4-4-4 閉塞する墓標

文字数 9,009文字

 連邦軍と外縁星系(コースト)軍の戦闘が、《星の彼方》方面の宙域が間もなく始まろうとする頃、モズは自分たちの置かれた状況を理解出来ないまま、ただ呆然としていた。
 連邦軍主力部隊は目の前の敵を目指して、圧倒的な迫力をもって堂々と行軍している。
 だが彼らは、索敵範囲にいるはずのモズたちの艦隊に全く気づく気配がない。
 火力重視で編成された外縁星系(コースト)軍の伏兵部隊が、身を隠す遮蔽物のない宇宙空間にひとかたまりになってたたずんでいるというのに、連邦軍は彼らをまるで無視したまま正面の敵――外縁星系(コースト)軍の主力部隊を目指して突き進んでいくのだ。
 球形映像の中では、連邦軍を示す光点の群れが迷うことなく伏兵部隊の目の前を通り過ぎていく様子が映し出されている。モズだけではない、艦橋にいる誰もが固唾を呑んで、その動きを見守っている。
「連邦軍は伏兵に気づかない」
 開戦直前にシャレイドと交わした言葉を、モズは思い返さずにはいられなかった。
「小惑星もデブリもない、極小質量宙域(ヴォイド)のど真ん中だぞ。気づかれないままやり過ごせるわけがあるか」
 モズの当然の抗議に対して、シャレイドの返答は至って冷静だった。
「やり過ごせる。信じられないかもしれないが、お前たちが連邦軍に見つかることはないんだ」
《星の彼方》方面の宙域に働く未知の力場が、連邦軍の索敵の目を欺いてくれるというシャレイドの説明は、航宙関係の知識に乏しいモズにとっても眉唾ものであった。
「シャレイド、お前の言うことが間違ってたら、俺は連邦軍に蜂の巣にされるんだぞ」
「安心しろ。俺の言う通りに動けば、蜂の巣にされるのは連邦軍の方だ」
 シャレイドは彼の言うことに全く耳を貸そうとはしない。それどころかさらに厳しい条件を突きつけてくる始末だった。
「連邦軍は伏兵を敷かれる可能性を考慮して、全軍を二分してきた。お前たちは連邦軍の主力と別働隊が合流するまで、絶対に動くな」
「どうしてだよ。お前の言う通り俺たちが見つからないとして、相手が別行動を取っている内に攻撃を仕掛ける方が各個撃破のチャンスじゃないか」
「駄目だ。仮に主力部隊を叩けたとしても、その後駆けつけた別働隊にやられる。言っておくがまともにやりあっても勝てるとは思うなよ」
 外縁星系(コースト)軍の力を、シャレイドは全く信じていないようだった。モズにしてもそれは同様なのだが、だとしても頭ごなしに否定されるとさすがに文句の一つでも言いたくなる。
「いくらなんでも言い過ぎだろう。トゥーランでもそこまでの差は無かったじゃないか」
「トゥーランではこっちの方が戦力的に上回っていたのに、壊滅前に逃げ出すのが精一杯だったんだ。今回は敵の方がはるかに数も多いんだぞ。頼むから無茶はしてくれるな」
「散々無茶振りしておいて、今さらそれを言うのかよ」
 だがモズにはそれ以上もっともらしい反論は思いつくことは出来なかった。結局シャレイドの言う通りに、訝しむ外縁星系(コースト)軍の幹部たちの説得に専念するしかなかったのである。
 幸いにしてモズは、トゥーランの戦いでは最悪の事態も想定し対策を用意していたことで、外縁星系(コースト)軍を全滅の危機から救ったということになっていた。幹部連中たちは謎の力場とやらの存在を明らかに疑っていたが、戦力に劣る外縁星系(コースト)軍が勝利するにはほかに手もないという事情もあって、なんとかモズの言うことに従ってくれることになったのである。
 そして今、連邦軍主力部隊はモズたち伏兵部隊の前を真っ直ぐに通り過ぎて、ついに外縁星系(コースト)軍の主力と戦端が開かれた。モズたちは連邦軍の背後をいつでも襲える位置を確保したことになる。伏兵部隊の指揮艦で、艦橋の全員がモズに向ける視線には、驚愕か賞賛のいずれかの念が込められていた。
