4-2-7 一斉蜂起

文字数 7,228文字

 時折り吹きすさぶ熱風に白いローブの裾をはためかせて、フードの下から覗くフランゼリカの黒目がちの瞳が細められる。その視線の先には見渡す限り人の群れがひしめき合い、ジャランデールのシャトル発着場に向かう様はまるで押し寄せる波のようであった。
 彼女がこの星を訪れたときには人影もまばらだった大通りが、ジェネバ・ンゼマをひと目見ようと押し寄せる人々で溢れかえっている。長大な人の波の列はフランゼリカが詰める、保安庁ジャランデール支部の前まで達していた。
「これで、全部で何人ぐらい?」
 ジャランデール支部のビル屋上から群衆を眺め下ろしていたフランゼリカは、傍らのモズに顔を向けてそう尋ねた。
「そうですね。ざっと七、八万人といったところでしょうか。十万人までは届かないと思いますが」
 彼女と同じように被りこんだフードの下で、モズが手にしたスコープを覗き込みながら答える。
「都市部の住人は、ほぼ出そろっていると言っても過言ではないでしょう」
「警備に立つ保安部隊は三千人だっけ。いくら彼らが武器を持たないとはいえ、相当の開きがあるわね」
「今回はデモというわけではなし、行政府からも群衆を極力刺激しないよう、要請が出ています。保安部隊の配備も、シャトル発着場から市民議会前広場までの大通りに限定しているのは、管理官にもご確認頂いた通りです」
 そう言ってモズはスコープをフランゼリカに手渡した。
「なに、今回出動しているのは現場の者ばかりです。今日は上層部も全員支部に待機していますから、何かあったとしても即応できますよ。もちろん怪しげな人物がいましたら、別途潜伏中の捜査官や警備ドローンが向かうよう手配してます」
 フランゼリカはモズの言葉に頷きつつ、受け取ったスコープを目に当てた。ズームの倍率を上げれば、群衆ひとりひとりの顔立ちまで見て取れる。要注意人物を視界に収めればアラート含みのメッセージボックスがレンズ上に表示されるが、今のところその気配はない――そう思っていた矢先、スコープに映し出されていたひとりの人影が、突然赤く縁取られた。
 要注意の文字が瞬きながら指し示す人影に焦点を当てて、フランゼリカはスコープの倍率を上げた。
 黒いコートを羽織った、おそらく男性と思われるその人物は、フードを被っている上にこちらに背を向けているので、顔立ちまではわからない。フランゼリカたちが立つ保安庁ジャランデール支部のビルから、およそ三キロ余り離れた建物同士の間で、耳元に手を当ててたたずんでいる。
 だが日差しの厳しいジャランデールの日中にあって、黒いコートはそれだけで人目を引くには十分だった。彼が半身を隠す建物の前を怒濤のように流れていく人々は、そのいずれもが陽光を跳ね返しやすい白やベージュ、グレーの衣類をまとっている。スコープが映し出す先で異彩を放つその黒いコートに、フランゼリカは見覚えがあった。
「モートンが着ていたコートに、似ている」
 上司の呟きを耳にして、モズが大きな目を向ける。
「なにか仰いましたか、管理官?」
「私が見ている先、スコープから情報を受け取って」
 フランゼリカの指示に従い、モズは胸ポケットに刺さっていた端末棒を取り出し、ホログラム・スクリーンを開いた。
「位置情報は把握したわね。展開中の捜査官を何名か差し向けてちょうだい」
「畏まりました。この男は、もしかして……」
 スクリーンに映し出された男はふたりに背中を向けたまま、おもむろにフードを脱いでみせた。下から現れたのは、遠目にもわかるくせの強い無造作な黒髪だ。やや長めの髪は、うなじの辺りで小さく結わかれている。スコープはその特徴を捉えて、オンラインで要注意人物のデータベースと具体的な照合を始める。
 その人物がゆっくりと、まるでフランゼリカと目を合わせるかのようにして赤銅色の肌に優男風の顔立ちを振り向けたのと、スコープのメッセージボックスが『シャレイド・ラハーンディ』の名前を弾き出したのは、ほぼ同じタイミングだった。
「シャレイド……!」
 スコープを目に当てたまま、フランゼリカの唇の口角が限界まで吊り上がった。隣ではモズが、通信端末(イヤーカフ)を通じて男の身柄を拘束するよう、指示を出している。フランゼリカは会話中のモズに向かってスコープを押しつけるように返すと、ぎらついた肉食獣の目で彼の肉付きの良い横顔を見返した。
