TIME After TIMEを聴きながら 三

文字数 5,211文字

 時計の短針が、二十一時を告げる。二十時半を過ぎると、客足も落ち着く。都会とは違って、人の動きがだいたい決まっている。夕飯を買いに来る会社帰りの人たちも、今は家でゆっくりとしているだろう。
 今日から夕勤は二人体制になった。もともと二人体制だったのだが、新人の川端さんが入ったことで、慣れるまでは福ちゃんが夕勤に入っていた。その福ちゃんが今日から本来のシフトに戻り、夕勤は俺と川端さんだけになった。
 レジ業務も滞りなくこなせるようになっているし、ファーストフード品の調理も問題なかった。時々レジでボーッとしていることはあるが、それは商品の棚の整理を行うように指導していけばいいだろう。
 咄嗟の対応や、お客とのコミュニケーションはまだ苦手なようだった。お客に声を掛けられても、反応が鈍い。それは人それぞれの性格だったりするし、仕方がない。無理強いすることもないのだ。
 川端さんはレジの箸やスプーンなどを補充していた。ピーク時ともなれば、ほとんどのお客に箸を付けたりするので、驚くほど消耗する。
 箸やスプーンを補充した川端さんは、今度はレジ袋を補充しはじめる。言われなくてもやるようになったのは、いい傾向だった。
 相変わらず川端さんはくろがねマスクスタイルで、表情がよく読み取れない。ただ綺麗な顔立ちをしているのだろうな、というのはところどころ感じられた。あまり川端さんと世間話などしたことがないので、どんな性格なのかというのは、まだよくわからない。なんとなく距離を置かれているのは感じている。
 いろいろと川端さんに指導してきた。口うるさい人だなと思われているだろう。それは自分が無意識に置いてしまっている距離なのかもしれない。
 川端さんから話しかけてくることはない。あっても業務上でわからないことがあった時だけだ。俺もあまり話さない。それが余計に距離を大きくしているのかもしれないが、だからといって仕事に差し障りが出るわけでもない。
「雑誌の返品やってきます」
 俺は事務室に入ると、パソコンで今日返品する雑誌のリストを印刷した。その後は、未明に入荷される雑誌のリストをチェックする。
 雑誌は売れれば利益になるが、売れなければ返品できる。しかし万引きの多い商品でもあった。一部の店舗では雑誌を扱いたくないという店舗もあるらしい。
 俺が雑誌を担当するようになってからは、漫画系の雑誌はすべて専用の紐で止めて立ち読みを禁止にした。すると不思議なことに万引きがなくなり、売れ行きも上がった。通路に立ち読み客がいなくなったので、高齢者や親子連れのお客にも好評だった。
 印刷された用紙をバインダーに挟んで、買い物かごを持って事務室から出た。店内にお客がいたが、二人だけで他にはいない。川端さんにレジを任せておいて大丈夫だろうと判断して、雑誌コーナーに向かった。
 雑誌コーナーにはお客はいなかった。情報雑誌や週刊誌、パチスロの攻略雑誌を立ち読みするお客はたまにいるが、それは限られてくる。漫画系の雑誌が立ち読みできなくなれば、立ち読み客はゼロになるのだ。
 それでも週刊誌やパチスロの攻略雑誌の棚はぐちゃぐちゃに荒らされていた。もとの場所に戻すということすらしないお客にはうんざりする。
 とりあえず売場を整理整頓するのは置いて、先に返品する雑誌を回収する。週間単位で発売する雑誌が多いので、返品する雑誌はわりと多い。
 コンビニも毎週新商品が発売されるので、それに合わせた売場展開を考えなければならないが、雑誌社に勤める人もまた大変なのだろうと思う。返品する雑誌を買い物かごに入れていき、入荷する雑誌の売場を作る。最後に売場を整理整頓すれば、手間はかからない。
 俺が雑誌コーナーを整理していると、トイレに入っていたお客が出てきた。横目で見えたが、見覚えのあるお客だった。
 茶髪に肩まで伸びた髪。通称チャラ男。ごくたまにしか来店しないが、面倒なお客のひとりだった。特にクレームをつけたりとかはしないのだが、店員にやたらからむ。
 以前も女子大生のアルバイトにしつこく言い寄って、そのアルバイトの娘が辞めたこともあった。そんなことを思い出し、嫌な予感が頭をよぎった。
