4-3-4 シャレイド・ラハーンディの追憶

文字数 6,832文字

 シャレイド・ラハーンディは幼い頃から、他人の感情を読み取ることが得意だった。
 というよりも、それが当たり前だった。
「母さんに似たな」
 そんな彼のことを父サードはそう評し、母もまたごく自然に受け入れてくれた。
 サードの言う母さんというのはこの場合、シャレイドにとっての祖母に当たる。祖父と共にミッダルトからジャランデールに移住した祖母は、どんな嘘でも見抜いてしまう特技の持ち主だったらしい。父も母も祖母という前例に慣れていたから、シャレイドの資質についても取り立てて戸惑うということはなかった。
 残念ながら祖母はシャレイドが産まれる前に他界していたため、彼は自分以外に他人の考えを見通すことが出来る人物を知らない。ただ父母をはじめ、身近にいる人物が理解を示してくれたことは、彼にとって幸福なことだったろう。
 誰よりも彼の良き理解者だったのは、五つ年上の兄アキムだった。
「シャレイド、お前のその力は、精神感応力っていうらしいぞ」
 ジャランデールで教育者として名を馳せた祖父は、様々な学問に通じていた。蔵書データも多く蓄えており、アキムは暇を見てはよく祖父が遺した蔵書データを読みふけっていたものだ。その中にはシャレイドのような能力について触れた書物もあった。
「相手の感情がわかる程度から、何を考えているか細かくわかる程度まで、結構ばらつきがある。シャレイド、お前の場合はどれぐらいわかるんだ?」
「うーん、そのときによるよ」
 幼いシャレイドにとって、まだ人の深い思考を読み取るのは、そもそも理解力が追いついていなかった。
「なんだよ、適当だな。なになに、原因については様々な説があるが、最も有力なのはN2B細胞に起因するものではないかとする説である……なんだよこれ、嘘っぱちじゃないか」
 シャレイドが祖母に似ていたのは、その精神感応的な能力だけではない。彼は生まつき極端にN2B細胞の数が少ないと診断されており、それもまた祖母譲りの特徴であった。AltN2B――オルタネイトの通名で知られる薬を投薬することで日常生活に支障はなかったが、この薬の摂取するために月に一度注射を打たなければならないことが、幼少期のシャレイドには堪らなく苦痛であった。
 あまりにシャレイドが嫌がるので、同伴したアキムが「じゃあ、俺も一緒に注射を受けるから。そしたらおあいこだろう?」というよくわからない理屈で説き伏せられたことがある。とはいえ健康体のアキムがオルタネイトの接種を受けられるわけもなく、それでも聞かない彼に対して、医者が仕方なく打ったのは栄養剤の注射であった。
 アキムの好意というよりも、医者が心底迷惑がっていることを読み取って、以後シャレイドは注射の際にもごねることはなくなった。後になって思い返せばこの頃から、他人の思考を覚束ないながらも読み取れるようになった気がする。
 彼の能力が活かせる遊戯のひとつとして、シャレイドに立方棋(クビカ)を教えたのは父サードである。アキムも父から立方棋(クビカ)の手解きを受けていたが、やがてシャレイドがルールを把握すると、彼が家中で一番の指し手になるまでそれほどの時間は掛からなかった。
立方棋(クビカ)はシャレイドには敵わないな。いつもこちらの考えを先回りされる」
 シャレイドに敗れたサードがそう言って頭を掻くと、傍で対局を観戦していたアキムが父の感想に異を唱えた。
「でも相手の考えが読めたって、ちゃんと対策出来なきゃ勝てないよ。シャレイドは俺なんかより、ずっと頭がいい」
 シャレイドの頭脳を一番評価していたのは、アキムである。彼自身も中等院で相当の成績を誇っていたが、卒業後はあっさりと地元の現像工房に弟子入りしてしまった。祖父は名士として慕われていたが、利殖や蓄財には全く疎かったため、ラハーンディ家が決して裕福でなかったせいもある。だがそれ以上に、アキムはシャレイドが将来ジェスター院に進むことを望んでいた。
「学費は俺や父さんがなんとかする。お前は爺さんが学んだジェスター院に進め」
 アキムがジェスター院を薦めたのは、祖父の母校だからだけではない。ジェネバからも話を聞いていたからだ。
