4-5-1 旅路の果て

文字数 8,189文字

 銀河系中の耳目を集めたスタージア星系の戦いが、大方の予想を覆して外縁星系(コースト)軍の大勝利に終わって間もなく、スタージア博物院長アンゼロ・ソルナレスは再び声明を発表した。
「《原始の民》の降下から銀河系人類を見守り続けた民の末裔として、これ以上の流血は望むところではありません。人類は知恵と勇気を尽くして、対話による歩み寄りを果たせるであろうことを信じています。皆さんが過去の宿怨を乗り越えるためであれば、我々も助力を惜しまぬことを誓いましょう」
 全てを見通すかの如き慈愛に満ちた表情を張りつけたソルナレスの、全銀河系に向けて発せられた迂遠な言い回しを要約すれば、銀河連邦と外縁星系人(コースター)に対する休戦と和平の勧告にほかならない。
 この期に及んで、銀河連邦には勧告に応じる以外の道を選ぶことは出来なかった。スタージア星系の戦いで失った戦力は一朝一夕で回復出来るものではなく、連邦は継戦能力を喪失している。それどころかエルトランザやサカといった複星系国家が、戦力を落とした連邦にいつ干渉してくるかわからないのだ。博物院長の声明によって露骨な動きは抑え込まれているが、陰でどんな蠢動を見せるかわからない。もはや外縁星系(コースト)諸国との講和に、一刻の猶予も許されない。
 一方で勝利した外縁星系(コースト)諸国も、その事情はさほど変わらなかった。
「我々も、これ以上の争いを求めてはおりません」
 ジャランデール行政府庁の会議室で、ジェネバは列席者たちに向かって静かに告げた。
外縁星系(コースト)諸国連合が求めるのは、第一にトゥーランの解放と、そして第一世代に押しつけられた経済的負担からの解消、これが第二です。第三は我々自身の手による自治の確立、そして第四は――」
 大きく息を吸い込み、吐き出しながらジェネバが口にしたのは、ある意味最も重要なことであった。
「我々の

地位の回復です。外縁星系人(コースター)は決して、銀河連邦からの離反を望むものではない。その点を皆さんにもご理解頂きたい」
 外縁星系(コースト)諸国の代表たちから、ジェネバへの反論はない。ある者は何度も頷きながら、またある者は腕組みして黙り込んだまま、彼らの瞳に等しく浮かぶのは、彼女の言葉に対する首肯の意思であった。
 銀河連邦から脱退し、外縁星系(コースト)諸国だけで連合を組もうという声が、ないわけではない。ただそれを唱えるのは一部の血気盛んな層であって、決して大勢を占めてはいなかった。
「ンゼマ議員の仰る通りです」
 ジェネバの言葉を引き取るように口を開いたのは、厚ぼったい瞼の下から細い目を覗かせるトゥーラン代表、ジンバシーであった。
「我々は何よりも、第一世代との対等な関係を求めている。(いたずら)に銀河連邦の秩序が乱れることを望むものではありません」
 スタージア星系の戦いの後、連邦軍や保安庁に制圧されていたトゥーランでは、またぞろ現地の人々が勢力を盛り返しつつある。だがつい先日、現地勢力との連絡が回復した際にジンバシーは、必要以上の戦闘を自重するように呼び掛けていた。今後、銀河連邦との交渉をスムーズに進めるため、相手を極力刺激したくないというジェネバの意向を汲んだのである。
 ジンバシーの発言を受けて小さく頷いたジェネバは、その大きな黒い瞳で改めて目の前の顔ぶれを見渡した。
「先の戦闘の結果、そしてスタージア博物院長の呼び掛けを受けて、連邦常任委員会も我々との交渉のテーブルに着かざるを得ないでしょう。外縁星系(コースト)諸国連合は先ほどの四つの要求を実現すべく交渉に臨む、これを我々の総意といたします」
 それ以上に過激な要求を掲げても許されうるのは、同胞の血を最も多く流したジンバシーだけであった。その彼が口にしたのは、この場の全員が納得しうる妥当な条件ばかりである。ジェネバが取りまとめた結論に、異を挟む者はいなかった。
 事前にジンバシーに根回していた結果が、功を奏した。この会議の前夜、密談に応じたトゥーラン代表は、おそらく彼女が持ちかける内容を既に予想していただろう。