 今レジにいるのは川端さんだった。チャラ男がからんでいく可能性は充分にある。
 俺は平静を装って、雑誌コーナーの整理を続けた。するとしばらくして、レジから声が聴こえてきた。
 川端さんの声でないことはわかる。少し高い、無神経そうな声は、チャラ男の声だった。可愛くない? とか、いくつ? とかいう単語が耳に入ってくる。やはりチャラ男は川端さんにからみにいったようだ。
 他のお客が来れば退店するしかないだろう。そう思っていたが、こういう時に限って来店客がない。これまでの川端さんを見ていれば、チャラ男のようなお客を上手くあしらうようなことができないことは、容易に想像がついた。
 俺は雑誌を整理する手を止めて、レジへ足を運んだ。
 案の定、チャラ男は川端さんに言い寄っていた。覗き込むようにして顔を見ている辺りが、なんとも無神経だ。
 川端さんはというと、すっかり萎縮してしまって、肩をすぼめて小さくなっていた。俺はチャラ男の真横に立った。チャラ男がこちらを向く。
「お客様。申し訳ございませんが、従業員への私的なお声掛けは御遠慮ください」
 追い返そうとしても、対応自体は丁寧でなければならない。ここが接客業の難しいところだった。
「は? なんだよ、お前には関係ねーよ」
 その場を動こうとしないチャラ男に対して、俺は目で凄んでみせた。福ちゃんほどではないが、これでも万引き犯を捕まえた経験もある。こういう場は慣れていた。チャラ男は少し怯んだが、それでも動こうとしないので、俺は一瞬だけ川端さんに目をやった。
「彼女、嫌がっていますよ。明らかに。そんなこともわからないんですか?」
 チャラ男を見る川端さんの視線が、明らかな嫌悪を示していた。舌打ちしたチャラ男は、買おうとしていたタバコをレジカウンターに置いたまま、早足で退店していった。
 俺はチャラ男が購入しようとしたタバコのレジ入力をキャンセルして、川端さんに笑顔を向けた。
「大丈夫だった?」
 俺が訊くと、川端さんは大きく頷いた。びっくりしているのか、目を大きく見開いていた。
「あいつごくたまに来るんだよね。前も女子大生の娘にしつこく声掛けて、それでその娘が辞めちゃったことがあってさ。ああいうお客さんもいるからね。携帯電話の番号聞いてきたりとか。軽くあしらった方がいいよ」
 川端さんが少し首を傾げた。
「軽くあしらう、ですか。例えばどうすればいいですか?」
 意外な返答に、俺は言葉に詰まった。言われてみればそうだ。軽くあしらうって、なんだ。少し考えた。
「私に電話したかったら、このお店に電話ください。三百六十五日、二十四時間受け付けてますっ!」
 音楽番組で観たことのある、アイドルみたいなぶりっ子ポーズをとってみた。
 川端さんがじっと見ている。何故こんなことをした、俺。痛い痛すぎる。
 次の瞬間、川端さんがお腹を抱えて大爆笑していた。初めて見たその表情に、何故か少しドキッとした。
「高橋さん、そんなことするんですねっ」
「そんなことって。ちょっと笑い過ぎでしょ」
「ヤバい、お腹痛い」
 ひとしきり笑った川端さんは、少し乱れた前髪を整えると、居ずまいを正して俺の顔を見つめてきた。黒眼鏡の奥に見えるきらきらとした瞳が、俺には何故か眩しく感じられた。
「ありがとうございます。高橋さん。本当に助かりました」
 川端さんが深々と頭を下げてきた。そんな大したことをした訳ではない。心がこそばゆいような、くすぐったい感じがした。少しだけ誇らしいのは、川端さんが感謝してくれたからだろう。
「私、あんまりお客さんと上手く話せなくて。だから、ああいうお客さんが来るとどうすればいいのかわからないんですよね」
「さっき俺が見せた手本と同じ対応でいいんだよ」
「それは嫌ですよ」
 俺が笑うと、川端さんも目が笑っていた。
「まあ慣れっていうのもあるからね。中にはコミュニケーションを求めてくるお客さんもいるけれど。コンビニのレジで一番求められるのはスピードだと思うから、今はそれでいいと思うよ。それに個人の性格もあるから、そこまで気にしなくていい」
「高橋さんにそう言ってもらえると、なんか安心します」
「そう?」
