4-2-2 同窓会

文字数 6,519文字

 惑星テネヴェの首都セランネ区の東端には、海に面して南北に突き出した岬に囲まれたセランネ湾が広がっている。かつてはテネヴェの水産業の中心として栄えたこの一帯には、二百年の時を経て銀河連邦の主要施設が建ち並び、今や銀河系の中心地と呼んでも過言ではない。
 銀河連邦の創設当初は常任委員会本部ビルと連邦評議会ドームしかなかったセランネ湾岸地域――今はエクセランネ区と名づけられたこの一帯は、年を経るごとにメガフロートが湾を埋め尽くしていき、その上には様々な建造物が競うように築かれていった。航宙・通商・安全保障・財務の連邦主要四局はそれぞれ独立した本部を構え、ほかにも関連組織や連邦関係者を相手にした民間業者などの施設が、所狭しとひしめき合っている。
 連邦安全保障局ビルと、その下部組織である保安庁本部及び連邦軍総司令部は、それぞれが三角形の頂点を成すような形で立ち並ぶ。保安庁本部のような近代的な赴きとも、連邦軍総司令部のような重厚さとも異なる、ほとんど窓のない直方体のような無機質な建物は、銀河連邦の域内の安全保障を一手に引き受ける組織の象徴として、独特の威圧感を漂わせている。
 建物の大きさに比して小さく口を開けた、安全保障局ビル地上一階の正面玄関からモートンが姿を現したのは、間もなく日付が変わろうという真夜中のことであった。
 モートンは早足で歩きながら耳朶に触れて、通信端末(イヤーカフ)の回線を繋ぐ。
「ああ、今から行く。三十分ぐらいで着くと思うから、悪いが先に始めていてくれ」
 通信を終えると同時に、目の前にタイミング良く現れた無人のオートライドに乗り込む。行き先を告げられたオートライドは、走り出して間もなくパイプ・ウェイに乗り入れて、スピードを上げた。
 押し並べて権威的・威圧的な建物の多いエクセランネ区の街並みが、オートライドの窓ガラス越しに高速で後ろに流れ去っていく。取って代わるように現れたのは、伝統的な趣きと雑多な活力が混在するセランネ区の街並みだった。パイプ・ウェイから下道に降りたオートライドは、セランネ区の繁華街を突っ切ると、やや郊外の住宅街と覚しき一帯に向かう。長年の歴史を経て新旧様々な建物が建ち並ぶ中、オートライドは古めかしい外観の高層マンションの車止めで停車した。
 建設当時は近隣で並ぶもののない高さを誇ったというが、今や周囲にはさらなる高さを誇る建物が林立している。だがそのマンションの最上階、八十八階のペントハウス形式のフロアから望むことの出来るセランネ区の夜景は、建設当初と変わることのない絶景を保っていた。
 モートンの乗り込んだエレベーターが最上階に到着して、開いたドアの向こうで彼を出迎えたのは、真っ黒な布地が足首まで届くほど丈の長いワンピースの上に、これも丈の長いベージュのカーディガンを重ねて、顎先ほどの長さに切り揃えられた短い黒髪を揺らすフランゼリカの姿だった。
「お帰りなさい、モートン」
 柔らかい照明に照らし出されて、フランゼリカはワンピースの裾の下で長い脚を組みながら、しなやかな肢体をソファに沈めている。赤い液体が注がれたグラスを掲げて、厚ぼったい唇の口角を上げながら、彼女の黒目がちの瞳はモートンが羽織るコートに向けられた。
「安全保障局のエリート局員が、随分とくたびれたコートを着ているのね」
 モートンは真っ黒い防水コートを着用していた。屋外作業時の使用を想定されているであろうそのコートは、その性質上耐性には優れているようだが、ところどころ色落ちしたり傷や汚れが目立つ。
「院生時代からの使い古しだからな。これでもまだ十分使えるし、ぼろぼろになるまで着倒すつもりでいるよ。それよりも遅くなって済まなかった」
「気にしないで。こっちは勝手に頂いていたから。もっとも……」
 そう言ってフランゼリカは、リビングの反対側に目を向ける。
「あちらは首を長くして待っていたみたいよ」
