第30話

文字数 3,187文字

「失礼、名前を言ってませんでしたね。本庁で機捜を担当している脇田です。貴方のお名前を伺っても良いですか?」
「機捜の旦那に言う程の名前は持っちゃいませんよ」
 脇田はそれ以上執拗に聞かなかった。
「キングの噂は耳にしていましたか?」
「噂なら」
「ならば本当の話としては?」
「どれも噂話でしか耳にしていません」
「以前も含め、キングの所と取引した事は?」
「それを認めたら、うちがシャブの取引をやっている事を認める事になる」
「それでしたらご心配なく。今日の話は全部オフレコという事で済ませますから」
 愛宕睦会の男は暫し考えた。そして、徐に、
「そう頻繁にという訳ではありませんが、何度かキングの所から仕入れた事はあります。これ、本当にオフレコなんですね?」
「お約束します」
「以前はキングの所とはいい関係だったんです。それが三年程前から折り合いが悪くなり、揉めたんです。うちのオヤジはもう二度とキングの所とは付き合うなって言って、かんかんになったんです。そんな事があってから、キングの所からは一切取引の話は来なくなったんです。それが、最近になって突然取引しないかという連絡があって、オヤジも面食らったんです。で、取引に応じる事は無い、無視して置けとなって。その三日後で若頭が襲撃されたのは。若頭が殺られたのは、オヤジの身代わりみたいなものでした。ここ迄が話せる事の一部です」
「一つ質問だが、ヤクの売に関しての縄張り争いとかは無かったか?」
「まだそういう流れにはなっていませんが、街中に見知らぬ売人が立ち始めているのは確かです」「そうか。いや、ありがとう。よく話してくれた。今回の相手がキングの所の人間だと百%思っているのなら、尚の事そっちは自重して欲しいんだ。俺達警察が全力を挙げてキングの人間を捕まえるから。な、いいな」
 男は黙ったまま俯いていた。
「愛宕睦会としてはそれは出来ない事なのかも知れないが、報復に未来は無いぞ。何度でも言う。キングの方は警察に任すんだ」
「不可抗力と言う事もあります。幾ら上の方で抑えても、例えば街中でキングの連中と出くわしたらどうなるか。私にはそういう時も我慢して隠れるようにやり過ごせとはよう言いません」
「あんたの立場としてはな。だがそこを抑えるんだ。それが愛宕睦会の為にもなるんだ」
 男は肩をすぼめ小さな声ではいと言った。脇田は淡路巡査を促し、事務所を出た。
「キングがやっぱり本線だったようだな」
「あの男、良く全部話してくれましたね」
「分かっているのさ。あいつらも自分達で若頭の敵を討とうとしたところで、そうは簡単に行かないという事をな。敵を討ったところで、今の法律だと殺人と銃刀法で最低無期は食らう。下手をすれば死刑判決だってあり得る。それを承知の上で自分がヒットマンになる奴なんぞ、そうはいないさ」
「何だかやられ損ですね」
「ああ。奴等のかたを持つわけじゃないが、そういう感情の部分も踏まえて、キングの奴等をしょっ引くんだ」
「はい」
 脇田は巡回がてら、愛宕睦会以外に襲撃に遭った組事務所へ向かった。渋谷に事務所を構える開成会系嶋中組は、組員十人ちょっとで渋谷の縄張りを守る、小所帯ながら武闘派の組である。襲撃を受けたのは、まだ三十二歳と若い行動隊長の小梶だった。脇田と淡路が古い一軒家を事務所として構えている所へ着くと、組長の嶋中が在宅だった。名前を告げ、来意の内容を伝える。まだ五十歳にならない嶋中は、事務所へと誘った。
「うちの小梶の事ですね?」
「はい。その犯人の手掛かりになりそうな話を伺えればと思い、お伺いしました」
「よそでも話は聞いているのかい?」
「はい。愛宕睦会の方へ行って来ました。こちらが二件目です」
「それで、何が聞きたい?うちは被害者だぞ。それを承知の上でうちから話を聞き出そうというんだろうね?」
「その辺は充分理解しております」
 脇田は愛宕睦会の事務所で話した事と同じ事を尋ねた。嶋中は暫く瞑目した。