「私も出る。支部の捜査官を二、三名借りるから、後はよろしく頼むわ」
「ええ? ちょっとお待ちください、管理官」
「シャレイド・ラハーンディがついに現れたのよ。こんなところでじっとしてられるわけないでしょう!」
 そう言い残すとフランゼリカは白いローブの裾を翻して、モズを屋上に置き去りにしたまま走り出していた。
「ジェネバ! ジェネバ!」
「おかえりなさい、ンゼマ議員!」
 往来にこだまする熱狂的な喚声の中を、フランゼリカは部下たちを引き連れながらシャレイドを追った。普段ならローブに縫い付けられた紋章を見れば道を譲る人々たちも、今日ばかりは彼女たちの姿も目に入らない。いちいち保安庁職員であることを名乗りながら人混みを押し退けて、ようやく最初にシャレイドを見かけた場所にたどり着いた頃には、当然ながら既に彼の姿はなかった。
「奴の動きは追えてる?」
 通信端末(イヤーカフ)に尋ねかけるフランゼリカに、部下のひとりから返信が入る。
「シャレイド・ラハーンディと覚しき人物は、いわゆる裏街区に向かっているようです」
「わかった。私たちもそちらへ向かう。全員、位置情報の発信は欠かさないように」
 モズが手配した捜査官も含めて、フランゼリカの手勢は全部で十名。一般人が多すぎて武装ドローンは使用出来ないが、上空からの監視用として警備用ドローンが複数台取り囲んでいる。ひとりを追い詰めるには十分すぎる陣容だ。端末棒のホログラム・スクリーンに表示される地図上では、捜査官たちとシャレイドと思われる人物のそれぞれの位置情報が、刻一刻と移動している。先ほどの報告の通り、シャレイドを示す光点は裏街区の一画へと移動を続け、彼を取り囲むようにして捜査官たちが徐々に距離を詰めていた。
「包囲が済んだら、私たちが着くまでその場で待機して。奴が逃げ出さないようにしっかり見張るのよ」
 あの男を捉えるなら是非この手でという気持ちが、フランゼリカの意識にあったのは否めない。指示を出しつつ建物の間の狭い道を駆け出しながら、気が逸っているのは十分自覚していた。
 遠ざかる背後では、いよいよジェネバ・ンゼマを呼ぶ人々の声量が、地響きを立てかねない勢いでピークに達しつつあった。おそらく今頃は彼女を乗せたオートライドが、大通りをゆっくりと進んでいる頃合いだ。
 ジェネバが乗るオートライドは大通りを真っ直ぐに進み、保安庁ジャランデール支部の前を通り過ぎて、そのまま市民議会前広場に到着する予定である。その後ジェネバは市民議会で評議会に関する報告を行うのだが、そこで彼女の報告に文句をつけられるような議員は存在しないだろう。今日の熱狂を見てもわかる通り、今やジェネバ・ンゼマはジャランデール第一の人気を博している。このままいけばいずれ彼女がジャランデールの最高指導者となることは疑いようもない。
 その前にジェネバ・ンゼマへは何らかの対処をしなくてはならない。フランゼリカは常々そう考えているが、少なくとも今はそれどころではなかった。
 既に彼女は部下たちと共に、裏街区と称されるエリアへと踏み込んでいる。
 表に比べて整備の行き届いていないこの一画は、不揃いの建物に入り組んだ小径、思いついたように現れる階段、そして見るからに犯罪者紛いの住民たちがたむろし、街並み全体が部外者であるフランゼリカたちをこぞって拒絶している。一歩踏み出すごとに息苦しさが増し、意識的に無視しないことには先に進めない。
「シャレイド・ラハーンディの祖父は地元の名士と聞きましたが、奴はこんな貧民街にも縁があったのでしょうか」
 部下のひとりが口にした質問に、フランゼリカは振り返ることなく答えた。
「シャレイド自身は若い頃、相当やんちゃして回っていたらしい。この手の街に出入りしていたとしても、不思議ではないわ」
 それは彼に関する調査報告書に明記されている事実であり、フランゼリカ自身がかつてほんのひとときだけ彼と肌を重ねていたときに、聞いたことのある話だった。
 あのときは、少しばかり過去を大袈裟に吹いて回る、若者特有の与太話と聞き流していた。だがホログラム・スクリーン上でシャレイドを示す光点が裏街区の深部へと迷いなく突き進んでいくのを見ると、おそらく彼は本当のことを語っていたのだということを、今さらのように理解する。