「そうですよ。だって店長だって高橋さんを頼りにしている感じがするし、やっぱり見ていてしっかりと仕事する人だなって思うから」
「そうかな…」
 面と向かって褒められると照れてしまう。自分では当たり前のことをやっているに過ぎないと思っている。だからこうして褒められることが意外な気がしてならない。
「高橋さん、もっと生真面目な人かと思いました。でも今日は意外な一面が見られてよかったです」
 普段川端さんが話しかけてくることなどない。だからか、話しかけられることに違和感はあった。意外と一度話すと、とっつきやすいタイプなのかもしれない。最初は人見知りするけれど、仲良くなればとてもフレンドリーな関係を築けるというタイプだ。
 いつの間にか川端さんとの間に感じていた距離感はなくなっていた。まるで大きく割けていたひび割れが、倍速再生で一気に修復したようでもあった。
「そんな真面目でもない。いつも早く帰りたいって思っているし、カチンときたお客に、心の中で悪態をついたり」
「でも、お仕事は真面目にこなしているじゃないですか。いい加減なところとかないし、パッパッと作業終わらせていきますし」
「それはね、川端さん。早く帰りたいの」
「そこが真面目なんですよ。不真面目な人は多分やらないですもん」
 言いながら川端さんの目はまた笑っていた。
 お客が入店して来たので、俺も川端さんも私語を止めて姿勢を正した。
「いらっしゃいませ」の声が、川端さんと重なった。お客がすぐにレジに来る。常連客のおじさん、ダブルピースおじさんだった。
 人差し指と中指を立てて、「ピース」と言ってきた。すかさず俺はタバコのピースを二つ取って、レジでスキャンした。
「袋にお入れしますか?」
 川端さんが声を掛けると、おじさんはにこりと笑って、「ありがとう。でもこのままで大丈夫だ」と言って会計を済ませると、会釈して退店した。
「あのおじさんも、常連さんなんだけど」
「はい。私まだたまにしか会ってないです」
「ピースって言って、ピースマークするじゃん? 最初、それはピースなのか、それともタバコのピース二つなのか戸惑った時があってさ」
「なんですか、それ。ピースって言って、ピースしてたら、それ変な人ですよ」
「だよね。でも最初はタバコの銘柄もよくわかんなかったから、戸惑ってさ。それ以来、あのおじさんのこと、ダブルピースおじさんて呼んでる。心の中でだけど」
「ダブルピースっ」
 ツボにハマったのか、川端さんはまたお腹を抱えて笑いはじめた。その笑顔に、また少しドキッとしてしまう。
「高橋さん。もしかして、常連のお客さん全員にあだ名つけてるんですか?」
「全員って訳でもないけれどね。お客さんには申し訳ないけれど、名前を伺う機会もないじゃん。だからどうしても、わかりやすいあだ名をつけてしまうね。例えば、モンスターマダムとか」
 川端さんを見る。すると川端さんがわざとらしく肩を落として、力なく首を振った。
「あれは思い出したくないです…」
 今度は俺の方が笑ってしまった。
「でもスゴいです。あだ名だけで、誰かわかりました。的確なあだ名だと思います」
「そうね。褒められていいのかわからないけれども」
 俺がそう言うと、今度は顔を見合わせて二人で笑った。店内には俺と川端さん以外に誰もいない。二人の笑い声だけが、店内に響いていた。
「あ、お弁当のトラック着ましたよ」
「えっ、もうそんな時間?」
 時計を見ると、すでに二十一時半を回っていた。いつもならすでに雑誌の返品処理を終えて、弁当の入荷を待っている時間だ。その間にゴミ捨てなどもやってしまう。チャラ男相手に時間をとったとは思えないので、川端さんと話していた時間が長かったのだろう。それだけ時間を忘れていたということでもあった。
「私、お弁当の検品しますか?」
「お願いします。雑誌だけ片づけちゃうんで」
「はいっ」
 いつになく元気な川端さんの声が聞こえた。相変わらずの鉄壁ぶりを示すくるがねマスクだけれど、その下の表情が笑顔だというのは感じ取れた。
 川端さんの後ろ姿を見て、くろがねマスクの下に隠された素顔が気になった。
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