 フランゼリカの視線の先には、昨今には珍しい壁一面のガラス窓が嵌め込まれている。その向こうにはセランネ区の夜を彩る鮮やかな街明かりが、地平線の先まで埋め尽くすように広がっていた。遠くに聳えて見えるのはエクセランネ区の象徴ともいえる、連邦常任委員会本部ビルの灯りだろう。このマンションの建設当時からさらに美しさを増したであろう夜景に、だが背を向けたままガラス窓に凭れ立つ人物がいた。
「久しぶりだな、モートン」
 その人物は灰色の瞳に懐かしさと厳しさとが入り混じった表情をたたえながら、金髪の口髭の下の口を開いた。彼の顔を見て、モートンの無表情が緩やかに破顔する。
「九年ぶりになるか。会えて嬉しいよ、ジノ」
 モートンが差し出した右手を、ジノもまた無言で握り返す。固い握手の後にモートンが口にしたのは、ジノの容貌についてだった。
「それにしても随分と見違えたもんだ。街中で擦れ違っても、すぐには気がつかないぞ」
 モートンが言う通り、久々に会うジノはすっかりと様変わりしていた。均整の取れた体型は変わらないものの、かつての柔らかい金髪は短く刈り込まれて広い額が顔を出し、代わりに丁寧に整えられた顎髭が尖った顎の輪郭を縁取っている。ジェスター院の頃の面影といえば、目力の強い灰色の瞳と、金髪の口髭ぐらいしか残っていない。
「お前は院にいた頃と変わってないな、羨ましいよ」
 ようやく口元に笑みを浮かべながら、ジノが己の額に手を当てる。
「俺の方は気苦労ばかり多いせいか、年々額が広がっていくものだから、この際と思ってイメージチェンジしてみたんだ」
「その方が男らしさが増して、いい感じよ、ジノ」
 ソファの上からそう言って冷やかすフランゼリカに、ジノが横目でちらりと一瞥を投げかける。
「君も、自慢の髪を随分とばっさり切り落としたものだな」
「院を辞めてすぐ、この髪型にしたの。似合うでしょう?」
 フランゼリカは両手で自らの髪を撫でつけながら、屈託のなさそうな笑顔を向けた。彼女の笑顔に向かってジノは一瞬何か言いかけて、結局そのまま口をつぐむ。ふたりの間に流れる微妙な空気を感じ取りながら、モートンはジノの肩に大きな手を置いた。
「言いたいことはあるだろうが、まずは九年ぶりに乾杯しようじゃないか」
 モートンに促されて、ジノも頷きながらフランゼリカの目の前、テーブルを挟んだ向かいのソファに腰を下ろす。モートンはソファの脇に据え置かれたサイドテーブル兼現像機(プリンター)からエールの入ったグラスを取り出すと、テーブルの横の一人掛けの肘掛け椅子に着席した。
「久方ぶりの再会を祝して」
 ジノがそう言って手にしたグラスの中には、既にほとんど跡形を残さない氷の欠片と、琥珀色の液体が三分の一ほど満たされている。彼のグラスにグラスを軽く当てながら、モートンは一言祝辞を言い足した。
「そしてジノ・カプリ連邦評議会議員の誕生に乾杯だ。大したもんだな、ジノ。まさか本当に、しかもその歳で評議会議員になってみせるとは、正直言って驚いたよ」
「私も同期として鼻が高いわ。おめでとう、ジノ」
 フランゼリカが差し出したグラスに、ジノは表情が定まらぬままに「ありがとう」と答えて自分のグラスの縁を当てる。三人それぞれグラスの中の液体を喉に流し込むと、思い思いにアルコール臭の混じった息を吐き出した。
「聞きたいことは色々とあるが、まず率直な感想を言っていいか、モートン」
 少なくともグラス半分はアルコールを摂取済みのジノは、既に目の縁がうっすらと赤みがかっている。その中で灰色の瞳が、いささか詰るような色合いでモートンの顔に向けられた。
「俺はてっきり、お前とふたりで飲み交わすものと思っていたんだ。それがどうしてここに彼女がいる?」
「あら、つれないわね。昔の女に向かって、その態度はないんじゃない」
