4-5-4 乾杯

文字数 4,076文字

 惑星テネヴェのセランネ区は、テネヴェが開拓されて最初に建設された由緒ある街であり、その歴史は実に三百年に及ぶ。かつては市長公邸や市民議会などの官公庁や、ビジネス街から繁華街までひしめき合う文字通りのテネヴェの中心だったが、銀河連邦の関連施設がひしめくエクセランネ区が台頭すると、中心街区の座を譲ることとなった。
 その後官公庁もエクセランネ区に移転し、その跡地に情報学院や総合学院などの教育・研究機関が相次いで設立されると、街の雰囲気は一変した。今のセランネ区は学究の徒が闊歩する古都として、旧来とは異なる形で存在感を放っている。
 林立する建物の合間に夕陽が沈みかける頃合いになると、セランネ区に未だ残る繁華街の一角は、院生たちを中心とした若者で賑わいを見せる。今日も飲食店が建ち並ぶメインストリートには、喧噪が絶えることがない。多くの人々で溢れかえる中、雑踏の合間を縫うようにして飄々と歩く、黒い防水コート姿の痩せぎすな人影があった。
 頭から被ったフードの下には、赤銅色の肌をした端整な顔立ちが覗く。ラフな格好で街並みを興味深げに眺め回す様子は、いかにもテネヴェを訪れたばかりのお上りさんだ。誰も彼が、一週間前に赴任したばかりの自治領代表の連邦評議会議員・兼・外縁星系開発局長、シャレイド・ラハーンディだとは気づかない。
 様々な星を見て回ったつもりのシャレイドの目にも、銀河系の事実上の中心とされるテネヴェの街並みは壮観だった。
 巨大なメガフロートを繋ぎ合わせて成り立つエクセランネ区は、粋を極めた機能美に充ち満ちていた。それに比べてこのセランネ区には、テネヴェを切り拓いた人々が一から築き上げた痕跡が、随所に見受けられる。そんな時の流れを感じさせる街を行き交うのが、若い院生たちというところに、また趣きがあった。両者に共通しているのはいずれも類を見ないその規模だ。おそらくどちらか一区だけでも、ジャランデールの人口を優に上回るに違いない。
 シャレイドが十年以上前に学んだジェスター院は、複数の専門学科を備えた銀河系初の総合学院であり、随一の名門である。ただジェスター院の存在感が大きすぎたためか、ミッダルトにはその後総合学院は誕生していない。
 一方でテネヴェにはセランネ区だけでも三つの総合学院が存在し、いずれも連邦の内外を問わず名声を博しつつある。ミッダルトは古くから学術研究の盛んな星として有名だが、そう遠くない日にテネヴェに追い抜かれたとしても不思議ではない。
 大通りから途中、小径に入る角を曲がったところで、シャレイドは若い三人の男女たちと擦れ違った。
 会話を弾ませながら過ぎ去っていく三人組の姿を、思わず足を止めて振り返る。彼らの後ろ姿に注がれるシャレイドの瞳に浮かぶのは、懐かしさと羨ましさ、そしてわずかばかりの嫉妬であった。あの三人は、第一世代と外縁星系人(コースター)の対立などに遮られることのない、充実した青春の日々を過ごすことだろう。
 長年の内乱に終止符が打たれて、まだ一ヶ月が経ったばかりである。シャレイドの故郷ジャランデールでは平穏を取り戻すための作業にようやく取りかかり始めたというのに、このセランネ区に満ちる活気はどうだろう。外縁星系人(コースター)への憎悪など、杞憂だった。周囲の人々から読み取れる思念に共通しているのは、保安庁の締めつけから脱した解放感ばかりである。
 外縁星系(コースト)諸国が受けた手酷い弾圧や、その反動からスタージア星系での戦いにまで至る一連の混乱など、この街に暮らす住人たちにとっては報道で知ることしかない、遠い世界の出来事だったのだ。彼らが和平締結を喜ぶのは、ひとえに窮屈な監視から逃れることが出来たからに過ぎない。
 外縁星系人(コースター)と直接触れあう機会のない人々にとっては、そんなものなのだろう。シャレイドは我が身を振り返りながらそう思う。
