第2話

文字数 2,099文字

 ホーチミン警察のキム警部は、今しがた連絡が入った内容に驚愕し、どう対処すべきか判断が付かずにいた。連絡を寄越したのは部下のダン巡査で、ダン巡査は緊急連絡で駆け付けたのである。
「日本人か中国人のいずれかはまだ分からないが、顔を刃物で削ぎ落された遺体が発見された。発見した場所は、ホーチミン市郊外のゴミ収集場」
 という連絡で、ダン巡査は、相棒のチャン巡査と一緒に現場へ向かった。現場に着くと、野次馬が大勢来ていて、ダンとチャンの二人を見ても、中々道を開けずにいた。それでも、何とか死体の遺棄されている場所迄辿り着くと、早速遺体の様子を見た。チャン巡査が顔を背け、吐いた。ダン巡査は何とか吐き気を堪え、死体の様子を見た。鑑識の人間が、
「惨いだろ。俺も随分と長い事この仕事しているけれど、こうまで残忍な殺しは初めてだ」
 と言って来た。
「鼻を削ぎ眼球をくり抜き、耳まで削いで、口は顎ごと皮を剥いでいる。これは何か意図があっての事なのか……」
「殺害場所は此処ではない事は確かだ。これだけの事をされていながら、出血量が少ない。何処か別な処で殺害され、ここへ遺棄したとみるのが順当だな」
 鑑識員の見立てに、ダン巡査も納得していた。
「間も無くホーチミン署のキム警部がやって来るから、それまでにもう少し何か無いか調べて見よう」
 漸く吐き気から解放されたチャン巡査が両手に手袋をし周辺を物色し始めた。十五分程周辺を調べていた警察官達は、血が滴った状態で道を引き摺った痕跡を見つけた。その後を辿って行くと、車で片側二車線の道を渡った先にある、公園に向かい、さらには血の滴りは公園の遊歩道脇の物置小屋に続いていた。捜査員達がその小屋を開けると、死体が一つあった。
 ベトナムは近年経済の自由化に伴って、以前の社会主義一辺倒の頃と違い、都会に人が集まって経済が発達し始めてから、その分犯罪が増加した。その裏には、ベトナムマフィアの存在もあるが、国全体がベトナム戦争終了直後の貧困さから脱出出来て、尚且つ国全体が裕福と呼べるだけの状況になった事が少なくないだろう。どの国でも、経済の発展の裏側にはその富を狙うべく犯罪組織が台頭して来るものだ。
 物置小屋の中の死体にも、鼻や眼球、耳、口等が無かった。死体は結構上等な服を着ていた。最初に見つかった死体にも、高級そうなシルクのシャツを着ていた。捜査員の誰もが犯罪組織との繋がりを考えた。殺し方一つ取っても、常人のそれではない。物置小屋にあった死体のズボンの後ろポケットに運転免許証入っていて、名前が分かった。分かったが、文字が日本語なのか中国語なのか分からず、この場では、国籍は特定できなかった。
 死体遺棄現場の調べは終わり、後は周辺住人への聴き込みと、遺体を病院へ運び法医学解剖をする事で、ひとまずは落ち着く。
 ダン巡査は、一人残って報告書を書いていた。奥の部屋からキム警部がやって来た。
「ご苦労さん」
「あ、警部。もう少しで終わりますから、私の事は気にせずどうぞ先に上って下さい」
「うん。ありがとう。まあ、部下が残業しているのに上司がはいでは帰りますとは行かないよ」
 キム警部は昔から、そうだった。絶対に部下より先に帰った事は無い。必ず皆の様子を見て、仕事が終わる迄帰らないのだ。
「警部。死体のポケットに入っていた運転免許証の名前ですが、問い合わせた所、日本人である事が分かりました。名前は、山賀優吾。年齢は三十六歳。もう一人の方は、何も身に付けていませんでしたので、判明するのはもう暫く経ってからになります」
「うむ。日本のホーチミン在領事館とは連絡は?」
「連絡済みです。山賀優吾という人間がどういう人間か、現在調べて貰っています。どうも、普通の会社員ではなさそうなので」
「そうか。しっかり頼むぞ」
「はい」
「君の働き振りは上に報告して置く。そろそろ巡査から一階級昇進してもおかしく無いのだからな」
 ダン巡査は満面に笑みを浮かべ、敬礼をしながら席を立った。そこへFAXの着信音が鳴り響いた。発信元は警察が司法解剖を頼んでいる、病院からだった。ダン巡査は一瞥するでもなく、そのままキム警部に渡した。
「二人の司法解剖の結果が分かった。被害者A、これはまだ被害者の名前が分かっていなかったので、Aと呼ぶが、死因は薬物の過剰摂取が直接の原因となっている。その薬物は、エフェドリンやメチルアミノプロパノールが主成分の物。つまりは覚せい剤だ。死体の状況から言って、被害者は常軌を逸するだけの量の覚せい剤を投与されたとみなすべきだと、この死亡所見書は書いてある。もう一人の被害者Bも同様の所見だ。私もどうかんだな。君はどう思う?」
「はい。私もその所見に同意します。ただ、そういう形で殺されてしまう理由が被害者にあるかどうかが肝では無いかと思います」
「そうだな。犯人がどういう動機で二人も殺人を犯したのか。先ずは日本領事館へ行き、入国の理由の所から調べて見よう」
「はい。今現在総領事館には手を打ってあります」
 二人の警察官は互いにこの後もそれぞれの見解を述べあい、事件の一日も早い解決にと尽力した。
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