「まだまだ、攻撃してはいけませんよ」
 分不相応な賛辞を浴びることにむず痒さを感じながら、モズは逸る仲間たちに向かって努めてのんびりした口調で語りかけた。
「連邦軍の別働隊が合流するまでは、我慢です。敵が全軍集まったときが攻撃のタイミングですよ。それまでは友軍が持ちこたえることを信じて待ちましょう」
 痺れを切らして暴発しそうになる兵たちを必死に宥めながら、モズたち伏兵部隊がとうとう攻撃を仕掛けたのは、それから五十時間が経過してのことであった。

 かつてジェスター院のカフェテリアでひたすら立方棋(クビカ)の対局に明け暮れていた頃、カナリーがしばしば口にしていた台詞を、シャレイドは思い出していた。
「必ず結果が出るのが、立方棋(クビカ)のいいところだよね」
 立方体のホログラム映像に目を凝らしていたシャレイドは、素っ気ない返事をしたのを覚えている。
「ゲームなんだから、決着がつくのは当たり前だ」
「必ずしもそうとは言えないんじゃないか。俺はまだ見たことがないが、千日手になる場合もあるんだろう?」
 モートンが疑問を差し挟むと、カナリーは頭を振って否定した。
「決着じゃなくって結果。千日手も結果のひとつだよ。どんな形にしろ結果が出ないことには、その先に進めないじゃない。お父様の受け売りだけどね」
「確かに、延々悩み続けるカナリーは、想像つかないな」
 納得した顔を見せるモートンに、カナリーがにっと白い歯を覗かせて笑顔を返す。ふたりのやり取りを横目で見ながら、シャレイドは立方体の格子体(ブロック)のひとつに指先を向けて、ついと動かした。
「さすが、ホスクローヴ提督ともなれば言うことに重みがある」
 そう言いいながらシャレイドが立方体の中の赤い駒を動かすと、途端にカナリーの青い駒の多くが一度に消滅してしまった。
「ああっ! またやられた……」
 立方体の中の惨状を目の当たりにして、カナリーが悲鳴と共に頭を抱える。
「こんだけ同じ結果を繰り返して、そろそろ俺には敵わないとわかったんじゃないか?」
 シャレイドから小馬鹿にしたような台詞を投げかけられても、きっと見返すカナリーの瞳からは一向に戦意は失われていなかった。
「お父様に言われたのは、結果が出なければ反省も改善も出来ないってことなの。なんでもさっさと諦めろってことじゃないんだから」
 少なくとも、簡単にはへこたれない前向きな強靱さが、カナリーにはしっかりと培われていた。単に諦めが悪いだけとも言えるが、こんな彼女を育て上げたクレーグ・ホスクローヴとは、どんな人物なのだろう。会ったこともない人間に興味を抱くこと自体、シャレイドにとっては珍しいことであった。
 カナリーの素直で、かつ急所を外さない棋風を見れば、彼女の師匠たる父親の人柄もおぼろげに見えてくる。最後にカナリーの思考をほんの少し読み取れば、シャレイドの想像と彼女の記憶にある父親像に、それほどの差が無いことも確かめられた。
 厳格にして実直、その上で海千山千の経験に裏打ちされた柔軟さまで併せ持つ、まさに理想の軍人にして父親。それがシャレイドの知るクレーグ・ホスクローヴという人物だ。なるほど、真っ直ぐで勢い任せでありながら、人としての節度を十分にわきまえたカナリー・ホスクローヴという人格は、この父親の下で育てられてこそ形成され得たのだろう。
「一度、カナリーの親父さんにはお目にかかってみたいもんだ」
 シャレイドが思わず口にした呟きを、カナリーは聞き逃さなかった。
「本当? だったら今度の長期休暇はシャレイドもモートンも、イシタナの私の家に遊びに来ない?」