 私はシャレイド・ラハーンディのことを何も知らない。ただ彼の皮肉めいた微笑に誘われて、お互いの身体(からだ)を貪り合い、その中身を理解する前に裏切ってしまった。今はもう、彼を憎み続けないことには今までの彼女自身が否定されてしまうような、強迫観念に似た想いがフランゼリカの胸中を満たしている。
 だが、そんな想いも今日で終わりだ。
 彼は今や、私たちの目と鼻の先にいる。
 複雑に折れ曲がりながら移動していた光点は、やがてひとところで停止した。その動きに合わせるようにして、先行する捜査官たちが光点から一定の距離を保ちつつ足を止める。フランゼリカはその場に合流する瞬間を待ち焦がれて、入り組んだ小径を足早に駆け抜けていき、不意にぽっかりと開いた広場へとたどり着いた。
 今にも崩れ落ちそうな外観の建物が林立する中、そこだけがちょっとした舞台のように開けていた。部下たちと共に広場の中央にそろそろと歩み出る。端末棒を振りかざして開いたホログラム・スクリーンを確かめると、目の前の寂れた建物の中にシャレイドがいるはずだった。
 フランゼリカは通信端末(イヤーカフ)に指を伸ばして、身を隠しながらシャレイドを包囲しているはずの部下たちを呼び出す。だが通信端末(イヤーカフ)からは低く唸る音しか返ってこないと気がついて、途端にその表情に険しさがよぎった。この広場一帯だけ通信妨害(ジャミング)されている――
「お仲間たちは、一足先に大人しくしてもらってるよ」
 目の前の建物の二階、縁にガラスの欠片しか残っていない、それ自体が外れ落ちそうな窓枠の奥から、嘲笑混じりの声がそう告げた。
 フランゼリカたちは一斉にホルスターから神経銃を抜き出して、窓に銃口を向ける。だが彼らのその反応に一向に構うことなく、声の主は窓枠から上半身を覗かせた。
「久しぶりだな、フランゼリカ。その髪型、似合ってるぜ」
 十年ぶりに対面したシャレイドは、先ほどスコープ越しに見た通り、昔に比べれば伸びた黒髪を無造作に結わいていた。だが目に見える変化といえばそれぐらいで、赤銅色の肌も痩せぎすの体型も、何より相手を冷やかすような黒い瞳まで、何もかもフランゼリカの記憶にある彼のままであった。
 この目でシャレイド・ラハーンディと確信した瞬間、フランゼリカは手にしていた神経銃の引き金を引いた。対象を麻痺失神させる微少な針は、だがシャレイドの目の前で小さな音を立てて跳ね返される。強化ガラスでも張りつけてあるのだろう。ちっと舌打ちするフランゼリカに、シャレイドはおどけた表情を見せた。
「慌てるなよ。俺がこうして顔を出しているってことは、つまりお前たちに捕まらない自信があるってことなんだぜ。今は自分たちの身の上を心配する方が先じゃないか」
 その直後、フランゼリカの背後から立て続けに呻き声と、倒れ込むような音が聞こえた。振り返ると、彼女に付き従ってきた三人の部下が揃って地に伏せっていた。彼らの身体(からだ)の下から、赤い液体が急速に広がっていく。フランゼリカが血走った目で周囲を見渡すと、いくつもの建物の窓から、おそらくブラスターライフルと思われる銃身が突き出されていた。
「俺を探し出そうとする執念を買われて管理官に抜擢されたんだろうけど、お前は向いてないな。ここは保安部隊の目も届きにくい、俺のホームグラウンドだってのに、ろくに調べもしない内から釣り出されているようじゃ」
 わざとらしく肩を竦めて首を振るシャレイドを、フランゼリカは燃えたぎるような感情のこもった瞳で見返した。
「向き不向きなんてどうでもいいのよ。あんたをこの手で仕留めることが出来れば!」
「そんなこと言ったってお前、俺を見つけたってことをモートンに知らせるよう指示するのも忘れていただろう? 仕方がないから俺がモズに言っておいたよ。ちゃんとテネヴェの安全保障局本部に報告しておいてくれって」
「モズ? どうしてあんたが、モズと……」
「ちゃんと部下のことも把握していないと、痛い目見るぜ」
 そう言ってシャレイドが口角を吊り上げた瞬間だった。
 フランゼリカの後方で、凄まじい爆発音が鳴り響いた。轟音が耳をつんざき、振動が全身を震わせる。驚愕の表情のまま振り返ったフランゼリカが目を見開いた先には、窮屈に立ち並ぶ裏街区の建物たちのはるか上空に向かって、もうもうと立ち上る巨大な黒煙が見えた。
 何かが爆発したのだ。それほど遠くはない。あの方向にあるのは――
