第6話

文字数 3,028文字

 三浦亜蘭は考えた。山賀優吾ことキングが、
「日本へ戻ろう」
 と言い出さなければ、今回の死体遺棄事件は起きなかった。尤も、死体となった二人は、追々処分する事になっていた。それが少しばかり早まっただけだ。
 二つの遺体は、キングの部下で、主に仕入れた覚せい剤の搬送係だった。二人は、搬送係という立場を利用し、何度か日本へ送る荷から覚せい剤を抜き、自分達の快楽の為に使ったり、小遣い稼ぎとして転売していた。それが分かったのでキングが激怒し、処分をするよう亜蘭に言っていた。ただ、キングは命迄取れとは命じてなく、日本へ送り返す事を望んでいた。それを亜蘭が、キングの「日本へ戻る」という言葉を受けて、偽装工作に使う為、二人の命を奪ったのだ。
 三浦亜蘭は、その名前や相貌とは裏腹に、冷徹な一面を持っている。頭も切れる。日本にいた時も、その能力を買われ、キングの影武者の如く地下に潜った状態で仕えていた。二人で共に日本を脱出し、ベトナムに流れてきてからは、完全にキングの№2になっていた。
 亜蘭は、二つの死体をダミーにし、自分とキングのパスポートを忍ばせ、自分達と一時でも思わせる事にした。そして、自分とキングは新しい偽造パスポートで日本へ戻る事を考えたのである。この方法に、キングは、
「全てはお前に任せた」
 と言った。
 亜蘭は、そう言われるのは尤もだと思っていた。何故なら自分以上にキングの事を考えている人間はいないと自負していたからである。
 決断すると早かった。長い間キングを裏切り続けていた二人、葉山健一と米倉敦の二人に通常の数十倍という濃度の覚せい剤を無理やり射ち、止めに頭を何度も振り続け、内出血させて殺した。頭を長い時間振り続けると、頭部を打撲したような状態になる。脳内で内出血をし、覚せい剤で心臓がアウトになると、亜蘭は二人の遺体をホーチミン警察の近くの路上に車ごと放置した。結果は、亜蘭の目論見通りになった。あとは、キングと自分が偽造パスポートで日本へ帰るだけだ。
 本当なら、日本よりベトナムの方が安全なのだが、キングが帰ると言っている以上、その願いを叶える事が、片腕の務めだ。亜蘭はそう思っていた。キングの為なら地獄へでも行く。その思いは誰にも分からない。
「キング。出国の手配は整いました。いつでも日本へ帰れます」
 亜蘭がキングに言う。キングはにこりとし、その年齢不詳な端正な面立ちを崩し、
「ありがとう。勿論。亜蘭も一緒なんだろうね?」
「はい。お供させて頂きます」
「ベトナムのルートはもう確実に私達のルートに乗ったから、今後はベトナム産の覚せい剤を多く日本に供給出来る」
「はい」
「今迄、私達が作り上げた日本の販売網をもう一度を復活させるんだ」
 キングがベトナムに来てから、何度か覚せい剤を日本へ送ったが、日本では販売する人間が、マトリに大挙逮捕されたので、いない状態になっていた。そこでキングが再び日本での販売網を構築する。それが日本へ帰る目的の一つでもあった。
 その日。亜蘭はキングと共に、ベトナムホーチミン空港にいた。出国ゲートを無事通過し、二人は成田行きのジェットに乗り込んだ。四時間後には成田に着く。日本に戻って先ずするべき事は、体を休める場所を探す事だ。亜蘭はその辺も考えていた。金はある。糸目さえ付けなければ、そんな場所幾らでも見つかる。二、三日はホテルへ泊まるとして、その後は新しいアジトに体を移して貰う手筈だ。ジェット機に搭乗し、久し振りの日本へ思いを馳せる。キングは、これ迄の自分の人生を機中で思い返していた。
