4-3-1 ジェネバ・ンゼマの首

文字数 6,062文字

「今回はいくらなんでも出来過ぎだ」
 そう言ってシャレイドはベープ管を口から離すと、唇をすぼめながら勢いよく白煙を吐き出した。高い天井に向かって吹き付けられた水蒸気の煙の塊は、なかなか消え去ろうとしない。
「実のところ、俺が一番びっくりしている」
「お前がびっくりしてどうするんだよ。この策なら成功間違いなし、俺の勘がそう告げているって、そう言ったのはお前じゃないか」
 天井に這うようにして漂い続ける煙を見上げながら、モズが不思議そうに尋ねる。するとシャレイドは右手に握り締めたベープ管を左手の平にぽんぽんと叩きつけながら、苦笑とも自嘲ともつかない笑みを浮かべてみせた。
「そりゃあ、そう言っておかないと誰も俺の話なんて聞いてくれないからな。実際に策を仕込んでいたのはジャランデールだけ。よそについては大雑把な方針は指示したが、後は成り行き任せだ」
「それは策というよりも、ただの行き当たりばったりだな」
「シャレイド、そういうことはここだけの話にしておいてよ」
 憮然とした表情のジェネバが、大きな黒い目で彼の顔をぎろりと睨みつける。
「あんたの勘はよく当たるって理由で従っている連中も多いんだから。余計なことは他言無用だよ」
「お前も大概、胡散臭い真似をさせるよなあ。俺の勘が働くのは、相手がいるときだけだって知っているだろうに」
「あんたの勘の正体なんて、誰も欲しちゃいない。ただ中央に楯突く口実を求めていただけなんだから、それを提供してあげただけさ」
 そう言うとジェネバは深々としたデスクチェアに腰掛けたまま、両脚を目の前の執務卓の上に揃って投げ出した。お世辞にも行儀が良いとは言えない振る舞いを見て、だがシャレイドもモズも驚きもしない。それどころかシャレイド自身が黒いコートを羽織ったまま、出窓の窓枠に腰掛けながら長い脚をぶらぶらと揺らしている。この場で真っ当に着席しているのは、応接用ソファに大きな身体(からだ)をどっかと下ろすモズだけだ。
 昔馴染みの三人にとって、他人を交えず彼らだけで顔を突き合わせるときは、いつも通りの光景である。例えそれが、ジャランデール行政府の高官用の執務室であってもだ。
 今、三人はジェネバに提供された評議会議員用の執務室で、今後の方針について話し合っているところであった。
外縁星系(コースト)諸国が同時に一斉蜂起すれば、連邦も対処しきれないだろうっていう、ただそれだけの策とも言えない策だったが、思いの外上手くいきすぎた」
 窓枠に片手を突きつつ、もう一方の手でベープ管を口元に運びながら、シャレイドはそう言った。
「俺の予想ではジャランデール以外はせいぜい、成功するとしたらネヤクヌヴとクーファンブートぐらいで、後は良くてぐだぐだの内戦状態が続くものと思ってたんだ」
「万々歳じゃないか。お前が各国首脳を説得して回って、まめに連絡を取ってくれたおかげだろう。今さら言うのもなんだが、よく保安庁に見つからずに動き回れたもんだ。相変わらず逃げ回るのは得意だな」
「仰せとあらば、星の彼方までも逃げ切ってみせるさ。まあ、説得の口上はジェネバが用意してくれたからな。俺は伝えるだけで十分だった」
「その割にはあんまり浮かない顔だね」
 ジェネバが指摘した通り、彼の顔は今ひとつすっきりとしない。ベープ管を咥えたまま形の良い眉をひそめて、シャレイドは小さく一言唸ってからおもむろに煙を吐き出した。
「いずれ連邦軍が出てくるだろう」
「それはあんたも最初から想定していたじゃないか。今の状況だとなんかまずいのかい」
 両腕を頭の後ろで組み、ほとんど倒れそうな勢いでデスクチェアを傾かせながら、ジェネバが疑問を口にする。するとシャレイドは白煙をまとわりつかせたまま、おどけた顔で振り返った。