 カナリーの実家ホスクローヴ家はイシタナでも由緒ある武門の血筋であり、広大な敷地の中に巨大な屋敷を構える、いわゆる名家と聞く。庶民代表のシャレイドやモートンには、間違っても縁の無い世界だ。
「今さらそんなこと気にしないで。ジェスター院にはとんでもない立方棋(クビカ)の指し手がいるって話してあるから、お父様もきっとふたりに会いたがるよ」
 カナリーの屈託のない申し出にシャレイドもモートンも乗り気になり、ホスクローヴ家の訪問の予定はとんとん拍子に決まる。
 だがその長期休暇は、立方棋(クビカ)大会の決勝戦後のことであった。
 結局シャレイドはホスクローヴ家を訪れるなく、ジェスター院から姿を消す。
 立方棋(クビカ)の決勝会場から脱出するため、派手に焚きつけたベープ管の煙の中で狼狽えていたカナリー。その瞬間の彼女は煙に紛れて、シャレイドの最後の記憶にあるカナリーの姿は、未だに表情すら曖昧なままだ。カナリーに似合うのは、もっと真っすぐで明るい笑顔だというのに。
 カナリー・ホスクローヴは、ジェスター院に入学する前のシャレイドであれば嫉みすら覚えそうな生まれ育ちの、言ってみればお嬢様だった。だが実際に彼女と接してみれば、そんな浅ましい感情を抱く暇も無い。それほどに彼女は溌剌として明朗快活、そして誰に対しても偏見を持たないという美点を備えていた。
 それまで己の特異な能力や、外縁星系人(コースター)という出自に悩まされてきたシャレイドは、彼女と共に過ごす内にそんなことでくよくよすることが、いかに時間の無駄であるかを思い知らされる。そのことに気づかせてくれただけでも、カナリーはシャレイドにとって得難い友人であった。
 そのカナリーの死をシャレイドが知ったのは、彼女が乗ったトーレランス78便が爆発四散してから数ヶ月のことだ。
 当時ミッダルトから脱出したばかりで、保安庁の目をかいくぐりながらあちこちに潜伏していたシャレイドは、外縁星系人(コースター)たちの地下組織に身を寄せていた。そこで彼は組織のメンバーから、トーレランス78便の爆破事件について初めて知らされたのである。
 カナリーの名を耳にしたわけではない。だがミッダルト発イシタナ行きの旅客船と聞いて、胸騒ぎがしたのも確かだった。やがて過去の報道記事の山から被害者名のリストを探し出して、その中にカナリー・ホスクローヴの名を発見したとき、シャレイドは自分の周囲がぐにゃりと歪むような、足元が急激に泥沼と化してしまったような覚束ない感覚に陥った。
 今、彼を匿ってくれる組織のメンバーたちからは、事件について胸をすくような想いすら伝わってくる。彼らの中で泣き喚くことも出来ず、人目につかない場所でひとりになっても、ただひたすら呆然とするしかなかった。
 カナリーを失ったという巨大な喪失感は、同時に彼自身のアイデンティティをも揺るがせる。
 連邦保安庁は、彼を心から愛してくれた家族の命を奪った。
 そして外縁星系人(コースター)のテロリストは、彼の生涯の友人とも言うべきカナリーを殺した。
 このまま組織に残って共にテロ活動に身を投じる気は、既に一分も残っていなかった。だからといって今さら外縁星系人(コースター)であることを辞めようもない。第一世代に対する怨念は、まだ彼の胸中から拭い去りようもなかった。
 その後間もなく組織を後にしたシャレイドは、以後ほとんど単独で銀河系中を飛び回るようになる。
 これまでの逃亡生活で、持ち前の精神感応力を駆使すれば保安庁の監視を逃れ続けられることはわかっていた。加えてブライム・ラハーンディの孫であり、ジャランデール暴動の首謀者の子であるというネームバリューを、彼は最大限に活用した。その中で評議会議員となったジェネバと再会し、保安庁ジャランデール支部の一員だったモズと接触し、そのほかにも多くの有力者たちと顔を合わせて、外縁星系人(コースター)の組織化を秘かに進めてきた。