 山賀優吾ことキングが、麻薬の世界に足を踏み入れたのはかれこれ二十年近く前になる。その当時、キングはまだ二十歳にもならない若者で、夜の繁華街に己の居場所を探す少年だった。ある時、興味本位で大麻に手を出し、それをきっかけに覚せい剤にも手を出すようになった。暫くして、キングは思った。覚せい剤を使う側よりも、供給する側に回った方が良いのではないかと。そこから売人になった。売人になると、キングは自分では全く射たなくなった。馬鹿らしくなったのである。たかだか一回分の覚せい剤でも、末端では二万も三万もする。売る側ならその利益がそっくり自分の物になる。少しづつ扱う量を増やしていくうちに、大口の取引までするようになった。そして、裏社会ではキングと呼ばれるようになったのである。
 隣の席で目を閉じている三浦亜蘭を横目で眺めながら、亜蘭を自分の若い頃に姿を重ね合わせていた。キングの亜蘭に対するイメージは、やり手というイメージだ。一つの事を指示しただけで、その裏をも読み取り、行動する。キングと同様、覚せい剤はもとより、麻薬の類は一切やらない。そこも、亜蘭に全幅の信頼を寄せている一因だ。キングは、亜蘭から渡された、鈴木浩一名義の偽造パスポートを手に取り、それをズボンのポケットに仕舞った。
 四時間程で成田空港に着いた。税関は問題なく通過出来た。亜蘭が作ってくれた鈴木名義のパスポートのお陰だ。この日は、都内のビジネスホテルに泊まった。久し振りの東京のネオンに、キングは外出したがったが、亜蘭が止めた。警察やマトリが着けていないとは限らない。細心の注意が必要だと亜蘭は言う。
「私は新しいアジトを探しに外出しますが、キングは少し不便でもこのままホテルに居て下さい」
「分かった」
 キングは亜蘭が言う事に大概の事は賛同する。この時もそうだった。
「新しいアジトは東京ではなく、埼玉か千葉にしようかと思っていますが、宜しいでしょうか?」
「構わない。任せるよ」
 亜蘭は早速アジトにする物件を探しに出掛けた。後に残ったキングは、ベトナムへ国際電話をケータイから掛けた。相手は、ベトナムの犯罪組織で、覚せい剤の大元締め。ホワン・シークエン。ベトナムに居た頃は覚せい剤を日本に送る為に尽力してくれた人物だ。
(ホワン、優吾だ)
(おお、優吾。せっかくベトナムに慣れて来たのに、日本へ帰ってしまうとは寂しいじゃないか)
(突然で申し訳ない。それでも取引は前と同じ、いや前以上に多くの覚せい剤を仕入れさせてくれ)
(優吾の為なら何でもするよ)
 キングは片言のベトナム語でホワンと話をした。
(こっちで落ち着いたら、取引の事を考えよう)
(分かった。やり方は船を仕立てる方法かい?それとも航空便で?)
(どちらが良いか、考えておくよ)
(分かった)
 今の日本の覚せい剤事情は、多くが中国、韓国、台湾と、そう量は多くないが北朝鮮からの流通が殆どだ。そこへ質のいいベトナム産を多く輸入出来たら、日本の覚せい剤市場は大きく変わる。キングがキングとして再び日本の麻薬界の頂点に立てる。
 ホワンとの電話を終え、キングはベッドに疲れた体を横たえた。今この時間、亜蘭は新しいアジトを探すべく、駆けまわっている事だろう。
 キングは、亜蘭が自分の処に来た頃の事を思い出していた。キングの幹部連中が、亜蘭を引き連れて来て、
「この小僧がキングの下で働かせてくれと言って来た」
 と言った。キングは、
「警察やマトリに捕まる事もあるんだよ」
 と言って、亜蘭の気持ちを確かめた。まだ幼い顔立ちながら、端正な造りの顔を真剣な表情で包んだ亜蘭は、
「捕まらないようにする自信はある」
 と、得意げに言った。キングはその返事が気に入り、以降亜蘭を可愛がった。その亜蘭がホテルへ戻って来たのは、夜の七時頃になってだった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み