第12話

文字数 3,063文字

 脇田は、富樫の運転で新宿まで出向いた。新宿には、無数の麻薬スポットが存在する。それぞれのスポットに、末端の売人が立ち売りをしているが、最近はネットでの販売が増え、立ち売りの売人は減って来た。ただ、減ったとは言え売人がスポットに立たない日は無い。
 脇田が目を付けた麻薬スポットは、風林会館裏手のバッティングセンター前で、ここは地元の新宿署も警戒地区に指定し、常時パトカーを巡回させている。
「もし、新宿署の者がこの車を不振がって近寄って来たら、警視庁の機捜だといって納得させるんだ」
 脇田の言葉を聞いて、富樫は分かりましたと首を縦に振った。脇田が少し離れた位置から車を降り、問題のスポットへ足を向ける。バッティングセンター前の、二十四時間営業のスーパーへ入って行った。店内には朝迄時間を潰す為の人間や、近くの飲み屋の仕入れなのか、酒を大量に買い求める客がいた。シャブの売人らしき人間を探してみた。それらしき人間はいないなと確認すると、脇田はバッティングセンター前へと歩いて行った。一人、それらしき男が立っている。脇田はその男に声を掛けた。
「シャブ、無いか?」
「はあ?」
「シャブ無いかって聞いてるんだ」
「シャブってなんだよ。とち狂った奴だな」
「高値で構わない。あるだけの分量を言い値で買うよ」
「だから、シャブなんて知れねえっつうの。うっとおしいな。向こうへ行け」
 脇田は最後の切り札を出した。上着の胸ポケットから札入れを出し、中から一万円札を束でちらつかせた。
「ほら。金はあるんだ」
 現金を見せつかせられた男は、暫く口を閉ざし、
「一体何グラム欲しいんだ?」
 と訊いて来た。そう訊いて来た男の手を掴み、脇田は、
「シャブより情報が欲しい」
 と言って男の腕を取り、逃れられないようバッティングセンターの金網に体を押し付けた。そして、ここで警察手帳を見せた。
「何だよ。マッポかよ。汚い手使いやがって。俺はシャブなんて知らねえからな」
 暴れようとする男の体を強く金網に押し付けながら、
「心配すんな。パクるつもりは毛頭無い。俺が欲しいのは情報だけだ。ここじゃあ目立つから車の中で話そうか」
 そう言って、男の腕を掴んで富樫が待つ車へ向かった。男を車の後部座席へ押し込み、脇田はその横に座った。
「富樫君、このままだとこの男の仲間に万が一見られた時、いろいろ話がややこしくなる。適当に車を走らせてくれ」
「分かりました」
「あんたもその方が良いだろう」
「おう。悪いな。で、情報って何の情報が欲しいんだ?今時、サツより多くの情報なんて俺達しがない売人には無いよ」
「キングという名前はしっているな?」
「ああ。名前だけなら」
「そのキングの売人からネタを仕入れた事はあったかい?」
「前に何度かあるが、最近はキングの売人も減ったし、関わっていないよ。奴等はネットでの売で儲けているしな。それに、キングは国外へ逃げたっていう話を聞いているから、今国内でのキングの販売網は微々たるもんじゃないかな」
「成る程。じゃあ、そのキングが日本へ戻って来たと知ったら取引するかい?」
「キングが日本へ?その話本当か?」
「キングの売人を教えてくれたら、この話を詳しく教えてやってもいい。あんた達にはいい情報になるんじゃないか」
「キングの売人か……」
「ああ。勿論、あんたの事は絶対にばらさない。そこは約束する。安心してくれ」
 男は暫し押し黙った。そして、深く息を吸い込みながら、
「マジで俺をパクらないと約束してくれるな?」
「ああ。約束する」
「SNSでクロネコというアドレスの書き込みがあったら、それにアクセスすればいい」
「クロネコというのがキングの売人?」
「ああ。本当に俺の名前はださないんだよな?」