「言っとくけど、連邦軍に勝てるわけがない」
「はあ?」
「当たり前だろう。一斉蜂起はたまたま足並みが揃ったが、基本的には外縁星系(コースト)諸国はばらばらに動いている。統一された指揮系統も、まだ何もない。本当は連邦軍にはぐだぐだの内戦状態の星に目を向けてもらって、その隙に俺たちは先んじて常任委員会と交渉するつもりだった」
「お前、ひどいこと考えるな……」
 驚き、呆れるモズに比べて、ジェネバはさらに怒りも交えた目でシャレイドの顔を睨み返した。
「連邦軍がほかの外縁星系(コースト)諸国にかかずっている間に、ジャランデールだけ抜け駆けして手打ちに持ち込むつもりだったってこと?」
「ジノにはその仲介を頼むつもりだった。わざわざモートンに俺の居場所を知らせたのだって、向こうが話を聞く可能性を少しでも上げるためさ。もちろん、ジャランデール以外も掬い上げられれば手を伸ばす。だけど俺にとっての一番は、あくまでジャランデールだ」
「シャレイド、あんたねえ!」
 執務卓に投げ出されていたジェネバの両脚が高く上がって、そのままの勢いで床に靴底を叩きつける。そのまま立ち上がったジェネバは、肩を竦めるようにして窓枠に腰掛けるシャレイドに向かってずいと詰め寄った。
「保安庁支部だけじゃない、極小質量宙域(ヴォイド)の宇宙ステーションを接収したのだって、みんなあんたの策に従ったからなんだよ。おかげで外縁星系(コースト)諸国間の移動も通信も自由になって、ばらばらだった各国がようやくひとつにまとまろうとしている。それもこれもあんたが描いた絵図を、外縁星系(コースト)の自立を信じているからだ」
「そりゃまあ、もっともらしい策は立ててみたけれど。まさか百パーセント成功するとは思ってなかったんだよなあ」
 伸び放題の黒髪を投げやりな手つきで掻き毟りながら、シャレイドはそう言ってジェネバの視線から顔を逸らす。するとジェネバは筋肉質で引き締まった褐色の腕を伸ばし、彼の黒コートの襟首を掴むと、強引にその顔を目の前へと引き寄せた。
「あんたの立てた、その

通り、今は外縁星系(コースト)諸国連合を正式に組む方向で話が進んでいる。連合軍については早速結成に取りかかり中だ。もう後戻りは出来ないんだよ!」
「腹を括れよ、シャレイド。お前のことだ、こうなった場合の後のことも考えてはあるんだろう?」
 モズののんびりした口調の台詞を耳にして、気色ばんでいたジェネバの目にも徐々に落ち着いた光が戻る。やがて黒コートを掴む手を突き放すように離しながら、ジェネバもモズと同じ質問を口にした。
「そうだ。あんたが先のことを考えてないわけがない」
 窓枠の下の床に放り出されたシャレイドを、ジェネバの大きな黒い目が真っ直ぐに見下ろす。
「あんたにとっては想定外だったとしても、外縁星系(コースト)諸国の一斉蜂起はまず成功した。外縁星系(コースト)諸国連合も発足する。この状況でシャレイド、あんたはどんな将来を想定しているんだ?」
「……外縁星系(コースト)諸国がまとまることは、出来るかもしれない。連合軍の体裁を整えることも可能だろう。何より政治的なリーダーとしてはジェネバ、お前がいる。というより、外縁星系(コースト)諸国をまとめ上げることが出来る人物といったら、まずジェネバ・ンゼマ以外有り得ない」
 床に尻餅をついたシャレイドは立ち上がろうとせず、その場に胡座をかいて淡々と語り始めた。
 リーダーに名指しされても、ジェネバの顔に動揺はなかった。シャレイドの言うことは、彼女も十分承知しているのだろう。ジェネバの覚悟を目の当たりにして、だがシャレイドは一瞬渋い表情を浮かべた。
「お前は外縁星系(コースト)をまとめ上げるキーマンだ。と同時に、弱点とも言える」
 顎先にシャレイドのベープ管の先を突きつけられて、ジェネバは太い眉の片方を跳ね上げた。