「私としては、トゥーランの解放に勝る望みはありません。それ以上はンゼマ議員、あなたの言うことに同意しましょう」
 ジンバシーは冷静だった。実際のところ、トゥーランの解放を加えた四つの条件以上の要求――例えば外縁星系(コースト)諸国連合の独立を目指したとしても、それは必ずしも外縁星系(コースト)諸国にとって益にはならない。そのことをジンバシーはよく理解していた。
「この争いが収まったとしても、私たちには今後の生活があります。安定した環境を確保するためには、連邦からの離脱は必ずしもベストではありません」
「そのお言葉を聞いて安心しました。ジンバシー長官にそう言って頂ければ、明日の会議が紛糾することはないでしょう」
 外縁星系(コースト)諸国は未だ開拓途上であり、その分豊富な資源の産出が見込まれている。だがその資源も、外縁星系(コースト)諸国の間だけでは捌ききれるものではない。加工して製品化する技術や設備は、第一世代の各国に頼るしかないのだ。今回の内乱後の外縁星系(コースト)諸国の経済活動を維持するためには、航宙の安全が確保され、かつほとんどの関税が免除された、銀河連邦という枠組内での第一世代各国との取引が必須であった。
 ジンバシーがその点を心得ていることを確かめて、安心したというジェネバの言葉は嘘偽りのない本心である。
 それ以上の権益を得ようとすれば、さらに争いが長引く可能性が高い。内乱の長期化によってどちらが先に力尽きるかといえば、外縁星系(コースト)諸国に決まっていた。
「長官の決断が外縁星系(コースト)諸国にどれほど明るい未来をもたらすことか、我々は決して忘れません。いえ、全ての外縁星系人(コースター)がそのことを忘れないよう、記憶に刻みつけるべきでしょう」
 トゥーランが無事に解放されたとしても、その後の国論を一枚岩にまとめるのは、いかにジンバシーとはいえ容易ではないだろう。連邦軍や保安庁に対する憎しみが、最も募っているはずの星だ。憎悪に凝り固まる人々の心を宥め、少しでも自尊心を満たすことが出来るような方策を用意しておく必要がある。それも、ほかの外縁星系(コースト)諸国も納得出来るような内容でなければならない。
 ジェネバにはまだまだ考えるべきことが山積みであった。

外縁星系(コースト)諸国連合からは、既に休戦の申し出が届いている」
 銀河連邦評議会ドームに隣接した議員専用のホテルの一室で、コーヒーカップを片手に持ち上げながら、ヘレ・キュンターは面白くもなさそうな顔でそう言った。
 向かいに腰掛けるジノは黙って頷いたが、その眉根には深い皺が刻まれている。深刻な表情のまま口を開こうとしない彼に、キュンターは薄い唇の端を歪めてみせた。
「安全保障局の強権を糾弾しておいて、代わりに評議会が下した判断の、結果がこれだ」
「……我々が非難を受けるのはやむを得ません。それだけの事態を招いてしまった、その責は負うべきでしょう」
 連邦軍の大敗の報がもたらされて、テネヴェ――とりわけエクセランネ区は混乱の極みにあった。何しろ連邦評議会が全会一致でスタージアの救援に差し向けた連邦軍が、事実上壊滅してしまったのである。連邦軍にはまだ同数の戦力が残っていると強がることも出来るが、その大半は対複星系国家を想定した防衛と、残るは域内の治安活動に充てたものだ。簡単に動員するわけにはいかなかった。
 連邦評議会への批判以上に巷を席巻するのは、これ以上の戦いを倦む声であった。外縁星系人(コースター)の反連邦組織による長年のテロ、それを取り締まるための強権的な監視体制がようやく終わるのかと思えば、予想だにしない連邦軍の大敗である。テネヴェのみならず、第一世代の各国でも厭戦気分が広まるのは当然のことであった。
 既に常任委員会は責任を取るという口実で、全員が早々に職を投げ出していた。だが敗戦処理に奔走されることが確実な、新たな常任委員長に立候補しようとする者はない。
「責任の取り方にも、色々ある」
 そう呟くキュンターの言葉からは常の品の良さが影を潜めて、代わりに諦めの色が色濃く滲んでいた。