「これで保安庁ジャランデール支部は、めでたく壊滅だ。お前がこうして釣り出されてくれたおかげで、モズも仕事がしやすかっただろう」
「まさか、モズが裏切って――」
「あいつはこの裏街区で俺と一緒につるんでいた口だぜ。生まれも育ちも生粋のジャランデール人だ。上に立つなら、そういうところも抑えておかなきゃいけないんだよ」
 両手を腰についてフランゼリカを見下ろすシャレイドの姿は、さながら出来の悪い院生を前にした導師のようであった。頬を引き攣らせるフランゼリカに注がれる眼差しは、嘲笑を通り過ぎて憐れみすら感じさせる。
「さっきの爆発で、保安庁ジャランデール支部の上層部は仲良く吹き飛んだはずだ。ちょうどその前を通りかかっていたジェネバ・ンゼマ評議会議員は、残存部隊を取りまとめたモズと合流し、群衆の混乱を収めるために一時的に保安部隊の指揮を執る。なに、保安部隊と言っても下っ端は皆ジャランデール人だ。ジェネバの指揮なら言うことも聞くさ」
「……ジェネバ・ンゼマも、この騒動に荷担しているというのね」
「いや、ジェネバについては無理矢理巻き込んだだけだ。でもあいつなら、それぐらいのアドリブはやってのける。そんでもって、そのままジャランデール行政府が保安部隊をなし崩しに指揮下に組み込むんだ。少々強引だとは思うが、悪くないシナリオだろう?」
 シャレイドはそう言って、自分の台詞にしたり顔で頷いてみせる。その顔を焼き尽くしたい思いに駆られて、フランゼリカはローブの中に隠し持っていたもう一丁の銃を取り出した。ブラスターライフル並みの殺傷力と貫通力を持つ、保安部隊員のみが携行する特製ブラストガンの狙いを定めようとした彼女は、だが引き金を絞ることは叶わなかった。
 複数のブラスターライフルから放たれた熱線が、彼女のしなやかな肢体を四方から一斉に貫いた。空白になった意識は次の瞬間、全身を駆け巡る激痛と熱に支配される。そのまま地面に崩れ落ちたフランゼリカは、俯せの姿勢で身動きも出来ないまま、なおもシャレイドの姿を目で探していた。
「……このシナリオでは、ジャランデール支部の上層部には全員死んでもらうことが条件なんだ。つまりフランゼリカ、どのみちお前の命はここまでってことだ」
「……ちく、しょう。私が、お前を殺す、はずだっ……」
 倒れ込んだフランゼリカの瞳は、シャレイドの姿は見つけ出すことは出来ない。ただ、彼の声だけがどこか遠くから聞こえてくる。彼女の艶やかな唇の端からは、今際の台詞を吐き出すのと同時に逆流した血液が溢れ出し、顔中を鮮血で赤く染めていた。それどころか全身から流れ出る血だまりの中に倒れ伏したまま、間もなく彼女の命は尽きようとしていた。
「こんな再会になってしまったのは、残念だよ」
 薄れゆく意識の中、フランゼリカが最期に耳にしたのは、少なからず悔恨が入り混じったシャレイドの言葉だった。



 ジャランデール行政府は、連邦保安庁ジャランデール支部が原因不明の爆発()()によって指揮系統を失ったため、テロ対策が急務の現況を考慮し、緊急対応として一時的に管理下に置くと公式に発表する。しかし銀河連邦全域を震撼させたのは、それだけが原因ではなかった。
 なぜならジャランデールの発表と前後して、クーファンブート、ネヤクヌヴ、トゥーランなどのいわゆる外縁星系(コースト)諸国全てが、ジャランデールと連動するような行動を起こしたのである。すなわち独力でのテロ対策を充実化させるためという名目の下、各国の保安部隊支部の武力接収に動き始めたのだ。
 クーファンブート、ネヤクヌヴでは政府の呼び掛けに対して、地元出身者を中心とする保安部隊員たちの大半が自発的に応じ、ジャランデール同様なし崩しに保安部隊支部は解散状態となった。一方トゥーランのように保安部隊支部と現地軍による武力衝突に至り、流血の事態となってしまった星もある。ただいずれの星でも、最終的には軍が保安部隊支部の接収を果たすという結果を迎えている。
 いずれにせよこれは今までの反連邦組織による、連邦保安庁へのテロ活動ではない、外縁星系(コースト)諸国の政府による自発的な行動である。銀河連邦が内戦状態に突入したのは、もはや誰の目にも明らかであった。
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