「弱点?」
「そうだ。外縁星系(コースト)諸国にとっては、まとまる可能性が現実味を帯びてきた。それだけに、連邦は必ずお前の首を取りに動く。そうすれば外縁星系(コースト)諸国は目前の希望を打ち砕かれて戦意喪失し、ばらばらのままやがて各個撃破される」
 そこでベープ管の先を再び掌の上にぽんと置いて、シャレイドは一言付け加えた。
「俺がモートンなら、きっとそう考えるよ」

(シャレイド・ラハーンディを追い続ける必要性は薄れた)
外縁星系(コースト)諸国の連携を阻止するのが目的だったからな。一斉蜂起を許してしまった以上、その優先順位は下がらざるを得ない)
「わかっている」
 脳裏に囁きかける《クロージアン》たちの言葉に、モートンも頷くほかない。
 テネヴェの中心街区セランネ区の郊外、かつてイェッタ・レンテンベリが根城としていた高層マンションの最上階で、モートンはひとりリビングのソファに腰を下ろしたまま、時刻は間もなく日付が変わろうとしていた。
 長身を屈めるようにして両膝の上に肘をつき、組んだ両手を口元に当てて、傍目にはひとりで苦悩して沈み込んでいるようにしか見えないだろう。
 だが、モートンの周りには目には見えない思念たちが、まるで彼を中心に渦巻くようにして漂っている。
 自分でも意識しないうちに《クロージアン》と《繋がれて》しまって以来、モートンには静かな夜を過ごすという選択肢は、もはや存在しない。
(《クロージアン》に《繋がる》全員が裏を掻かれた。君の友人は、敵ながら大した奴だ)
(彼が銀河系中を飛び回って連絡を取っていたのは、反連邦組織だけではなかったということだ)
外縁星系(コースト)諸国の政府とも話をつけていたとはね。むしろこちらが本命だったのかもしれない)
(各国の評議会議員――ジェネバ・ンゼマですら知らされていなかったことから推察しても、よほど秘密裏に進めてきたのだろう)
(評議会議員たちは皆、特別対策本部の解散に一縷の望みをかけていたからな)
(反連邦組織を一掃するまでは現状を堅持する、という判断に誤りはなかったと思うが)
(今さらだが、その判断が外縁星系(コースト)諸国そのものを追い込んだということだろう)
 照明のひとつも灯されていない室内で、壁一面の窓ガラス越しに射し込むセランネ区の街明かりに晒されながら、モートンはぼそりと呟いた。
「今後はジェネバ・ンゼマの拘束を優先させる」
 彼の一言は、既に《クロージアン》の総意として導き出されていた結論であった。
(彼女を取り除くのが、目下の目標だね)
外縁星系(コースト)諸国はまだ、個々の政府がばらばらに声明を出しただけだ)
(連合の体裁を整えるのはこれからということか)
(ようやく通信を確保したばかりなのだから、当然と言えば当然だ)
(ジェネバ・ンゼマを失えば、彼らもまとまりきる前に空中分解を起こすだろう)
(軍の派遣について、常任委員会から連邦評議会に提案させないとね)
(今の常任委員会は第一世代の中でも特に守旧派の連中ばかりだ。ほんの少し精神感応的に後押しするだけで済む)
 思念たちの囀りが、モートンの頭の中を駆け巡っていく。リビングは音ひとつない静寂に支配されているというのに、彼の精神は止むことのない喧噪の只中にある。
 四六時中溢れ続ける思念の奔流に身を置きながら、モートンが彼自身を保ち続けられたのは、シャレイドを探し出すという執念のおかげであった。《クロージアン》全体の目的と彼個人の欲求が一致している間、モートン・ヂョウはモートン・ヂョウの部分を多く残したまま、《クロージアン》の中で在り続けることが出来た。
 だが今、状況は激変してしまった。シャレイドの探索以上の至上命題が、《クロージアン》にとって出現した。《クロージアン》がジェネバの捕殺を優先させることに、モートンは抗えない。それはモートンの中のモートン自身が、《クロージアン》の総意に押し流されていくことを意味していた。
