第3話

文字数 2,658文字

 ベトナム総領事館から届いた知らせで、日本の警察は驚いた。覚せい剤の過剰摂取が死因の二人の日本人の内、山賀優吾という被害者が分かった。警視庁機動捜査隊の脇田真一警部補は、本当に山賀という名前なのかと、半ば疑って掛かった。それも尤もな話で、山賀優吾という人物は日本に居た頃はキングと呼ばれた覚せい剤の売人だったからだ。
 名前が所持しているパスポートなどで判断されているとしたら、偽造パスポートの可能性があるとまで考えていた。
 キング程の人間が、果たして簡単に殺されるであろうか?
 キングは長きにわたって謎のまま、暗躍して来た。警視庁も捜査に何度となく及んだが、厚労省麻薬取締局、通称マトリが潜入捜査をし、キングをあと一歩という所迄追い詰めはしたが、海外逃亡を許してしまった。
 脇田は、もしキングが日本に戻って来たなら、自分達の出番だと思っていた。そのキングがベトナムで死体となってしまったという。耳を疑ったのは脇田だけではなく、上司の花村警視も同様だった。
「脇田君。ベトナムからの件だが、死体の受け取りをうちで行う。一緒に所持品等も送られて来るだろうから、もう一人のガイシャ同様、身元をきっちり洗ってくれ」
 花村の指示に、
「分かりました。二人の死体は何処で司法解剖を?」
「うん。飯田橋の警察病院で行う予定だ」
「警察病院の司法解剖でしたら、安楽先生ですね」
「そうだ。もう連絡は行っているから、君から挨拶に行くと良い」
 その言葉を聞いて、脇田は背広を手に取り、相方の富樫巡査部長に声を掛けて警視庁の機動捜査隊詰め所を出た。
 ベトナムからの特別便で、日本人の遺体二つが運ばれて来た。成田では特別警戒の中、二遺体は東京は飯田橋の警察病院へと運ばれた。
 脇田は、機動捜査隊、所謂機捜の部下達を引き連れ、成田からの道中を厳戒態勢の中、遺体を警護した。そこ迄するには、やはりキングという存在があったからだ。昔のキングの手下達が、遺体を奪還しに来るかも知れないという憶測が、機捜内部であった。それだけキングというのはカリスマ性に富んだ人間だったのだ。
 遺体は無事、警察病院に運ばれた。すぐさま地下の手術室で司法解剖が行われた。ベトナムでは、採血のみでの死因判断で、覚せい剤の異常摂取が原因での死という事になっていた。警察病院では、DNA鑑定も併せて行う事になっていて、死体の一つが間違いなく山賀優吾なのか、特定する必要があった。山賀優吾ことキングのDNAに関しては、マトリが以前押収した物の中に、キングの物と思われる毛髪があるという事から、それと照らし合わせる事とした。
 司法解剖の結果は、ベトナムから送られて来た内容と同じで、覚せい剤の過剰摂取による心臓麻痺が原因と考えられたが、プラス、頭部への強度な打撃のせいか内出血の痕が見受けられた。死因は覚せい剤の過剰摂取だけではないという見解を聞いた脇田は、だろうな、という心持になった。キングは覚せい剤に溺れる人間ではない。過剰摂取と訊いた時、脇田は何らかの拷問めいたものを想像した。
「安楽先生。となると他殺の線も考えられますね?」
「うむ。そうなるな」
「ところで、DNAの鑑定結果はいつ分かります?」
「早急に検査に回すから、遅くとも明後日には」
「ありがとうございます」
「もう一人の方の司法解剖の結果は?」
「似たような感じだな。同じように頭部に打撲の跡があり、内出血の疑いがある」
 結果を聞いた脇田は、一旦警視庁へ戻る事にした。戻った脇田は、上司の花村警視に以上の事を報告した。
「キングの面体を知っている者はいないから、DNA頼みだな」
「はい。問題が一つあります」
「何だ?」
「司法解剖を行った者が、キングであれ別人であれ、殺人容疑で容疑者を割り出さねばなりませんが、ベトナムにいるとなれば、その辺が難しくなってきます。ベトナム側が協力してくれる事を前提に、話を進めなければなりません」
「確かにそうだな。外務省と相談してみよう」
「お願いします」
 報告を終わった脇田は、キングに関する情報を厚労省麻薬取締局から譲り受けていたので、それらの書類を改めて閲覧した。
 麻薬に関する限り、キングは日本国内で誰からも恨みを買うといった行動を取っていない。勿論、彼の周辺の人物となるとその限りではないが、少なくともキング自身からそういう行動を取った形跡がない。そこへ相方の富樫巡査部長がやって来て、
「何か手伝う事ってありますか?」
 と言って来た。
「いや。もう報告書も書き終わったからやる事は無いな。明日も早いから君はもう上がっていいぞ」
 脇田の言葉に、
「じゃあ、甘えてそうさせて頂きます」
 と富樫は言った。
「うん。忙しくなるのはこれからだからな。ゆっくり休んで体調を整えてくれ」
 脇田は考えた。何故バトナムでキングのパスポートを持った死体が出て来たのか。更には一つではなく二つ。死因は二人共同じと来ている。これでDNA鑑定の結果次第によっては、もっと事件は複雑になって行く。脇田はもう覚悟していた。これは簡単な事件ではないと。
 警察病院の安楽医師からDNA鑑定の結果が出たとの連絡が入った。脇田は直接安楽医師から結果を聞きたくて、相方の富樫を引き連れ、飯田橋迄向かった。
 安楽医師の診察室に通された脇田と富樫は、緊張の面持ちで言葉を待った。
「鑑定の結果を先ず述べますが、遺体とサンプルのDNAは一致しませんでした。それは、もう一人の遺体に関しても同様です」
「やはりそうですか」
「はい。まるで別人のDNAです。他に適合させるサンプルはありますか?」
「探してみます」
「一応こちらでも解剖しながら考えてみたのですが、覚せい剤を大量に摂取させたのは、半ば強要しての事ではないかと思います。頭部への打撃はその後かなと」
「成る程。参考になります」
「あと何か質問とかありますか?」
「いえ。充分参考になりました。DNAサンプルの件、急いで探してみます」
「では、二つの遺体は処分しても良いですね?」
「はい。宜しくお願いします」
 DNA鑑定の結果が、脇田の想像していた通りだったので、心の準備は出来ていた。富樫の運転で警視庁への帰路、脇田は、
「富樫君はキングを知っているか?」
 と車中で尋ねた。
「名前だけは耳にしたことがあります」
「そのキングについての資料が、今俺の手元にあるから、そしたらその資料と君は格闘してくれ」
 格闘という大袈裟な言葉に、富樫は笑ったが、それが笑っていられない程の物だと分かるのに時間は必要なかった。
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