「脇田さんとか言ったな。小梶が狙われた前後のキングの所とのやり取りは、愛宕睦会の所と同じだ。小梶が狙われた理由も、あんたが想像している事と同様だな」
「お話ありがとうございました」
「もう良いのか」
「充分語って貰いましたから」
「くれぐれも小梶の仇を頼むな」
 脇田は頭を下げ、事務所を辞した。二人は次の場所である新宿の厚森組系の新井組の事務所へ向かった。
「恐らく次も同じ話になるだろう」
「やはりキングですね?」
「ああ。こうなったらどうにかしてキングの一味を捕まえたいものだ」
 淡路が何だかそわそわしたような態度を見せた。
「脇田さん、向こうのコインパーキングに男が四人、いますが、ちょっと様子がおかしいんですけど」
「どれ?」
 脇田は淡路が言ったコインパーキングの方へと視線を移した。
「葉っぱか、シャブの取引かも知れん。一丁バンカケ(職質)してみるか」
 脇田の言葉に淡路は俄然やる気を出し、車をコインパーキングへ回した。男達は何かを気配を感じたのだろう。男達はそれぞれの車に慌てて乗り込み、その場を去ろうとした。脇田は赤色灯を車の屋根に取り付け、淡路にサイレンを鳴らすように言った。辺りにけたたましいサイレンの音が響く。車を停め、脇田と淡路は男達を追った。蜂の巣を突いたように、男達が逃げ回る。するとそのうちの一人の男が拳銃を抜き、近付いていた淡路目掛けて発射した。乾いた音が、パーン、パーンと連続して響く。淡路は衝撃で後方へ弾き飛ばされたようになり、脇田は銃を発射した若い男へ向て、自分の銃を撃った。腕と足とを狙った。若い男はきりきり舞いしながその場に倒れた。
「お前等、それ以上動くな。動くと撃つぞ!」
 その場を逃げようとする他の男達に向けて、威嚇射撃を二発、三発と行った。それでも男達は逃げた。残っているのは手足を脇田に撃たれた若い男だけだ。撃たれてのた打ち回っている若い男を横目でみながら、淡路の方へ駆け付ける。
「淡路君、大丈夫か?」
「はい。防弾チョッキのお陰で何とか。ただ肋骨をやられたみたいで」
「いますぐ救急車を呼んでやるから、我慢するんだ」
「はい。それより、私を撃った男は?」
「意識はある。致命傷を外したつもりだから、大丈夫だ」
 脇田が救急車を呼ぶのと同時に、所轄の自ら隊が集まって来た。自ら隊の最上級指揮官に本庁の機捜で一連の暴力団射殺事件を調査していた中で、偶然本件に遭遇した事を述べた。
「私が銃撃した若い男は、いきなり拳銃を抜き、私の同僚の淡路巡査を撃った。今現在キングの事件も併せて捜査しているので、私が撃った男は、身柄をうちで預かる」
「分かりました」
 次に脇田がやった事は、この事件の報告をする事だった。中垣内に連絡をすると、事件そのものに驚いていた。まるで市中の至る所にキングの一味がいるかのような感覚に襲われたのである。無理もない。警察官襲撃事件の殆どが、職質中に起きた事件だったからだ。
「キングの一味と関りがあるかどうか分かりませんが、いずれにしても、容疑者が病院から出て来たらすぐに取り調べを行えるよう手配しといて下さい」
「分かりました。それより、淡路君の容態はどうなんですか?」
「防弾チョッキのお陰で無事です。もし着用していなかったら、心臓をやられていました」
 全ての報告を終えると、脇田は厚森組系新井組の事務所へ一人で行った。脇田は一旦ここでこうするんだと決めると、それを必ず守るという癖を持っていた。今回の新井組への事情聴取も然り。今日中に済ましてしまうという脇田の癖から来るものだった。新井組での事情聴取も、結局は他の二つと同じ結果だった。脇田からすれば、それでよかったのだ。もし、僅かでも違う内容の話が聞ければ収穫だし、それが得られなくとも他の証言の確認にはなる。これが脇田という刑事のスタイルなのであった。
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