「エルトランザの動きも気になる。特別対策本部の権限で、軍には早々に動いてもらおう。評議会には事後報告を承認してもらうだけで十分だ」
 モートンは銀河連邦の倍の歴史を誇り、連邦に次ぐ実力を持つ複星系国家の雄の名前を口にした。外縁星系(コースト)諸国に対してエルトランザが裏で支援する可能性は、早い段階から警戒されている。
(今のところは表立った動きはないとはいえ、あの国はかつてローベンダール惑星同盟の独立を支援した過去がある)
外縁星系(コースト)諸国とは接していない以上、同盟戦争のときと同じようにはいかないだろうが、手をこまねいている必要はないな)
(帰国中の評議会議員には再招集をかけているけど、評議会の開催は早くても一ヶ月後になってしまうし)
(どのみち外縁星系(コースト)諸国代表は出てこれないだろうから、評議会が軍を動かすことに反対する可能性はないよ)
(とすると、外縁星系(コースト)の攻略ルートは……)
「可能な限り戦力を集結させて、最短距離でジャランデールを目指す」
 モートンは微動だにしないまま、唇だけを動かしてそう告げた。
「ジェネバ・ンゼマはジャランデールから動けない。リーダーの彼女が、外縁星系(コースト)の拠点とも言えるジャランデールから逃げ出すような真似をしたら、外縁星系(コースト)諸国全体の士気に関わる。我々はその点を存分に利用させてもらおう」
(だとするとトゥーランからジャランデールに至るルートが妥当ね)
外縁星系(コースト)諸国もそれは見越して待ち構えているだろう。彼らにしてみればトゥーランで我々を食い止めるしかない。逆に言えばトゥーランで我々が勝利すれば、九分九厘片がつく」
 そう言うとモートンはようやく口元から両手を外し、心持ち顔を上げた。
「それこそが連邦の安定、引いては《クロージアン》が生き延びるための、最適解だ」
 それはモートンが自らと《クロージアン》を同一視した、初めての発言だった。

「恐れ多い話だね。この首にそんな価値があるなんて」
 ジェネバは自分の首を右手で撫で回しながら、おどけた笑顔を浮かべる。しかしシャレイドの顔は渋いままだった。
「笑い事じゃない。おそらく連邦軍の主力が、ジャランデールを目指してやってくる」
「シャレイド、ジャランデールの前にはトゥーランがあるぜ」
 モズが暢気な口調で茶々を入れる。するとシャレイドは「その通り」と口ずさみながら、ベープ管の先を彼の顔に向け直した。
「そうなんだ、連邦軍が最短距離で動くなら、まずトゥーランを突破しなくちゃいけない。俺たちにとって勝ち目があるとしたら、そこしかない」
「つまり各国の軍をトゥーランに集結させて、そこで連邦軍を迎え撃つってことかい」
 床に座り込んだままのシャレイドと視線を合わせるべくしゃがみ込んだジェネバが、そう言って身を乗り出す。
 だがシャレイドは彼女の言葉に、首を振ってみせた。
「迎え撃つなんて、そりゃ無理だ」
「無理だって、じゃあトゥーランはどうなるのさ。ジャランデールは?」
「いくら外縁星系(コースト)諸国の軍を集めても、連邦軍に比べれば装備も練度も及ばない。まともに戦えば、まず負ける」
 シャレイドに冷静な顔で断言されて、ジェネバが絶句する。代わりに尋ねたのはモズの声だった。
「だからって、大人しく負けてやるつもりはないんだろう?」
「ああ」
 そう言うとシャレイドはベープ管を咥えて一口吸い込み、やがて白い煙を吐き出しながら薄い笑みを浮かべた。
「戦場で片をつけるつもりはこれっぽっちもないよ。俺の本領は盤外戦だ」
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