 ジノに指差されて、フランゼリカはやや口の開いたカーディガンの裾をはためかせながら、拗ねたような物言いをする。だがその顔は明らかに彼の当惑を面白がっていたので、ジノは白々しい目つきで一瞥してから、再びモートンへと視線を戻した。
「お前に指定されてこの部屋に足を踏み入れたら、まさかフランゼリカに出迎えられて、俺は《オーグ》にでも化かされてるのかと思ったぞ」
 伝説上の化け物の名前まで引き合いに出して、ジノがどれほど驚いたのか想像がつくというものだった。
「そいつは悪かった。驚かすつもりは……なかったとは言わないが」
 モートンは謝罪混じり、苦笑混じりの笑みを浮かべて、フランゼリカの顔を見やる。
「フランゼリカは俺が保安庁に入庁したときの指導員だったんだ」
「指導員? てことは、フランゼリカは保安庁職員ってことか?」
「捜査官よ。この前までゴタン支部に詰めてたんだけど、任期を終えて今日テネヴェに着いたばかりなの」
 目をしばたかせるジノの顔を、フランゼリカが愉快そうに見返す。
「ジノが驚くのも無理はない。俺も、最初に会ったときはびっくりした」
「でも、あっという間に追い抜かれちゃったけどね。今は保安庁から安全保障局に抜擢されて、しかも私の上司みたいなものだし」
「上司?」
 訝しげに眉をひそめるジノに、フランゼリカは笑みを崩さないままに答えた。
「去年、安全保障局に新設された特別対策本部が、テロ対策のために軍と保安庁を統括して指揮するようになったのは知っているでしょう? あれを提案したのも、実際に仕切っているのも、彼よ」
 そう言ってフランゼリカから送られる流し目を、モートンは無言のままエールを呷ることで受け流す。ふたりが表情だけでやり取りを交わす様を目の当たりにして、ジノは不機嫌そうな顔を浮かべた。
「つまり今、連邦のテロ対策の指揮を執っているのはモートン、お前ってことか」
「大袈裟だよ。対策本部に名を連ねてはいるが、ただの使い走りさ」
「もしかして、ゴタンのドーウィエ議員逮捕を指示したのも、お前か?」
 ジノは半ば身を乗り出しながら、モートンの顔を正面から見据えて問い質した。モートンが彼の灰色の瞳を覗き込むと、そこには半端な言い訳は許さないという決意が見て取れる。
 だが彼が口を開く前にジノの問いに答えたのは、グラスの中のワインを空にしたばかりのフランゼリカだった。
「ドーウィエ議員を逮捕したのは、私」
 二杯目のワインを現像機(プリンター)から取り出しながら、フランゼリカは横目でジノを見る。
「有力筋――多分、議員のライバル陣営からの密告があったから、動かざるを得なかったの。でも議員があなたの後援者だと知って、私に動くよう手を回したのはモートンよ。あなたは彼に感謝してもいいぐらいだわ。私以外が向かってたら、きっと議員はもっと酷い目に遭っている」
「なに、そうなのか、モートン?」
 それまでの険しい顔に戸惑いをよぎらせながら、ジノが訊き返す。モートンはあくまで穏やかな表情で、ゆっくりと口を開いた。
「特にめぼしい証拠も得られなかったという話だから、今頃はもう釈放されているはずだ。俺は今日、彼女からそう報告を受けている。お前のところにももう少ししたら、議員から連絡船通信が届くんじゃないかな」
 毒気を抜かれた体のジノは、それまで張り詰められていた肩の力を抜いて大きく息を吐き出した。やがて閉じた両目を右手で揉み始めたのは、頭の中で状況を整理するために違いなかった。
「ややこしいことをしてくれるな」
「遠回しな対応になってしまったのは謝るよ。その件の説明も兼ねて、彼女にも来てもらったんだ」
「いくらゴタンとテネヴェが近いからって、到着したばかりのところを呼び出されたのよ。今日はホテルでゆっくりするつもりだったのに、人遣いが荒いこと」
「そうか。しかしそういうことなら、誤解して済まなかった」
 両目から右手を離して再び現れたジノの顔は、既に落ち着き払った真顔に取って代わっていた。
「だが、お前が相手だからあえて言う。議員の逮捕が誤認だったというなら、その遠因はお前たちにある」
