くろがねマスク 三

文字数 3,199文字

 出勤が昼過ぎというのは楽だった。午前中を有効に使えるということもあるが、それだけでない。
 通勤ラッシュに巻き込まれることがないというのは、大きな魅力だ。朝の八時台や夕方の六時以降からのラッシュでは、国道が渋滞してまったく進まない。
 従業員駐車場に、車を停める。午後の一時や五時であがるパートのおばさんたちの車や、店長の車が停まっていた。どこが誰の場所か決まっている訳ではないが、自然と停める位置は決まっていた。
 立地が良いのか、俺の勤めるコンビニはかなり混む。昼のピークは十二時から十三時半くらいまでで、ひっきりなしにお客が入ってくる。レジ打ち、弁当の温め、レジカウンター横のファーストフード品の提供。人が少ないと、減ったコーヒーカップを補充できないほどだ。
 レジカウンターの横にあるATMやマルチコピー機のあるスペースを抜けて、事務室の中に入る。
 事務室のパソコンを見ながら、廃棄の弁当を口にしている店長がいた。
 この店の店長、福地久喜。身長が百八十を超えていて、筋トレが趣味でがっしりとした体格だった。空手も習っていたようで、この店に来る厄介なお客は、だいたい店長を見ると小さくなってしまう。強面だが人当たりがよく、常連さんから人気がある。
「おす」
「おお。おはよ」
 軽く挨拶を交わす。
 福ちゃんとは本店からの付き合いだった。深夜勤帯で初めてコンビニの仕事をした時、ペアを組んでいたのが福ちゃんだった。
 丁寧で分かりやすい指導で、具体例を交えて業務内容を教えてくれた。学生時代からコンビニで働いていて、どんな業務も知っていた。
 気持ちが悪いほどに気が合う仲で、休みが合うとよく一緒に遊びに出掛けていた。さらに二人とも大の戦国オタクと分かり、朝までファミレスで語り合ったことが何度もあった。
 オーナーが二号店を出すということになった時、福ちゃんは店長を任された。東京の本部で研修を受けて、福ちゃんはこの店の店長となった。オープニングスタッフが足りなかったので、福ちゃんに引っ張られてこの店に移った。
 俺の今の立場はシフトリーダーで、福ちゃんのサポートだ。福ちゃんが店を離れる時間帯にシフトに入り、福ちゃんが休みの日は必ず出勤している。もっとも福ちゃんがいない日は、朝方はオーナーが店に来る。
「今日さ、午前中本店行ってたのよ」
「ふーん」
 気のない返事をしながら、着替えをする。タメ口で話すのは他に誰もいない時だけだ。他の従業員がいる場合は敬語を使うし、店長と呼ぶ。
「オーナーが三号店出すとか言っててさ。

