『王子様』と上位自我
文字数 2,376文字
彼女の小説を読んでから私は彼女のフィルターを通して物事を見ている。
もう元の私に戻れないかもしれない。
私、こんな状態で彼に会いたくないし、もう会えない…
私は欲望のオーラをまとっている様子を彼に見られたくなかった。
欲望をまとっているときの顔なんて彼に絶対見られたくない。
私は人形 になりたい。
ドールは完璧な存在だ。何度も考えたことがある。ドールであれば彼と物怖じせず『対等』で居られるのに。
ドールは美しく、年齢も若いままだ。
性格だって彼の好みに設定してパッケージに書いておけばいい。
何より『悪い考え』は持っておらず、純真無垢で彼に静かに微笑むことが出来る。
ドールは『いつでも』、彼に愛おしく髪を撫でてもらう『準備』が出来ている。
私のような汚れてしまった心で彼にはもう会えない。
それとは逆に彼女に感化されている私は彼と『フィクション』でもいいから『繋がりたい』と思った。
彼が欲しい。今すぐにでも。
私は理想の彼を連れてきて、私の前に立たせた。そして潤んだ目で彼に懇願した。
「私もエレベーターの中で『彼女』と『同じこと』がしたい。」
「お願い。」
私は彼の顔が思い出せないから、一部分は推測の顔だ。それは彼と言えるのだろうか?
私はちょうど今着いたばかりの『空のエレベーター』のドアに彼の背中を押しつけた。
ドアは開き、私たちは崩れるように乗り込んだ。
『彼女』と彼女の上司はエレベーターに乗り込んだ後、熱っぽく見つめ合っていたと思った瞬間、いきなり『始まった』のだ。
彼らは見つめ合っていたとき何を考えていたのだろうか。
それは私と彼にも共有できることだろうか?
私と『不完全な彼』も見つめ合い、限りなく近い行動をしようとした。
彼は私の右頬に手を添えている。
あと数センチで彼と繋がることが出来る。
私はまがい物であっても彼と一緒になることが出来る…
しかしそこで、彼のイメージはストップした。
彼は動かない。まるで彼がドールみたいだ。
私は不安が増幅していった。私が欲望を理想の彼にぶつけてしまったから、壊れてしまったのだろうか。
私が、理想の彼であっても彼に敬意を払って扱うべきだったのに、欲求を彼に向けるというひどいことをしたからだろうか。
私は両手を顔に押し当てた。何に対してか分からない涙が止まらなかった。
少しずつ考えていく。
彼が止まってしまった理由。それは、私が彼の『何も』知らないからだ。
理想の彼は彼のようであって彼ではない。理想の彼は私自身なのだ。私の想像を超える範囲の行動は彼には出来ない。
私は彼に「『彼女』と『同じこと』がしたい。」と懇願したが、果たして彼はどのように私に『攻めいる』のか皆目検討がつかなかった。
彼は私に優しい?
それともあの上司みたいに激しい?
それとも何もかもがぎこちなくて私たちはうまくいかない?
アウトオブレンジ。想像の範囲外。
私はパニックになった。その瞬間、理想の彼とエレベーターの空間は消えた。
私はフィクションの世界でさえ、彼に手出しは出来ないのだ。
私は深く絶望した。
違う。
私はそんな目で彼のことを見ていない。
ほんとうに?
自問自答が始まる。
私と彼のエピソードでのエレベーターは、そんな風に使うものではなかったはずだ。
なぜなら…
私は彼との再会のシーンを思い出した。
(参照:再会)
私は五年ぶりにこの建物にやってきた。
両手に重い荷物を持っていて完全に無防備だった。見られる準備なんてしていなかった。
私は早くホームである自分のオフィスに戻りたかった。
焦りながらエレベーターの前へ急いだ。
そのとき少し遠くから視線を感じた。
私は下からゆっくりと視線を上げていった。クリーン服が入ったバッグを持っている男性だった。
「?」
男性がこちらを見ている理由が分からなかった。
しかし、なおもその男性は私を凝視してくる。
目を見開いて、目力が強い。一体この人は何を訴えているのか?
