しのスピードだってのんびりやっている訳じゃないし。強いて言うならもう少し元気が欲しいところかな?」
「元スーパーの従業員として、そこは気になるか」
「まあ、接客業の基本だしな。スーパーでもコンビニでも同じだ。だいたい表情がわかりづらい。まるで櫓、石垣、城門の三点セットみたいだろ。砦かよと思った。くろがねマスクって名前が浮かんだくらいだ」
 福ちゃんが声をあげて笑った。爆笑である。笑い過ぎて咳込んでいた。
「接客については慣れるしかないだろうな。川端さん、週四勤務が希望だから、これからはずっとひろと同じシフトで組むからよろしく」
「そうなるんだろうな、とは思ったよ。しばらく三人体制にしてほしいけどね。今日の最初のあれを見たら、少し不安だ」
「それはわかってる。途中で体調不良とかになったらすぐに呼んでくれよ。夜はいつでも動けるようにしておくからさ」
「頼むわ。それさえなけりゃ、不安要素はないんだけどな」
俺は立ち上がり、休憩室のロッカーへ向かった。制服を脱いでダウンジャケットを着る。福ちゃんも荷物をまとめて、ダウンジャケットを着ていた。二人で休憩室から出る。

 午後十時台はまだ客足がある。深夜勤務のアルバイト二人に挨拶をして店から出た。そのまま福ちゃんと従業員用駐車場まで歩く。
「そういや、こないだ出した求人はどうだった?」
 何ともなく、という感じで、福ちゃんが訊いてきた。訊かれたことで、少し気落ちしてしまった。
「ダメだったわ。また違う求人を探すよ」
「ま、工場にこだわる必要はないんじゃない。ひろにはひろのスキルがあるだろ」
「スキルってもな。資格なんて持ってないし」
 そう返すと、何が可笑しいのか、福ちゃんが苦笑した。首を傾げたくなる心持ちだ。
 晴れていて、星がよく見える。きらきらと瞬く星を眺めると、思い出すことがある。それが酷く切ない。

『あの星、行ってみたい』

 空耳だっていうのはよくわかってる。でも、聴こえた声。思わず立ち止まりそうになってしまった。
「だいぶあったかくなってきたなぁ」 福ちゃんが言う。現実に引き戻された。
「…そうだな。そろそろストーブも必要ないかもしれない」
 お疲れ、と福ちゃんと挨拶を交わして、お互いに車に乗り込む。車内はやはり冷たかった。その冷たさに、虚しさを覚えた。
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