「というと、常任委員長の就任を引き受けるおつもりですか」
「仕方あるまい。誰かが後始末をつけねばならん」
 キュンターは外縁星系人(コースター)との和解を説いたことは一度もない。だが外縁星系人(コースター)を積極的に弾圧しようとしていたその他の第一世代出身議員に比べれば、はるかに穏健派と見做されていた。
 彼女はローベンダールの資本の代弁者として、彼女なりの計算に従って行動しただけであり、それは外縁星系人(コースター)の立場を慮ってのものではない。
 しかし今となっては、最も外縁星系人(コースター)を刺激しないと思われる相応の実力者といえば、キュンター以外にいないのである。
「私とて外縁星系人(コースター)から莫大な債権を取り立ててきた身だというのに。ほかに適任がいないというのだから呆れた話だ」
 一口だけコーヒーを啜ってから、キュンターは優雅な手つきでカップをテーブルの上の受け皿に戻した。カップの中の黒い液体は半分以上残っているが、キュンターがほとんど口をつけないままに喋り続けていたせいで、既にすっかりと冷め切っている。
「大役ですね。私にも手伝えることがありましたら、何なりと申しつけ下さい」
 あからさまな貧乏くじを引き受けざるを得ないキュンターに、ジノは少なからず同情した。どのような条件で外縁星系人(コースター)と和平協定を結んだとしても、彼女は非難を浴びることになるだろう。和平協定を締結し終えた時点で、キュンターが常任委員長の座を追われることになるのは明らかであった。
 だが手伝いを申し出たのは、彼女の立場を慮っての社交辞令ではない。ここにこうして呼び出されたこと自体、彼女がジノに何らかの仕事を任せようとしているのだと察していた。大方予想がつくその仕事の内容を確かめるために、ジノはキュンターの部屋を訪れたのだ。
「正式な交渉に先駆けて、大枠の方向性を摺り合わせるための準備協議が設けられる。こちらは報道機関にも非公表の、極秘の協議だ。カプリ議員には銀河連邦代表として、その準備協議に出席して欲しい」
 任務を告げたキュンターは、ジノがさして驚くこともなく了承するのを見て、ふっと小さくため息を吐き出した。
「評議会で外縁星系人(コースター)との対話を主張してきたあなたなら、彼らの反発を招くことなく、ぎりぎりの落としどころを見つけてくれるだろう」
「買い被りですよ。ですがこの混乱を収めるべく、最善を尽くすことを誓いましょう」
「任せたぞ。外縁星系人(コースター)の代表は、博物院長と会談したというあのシャレイド・ラハーンディだそうだ」
 その名を告げられて、それまで覚悟の表情に満ちていたジノのグレーの瞳に、一瞬複雑な感情が揺らめいた。
「実を言えばあなたを交渉役に任ずる理由のひとつに、そのラハーンディからの指名がある。確か旧知だったな?」
 キュンターに尋ねられて、ジノはやや伏し目がちに頷いた。
「はい。ジェスター院の後輩で、彼とはよく立方棋(クビカ)を指したものです」
「そういうことか。それだけ親しいのなら、交渉もスムーズに進められるかな」
「だと良いのですが……」
 そう言って右手で口髭をなぞっていたジノは、しばらく考え込むような表情を見せた後、おもむろに口を開いた。
「準備協議に補助スタッフを同行させることは可能でしょうか?」
 ジノの言葉に、キュンターがわずかに首を傾げる。
「スタッフ? まあ人数にもよるが、それは問題ないだろう」
「ありがとうございます。それでは人選はお任せ頂くとして、もうひとつ」
「なんだ、まだ何かあるのか?」
「ええ。むしろこちらの方が重要です」
 口髭から右手を離したジノは、キュンターの顔を窺うようにゆっくりと顔を上げた。
「シャレイド・ラハーンディが私を交渉役に指名してきたというのであれば、その引き替えに準備協議の場所、これを指定させてもらいたいのです」

 スタージアを発ちネヤクヌヴからジャランデール、そして未だ睨み合いの続くトゥーランも素通りして、一気にクーファンブートまで至る。そこで補給を済ませてから、今度は第一世代のファタノディ、さらにゴタンまでたどり着けば、次はいよいよテネヴェだ。シャレイドがこれだけの距離を駆け抜けるのに要した日数は、実に一ヶ月あまりに及ぶ。