 全て、第一世代と外縁星系人(コースター)の争いに決着をつけるためである。
 先の見えない泥沼を、カナリーは嫌った。シャレイドもまた同感だった。
 保安庁とテロリストは暴力的な応酬を続けるだけで、解決の糸口を見出そうともしない。シャレイドは両者に対してもはやなんの期待も抱かなかった。
 第一世代各国に蔓延る外縁星系人(コースター)のテロ組織が保安庁に次々と摘発されていっても、手を差し伸べようとも思わなかった。ただ彼の目的のために利用して、その価値もなくなれば平然と用済み扱いした。ときには積極的に保安庁に情報を流すことすらあった。テロリストとはシャレイドにとっては忌むべき、最終的には根絶されるべき存在であった。
 一方で外縁星系(コースト)で猛威を振るい続ける保安庁支部もまた、駆逐すべき対象だった。一斉蜂起の最大の目的は、保安庁支部を壊滅させることそのものにあったのである。
 だがその後が誤算だった。一斉蜂起が綺麗に成功しすぎて、逆に連邦軍を引っ張り出す羽目になってしまった。しかもその総指揮官が、よりにもよってクレーグ・ホスクローヴとは。
 スタージア博物院長室の中央、ソルナレスが座る後ろに浮かぶ巨大な漆黒の球体の中では、連邦軍と外縁星系(コースト)軍が相争う様子が克明に映し出されている。
 軍を二分して伏兵探索と挟撃を兼ねるというホスクローヴ提督の戦術は、さすがだった。お陰で外縁星系(コースト)軍の伏兵は、攻撃するタイミングを大幅に遅らせざるを得なくなってしまった。あるいは伏兵が攻撃に移る前に、外縁星系(コースト)軍の主力部隊が打ち破られてしまうかもしれなかったのだ。
 だが連邦軍の別働隊が行軍を急いでくれたお陰で、その懸念もなくなった。主力と別働隊が合流した連邦軍の後背を、散々待ちわびていた外縁星系(コースト)軍の伏兵部隊が、今まさに攻撃を仕掛けているところである。
「それにしても、ひどいインチキだ」
 球形映像の中で刻々と進む戦況を眺めながら、シャレイドはベープの煙を吐き出しつつぽつりと呟いた。
「インチキというなら、謎の力場とやらを強弁した君こそだろう。これこそが《スタージアン》の精神感応力の威力だよ」
 それまで背後を振り返っていたソルナレスが、シャレイドの感想に聞き捨てならないといった調子で振り返る。だがその顔は吐き出された言葉に比べて、それほど気分を害しているようには見えなかった。
「今、《スタージアン》は連邦軍の艦船の全てにアクセスして、外縁星系(コースト)軍の伏兵部隊を全く感知出来ないように操作している。連邦軍にしてみればいるはずのない、見えもしない敵からの、完全な不意打ちだ」
 相変わらず照明を背にしたソルナレスの表情ははっきりとは読み取れないが、その声音からも喜色を浮かべているだろうことは想像に難くない。
「そして彼らがいくら探し出そうとしても、やはり伏兵部隊は見つからない。連邦軍は外縁星系(コースト)軍の挟撃に、為す術もなく壊滅することになる」
 そしてソルナレスは両手を組んで楕円形のテーブルの上に乗せると、少しリラックスしたように背凭れに身体(からだ)を預けた。テーブルを挟んだ向かいで、脚を組んだままベープ管を咥えるシャレイドの顔に、博物院長はまなじりを下げた目を向ける。
「ありがとう、シャレイド・ラハーンディ。万を超える宇宙船以上に、《オリジナル・ヴォイド》を封鎖する

はなかっただろう。君の協力がなければ、ここまで見事に我々の策を実行することは出来なかったよ」
