第15話

文字数 3,014文字

「局長、例の話聞きましたか?」
「マトリが又キングに一泡吹かせられたって件か?」
「ええ。詳細を詳しく聞いてみると、前回取り逃がした時とまるっきり同じパターンでやられたみたいです」
「マトリも黙っていてくれたらうちでキングを捕まえたのにな」
「まったく、その通りです。こういう事があると、次がやりずらい」
「まあ、うちとマトリでは捜査手法が違うからな。脇田君はどう思っている?」
「はい。うちとしては、マトリのように潜入捜査は出来ませんから、地道に売人を引っ張って、情報を得、その上で一斉検挙に踏み切るよう持って行きます」
「うん。その辺の所、しっかり頼むよ。マトリが下手を打ったにも関わらず、うちも下手を打ったのでは洒落にならないからな」
「はい。そこのところは充分に注意して事に当たります」
「頼むぞ。キング逮捕は警視庁の最優先事項だ。捜査に必要な物があれば、遠慮なく言ってくれ。どんな物でも、又どんな事でも力になる」
「では、機捜内部にキング専従班を設けて欲しいのです。今迄のように、必要な時に人員を集めるのではなく、初めから専従班があれば、機動性に富み突発的な行動が出来ます。それと、新宿、渋谷、六本木の各署にもキング専従班を設けて頂きたいのです。ただ、行動は奴等に動きを知られたくないので、隠密裏に動ける事が条件です。以上をお願いします」
「分かった。すぐに上とも掛け合ってみる。相手がキングだから、上も承知してくれるだろう」
 花村警視との話を終えた脇田は、自分のデスクへ戻り、たった今警視に述べた事を反芻した。抜かりは無いか。手落ちがあればキングは捕まえられない。偽造パスポートを使って帰国して来る人間だ。単なる麻薬の売人ではない。こちらが気が付かないような危険性を孕んでいる。脇田は富樫を呼んだ。
「富樫君、キングの事でその後分かった事はあったか?」
「はい。例のスマホの解析ですが、複数回同じアドレスで同じ名前の相手にメールを送っているのが分かりました」
「電話は?」
「電話も掛けてますが、今その内容をサイバー課にお願いして解析して貰っています」
「メールの内容は今見れるか?」
「はい。コピーを送って貰ってあります」
「見せてくれ」
 脇田は富樫からコピーを受け取ると、丹念にそれを読んだ。
「このメールは取引を促すメールのようだが、君はどう思う?」
「はい。取引の件には違いないと思いますが、ただその日付や場所、取引方法は記されていません。肝心な所が抜け落ちています」
「そうだな。これを元に逮捕に持って行ける可能性はあるが、土壇場でひっくり返される事が考えられる。もっと確実なものが欲しいな」
「はい」
 脇田と富樫の二人は、マトリが失敗した例の件についても話をした。
「横浜分室さんは潜入捜査員を入れたから安心し切っていたんだろうな。大体、マトリの潜入捜査といったら、外す事はまず無い。百発百中で相手をお縄にしている。それが二度も同じようなやり方で逆襲を食らい逃げられた。これは、俺達も気持ちを引き締めないといけないな」
「ダミーの取引の時に、相手が複数人で待ち伏せしていたと言う事は、情報が漏れていたという事ですよね。ひょっとしたら潜入捜査員がキング側に取り込まれてしまったのでは?」
「充分に考えられる事だな。うちらは潜入捜査は出来ない分、逆に近付き過ぎないから良いのかも知れない。横浜分室は伝家の宝刀の潜入捜査に、全幅の信頼を寄せ過ぎていたんだろう」
「そうですね」
「うちは地道に末端の売人を引っ張って、供述を取って行くしかないな。早速だがサイバー課と一緒になって、SNSでシャブの売をやっている奴をピックアップしてくれないか」
「はい。分かりました。チョーさんは?」
「俺は立ち売りの売人に当たるよ」