 だがこれまで星から星へと渡り歩いてきたシャレイドにとっては、足かけ十年に達しようとする旅の遍歴に加わった、ほんのひとときの旅程に過ぎない。
「この十年で、俺ほど銀河系中を駆けずり回った奴はなかなかいないだろう」
 宇宙船のラウンジでベープ管を吹かしながら、シャレイドは感慨深げに呟いた。
「ジェスター院のあるミッダルトから始まって、外縁星系(コースト)諸国はどこも何度足を運んだかわからない。複星系国家で訪れた星はエルトランザだけだったが、第一世代の星は結構な数を回ったもんだ。ゴタン、ファタノディ、チャカドーグー、エヴァラシオ、ローベンダールにスレヴィア」
 ラウンジの窓越しに広がる漆黒の宇宙空間に視線を注ぎながら、指折り数えるその仕草がふと止まる。
「イシタナにも行ったな」
 イシタナという単語を耳にして、シャレイドと同席していたモズが赤ら顔に不思議そうな表情を浮かべる。
「イシタナ? あそこには外縁星系人(コースター)の地下組織はなかったんじゃないか」
「ああ」
 唇をすぼめて水蒸気の煙を細く吐き出しながら、シャレイドは長い睫毛を伏せた。
「ちょっとした野暮用だよ」
「野暮用ね。お前のことだから、どうせ女絡みか」
「まあ、そんなところだ」
 カナリーが生まれ育った星。何事もなければ十年前に訪問していたはずの星を、一度見てみたい。そんな衝動を抑えきれず、スレヴィアを訪れたその足を伸ばしてイシタナに降り立ったのは、何年前のことだったろう。
 彼女の生家ホスクローヴ家の敷地近くまで自動一輪(モトホイール)で駆けつけて、その後どうするつもりも思い浮かばなかった。この頃は歴としたお尋ね者だったシャレイドが、まさかのこのこと訪ねるわけにもいかない。結局彼に出来たことといえば、広大な敷地に溢れる緑に囲まれた、彼女の生家を見下ろすことの出来る小高い丘で、腰を下ろしたままひたすら眼下の景色を眺めることであった。
 何時間そうしていたかわからない。ひとりでいると、彼の周りを過ぎ去っていく時間はあっという間だった。こんなときには、共に語り合うことの出来る友人が側にいて欲しかった。モートンが隣りにいればきっと、三人で過ごしたとりとめも無い記憶の中にいるカナリーの姿を、共に偲ぶことが出来るはずであった。
「それはまあ、いいんだけどよ」
 思いに耽るシャレイドを見て、モズはそれ以上突っ込んで聞き出そうとはしなかった。彼が口にしたのは別のことである。
「そんなお前も、テネヴェにいくのは初めてなんだよな」
 シャレイドがベープ管を咥えたまま無言で頷くと、モズの口から思わず不満が突いて出た。
「今さら言うのもなんだけど、わざわざテネヴェくんだりまで来る必要があったのか? ただでさえ遠い、しかも敵の本拠地じゃないか」
 銀河連邦は和平交渉の準備協議の場に、テネヴェを指定してきた。スタージアの戦いで大勝し、完全に優位に立ったつもりだった外縁星系(コースト)諸国連合は、連邦の要求に面食らったものだ。モズの感想は、彼ひとりが抱いたものではない。
「そう目くじらを立てるな。連邦に加盟する身であるならば、加盟国間のあらゆる交渉はテネヴェですべし。連中の言うことは杓子定規な建前だが、俺たちも連邦から飛び出すつもりはないんだ。そこでごねてもいいことはない」
 そう言って白い煙を吐き出しながら、シャレイドは小さく笑った。
「連邦には交渉役にジノを出すことを呑ませたんだ。場所だってテネヴェ星系の極小質量宙域(ヴォイド)に停泊して、交渉するのはこの宇宙船(ふね)の中だ」
 シャレイドとモズが乗るのは、外縁星系(コースト)諸国連合軍の戦艦である。敵地に乗り込むのだからという理由で、彼らふたりをテネヴェ星系まで運ぶためにあてがわれた宇宙船だ。連邦のお墨付きがあったとはいえ、第一世代の勢力圏であるファタノディ星系やゴタン星系を通過する際には、艦内も緊張に包まれたものである。
「戦艦だからといって、たった一隻だぞ。万一の場合にはどうなるかわからん」