を店長候補に挙げてたよ」
「絶対やだ」
 即答すると、福ちゃんは声をあげて笑った。
 コンビニのオーナーや店長がどれほど大変か、嫌というほど見てきた。
 人としての生活が約束されない仕事だ。福ちゃんは好きでコンビニの仕事をしているらしいが、急にアルバイトが休むと出勤しなければいけない。オーナー夫妻は三百六十五日働いていた。
 人を犠牲にして成り立っていると思う。俺にはできないと常々思っていた。
「ま、ひろは正規雇用目指してるから、無理だろうとは言っておいたけどな」
「ありがと。お気遣い感謝します」
 大きく息を吐きながら、事務室の椅子に座る。福ちゃんはまだ笑っていた。
「今日はなんかやっておくことある?」
「ああ。今日は俺夕方までいるからいいよ。午前中は本店行ったり、銀行に行ったり休みみたいなもんだったし」
「夕方まで? なんなら休めばいいじゃん。滅多に休めないだろ」
 福ちゃんは早朝の六時に出勤する。早朝は深夜勤帯の従業員が、交代で八時まで勤めてくれる。そこからパートのおばさんたちが出勤してくる。そしてパートのおばさんたちが来てから、店長としての業務をこなす。
 自分の仕事を片づけたらパートさんたちを昼休憩に入れる。その後交代で昼休憩に入り、午後は売場のレイアウトを変えたり、POPを自作したりして十四時か十五時にあがる。
「今日、夕勤で新しいアルバイトの娘来るのよ。この間午前中にちょっとだけ顔出してもらって、基本的なレジ業務はトレーニングしたんだけどね。まだ少し不安だから、一応シフト入ろうと思って。まあ、ひろがいれば大丈夫だろうけどさ」
「ああ、あれ今日だったか。どうだった?」
 コンビニにやってくる人材は、本当に多種多様だ。年齢層も幅広い。学生もいれば、もう六十を過ぎた人もいる。ちゃんと仕事ができる人なのか。それは入ってきてみないとわからない。
「二十歳、って言ってたかな? 可愛い娘だよ。綺麗な感じだね」
「そうじゃなくて、レジとか、大丈夫?」
「うん、レジはまあ、普通にこなしてたかな」
 少し歯切れが悪い。そこに一抹の不安を覚える。
 コンビニはどこの店舗であろうと、基本的に人手不足だ。ウチの店も夕勤が常に人がいない状態で、誰かが休むとその穴を福ちゃんが埋めることになる。今はギリギリの状態だ。だから来るもの拒まずというスタイルなのだが、急に来なくなったりするアルバイトもいた。そういったことをもう何度も見ている。
「すぐ辞めるとかなければいいけど」
「まあコンビニだしな。パートさんとは違って、繋ぎみたいのがほとんどだろう」
 そう言われると俺も何も言えなくなってしまう。俺自身も、正規雇用の仕事を探しながら、ここで働いているからだ。
 事務室のデスクの上に置いてある連絡ノートを手に取る。この店のルールで、出勤前に連絡ノートを確認するようになっている。主に店長である福ちゃんから、従業員への連絡事項が書かれているが、従業員同士の連絡にも使われている。
 福ちゃんは店のパソコンに戻る。本部からの連絡を確認し、従業員に伝えるべき事項を選んで、ノートに書き込んでいた。本店で一緒に仕事していた時は大雑把なところがあるなと思っていたけれど、こうして店長になると細かいところまでキチンとしていて不思議だった。
「そろそろいくわ」
「おお。よろしく」
 連絡ノートを戻すと、椅子から腰をあげた。事務室への出入口は二つある。ひとつは俺が入ってきた扉。もうひとつがカウンターに直結している扉だ。俺はカウンターへの扉を開けた。
 すでに店内には昼食を求めて来店したお客が入ってきていた。俺はパートさんたちに挨拶をしてから、流し台で手を洗った。
 レジを出てオープンケースを整理する。お客が購入するものは様々だ。
 これは俺の考えだが、戦後の日本には多くの欧米文化が入ってきた。アメリカに統治されていたことが大きいだろう。食文化もそのひとつ。多種多様な食品が日本人の手元に現れた。海外からの食品はそのまま食べても日本人の嗜好に遭わないものもある。それを日本人の舌に合うように作る。そうやって生産する企業が興り、経済が発展してきたのだと思う。
 何を食べるかはその日の気分による。そのためにおにぎりやサンドイッチ、パンやブリトー、弁当やパスタを用意する訳だが、問題は食べられなかったものだ。
 日本の食糧廃棄量は年間でだいたい千四百万トンとされている。この中で本来食べられたものが七百万トンほど。食糧自給率の低さから、多くの食材は輸入に頼る中、これだけの量をロスとして廃棄している。おにぎりひとつとっても米や海苔は国内調達だが、具材はほとんどが輸入品だ。いずれ起こる世界的な食糧危機を前に、日本は世界から見向きされなくなるのではないかと、コンビニの食品廃棄を見ていると思ってしまう。
 なんてことを考えていると、パートさんがあがる時間になってしまった。急いですべてのオープンケースを整理する。すでに店内は客足が増えてきている。
「いらっしゃいませ」
 カウンターに戻りながら、声を出す。ピークタイム。慌ただしい時間がはじまる。
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