第14話

文字数 2,839文字

 刻は来た。亜蘭は全ての段取りを終え、後はターゲットである塚越が指定の場所へ来るのを待つばかりだ。取引として指定した場所は、東村山郊外にある、廃病院の跡地。周囲には住宅は無く、絶好の場所だ。塚越の家族も拉致し、ある所へ監禁してある。
 その日の夕刻。塚越は予てからの予定通り、東村山の廃病院へ他の捜査員達と共に向かった。全員拳銃を所持し、防弾チョッキを付けている。準備万端、大丈夫だ。そう塚越は思っていた。
 指定の場所に着いた塚越は、廃墟の病院内へと一人で入って行く。すると、オペ室のような所で急に男が現れ、塚越を遮った。
「待っていたよ」
 キング一味の男だった。奥から亜蘭が姿を現した。亜蘭が別な男に塚越の身体検査を命じる。拳銃が出て来た。その拳銃を亜蘭が受け取り、更には着込んでいる防弾チョッキを脱がせた。
「何するんだ!」
 塚越が抵抗する。
「大人しくしなさい。黙って言う事を聞いた方が貴方のみならず、貴方の愛おしい家族の為でもありますよ」
 亜蘭が無表情のまま言う。
「家族ってどういう事だ!?」
 亜蘭がスマホを取り出し、画面を塚越に見せた。そこには、塚越の妻と幼い一人娘が映っていた。
「貴方の出方次第で、家族は辛酸を舐めなければなりません」
「俺の大事な家族に何をする!」
「まだ何もしていません。何度も言うようですが、貴方の答え一つでどうにでもなります」
「どうすれば家族は解放されるんだ?」
「麻薬取締捜査官の塚越さん」
「俺の正体が分かっているのか?」
「ああ。厚労省関東甲信麻薬取締局横浜分室の麻薬取締捜査員の塚越さん」
「バレてちゃしょうがない。俺に何を求める?」
「私達のS、スパイになって貰えませんか?」
「Sに?」
「あ、無理ですよね。いいですよ。無理しなくても」
「Sになれば家族は助けてくれるのか?」
「ええ」
「本当だな?」
「私は今迄約束を破った事は無い。ところで、外で待機しているお仲間は貴方のどういう合図で突入して来るのですか?」
「仲間が一緒なのも分かっているのか?」
「人数に、車のナンバー迄全て分かっています」
「俺が拳銃を二発撃ったら突入して来る手筈だ」
「OK。二発ですね」
 そう言った亜蘭は塚越から奪い取ったベレッタM85を手にし、塚越の両膝目掛け、発射した。その瞬間、外で待機していた捜査員達が車から飛び出し、塚越が姿を消した廃病院の中へ突入しようとした。廃病院の入り口に差し掛かった時、キングの部下達が草むらの中から一斉に立ち上がり、手にしたイングラムM10を撃った。亜蘭からは、決して殺すなと言われている。狙うのは腕や足にしておけと言われていたが、銃の扱いになれていないから、ただ闇雲に撃つだけだった。捜査員の中には、自分の拳銃を抜き、反撃しようとする者もいたが、あっという間に二十発余りの弾丸を撃ち出すイングラムには敵わなかった。ものの数分で十人の捜査員は皆地面に平伏した。
 廃病院から亜蘭達が出て来た。手下に両足を撃たれた塚越を担がせ、地面に平伏していた他の捜査員達の輪に投げた。
「塚越さん。連絡を待ってますよ」
 亜蘭が、他の捜査員に聞かれないよう、そっと耳元で囁いた。
 こうして、亜蘭と横浜分室の争いは終わったかに見えた。が、実際はまだ始まったばかりで、その辺の事は亜蘭自身が良く分かっていた。これからは、一人ひとり、寄って来るマトリの捜査員を炙り出し、地獄へ堕とすしかない。
 両膝を撃たれた塚越は、もう二度と捜査の最前線へは出れない体になってしまった。車椅子に世話になる体になってしまった。それでも分室内での事務仕事は出来るからと、上司の計らいで仕事を任された。妻の杏樹は聞いても怪我の理由を答えてくれない夫に、不信感を抱いた。それは、自分と一人娘が拉致監禁された事と関係があるのかと、問うても同様に口を閉ざした。
 ある日、そんな塚越のスマホへ電話が一本掛かって来た。
(僕ですよ。お元気にしてますか?)
 亜蘭からだった。
(お元気も糞もないだろう。俺や俺の家族をこんな目に合わせやがって)
 塚越は、周囲に聞かれないよう、スマホを手で覆いながら話を続けた。
(仕方ないんだ。ああでもしなければ、あんたはこっちの言う事を聞いてくれないだろ?家族が無事だっただけでも感謝しなくちゃ)
(そんな御託を並べる為に電話を掛けて来た訳じゃないだろ?それより、何故俺のケータイ番号を知っている?)
(あの廃病院で身体検査をした時さ。あんたも結構不用心だよな)
(チクショウ!)
 思わず塚越は声が大きくなった。慌てて腰を屈め、電話を続ける。
(用は何だ?)
(横浜分室で行われる一斉検挙の予定を教えて欲しい。勿論、分かっていると思うが、断れるはずはないと思うけど)
(俺は、あんたのお陰でもう一線に出れないから、そういう情報は入って来ない)
(でも、分室にはいるんでしょ?)
(事務仕事だ)
(事務仕事でも耳は付いている筈だ。何かしらの情報は入って来るでしょ?それを流してくれればあんたは何の心配もいらず、今の仕事を続けていられる)
(どうしても無理だと言ったら?)
(さっきも言った筈だ。あんたに断る理由は無い。じゃあ、三日後までに情報を入手してくれ。じゃあな)
 亜蘭からの電話はこうして一方的に切られた。塚越は頭を抱えたまま、デスクに俯せになった。迷った。亜蘭の言う事を一度でも聞けば、その後何度も聞かなけれならないのは明白だ。地獄に引き摺り込まれた。塚越はそう感じた。そして、自分の職業を呪った。同じ厚労省でも、麻薬取締局ではない部署で仕事をしてれば、今頃こんな思いはしないで済んだ筈だ。麻薬取締局の捜査員として任命された時は、心の底から喜んだ。使命感が沸き上がり、日本から麻薬を一掃してやるという気概も生まれていた。それが、今では両足が効かなくなり、その大元となった相手から麻薬取締局の極秘情報を流せと言われている。そして、間違いなくその通り言う事を聞くだろう。
 亜蘭は、キングに事の詳細を説明した。キングは亜蘭に労いの言葉を掛けた。
「亜蘭、分かっていると思うが、上手く行ったからと言って、油断だけはするな。マトリは諦めないからな。それと、警察にも気を付けろ。私達が日本へ戻って来た事を知れば、どんな手を使ってでも私達を捕まえに来る。その注意も忘れずに」
 キングの言葉に亜蘭は何度も頷いた。
「キング、そろそろベトナムから新たな荷が届くのでは?」
「うん。来月に入る貨物船で、要領は前回と同じだ」
「丁度今、幾つもの大口取引が重なって、手持ちのネタの量が間に合いそうになくて、来月に入るなら良かったです」
 亜蘭は、次回の荷の量が前回よりも多いと聞いて、満面の笑顔を見せた。
「当分、横浜分室は出て来れないでしょうから、安心ですが東京分室が厄介な存在です」
「警察と違ってマトリは潜入捜査が出来るからな。警察にも注意を怠らないように」
「はい。分かりました」
 亜蘭は、キングの言葉を胸にし、次の取引へと向かった。
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