第13話

文字数 2,937文字

 亜蘭は、キングの言葉を受け、厚労省麻薬取締局横浜分室を的に掛ける事にした。その方法は、キングのダミーを作り、捜査員を誘き出す作戦だ。ダミーの取引を演出する際、それらしく振舞える部下が必要だ。亜蘭は、キングにその事を伝える。するとキングは、
「全ては亜蘭に任せるよ」
 と言った。亜蘭は、早速集めたばかりの手下達で誰が適任かを考え、人選する事にした。亜蘭の考えでは、多数の捜査員に報復行為をする事は難しい。だが、亜蘭には秘策があった。
 その日から、敢えてマトリの人間に情報が行くように、末端の売人を中心として、キングが日本へ戻ってきているという噂を流した。そして、併せて仲卸の連中には、マトリらしき人間が食いついて来たかどうかを探る為、自分の手下を隠密裏に潜伏させた。これで横浜分室のマトリを吊り上げたら、より食いつき易い情報を流す。キングが大掛かりな取引をするという情報をだ。近寄って来る人間が、マトリの人間かどうか見極めるのは難しいが、亜蘭はそこは楽観視していた。新規で取引を望む人間全てに尾行をつけてしまうのだ。勿論、相手はマトリだ。その辺はなかなか尻尾を出さないだろう。その際は自分が尾行の役目をする。マトリかそうでないかの見極めに、亜蘭は自信があった。
 早速亜蘭はこれらの準備を始めた。差し当たって集めなければならないのは、マトリを尾行する為の信頼のおける部下だ。これが一番難しいい。数少ない以前からの部下なら信頼はおけるが、新規で集めた者には、まだそこ迄の信頼は置けない。新規の部下達は、覚せい剤の取引に専念させる事にした。大まかな準備が整うと、早速亜蘭は末端の売人達に向かって、新規の客を集めるよう指示を出した。すると、キングのネタが買えるという噂がすぐに広まり、客が集まり出した。亜蘭は、新規の客との取引の際は、必ず自分も立ち会った。身体検査を充分に行い、拳銃を所持して無いかを調べ、それがベレッタM85ではないかを部下達に徹底させた。ベレッタM85はマトリの正規所持拳銃なのだ。
 ある日の取引で、ベレッタM85を所持している男が網に掛かった。亜蘭はその場はスルーさせ、麻薬取締局の何処の分室へ戻るかを尾させた。その男は横浜の中区にある横浜分室へ戻った。網に掛かった男を亜蘭は、部下に監視させた。その男一人だけでなく、出来れば複数の捜査員を網に掛けたかったが、そこは我慢した。網に掛かっただけでも良しとしよう。そう考えた亜蘭は、その男の処分方法を考えた。殺すか?いや、それは拙い。キングに殺人の嫌疑が掛かる。脅しが一番かも知れない。それなら過去にも経験がある。以前、三ツ矢というマトリの潜入捜査官がいて、マトリと分かったところで三ツ矢の家族を監視対象にし脅した。これが功を奏し、三ツ矢をW、二重スパイに仕立てて有意義な情報を多く入手出来た経緯があった。ただ、最後は三ツ矢が我々を裏切った為、キングは日本を脱出する羽目になった。亜蘭は尾行役の者に、網に掛かった人間の身辺調査に当たらせた。
 網に掛かった者は、やはりマトリの人間だった。それも横浜分室の者で、名前を塚越といった。横浜分室にしても、キングには積年の思いがある。前回、あともう少しという所でキングを取り逃がした苦い思いがある。捜査員の多くを銃撃戦の中に晒し、Wとなってしまった優秀な捜査員を失う羽目になってしまったのである。警察がキングを捕まえる前に、是が非でも横浜分室で逮捕したかった。そんな思いが分室全体にあった為に、慎重に事を運ばなければならない所、捜査員の行動は決して慎重とは言えなかった。
 捜査員の塚越は、自分が取引の度に尾行されている事を気付かなかった。横浜分室だけでなく、自分の家迄つけられている事に気付かなかった。これは致命的なミスだった。亜蘭は、塚越に大きな取引をしないかと持ち掛けた。塚越は亜蘭の誘いに乗った。塚越は横浜分室へ戻ると、この件を上司に話した。
「キング一味を一網打尽に出来るチャンスですから、分室全部の捜査員を動員してこれに当たるべきです」
「分かっている。だが前に同じようなパターンでキングを取り逃がした」
「その時私は東京分室にいましたから、分かりませんが、当時の記録を読ませて貰ったところ、潜入捜査に当たっていた者が、キングの一味のWになっていたのがキングを取り逃がした原因とありました。今回は、私も充分その辺を注意しております。その辺は安心して下さい」
 塚越は、上司に太鼓判を押すように断言した。
「当日は何人位動員するつもりだ?」
 上司は渋々尋ねた。
「十人位いれば」
「分かった。手配しよう」
 これでキング一味を一網打尽に出来る、塚越はそう思った。その夜、塚越は自宅へ戻ると、赤ん坊をあやす妻の杏樹に向かい、
「明日から暫く実家へ帰ってくれないか」
 突然の夫の言葉に杏樹は驚いた顔をし、
「何か私に不都合な事がありましたでしょうか?」
 と尋ねた。
「いや。お前には何ら不都合はない」
「ならばどうして?」
「理由は聞くな。そう長い事はないから、言う事をきいてくれ」
 理由は唯一つ。キングから家族を守る為だった。前回の記録を読んだ塚越は、潜入捜査に当たった三ツ矢という捜査員の家族が人質にされて脅され、それが為に三ツ矢がWになり、一斉検挙が失敗に終わった事を知った。キングの一味はそれ位の事はする。そういう前例がある以上、最大限の注意が必要だ。妻の杏樹と幼い子供を実家へ一時返すのはそういう意味があった。
 塚越がキング一味に潜り込み、大きな取引を実現させた事で、再び横浜分室は活況を呈した。前回は失敗したキング一味の一斉検挙を今度こそ成功させる、そういう気持ちで横浜分室は溢れていた。
 一方で亜蘭は、銃撃戦も辞さない覚悟で、次回の取引日を待った。マトリに一泡吹かせ、捜査員全員を無力化させる方策をキングに告げた。
「接触して来た捜査員は、家族の死を選ぶか、こちらの言う事を聞くかと迫り、残りは外で待機している場で殺さない程度に銃撃します。関西の大河内さんからイングラムのM10を譲って貰ったので、マトリがいくら武装しようが敵う訳がありません」
「分かった。でも、最初に接触してきた人間が言う事を聞かなかったらどうするつもりだ?」
「そこは考えがあります。誰もが家族は大事ですから、その家族に危害を加えられたら相手も言う事を聞くでしょう」
「その辺りは上手くやらないといけないね。頼むよ」
「はい」
 ゴーサインは出た。亜蘭はマトリを皆殺しにする位の覚悟でいた。最初に接触して来た捜査員の塚越に関しては、塚越の家族を部下にマークさせ、人質として確保した。勿論ここで言う人質は、直接拉致したりとかではなく、居場所を突き止め、いざとなったらいつでも危害を加えられるよと、脅す為のものだ。
 一方で、塚越は自分の家族がキングの一味にマークされているとは知らず、迫る取引の日に思いを馳せていた。自分を簡単に受け入れてくれたキングの一味に、何の違和感も抱かずにいた。まさかキングの一味が、わざと自分を引き込む為、簡単に接触してくれたとは思ってもいない。しかし、塚越の命はまさに風前の灯となって行ったのである。
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