私は失礼だと分かっていたが、その人のことを見つめ返した。顔をよく見れば、知っている人かもしれないし。
見入る。分からない。
頭の中で知り合いの男性社員の顔が描かれたカードを次々とめくっていく。
違う、違う、違う。
この人は誰?
私は男性の顔をもう一度見た。
まさか。
私は鼓動が早くなる。
もうカードは『彼』しか残っていない。
それとは矛盾しているが、私は『彼』の顔を覚えていない。
私はギャンブルで聞いてみた。この二年で会いたくて仕方がなかった『彼』の名前を。
「もしかして…~さんですか?」
彼は答えなかった。
でも、かすかに口元が笑った気がした。
私は駆け寄り、彼に挨拶をした。
「いつもお世話になっております。」
「!」
気付くと、私は『思い出の』エレベーターの前から意識が帰ってきた。
私はあのとき、ずっと会いたかった『王子様』である彼と意図せず再会したのだ。
彼に駆け寄った私はその喜びに満ちていた。あの後、興奮さめやらぬ様子で彼にメールを書いたことを覚えている。
私は無邪気だった。
私と彼は『彼女とその上司』と同じことが出来る関係をまだ築いていないから想像ができなくても当然だ。
しかし、それ以上に問題は根深い。
私は彼のことを理想視しすぎているのだ。
私は彼のことを『王子様』だと思っている。王子様は高潔で、誠実で、皆に優しくて、そして彼の場合はプロフェッショナルな『あるべき姿』も含まれている。
私が好き勝手にしていい存在ではない。
これを上位自我と呼ぶ。私の意識が及ばない遥か上に彼がいる…と私は思っている。
しかし、彼が人間の姿で実体の彼となり私を試すような行動をすると、私は途端に動揺してしまうのだ。
彼が私の元まで降りてきて、『私の欲望』の対象範囲に入ってしまう。
理想と現実の狭間にいて私はどうしたらいいのか分からない。
王子様で居続けて欲しいと願う私と、私を満たして欲しいと実体の彼をあのような視線で見てしまう私。
どちらも私だ。
もう元の私に戻れないかもしれない。
私、こんな状態で彼に会いたくないし、もう会えない…
私は欲望のオーラをまとっている様子を彼に見られたくなかった。
欲望をまとっているときの顔なんて彼に絶対見られたくない。
私は
ドールは完璧な存在だ。何度も考えたことがある。ドールであれば彼と物怖じせず『対等』で居られるのに。
ドールは美しく、年齢も若いままだ。
性格だって彼の好みに設定してパッケージに書いておけばいい。
何より『悪い考え』は持っておらず、純真無垢で彼に静かに微笑むことが出来る。
ドールは『いつでも』、彼に愛おしく髪を撫でてもらう『準備』が出来ている。
私のような汚れてしまった心で彼にはもう会えない。
それとは逆に彼女に感化されている私は彼と『フィクション』でもいいから『繋がりたい』と思った。
彼が欲しい。今すぐにでも。
私は理想の彼を連れてきて、私の前に立たせた。そして潤んだ目で彼に懇願した。
「私もエレベーターの中で『彼女』と『同じこと』がしたい。」
「お願い。」
私は彼の顔が思い出せないから、一部分は推測の顔だ。それは彼と言えるのだろうか?
私はちょうど今着いたばかりの『空のエレベーター』のドアに彼の背中を押しつけた。
ドアは開き、私たちは崩れるように乗り込んだ。
『彼女』と彼女の上司はエレベーターに乗り込んだ後、熱っぽく見つめ合っていたと思った瞬間、いきなり『始まった』のだ。
彼らは見つめ合っていたとき何を考えていたのだろうか。
それは私と彼にも共有できることだろうか?