「というと?」
「お前が所属しているという、その特別対策本部が設置されてから、保安庁の締めつけは度を超している。いくら外縁星系人(コースター)のテロ活動を取り締まるためとはいえ、一般の人々まで移動や集会が規制されて、密告が横行する有様だ。尋常じゃない」
 そこまで一気に捲し立ててから、ジノは一息をつくようにグラスを呷った。残り少ない琥珀色の液体を飲み干すジノを、モートンは両膝の上に肘をついて手を組みながら無言で眺めている。
「何を生温いこと言っているの?」
 ジノの言葉に刺々しく反応したのは、彼の向かいに座るフランゼリカだった。先ほどまでの愉快そうな笑みの代わりに、黒目がちの瞳には冷ややかな表情が浮かんでいる。
「私は現状に大満足よ。おかげで第一世代各国に潜んでいたテロ組織はほとんど摘発された。これを成果と言わずしてなんというのかしら」
「その摘発した人々のうち、本当にテロと関わりのあった人間がどれほどいるというんだ? 外縁星系人(コースター)の地位回復を求める合法的な政治団体や、ただ保安庁に毒づいただけの一般市民まで、相当含まれているじゃないか」
「大事の前の小事よ。そいつらだって今は大人しくしていても、いつ暴力に訴えるかわからない連中ばかり。だいたいそんなことを言っていたら、あの連中を叩きのめすことなんて出来ないわ」
 フランゼリカは憎々しげな感情を隠そうともせずに言い放つ。ジノは渋面を浮かべながらも彼女に対してそれ以上反論しようとせず、今度は肘掛け椅子の方へと目を向けた。
「モートン、お前もそう考えているのか」
 それまで長身を屈めながら、組んだ両手に四角い顎を乗せていたモートンは、そのままの姿勢でおもむろに口を開いた。
「そこまで極端なことを言うつもりはないよ。ただ、今は頻発するテロ活動を封じること、これが最優先だと思っている」
「こんなことをしていても、シャレイドは見つからないぞ」
 ジノの金髪の口髭の下からその名が口に出された瞬間、暖色の明かりに満たされた室内に、唐突な緊張感が走った。ソファの上で身体(からだ)を半ば傾けていたフランゼリカが血相を変えて上体を跳ね起こし、射るような視線を放つ。モートンは微動だにしないまま、切れ長の目をジノの顔に注ぎ続けている。
外縁星系人(コースター)のテロ組織をひとつひとつ潰して回りながら、お前たちが躍起になって探し出そうとしているのは、シャレイドだろう」
 ふたりの顔を見比べながら、ジノもまたサイドテーブルの現像機(プリンター)から新しいグラスを取り出す。再び琥珀色の液体に口をつけるジノに、フランゼリカは食ってかからんばかりの勢いで顔を突き出した。
「当たり前でしょう。今の彼は連邦でも一、二を争うお尋ね者よ。外縁星系人(コースター)のテロを裏で操る、神出鬼没のジャランデール人。知らないとは言わせないわ」
「それはあいつを捕まえることの出来ない保安庁が、八つ当たりで吹聴した幻想だろう。実際にあいつがテロに関わったとされる証拠がひとつでもあるのか」
 グラスから口を離して、ジノはフランゼリカの憎悪に満ちた視線を真っ向から受け止める。
「現にテロ組織の近辺で彼の姿を見たという証言は、山ほど集まっているの」
「あいつが連邦中の外縁星系人(コースター)に接触して回っているのは事実だろうが、さっきも言った通りその大半はテロとは無縁だ。それなのにあいつをテロの指導者と見做すのは短絡過ぎる」
「彼の父も兄も、ジャランデール暴動の指導者として逮捕されている。疑うなという方が難しいわ」
「そのふたりとも罪状は確定していないはずだ。決定的な証拠には程遠い」
「ジノ」
 熱くなるふたりの間に割って入ったのは、モートンの低い、だが良く通る声だった。
「シャレイドに会ったのか」
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