 男は心配性なのか、それとも気弱なのか、何度も脇田に確かめた。脇田は、クロネコの事を聞き出すと、男を職安通りのドン・キホーテの前で解放した。
「富樫君、さっきの話聞いていたな。早速クロネコにアクセスしてくれ」
「分かりました」
 車を停めたまま、富樫はスマホでクロネコにアクセスを試みた。SNSで探すと、薬という項目の所で、クロネコが見つかった。書き込みには、アイスあります。草もあります。となっており、明らかに麻薬の売買を匂わせている事が分かった。脇田は富樫に、
「早速コンタクトを取ってみてくれ」
 と命じた。富樫はスマホを操作し、クロネコにコンタクトを取ってみた。
 その頃キングは、亜蘭の提案でもう一か所アジトを作る事に同意していた。最初に作った埼玉の蕨のアジトは、そのまま組織の拠点とし、キングが住む場所と、大量の覚せい剤を保管する拠点を作る事で、組織の安泰を計る狙いが亜蘭にあった。
 キングの住まいは蕨のアジトからそう離れていない、西川口に移し、亜蘭以外には誰にも知らせず、極秘にした。又、覚せい剤の保管部屋も一部の幹部にしか教えない方向で、大宮郊外に場所を決めた。
 キングは西川口のアジトを気に入った。住宅街の中に、ひっそりと建つマンションは、周囲にとけ込み馴染んでいた。周囲の住民は、まさか自分の家の近くに日本最大の麻薬王が住んでいるとは思いも寄らなかったであろう。
 日本に戻って来て最初に仕入れた五百キロ余りの覚せい剤は殆ど売り尽くした。元々あったキングの販売網は、その殆どがマトリに潰されたので、新たな販売網を構築する為に、亜蘭が奔走し作った。その販売網でかなりの量を捌けたが、それでも昔のように右から左に売り尽くせる訳はなく、多くは関西の大河内の力を借りた。
 キングは、僅かな時間で大量の覚せい剤を捌いた亜蘭の功績を讃えたが、気持ちの緩みが生じないよう釘を差す事だけは忘れなかった。
「亜蘭、お前の事だから大丈夫だと思うが、仲卸の売人を余り信用するな。奴等はいつでもサツやマトリの犬になる」
「はい。分かっております」
「奴等は、自分の快楽の為だけに働く。マトリに一斉検挙された仲間や、マトリとの銃撃戦で亡くなった元の仲間達は、その辺が違っていた。私達の利益のみを願い、働いてくれた。亜蘭、お前のようにね」
 亜蘭は頭を下げ、うやうやしく振舞った。
「キングにそう言って貰えると、この先もこれ迄通り働けます」
「うん。これからは、以前のような者達を作る事を考えよう。以前以上の大きな組織にするんだ」
「はい」
 亜蘭は、キングのその言葉を聞いて、思わず握り拳を強く握り締めた。
「取引をしているうちに、うちに合いそうな人間が出て来るかも知れないし、何かの関係でそういう人間が見つかるかも知れない。人との出会いを大切にしなきゃね」
「そうですね。肝に銘じて置きます」
 亜蘭は、キングと話す度に、人としての大きさを知る。この人となら地獄の底まで付いて行ける。そう思った。亜蘭に対するキングの信頼は、事の他厚い。それが分かっている亜蘭にとって、キングは絶対的な神であり、王であった。そのキングが、亜蘭に打ち明けた。
「日本に帰って来た最大の理由は、マトリ、横浜の麻薬取締局の捜査員を抹殺する為だ。奴等には、私を守るべく戦ってくれた仲間を銃撃し、逮捕した。今、仲間は皆長い刑期を刑務所で務めている。絶対にマトリを許せない」
「はい。キングの気持ち、痛い程分かります」
「亜蘭、君には苦労を掛けるが、マトリの人間を誘き出し、葬って欲しいんだ」
 亜蘭は、キングにそういう気持ちが在ったとは思っても見なかった。絶対神の言葉だ、軽々しく受け止めてはいけない。亜蘭は、自分に課せられた命令をどう実行しようか考え始めた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み