私と『不完全な彼』も見つめ合い、限りなく近い行動をしようとした。
彼は私の右頬に手を添えている。
あと数センチで彼と繋がることが出来る。
私はまがい物であっても彼と一緒になることが出来る…
しかしそこで、彼のイメージはストップした。
彼は動かない。まるで彼がドールみたいだ。
私は不安が増幅していった。私が欲望を理想の彼にぶつけてしまったから、壊れてしまったのだろうか。
私が、理想の彼であっても彼に敬意を払って扱うべきだったのに、欲求を彼に向けるというひどいことをしたからだろうか。
私は両手を顔に押し当てた。何に対してか分からない涙が止まらなかった。
少しずつ考えていく。
彼が止まってしまった理由。それは、私が彼の『何も』知らないからだ。
理想の彼は彼のようであって彼ではない。理想の彼は私自身なのだ。私の想像を超える範囲の行動は彼には出来ない。
私は彼に「『彼女』と『同じこと』がしたい。」と懇願したが、果たして彼はどのように私に『攻めいる』のか皆目検討がつかなかった。
彼は私に優しい?
それともあの上司みたいに激しい?
それとも何もかもがぎこちなくて私たちはうまくいかない?
アウトオブレンジ。想像の範囲外。
私はパニックになった。その瞬間、理想の彼とエレベーターの空間は消えた。
私はフィクションの世界でさえ、彼に手出しは出来ないのだ。
私は深く絶望した。
違う。
私はそんな目で彼のことを見ていない。
ほんとうに?
自問自答が始まる。
私と彼のエピソードでのエレベーターは、そんな風に使うものではなかったはずだ。
なぜなら…
私は彼との再会のシーンを思い出した。
(参照:再会)
私は五年ぶりにこの建物にやってきた。
両手に重い荷物を持っていて完全に無防備だった。見られる準備なんてしていなかった。
私は早くホームである自分のオフィスに戻りたかった。
焦りながらエレベーターの前へ急いだ。
そのとき少し遠くから視線を感じた。
私は下からゆっくりと視線を上げていった。クリーン服が入ったバッグを持っている男性だった。
「?」
男性がこちらを見ている理由が分からなかった。
しかし、なおもその男性は私を凝視してくる。
目を見開いて、目力が強い。一体この人は何を訴えているのか?
私は失礼だと分かっていたが、その人のことを見つめ返した。顔をよく見れば、知っている人かもしれないし。
見入る。分からない。
頭の中で知り合いの男性社員の顔が描かれたカードを次々とめくっていく。
違う、違う、違う。
この人は誰?
私は男性の顔をもう一度見た。
まさか。
私は鼓動が早くなる。
もうカードは『彼』しか残っていない。
それとは矛盾しているが、私は『彼』の顔を覚えていない。
私はギャンブルで聞いてみた。この二年で会いたくて仕方がなかった『彼』の名前を。
「もしかして…~さんですか?」
彼は答えなかった。
でも、かすかに口元が笑った気がした。
私は駆け寄り、彼に挨拶をした。
「いつもお世話になっております。」
「!」
気付くと、私は『思い出の』エレベーターの前から意識が帰ってきた。
私はあのとき、ずっと会いたかった『王子様』である彼と意図せず再会したのだ。
彼に駆け寄った私はその喜びに満ちていた。あの後、興奮さめやらぬ様子で彼にメールを書いたことを覚えている。
私は無邪気だった。
私と彼は『彼女とその上司』と同じことが出来る関係をまだ築いていないから想像ができなくても当然だ。
しかし、それ以上に問題は根深い。
私は彼のことを理想視しすぎているのだ。
私は彼のことを『王子様』だと思っている。王子様は高潔で、誠実で、皆に優しくて、そして彼の場合はプロフェッショナルな『あるべき姿』も含まれている。
私が好き勝手にしていい存在ではない。
これを上位自我と呼ぶ。私の意識が及ばない遥か上に彼がいる…と私は思っている。
しかし、彼が人間の姿で実体の彼となり私を試すような行動をすると、私は途端に動揺してしまうのだ。
彼が私の元まで降りてきて、『私の欲望』の対象範囲に入ってしまう。
理想と現実の狭間にいて私はどうしたらいいのか分からない。
王子様で居続けて欲しいと願う私と、私を満たして欲しいと実体の彼をあのような視線で見てしまう私。
どちらも私だ。