 陰影に埋もれているはずのソルナレスの金色の瞳に浮かぶ表情は、嘘偽りのない感謝であった。それが《スタージアン》の真意であるということを知れば知るほど、シャレイドの胸の奥底から堪え切れようのない吐き気が込み上げる。慣れ親しんだベープの煙さえ喉に絡むような気がして、耐えきれずにベープ管の吸い口から唇を離した。
 恐るべき《オーグ》の干渉を防ぐための、《スタージアン》の策。
 それは《星の彼方》に続くという《オリジナル・ヴォイド》を、膨大なデブリで埋め尽くすことであった。
 それも、今後恒星間航行が半永久的に不可能になるほど徹底的に、である。
 単純極まりない、だがこの上なく効果的な策であることを、《スタージアン》以外に最も理解しているのは、おそらくシャレイドに違いない。
 そしてその策を実行するために百万の兵士たちの血が流れるということも、彼はよくわかっていた。
 球形映像に映し出される戦況は、一変している。正体不明の攻撃を背後から受け続けて、連邦軍は明らかに動揺していた。しかも反撃しようにも、その敵が発見出来ないのだ。一方それまで後退を重ねてきた外縁星系(コースト)軍の主力部隊も、いよいよ反攻を開始した。前後から挟まれて、連邦軍は徐々に数を減らし始めている。
 ホスクローヴ提督――カナリーの父親は、あの中で指揮を執っている。理不尽とも言える戦況の中で、おそらく最善を尽くそうともがいているに違いない。
 天球図を見つめるシャレイドの目に、勝利への高揚はなかった。
 あるのは百万の流血を厭わない《スタージアン》への、恐れとも畏れともつかない打ちひしがれたような感覚。そしてそんな《スタージアン》に与する己への、どうしようもない自己嫌悪であった。

 思いもよらぬ方向から、予期せぬ攻撃を受けて大幅に兵力を損ないながら、連邦軍は未だにその敵の姿を掴めないままでいる。
「有り得ない!」
 索敵担当オペレーターは充血した目を、何度もモニタやホログラム・スクリーンの間を行き来させて、最後は頭を掻き毟った。
「見つかりません! 後背の敵の位置や規模、その他全てが不明です!」
 後背から突然の攻撃を察知して以来、叫び続けるオペレーターの喉は既にしわがれて、声はすっかりかすれている。
「そんなわけがないだろう! これだけ派手な攻撃をかましてくれたんだ、痕跡ぐらいは把握出来るはずだ」
「駄目なんです! どんなに手を尽くしても、欠片も感知出来ない。まるでレーダーが目隠しでもされているみたいです!」
 副官の怒鳴り声に対して、オペレーターの返答はほとんど泣き声に近い。なおも声を荒げようとする副官を、ホスクローヴは手で制した。
「我々だけではない、全軍の索敵が無効化されているようだ。目視で探しでもしない限り、おそらく見つけ出すことは不可能だろう」
 ホスクローヴは憮然とした表情を崩してはいなかったが、白い眉の下に覗く瞳にはさすがに緊張がみなぎっていた。背後からだけではない。正面の敵主力部隊も後退をやめて、連邦軍への攻撃を強めている。別働隊とも合流を果たして戦力で圧倒していたはずの連邦軍は、前後からの挟撃を受けて見る見る数を減らしていった。
「正面の敵に総攻撃を仕掛ける。そのまま敵中を突破して戦場から離脱するよう、全軍に通達だ」
 老提督の意図を理解した副官が、即座に通信オペレーターに指示を下す。
 後背からの攻撃、しかもその敵の位置すら掴めないとあらば、前方の敵に集中して突っ切った方が、余程この窮状を脱する可能性は高かった。無論相応の損害を被ることになるが、このまま前後から挟撃を受け続けるよりははるかに

である。未だ数は連邦軍が勝るのだから、ホスクローヴの選択は正しい。
 だが副官の指示に対して、今度は通信オペレーターが悲鳴を上げた。
「駄目です! 先ほどから通信が妨害され――いや、通信機器が全てダウンしています! 友軍と連絡が取れません!」
