ヘッドセット動作確認テストの『予約』

文字数 868文字

彼からの返信──
「実は気付かれなかったけれど、一昨日にもそちらのオフィス近くの階段ですれ違っています。(人違いでなければ)」
──どういう意味だろう?
その日はそれ以上のメールのやり取りは続かず、終わってしまった。

次の日のお昼休み、私はオフィス近くの階段でばったり彼に遭遇した。

(メール通りだ、本当にすれ違っていたんだ)

今度はこちらが目を見開いた番だ。
『ここにいないはず』の人がいるのはこんなに不思議な気持ちなんだ。

彼は私と目が合ったが特に何をするわけではなく通り過ぎようとした。

「え?それだけ?」
私はつい声に出してしまった。

そして
「ちょっと待ってください!」
と彼を呼び止めてしまった。

彼は立ち止まってくれたが、私は恐ろしいことに話す話題が何もないことに気付いた。

「あ、あの…」
私はわかりやすくうろたえていた。

「~のゲームの最新作が出ますね!」
「そうですね」
彼は床を見ながら応えた。

(まずい…)
(本当に話すことがない…)

私たちは二人とも下を向いたまま黙りこくってしまった。

そうだ!あの件にしよう。
私は苦し紛れに口を開いた。

「これは、『マジな』相談なんですが」
(『マジ』とか使っているところ見られたくなかった。焦りすぎて、言葉のチョイスをミスった。)

「?」
彼は少し目線を上げた。

「先日選んでいただいたヘッドセットが納入されて、動作確認テストをしようと思っているのですが相手をしていただけませんか?」

「?」
彼は私の方をぼんやり見ている。

「本当はテストしてくれる予定だった候補の方が二人居たのですが、ふたりともタイミングが悪くキャンセルされてしまって。」
私は彼から目線をそらしてペラペラとしゃべった。

彼はスマホを取り出して画面を見ていた。
(意外。手帳型のケースなんだ。)

お昼休みまで10分を切っているはずだ。

彼は「はい」と小さく頷いた。
私は驚いて「本当?」と聞いてしまった。
彼は少し笑いながらまた頷いた。

私は承諾されたのがとてもうれしくて仕方なかった。
「テストの時刻を改めてメールでご連絡しますね!」
と言ってふたりは足早に立ち去った。
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登場人物紹介

私:30代後半の女性

昔は綺麗だった。見た感じさほど変わりはないが、今は自分の加齢に悩んでいる。

年上が好みだったが、これから好きになるある男性は年が下かもしれないので落ち着かない。

実体の彼:年令不詳だがおそらく私より年下

優しい、誠実な仕事ぶりの中途入社社員。

こちらから話しかけない限り、ほとんど話さない静かな性格。

私は彼がどの程度年下なのかが分からず落ち着かない。

あるきっかけで私と長い期間社内メールでのみ個人宛てでやりとりをする関係になる。

その後再会した彼は、今まで私が知る彼とは言動、行動が違っていて私は受け入れられず混乱している。

理想の彼:理想化した彼

実体の彼に出来ないことは全てしてくれるが私はだんだん違和感と不安が膨れ上がっていく。

思い出の彼:私の思い出の中にいる彼。

数種類のエピソードを持っており、時が経つごとに輝きが増す。

誰にも共有することが出来ず、なんなら実体の彼すら忘れているエピソードもある。

文字の彼:私と一番長く過ごしてきた彼。

私は再会するまで彼の顔は思い出せず、『文字の彼』として受け入れていた。

私のトラブルをいつも気にかけ、いつでもすぐにメールで助けてくれる安心感のある彼。

彼のただ一つの謎はこんなに優しいのに『感情』が入った文章には一切反応をしないこと。

自称イケメン(ただし本当にイケメンです。)の先輩。

自分に自信があり、仕事も顔も自分が一番だと思っている。

ただ、既婚者なのに女の子をひっかけているところはクズである。

私にはないものばかりで、『ある意味』あこがれの先輩。

『彼』への想いの相談相手になってもらったが…

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