TIME After TIMEを聴きながら 八

文字数 3,860文字

 幹線道路を逸れて脇道に入る。少しだけ暗がりの道を走ると、ライトアップされた看板が見えてくる。
「あれですか?」グルメ冊子に掲載されている外観と見比べながら、川端さんが言う。
「そう。到着です」
 川端さんの表情がさらに明るくなった。嬉しそうな顔を見ると、こっちも嬉しくなってしまう。大人っぽい容姿とは別に、やはり可愛さもある。
 駐車場に車を停める。わりと駐車場は空いていた。それほど広い駐車場ではないので、タイミングが悪いとすぐに満車になってしまう。
 お店の外から店内の様子を窺えた。客足はあるが混み合ってはいない。テーブル席も空いていた。やはりこの時間がベストのようだ。
 出入口から店内へと入る。「いらっしゃいませ」という声が聞こえる。すぐに店員が迎えてくれた。テーブル席を希望すると一番奥のテーブル席へと案内された。
 相変わらず落ち着いた店内だった。カウンター席には、店員が手書きで書いたのであろう、カラフルなポップメニューが並んでいる。パソコンで印刷したものよりも、こうしたメニューの方が好きだったりする。
 木目調のカウンター席。椅子は備え付けのソファーになっていて、座り心地がいい。久しぶりに訪れる店内は、やけに眩しく感じた。
「高橋さんが言う通り、ジャズが流れていますね」
 川端さんはキョロキョロと店内を見回している。キッチンにも興味があるのか、そちらにも目をやっていた。ラーメン店にしては、内装も女性ウケするお店だと思う。照明や装飾もモダンな感じで、店内に流れるジャスがその雰囲気を一層強くしている。
 店員がお冷を運んできた。すでにこちらのメニューは決まっている。
 俺と川端さんは同時にグルメ冊子を開いて、鶏白湯ラーメンのページを指差していた。タイミングがぴったりだったので、二人で顔を見合わせて笑ってしまった。
「これで、鶏白湯ラーメンをお願いします」
「はい。かしこまりました。お二つですね。他にご注文はございますか?」俺は確認するように川端さんを見た。首を横に振ったので、なにか欲しくなったらまた後で注文すればいい。
「とりあえず以上で」
 店員は注文を復唱すると、少々お待ちくださいと言って、厨房へとオーダーを伝えていた。
「高橋さん、ここには何度も来ているんですか?」
「そうだね。けっこう通っているよ」
「…お一人で、ですか?」
 川端さんが少し間を置いて訊いてきた。その瞬間、頭に七瀬の顔が浮かんだ。
 一瞬、悲しみが身体を抱擁しようとしてきたのがわかった。それを振りほどくように、手元にあったお冷を口に運んだ。
「一人でもかなり足運んだし、友達とも来たね」
「そうなんですか。じゃあ、常連客ですね」
「そうなるかな。とはいえ、俺は店員さんと親しくなるタイプじゃないけれど」
「私はあまり外食の経験がありません。だから外食ってなると少し嬉しくなるんですよね」
「ラーメンは? もしかして初めて?」
「う~ん。覚えてる限りでは、これで三回目くらいですかね」
 川端さんが行ったことのあるラーメン店の名前をあげた。ラーメン店といってもチェーン店で、定食なども扱っている大衆的なラーメン店だった。ここのようにラーメン専門店ではない。とはいってもここも丼ものなどは提供している。
 あまり外食の経験がないというのも意外だった。俺から見る限り、川端さんの家はお金持ちだ。少なくとも一般的な生活水準よりははるかに上だろう。
 頻繁に外食に出ていたり、さらには家族で海外旅行なんかに出かけていたとしてもおかしくはない。それが外食の経験がないというのは意外だった。それかご両親が堅実な方で、お母さんの料理の腕前がすごいとかが考えられる。
 俺の家族はわりと外食に出た記憶がある。兄も姉もその時はよく食べていた。二人とも基本的に家族思いなので、家で食べる時は末っ子の俺の取り分を一番多くしていた。
「川端さん、何人家族なの?」自分の家族のことを思い出して不思議に思った。
「五人です。お父さんとお母さんと、おばあちゃんと兄がいます」
「みんな一緒に暮らしているの?」
「いえ、兄だけ東京で働いています。お盆と年末年始に帰ってきますね。兄はいまだに私にお年玉くれます」川端さんが半笑いになる。
「お父さんとお母さんは、お仕事しているの?」
「はい。お父さんは会社を経営していて、お母さんは事務員のお仕事をしています」
 やっぱりという思いはあった。さらに突っ込んで訊くと、お父さんは製造業の会社をやっているらしい。長期的に家を空けることがある様子を聞くと、率先して動くタイプのリーダーなのだろう。
「高橋さんは何人家族ですか?」