 ジェネバ・ンゼマは祖父が直接教えた最後の生徒であり、その縁もあってラハーンディ家にしばしば出入りしていた。そして彼女もまた、ジェスター院の卒業生だったのである。シャレイドにとっては明るいが怒ると怖い年長の女性でしかなかったが、アキムは彼女が遊びに現れる度にその話に聞き入っていた。彼女からジェスター院について様々聞かされたことが、シャレイドも是非にというアキムの動機になっている。
 アキムが期待するだけあって、事実初等院から中等院にかけてのシャレイドの学業成績は、同世代より頭一つ飛び抜けていた。一方で彼の精神感応力に拒否反応を示す人々にも接し、何度か深刻なトラブルを経験した反動で、一時期は裏街区に入り浸っていたことがある。
 モズと知り合ったのはこの頃だ。
 モズはシャレイドを心配したアキムが手配した、彼の友人である。シャレイドの精神感応力について知らされていたモズは、最初からお目付役であることを隠そうともしなかった。
「あんまり兄ちゃんに心配かけるなよ」
 モズは暢気な顔でそう言いながら、いくらシャレイドが嫌そうな顔を見せても意に介さずにつきまとってくる。あまりにしつこいので、最後はシャレイドも根負けしてしまった。今では気の置けない友人のひとりと言っていい。
 シャレイドが完全に道を踏み外しきらなかったのは、そんな兄の鬱陶しくも愛情豊かな期待を裏切れないという想いがあったからだろう。見事ジェスター院への進学が決まったときのアキムの喜びようといったら、シャレイド本人とも比べようもないほどであった。
 こうして彼はジェスター院に進学する。兄の強力な後押しがあったとはいえ、初めてジャランデールの外に出ることになった彼の胸中には、それなりに夢も希望もあった。当時、既にジャランデールでは開発支援融資の返済に伴うトラブルが頻発しており、彼の知人にも家族が苦汁を嘗めるという話が後を絶たなかった。ジェスター院で学んだ成果を持ち帰って、そんな惨状をなんとかしたいという想いは、シャレイドの中にもあったのである。
 だがいざ入学してみると、ジャランデールのみならず外縁星系人(コースター)への風当たりは想像以上に厳しかった。
 シャレイドの容貌や語り口に惹かれて寄ってくる院生もいたが、彼がジャランデール出身とわかった途端に掌を返す者も、また少なくなかった。親元を離れ、入学間もないシャレイドの神経が徐々にささくれ立ってしまったのも、無理はなかっただろう。
 ただ救いとなったのは、寮の同室となった相手が外縁星系人(コースター)への偏見を持ち合わせていなかったことだ。
 同室のモートン・ヂョウは長身で穏やかかつ気さくな男だったが、成績優秀者のみに許された学費全額免除の特待生でもあった。そのことを知って、彼に対して壁を作っていたのはシャレイドの方である。
 シャレイド自身も特待生レベルの成績だったはずなのに、外縁星系人(コースター)であるという理由で奨学金を受けることは出来なかった。露骨な理不尽に晒されながら、気にしないでいられるほどシャレイドは大人ではなかった。時折り話しかけてくるモートンに対しては失礼にならない程度に、だが最小限の会話にとどめていたのは、シャレイドの若さ故だ。
 そのモートンと打ち解ける切欠となったのは、いつからか彼がしきりに立方棋(クビカ)の練習を始めるようになってからである。
 教本を参考にしながら、端末棒から引き出されたホログラム・スクリーン上の立方体を前に試行錯誤するモートンが、初心者であることは明らかだった。横目で見ながら、自分の相手にはならないな、とシャレイドは無関心を装っていたが、それもほんの一ヶ月足らずのことである。モートンの上達ぶりは、シャレイドがたまにその様子を眺めるだけでも一目瞭然であった。
「いつまでもひとりで練習していても退屈だろう。俺が相手してやる」
 予想外の声をかけられて表情を輝かせるモートンをいささか大袈裟だと感じたが、いざ対局してみるとそんなことを言っていられなかった。
