「本当にそんな目で、見ていない?」 Rev1

文字数 2,950文字

私はネット小説のサイトを見ていて、ある小説が気になった。
この作家さんは、私と同じくらいの年齢の女性だ。
自己紹介を開いてみると、都会で働くIT系の女性だそうだ。
私は同年代の書く、恋愛小説がとても気になった。
彼女は都会にいるキャリアウーマンで、私のような浮き世離れした考えなんてなくて、もっと地に足の着いた大人の恋愛なんだろうな…
私も地方の工場勤務の分析部門所属、表面解析チーム、電子顕微鏡担当の専門職として胸を張ればいいだけなのだが、カタカナ系の職業の格好良さには勝てない。

作品紹介もまともに読まず、彼女の小説を開いた。
彼女は私と業界が違うにも関わらず、仕事に対する考え方がとても似ていて共感した。
「仕事にスリルを求めてしまう。」
「彼氏が邪魔になってしまうときがある」
わかる…私は小説の彼女に強く感情移入し、強く頷いた。

彼女の小説には憧れの人として彼女の上司が登場している。彼は既婚者だ。
ある日、終電を逃してしまった二人は、食事に出かけた。
上司は彼女に病欠者の仕事を割り振りしなければいけなくなって、そのことを詫びたかったようだ。
彼女は彼女で泣きながら嫌がって断ろうとしたことを謝ろうと考えていた。
私は彼女の健康状態をとても心配して読んでいた。きっと何日もぐっすりと眠れていないのだろう。私は睡眠の大事さを彼女に伝えたかった。『正常な判断』が出来なくなるのだ。

酔いも回ってきた頃、上司は彼女にあくまでも優しくけしかけた。
「~さんはこんなにかわいいのになぜ結婚していないの?」
彼女は歴代の彼氏の話をした。
笑い話にしているけれど、どうやらトラウマがあるようだ。そしてまるでそれを埋め合わせて欲しいかのごとく、上司を上目遣いで見あげた。
上司は彼女に優しい言葉をかけた。そしてお酒をつごうとしている彼女の手に自分の手を重ねた。
私はそこまで読んでこれはまずいと思った。
私が何気なくクリックした本は、不倫小説だったのだ。
しかし、私はせめて今開いているページまでは読もうと思い、また小説の世界に戻った。
このシーンは私には理解できないくらい行間を読む必要があった。
ただ、私には理解できなかった。
この上司のどこがいいひとなのか?
彼女がどこで上司に合意のサインを出したのか?上目遣いの時?手を重ねたとき?
不明な点だらけだった。
私は自分の読解力の低さや自分の心の冷たさに失望した。
その後、彼女たちは店を出てエレベーターに入った。そこから『始まって』しまった。
そしてこのあと彼女の会社でよく利用している泊まり込み作業者用のホテルにチェックインするのだが、素知らぬ顔で受付をして、ふたりは『ひとつ』の部屋に入っていく。ひとつもためらいなどない。
なんで?
さっきまで彼女の職業観に強く頷いていた私だが食事のシーン以降、何一つ共感できなかった。
私はこれ以上先を読む気になれず、トップページに戻った。
おかしなものを読んでしまったなあ…
私はまだドキドキしながら眠りについた。

次に起きたとき、私は妙な感覚に襲われた。なんだか身体が重いのだ。そして…
「なんだか気持ちがもやもやする…」
その後私は起きあがって顔を洗ってみたが、もやみたいなものは取れることはなかった。

私はまた彼女の小説を思い返していた。

文字の世界なのに現実の男女がリアルに頭の中でイメージされた。特にエレベーター以降のシーンは私には刺激が強すぎた。
彼との繊細で内面をゆっくり沿うような関係を築いている状態とは真逆のことが起きていた。
そこで私はある言葉が口を付いた。

「うらやましい。」

自分で言って驚いた。
私は彼女の小説に刺激されている。
しかも読むのを止めたのにひっぱられている。
このもやもやの正体は私の中に連れてきてしまった『彼女』かもしれない。

実は、昨日私は彼女になって追体験をする夢を見た。
結論から言うと私も彼女と同様にこの上司に陥落してしまった。

上司は屈託なく笑ってくれ、私を誉めてくれて、優しかった。そして手を重ねたとき、思ったより力が強くて動揺した。

そして彼女が手を重ねられたときにリミッターが外れた音がした。

ここまで来る間、彼女はのらりくらりしているように見えたけど、本当は徐々にボルテージが上がっていたのだ。

手を重ねたとき、彼女の心は決まったのだ。
この後のことは小説を読んでいないからチェックインをして部屋に入るところまでしか分からない。

しかしお店を出て、エレベーターのシーンだけでも私には刺激が強かった。

個室空間になった瞬間、上司は彼女(今は私)を壁側に追いやって熱っぽい視線で見つめて彼女に顔を近づけた。彼女は上司は思ったより激しいと感想を言っている。彼女はもう何をされても拒否しないようだった。

私はそれらを見た上で、無意識に「うらやましい。」と感じたのか。

私と彼の近付いては離れる微妙なやりとりと対極にいる彼女たち。

私はこれと同じように彼と直接的な欲望や刺激を共有したいと心の奥底では思っているのだろうか?