 心配そうに唸るモズに、シャレイドは重ねて笑いかけた。
「安心しろ。相手はジノだ。お前だってジェネバから聞いているだろう? ジノ・カプリは連邦評議会で外縁星系人(コースター)と第一世代の間を取り持とうとしていた、話のわかる奴だって」
 ジノを交渉役に指名したのはシャレイドだったが、ジェネバもまた彼の人選に賛同していた。評議会で共にした時間はそれほど長くないはずだが、彼女もジノの人柄を十分見込んでいるようであった。
「確かに、お前だけならともかく、ジェネバが言うならなあ」
「おいおい、そんなに俺は信用無いのか」
「あるとでも思ってるのか。今まで散々人のことを口先でこき使いやがって」
 不平を叩きつけられても、シャレイドは口元に薄い笑みを浮かべて応じるだけである。これ以上言っても無駄だと悟ったのか、モズは大きな肩を竦めてみせた。
「それにしても、なんだって連邦はテネヴェまで来いとか言い出したんだろうなあ。建前とか振りかざしている場合じゃないと思うんだが」
「第一に考えられるとしたら、俺たちがたどり着くまでに、常任委員会や評議会で方針を固める必要があった、その時間稼ぎだろうな」
 右手に持ったベープ管の吸い口を左手のひらにぽんと置いて、シャレイドが事情を推察する。その言葉にモズがなるほどと首を縦に振った。
「それはありえるな。第二は?」
「第二は、そうだな」
 手のひらの上にベープ管の吸い口を二度、三度と叩きつけながら、シャレイドはついとモズの顔から視線を逸らし、ラウンジの窓の向こうに目を向けた。長い睫毛の下に覗く黒い瞳に、数多の星が散らばる宇宙空間が映り込む。
「まあ、少なくともお前が気にするようなことじゃない」
 まるで囁くように告げるシャレイドの赤銅色の横顔が、不意に無表情になる。モズは大きな丸い目の上で、不審げに眉をひそめた。
「なんだよ、そりゃあ」
「たいしたことじゃない。多分俺の考えすぎさ」
 振り返ってそう答えるシャレイドの顔には、既にいつもの薄い笑みが戻っていた。
「もう少しでテネヴェに着く。久々にジノに会える。こんな状況だが、実はちょっと楽しみにしてるんだよ」
 その言葉に偽りはない。旧交を温め合うというわけにはいかないだろうが、懐かしさを共有するぐらいは許されるだろう。ジェスター院で過ごした日々の中で、ジノ・カプリもまたシャレイドにとっては貴重な友人のひとりとして記憶されている。
 ただ彼の胸中を占める想いは、それだけではなかった。
 テネヴェに近づくにつれて胸の奥にざわめき出す不安から、シャレイドはあえて目を背けていた。ジノとの再会を喜ぼうと自分に言い聞かせなければ、この不安に精神を覆い尽くされてしまう。全く不本意なことであったが、一度芽生えてしまった不安は、どう足掻こうとも無視出来るものではなくなっていた。
 ソルナレスの思考など覗き込むのではなかったと、つくづく思う。
 あの金髪の、穏やかな笑みが似合う博物院長の思考に触れて、彼は様々なことを見知ってしまった。
 それは例えば《オーグ》の存在であり、《スタージアン》という輩の在り方であり、彼らがこの銀河系人類社会に及ぼしてきた影響の数々であった。《スタージアン》たちがスタージアに降り立って以来紡いできた記憶は膨大であり、その全てをシャレイド個人が理解するのはとてもではないが不可能だ。だがシャレイドを通り過ぎていった《スタージアン》の幾千万の記憶の内、印象的な事象は彼の脳裏に拭いようもなくこびりついていた。
 その中には銀河連邦創設の貢献者として歴史に名を刻むイェッタ・レンテンベリ、タンドラ・シュレスのふたりが、まるで《スタージアン》のごとく互いに《繋がる》思念の持ち主だったという事実も含まれている。
 そこから導き出される可能性――それも極めて蓋然性が高い――に思いを致す度に、シャレイドは引き攣れそうになる表情を引き締めなければならなかった。
 それは彼にとっては想像もしたくない、気が滅入るだけの可能性であった。
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