 最初の内は、予想通りシャレイドの相手になるレベルではなかった。だが何度か対局を重ねる内にモートンは驚くべきスピードで学習し、やがてシャレイドの手の先の先を読んでしまうようになったのだ。さらにその先までの手を何通りも用意する彼の頭の中を覗き込む内に、シャレイドの方が講じる対策が間に合わなくなってしまう。初めてモートンに敗北したときは、悔しいというよりも感嘆するしかなかった。
「ジェスター院生も大したことはないと思っていたが、改めるよ。お前みたいな奴がいると、少しは張り合いが出る」
 シャレイドが彼なりの言い回しで讃えると、モートンは喜色を隠そうともせずに破顔した。
「まだまだ、初白星だからな。卒業するまでには勝ち越してみせるぞ」
 シャレイドがジェスター院に入学して、その人柄も能力も認めることが出来る人物と出会えたのは、これが初めてのことであった。
 その後モートンの薦めに応じて、シャレイドはジェスター院内の立方棋(クビカ)大会に出場する。モートンが立方棋(クビカ)の師匠と冗談めかしながら話していた、カナリー・ホスクローヴとの初対面はそのときだ。
 彼女の性格は、対局しただけで丸わかりだった。わざわざ考えを読むまでもない。真っ直ぐで勢いに任せて行動するものの、行き着く先は的を外さないのだ。だがその手の相手をいなすのはシャレイドの十八番であり、結果はシャレイドの圧勝に終わった。
 ただシャレイドに勝利したいという彼女の諦めの悪さまでは、彼もまだ見抜けてはいなかった。
 それからカナリーにつきまとわれ続けて、仕方なく何度か対局して、結局シャレイドが勝つとまた悔しげな顔で追い回される。なんだかモズに追いかけられ続けて、最後に根負けしたときと似ているな。そんなことを考えるシャレイドの胸中は、実を言うと不快ではなかった。
 モズのときと同様だ。シャレイドにしてみれば追跡者を撒くことなどお手のものなのだが、彼に向ける感情に悪意がこもっていないのであれば、あえて見つかってみせるのもやぶさかではなかったのだ。そしてカナリーとの対局の際には、大抵モートンも一緒である。こうして三人で共に過ごす時間が好ましいものであることを、シャレイドも自覚しつつあった。
 やがて立方棋(クビカ)を抜きにして三人で過ごす時間が増えるようになったのは、自然な成り行きだったろう。
 親友と呼べる存在をふたりも得ることの出来たシャレイドだが、ただひとつだけ、彼らにも打ち明けられなかった秘密がある。
「勘がいいんだ」
 シャレイドは自身の精神感応力について、その一言で説明を済ませていた。それは思春期を迎える頃に何度も味わった、迂闊に精神感応力を発揮したことで忌避されてしまうという経験上、やむを得ない対処であった。
 精神感応力自体は現に存在するものとして認知される能力であり、ジェスター院にも精神感応力学を専門にする導師や院生がいる。だが能力者そのものがごく稀であり、銀河系でも三桁ほどしか存在が確認されていないという現状では、なかなか研究が進められるものではない。そもそも周囲と軋轢を生みやすい能力のため、名乗り出る者自体が少ないという。シャレイドの祖母もそのひとりであり、もちろんシャレイドも家族以外に公言したことは一度もない。
 だがこの能力が何物なのか、そんな興味を抱くことまでは止められなかった。彼がジェスター院で学んだ対象は、精神感応力学から情報通信工学、N2B細胞や脳の研究にまで及ぶ。
「シャレイドの履修科目って、なんだか基準がよくわからないよね」
 その頃、既に三人で行きつけにしていたミッダルト繁華街のダイニングバーで、フライドボールを頬張るカナリーからそう尋ねられたことがある。
「我ながら興味がとっちらかっているとは思うけどな。これでも、なんも考え無しってわけじゃない」
「一応、お前なりの筋は通っているのか」
 そう言ってモートンはさらに話を聞き出したいという顔を見せたが、シャレイドは曖昧に回答を濁した。
「俺の中でも、まだはっきりと道筋が見えてるわけじゃないんだ」
 残念そうなモートンと、「なによ、結局よくわかんないんじゃない」と口を曲げるカナリーには申し訳ないと思ったが、まさか自身の精神感応力の正体を見極めるためとも言えなかった。