 脇田はそう言って、富樫から捜査車両のキーを受け取り、椅子に掛けてあった上着を手にし、捜査部屋を出て行った。
 脇田は渋谷の円山町へ向かった。円山町は神泉の入り口から伸びる坂道一帯に、クラブ、ナイトクラブではなく踊りを踊りに行くクラブがある。深夜ともなると営業が終わった店から、酔った若者で道路いっぱいに人が溢れる。この連中に葉っぱと称した大麻や、スピードと称した覚せい剤を売る売人が現れる。脇田はその売人を狙った。車を坂上のコインパーキングに停めて、坂を徒歩で下って行く。売人らしき人間はすぐに分かった。その売人の所へ近付く。売人が脇田の方を見て、警戒の視線を送り、その場を離れようとした。
「シャブ、あるか?」
 いきなりそう言われた売人は、尚の事警戒し、無視した。
「冗談じゃなく本気で言っているんだけどな」
「持ってねえよ」
 見た目、四十近いその男は、周囲の喧騒には似つかわない風体をしていた。脇田からすれば、売人と一般人とを見間違う筈が無かった。
「ビビるなよ。俺はシャブを持っているかどうか聞いているだけだ」
「聞いてどうする?」
「ここじゃ話しずらいだろう。円山町のホテル街へ場所を移そう」
「男二人であんなところを歩いた日にゃあ、勘違いされるからごめんだ」
「じゃあ、ここで構わないか?」
「だからシャブなんて持ってねえよ。他を当たってくれ」
「じゃあ、草はあるかい?」
「お前、本当にヤクが欲しいのか?」
「あんたが持っているのならばな」
 すると、男は背中にしていたビルの壁面の隙間へ手を伸ばし、少し大きめの茶封筒を取り出した。
「三万。これでも初見のお客には安く売っている方だ」
 脇田は差し出された茶封筒を手にすると、ズボンのポケットから警察手帳を取り出して見せた。
「何だよ、やっぱりデコすけかよ。ちくしょう」
「そんなに騒ぐな。何もお前をしょっ引くつもりは無い。少し話をしたいんだ。この茶封筒は返す」
「本当にパクらないだな?」
「ああ。神に誓って」
「何か信用出来るものがあるか?」
「最初に、俺の方からシャブを売ってくれと言ったよな。完全な引っ掛けで、これは裁判上ちゃんとした証拠には持って行けないんだ。つまり、こっちからシャブの名を出したからだ」
 男は暫し考えた。そして、
「本当に俺をパクらないんだな?約束するな?」
 と答えた。
「ああ。本当に本当だ」
「俺に何を聞きたい?答えられない話もあるぞ」
「キングの一味についてだ」
 男はキングと聞いて、体をびくっとさせた。そして、声を潜めるように、
「余り大きな声で話すな。何処に耳があるか分からないからな」
 と言った。
「あんたはキングの一味と繋がっているのかい?」
「俺はしがない立ち売りの売人だ。キングの一味と繋がるには役不足だ」
「ならば、キング一味と繋がっているか、或いは取引をしてそうな奴を知らないか?」
「知っている事は知っている。だが、ここで喋るわけにはいかない」
「義理立てして黙秘を貫くのかい?今時流行らないぜ。そんな人情噺は」
「しがない売人だからこそ、筋は通す」
「覚せい剤の所持と営利でパクられてもいいのかい?」
「あんた、さっきはそっちからシャブは無いかと言ったから、起訴には持って行けないみたいな事言っていたじゃないか」
「嘘も方便って昔から言うけど」
「くそお、汚え野郎だ」
「だから、言った通り、知っているキングの情報とそれに繋がる売人を教えろ。そうすれば、俺はお前にワッパは掛けない」
「ちくしょー。いけすかねえ野郎だ。刑事じゃなかったらただじゃ置かなかった」
 脇田は薄っすらと笑みを浮かべ、男が喋り出すのを待った。
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