私は慌てて火消しをしようと彼のことを思い浮かべた。彼が居れば、浄化できると思ったからだ。それが逆効果だった。

私の中に入った『彼女』は私の中にある実体の彼に対する色々な良くも悪くも正直な思いをえぐりだした。

彼女は歴代の彼氏でたくさんの恋愛を積んできた。それで色々なことを解釈して理解して分かった上で、上司を受け入れている。
ふたりともその行動はふたりだけのことしか考えていなくて倫理的にどうかと思う。

しかし彼女は欲望に正直に動いていた。
上司はそれ以上に欲望まみれだけど、最終的に合意したのは彼女の選択だ。

私には絶対出来ないことが彼女には出来る。
その後の後悔は計り知れないけど、欲望に正直でいられるなんてすごく強い女性だと思った。

私は彼に欲望を向けられるかと言ったらそんなことは絶対無理だ。
彼の前ではなぜか何も話せなくなるくらいだし、欲望を向けるなんて、とても…

私は彼に嫌われたくないし、幻滅されたくない。減点されるのが怖い。

どんな行動であれ、欲望に正直に従った結果、彼女は上司に受け入れられた。

この小説は不倫物で彼女たちの具体的に行っている様子が見どころであるため、私はきっとピークより前で読むのを止めたのだろうが、私は異なる点でこの小説を見ている。
そして圧倒されて言葉が出ないし、心がえぐられる。

それは彼女のことが理解できるけど理解できないから。
ただ、彼女に私の本性を見破られたような気分になる。
私は純粋なようでそうではないと思わされる。
でもそれを認めたくない自分がいて、葛藤が起きている。

違う。
私はそんな目で彼のことは見ていない。
でも、ほんとうに?
彼のこと、『本当にそんな目で、見ていない?』
ほんとう?

私は実体の彼を見たとき、健康的で若い人間の男性で、『身体の厚み』があることに驚いた。
そうだ、彼は文字ではない。人間なんだ。

彼が歩いていて角を曲がったとき私はどこを見ていたか?
彼の美しい目や鼻筋を見ていたと思っていた。
でも、それよりも、
彼の服から見えていた鎖骨に目を奪われていたはずだ。

それは『そう言う意味の』欲望ではないか?

彼女の小説は私の中の彼への『欲望』をえぐりださせた。

厳重に封をして絶対に表に出さないと決めたはずの箱を、ただの偶然のクリックで。
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登場人物紹介

私:30代後半の女性

昔は綺麗だった。見た感じさほど変わりはないが、今は自分の加齢に悩んでいる。

年上が好みだったが、これから好きになるある男性は年が下かもしれないので落ち着かない。

実体の彼:年令不詳だがおそらく私より年下

優しい、誠実な仕事ぶりの中途入社社員。

こちらから話しかけない限り、ほとんど話さない静かな性格。

私は彼がどの程度年下なのかが分からず落ち着かない。

あるきっかけで私と長い期間社内メールでのみ個人宛てでやりとりをする関係になる。

その後再会した彼は、今まで私が知る彼とは言動、行動が違っていて私は受け入れられず混乱している。

理想の彼:理想化した彼

実体の彼に出来ないことは全てしてくれるが私はだんだん違和感と不安が膨れ上がっていく。

思い出の彼:私の思い出の中にいる彼。

数種類のエピソードを持っており、時が経つごとに輝きが増す。

誰にも共有することが出来ず、なんなら実体の彼すら忘れているエピソードもある。

文字の彼:私と一番長く過ごしてきた彼。

私は再会するまで彼の顔は思い出せず、『文字の彼』として受け入れていた。

私のトラブルをいつも気にかけ、いつでもすぐにメールで助けてくれる安心感のある彼。

彼のただ一つの謎はこんなに優しいのに『感情』が入った文章には一切反応をしないこと。

自称イケメン(ただし本当にイケメンです。)の先輩。

自分に自信があり、仕事も顔も自分が一番だと思っている。

ただ、既婚者なのに女の子をひっかけているところはクズである。

私にはないものばかりで、『ある意味』あこがれの先輩。

『彼』への想いの相談相手になってもらったが…

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