 コンソール・パネルに必死の形相で取りつき、やがて両手を叩きつける通信オペレーターを見て、ついにホスクローヴも目を見開かせた。
「索敵だけでなく、通信まで機能停止だと?」
 肝が据わっているはずの副官も、さすがに動揺を隠しきれなかった。こんな不調が立て続けに起こるものだろうか。だとしたら恐ろしいほどの不運に見舞われているということになるが、ホスクローヴはそこまでの偶然を信じるほど脳天気ではなかった。
「どういう仕組みかは不明だが、我々は罠に嵌められたようだな」
 無表情のまま提督が漏らした一言に、副官が信じられないという面持ちを向ける。
電子妨害機器(ジャマー)でしょうか? しかしここまで敵から電子戦を仕掛けられた痕跡は無し、それにこんなピンポイントの電子妨害(ジャミング)なんて、聞いたこともありませんよ」
「私もだよ。しかしなんらかの力が働いているのは間違いないだろう」
 そう答える老提督の横顔に、艦橋正面のモニタ越しから激しい光が照りつけた。もはや何度目となるかわからない。僚艦の爆発光が艦橋内に射し込む頻度も明るさも、確実に増している。
「全速前進だ。旗艦を前線に出す」
 再び提督が口にした指示に、副官は表情を強張らせた。提督と長年の付き合いであるはずの彼が、喉をごくりと鳴らせてから指示の内容を確かめる。
「提督、本気ですか?」
「やむを得まい。旗艦が敵に向かって突撃すれば、味方も意図を理解するだろう。ここは正面の敵中突破しか道はない」
 ホスクローヴは淡々とした口調で、命令の意図を告げる。
「通信が絶たれた今、味方は降伏すら出来ないのだ。ならば無理矢理でも脱出に賭けるしかあるまい」
「……畏まりました」
 しばしの沈黙の後、副官は神妙な面持ちで頷いた。やがて彼が命令を伝達する様を、ホスクローヴも唇を引き結んだまま見届ける。
 だが彼らの悲愴な覚悟も、状況を好転させるには至らなかった。
 ホスクローヴの指示から間もなく、あろうことかメイン推進エンジンが制御不能になってしまったのである。それも旗艦だけではない。全ての艦船で同時に発生するという異常事態だった。既に万を割っていた連邦軍は、慣性に任せるまま漂い続けることしか出来なくなってしまったのである。
 前後から攻撃を浴びながら、行動の自由を奪われるという絶望的な状況下で、連邦軍はなおも果敢に反撃を続けた。だが動きすらままならない連邦軍の艦船たちは、もはや外縁星系(コースト)軍にとって格好の的でしかない。戦闘はやがて、外縁星系(コースト)軍による虐殺と呼んで良い、一方的なものとなる。
 銀河系最強と謳われた連邦軍の宇宙船が、兵士たちを乗せたまま次々と爆発四散していった。あるいは慣性に流されるまま僚艦同士で衝突し、戦闘不能に陥る艦さえあった。宇宙空間にいくつもの巨大な光球が産み出され、やがて消滅した後に残るのは数え切れない程の大小のデブリであり、数多の兵士たちの骸だった。その数は数千数億を超えて、《星の彼方》に続くという極小質量宙域(ヴォイド)を、人類の歴史が続く限り彷徨い続けることだろう。
 最終的に連邦軍は総艦艇数の三分の一を失い、残る半数も航行不能という、未曾有の大敗北を喫することになる。連邦軍がこれほどまでの損害を被った一因に、敵の降伏勧告に応じる艦船が一隻もなかったことが挙げられる。外縁星系(コースト)軍の火力が尽きることで戦闘が終了を迎えなければ、さらに被害が増加していたに違いなかった。
 スタージア星系における銀河系人類史上最大規模の戦いは、こうして外縁星系(コースト)諸国連合軍の一方的な勝利で幕を閉じたのである。
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