 これまで学んでわかったのは、精神感応力者は概ね二種類に大別出来るということだった。そもそものサンプル数が乏しいので断定は出来ないが、ひとつはただ周囲の人々の精神活動を察知することが出来るタイプ。もうひとつは、周囲の精神活動に共鳴して、同化してしまうタイプだ。その数は、前者よりも後者の方が圧倒的に多いという。
 シャレイドは数少ない前者だが、後者が多い理由もわからなくはない。
 特に幼い頃には、彼も周囲の感情に引きずられてしまったことが往々にしてあったと思う。比較的穏やかな人物に囲まれて育ったから良かったが、もし過激で起伏の激しい精神に晒されていれば、シャレイドの人格も間違いなく大きな影響を受けていただろう。それを共鳴と呼ぶのか同化と呼ぶのかは定かではないが、精神感応力という能力の性質上、その傾向が強くなるのは理解出来る。
 同時に、自分が少数派であることに心の底から安堵した。
 察知してしまうことについては、これはもう生来の資質であって好きも嫌いもない。彼にとっては自然なことだ。だが周囲の、家族なり友人なり他人なりの精神に同化してしまうということは、シャレイドが彼自身であることの意味を喪失することに等しい。
 彼はこれまで様々な人々の精神に触れてきたが、その中にひとつとして同じものを感じたことはない。シャレイドにとってヒトの精神とは、指紋や遺伝子以上に個人差が厳然と存在するものなのである。
 それにしてもシャレイドのようなタイプと、同化してしまうタイプがどうして存在するのか。そもそも精神感応力とはなんなのかという問いには、未だ答えなど出ようもない。
「まあ俺の勘だと、多分卒業するまでには答えも出ると思う」
 そう言って薄く笑うシャレイドを見て、カナリーは大袈裟に肩を竦めた。
「また、それ? シャレイドはなんでもかんでも勘で片づけすぎだよ、ねえ」
 同意を求めるようにカナリーに見返されて、モートンが苦笑した。
「といっても、その勘が良く当たるからなあ」
 目の前で談笑する二人を見ていると、いつか彼らにはこの能力のことを明かしても良い、そんな風に思えてくる。
 精神感応力の正体に対する答えなど、簡単に出ることはないだろう。だが卒業するまでに出せる彼なりの答えとすべきは、目の前の二人に秘密を打ち明けることが出来るか否か、ということかもしれないと思う。
 ただそれは、少なくとももうしばらく先の話だ。
 二人と向き合えば向き合うほどに、誰よりも彼らの思考がシャレイドの頭の中に流れ込んでくる。お互いに信頼し合うふたりの想いが今しばらく熟成されていけば、やがて男女の仲にまで発展しそうな気配を、シャレイドは当然見抜いていた。
 自分がカナリーに対して友人以上の好意を抱いていたのかどうか、彼自身は確かめようとも思わない。二人の想いを察知して複雑な感情が生じたのは間違いないが、同時にカナリーが自分よりもモートンにこそ好意を寄せていることを知って、思わずさすがと言いそうになった。
 シャレイドは自分が女性にとって十分に魅力的であることを自覚していたが、一方で自分に好意を寄せるような女性の大半が、表層的なものにしか興味を示さないということも知っていた。カナリーがそうでないことはわかっていたが、彼女の想いを改めて知って、落胆するよりも前に安心したのはそういうわけである。
 自分の精神感応力について告白するとしたら、ふたりが恋仲となってからで良いだろう。そうでなければ二人は自然に近づくことも出来ないだろうし、さらに言えばそれまでのふたりの内心を観察させてもらおうという、人の悪い魂胆もある。もっともふたりともその方面では未熟というか奥手だから、どれほどの時間がかかるかはわからないが。
 ともあれジェスター院で過ごした日々の大半は、今もシャレイドにとってかけがえのない時間として記憶に残っている。三人で共にいた記憶のひとつひとつは、さりげない、ささやかな出来事ばかりだ。しかしそれらが積み重なって彼の心に刻まれ行く度に、モートンもカナリーもシャレイドにとってはかけがえのない存在になっていった。
 このまま一緒に絆を育んで、一生つきあえるような友人同士でありたい。シャレイドが抱いた望みは、それほど大それたものではないはずだった。
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