「うちは五人。俺と兄と姉、それから両親。うちの父はしがないサラリーマン。母も平凡なパート勤めでね。兄は地元の製薬会社で働いていて、姉は結婚して今は育児しながら医療事務の資格取ろうとしているみたい」
 さらりと語ったが、家族の仕事のことに関してはあまり知らない。仕事の内容とかも聞いたことはないし、訊こうと思ったこともない。
 そうこうしているうちに注文していた鶏白湯ラーメンが運ばれてきた。
 白っぽいスープの中に麺が入っていて、いい感じに熟した味玉子と、彩りを加えるあおさと海苔。そしてチャーシューが添えられていた。目にした途端に、急激な空腹感に見舞われた。
「わあ、美味しそう」
 川端さんは鶏白湯ラーメンをじっと見つめると、目をキラキラと輝かせた。その純粋な一面が素直に可愛いと思えた。
 iPhoneを取り出した川端さんが写真を撮る。納得できなかったのか、もう一度写真を撮る。iPhoneをしまうと、次にハンドバッグから髪ゴムを取り出す。下ろした髪を後ろでまとめた川端さんは、いつも店で見慣れたスタイルの川端さんだった。
「いただきます」
 箸を手に取り、川端さんが両手を合わせる。レンゲでスープを飲んだ瞬間、また目がキラキラと輝いた。
「うん。スゴい。なんかポタージュみたいですね。飲みやすいです」
 自信を持ってこのお店の鶏白湯ラーメンをすすめた手前、共感してもらえると嬉しいというものだ。俺も箸を持ってラーメンをいただく。しばらくは会話がなく、お互いに鶏白湯ラーメンに全身全霊を傾けていた。
 ラーメンを食べ終わる頃合いになると、店員が緑茶と梅干をサービスで運んできた。この店ならではの特徴で、食後の梅干と緑茶はいつも身に沁みた。
「気が利いてるお店ですね」
 俺が緑茶を飲んでいると、俺より遅れて食べ終わった川端さんが感心したように言った。
「接客もいいし、ここは居心地がいい」
 しみじみと言った。こればかりは本当に心の底から言える。何があってもこの店はいつも落ち着いた空気で迎えてくれた。
「どうでしたか、初の鶏白湯ラーメンのお味は?」
 まるでテレビのように、芝居がかった感じで俺が訊くと、川端さんもわざとらしくその場で深々と頭を下げた。
「大変結構なお手前でした」
 川端さんが顔を上げると、目が合った。どちらともなく、笑みがこぼれていた。
 店の中は結構混んできていた。ピークを迎える前を狙って来店したので、ちょうどよかったと言えるだろう。あまり長居をしてもお店側に迷惑になる。
「混んできたし、そろそろお暇しますか」
「あ、そうですね」
 川端さんの表情が少し翳ったのがわかった。
「なんか他に食べたいものあった?」
「いいえ、大丈夫です」
「そう。なら行こうか」
 テーブル隅に置いてあった伝票を手に取って、会計に向かった。グルメ冊子を持っているので、五百円。二人で千円だ。川端さんに出させるまでもない。ここはバイトの先輩として気前よく奢るのがいいだろう。
 お会計はご一緒でよろしいですか? という店員の問いかけに頷き、コイントレイに千円札を出した。同時に俺と川端さんのグルメ冊子、このお店のページにスタンプが押された。あと四回利用できる。
「高橋さん」
 お店を出ると、川端さんが五百円を差し出してきた。
「いいよ。もともと誘ったのは俺だし」
「でも」
「大丈夫。気にしないで。気持ちだけありがたく受け取っておくから」
 まだ川端さんは五百円玉を差し出したままだった。ここまで乗せてきてもらっているし、悪いと感じているのだろう。
「ふー、でもなんか、食後のコーヒーが飲みたいな」
 俺がわざとらしく言うと、川端さんは慌てたように、「買ってきます」と言ってお店の横にある自販機に向かった。微糖でお願いしますとだけ言っておいた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
 早速缶コーヒーを開けて、その場でひと口飲んだ。食後のコーヒーが五臓六腑に染み渡るような感じがした。
「川端さんはいいの?」
「なんか、おなかいっぱいになっちゃって」
 小食なのだろう。俺はやろうと思えばまだ食べられるが、美味しい満腹感というのは、ほどほどに留めるのがいいと思っている。
 ふと空を見上げると、雲ひとつないくらい晴れていた。すでに空は暗くなってきていて、星が見えていた。
 俺が空を見上げていたからか、川端さんも空を見上げている。食事も終わったし、とりあえず今日の約束は終わった。でも、何か別れ難い空気がある。もう少し、川端さんと一緒にいたい。こみ上げてきた思いは、簡単に振りほどくことはできなかった。
「…川端さん。まだこの後時間、あるかな?」
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