 外縁星系人(コースター)にとっても、テネヴェは様々な意味で遠い存在だ。外縁星系(コースト)諸国に近いミッダルトならまだしも、ここテネヴェにまで足を伸ばす外縁星系人(コースター)といえば、貿易商人か連邦評議会議員ぐらいなものだ。シャレイド自身、公職に就いて初めて、こうしてテネヴェの地を踏むことになったのである。
「あんたは銀河系中を見尽くした気でいるかもしれないけど」
 テネヴェに赴任する際、初代の自治領総督となったジェネバから、諭すような口調で忠告されたものである。
「テネヴェを見て回らないことには、不足もいいところだわ。あそこには銀河系の全てとは言わないけど、半分ぐらいはある。いい機会だから、しっかり見聞を広めてきな」
 ジェネバに念を押されたからというわけではないが、シャレイドは防水コートのフードの下から、絶えず周囲に目を配りながらセランネ区の小径を歩いていた。
 大通りに比べれば少なくなったとはいえ、そこかしこを行き交う人の姿はまだまだ散見される。道の両脇に並ぶ建物は外観こそ古臭いが、いずれも清潔に保たれている。街の隅々まで清掃が行き届いているということは、この街が十分に整備されていることを物語っていた。先に訪れたエクセランネ区は、言わずもがなだ。
 これだけの巨大な都市が完璧に管理されながら、住人から生活感は損なわれていない。保安庁による監視から解き放たれた反動かもしれないが、人々の顔に浮かぶのは息苦しさとは無縁な表情ばかりだった。
「居心地が良すぎて、居心地が悪いな」
 コートのポケットに両手を突っ込んだまま、シャレイドはそう独りごちた。
 途中で二度、三度と角を曲がり、その度に人影は少なくなっていく。周囲の建物の高さも見る見る低まって、シャレイドは徐々に繁華街の外れ、住宅街との境にまでさしかかっていた。
 いつの間にか道沿いには街路樹が整備されて、連なる建物の中に一軒家もちらほら見え始める。その中でもとりわけ濃い深緑に覆い尽くされた民家の前で、シャレイドは足を止めた。
 低い柵の合間に申し訳程度に構えられた門には、貸し切りの文字の入った控えめな看板が吊されている。ゆっくりと木戸を押し開けると、年季の入った蝶番が軋む音がした。そのまま門の内に足を踏み入れたシャレイドは、アーチ状に木々が生い茂るトンネルをゆっくりとした足取りで進んでいく。
 既に陽は沈みきっていたが、敷地内には所々にささやかな照明が設けられて、客人の足元を案内する。やがてトンネルを抜け出した先に広がるのは、木々の枝葉が覆い被さるようにして取り囲む、中庭に突き出した格好のガラス張りのテラス席だった。テラス席に通じる短い階段を昇ると、天井と壁の継ぎ目に灯る薄明かりが照らし出されて、肘掛け椅子のひとつに腰掛けるモートンの姿があった。
「シャレイド、よく来てくれた」
 テラス席の中央に鎮座するのは、丸いテーブルと二脚の肘掛け付きの椅子。それぞれの椅子の脇に見えるのは、おそらく現像機(プリンター)を兼ねたサイドテーブルだ。
 短い挨拶と共に向かいの椅子を勧められて、シャレイドはコートを椅子の背凭れに掛けて腰を下ろした。モートンの椅子の背にも、ひとまわりサイズの大きい、だが同じデザインの黒いコートが掛けられている。
「待たせたか」
「いや、時間ちょうどだ」
「それなら良かった。ちょっと街中を散歩しながら来たものだから、遅れやしないかと心配だったんだ」
「待ち合わせ時間を気にするなんて、昔のお前なら考えられないな」
 モートンは切れ長の目を軽く見開いて、そう口にした。
「カナリーなら、風邪でも引いたんじゃないかと心配しただろう」
「その前に寝酒が過ぎたことを疑われるんじゃないかな」
 それもそうだ、とモートンは笑いながら、傍らのサイドテーブルに手を翳す。すると天板が音もなく口を開けて、中からするするとシャンパンの注がれたグラスがせり上がってきた。シャレイドが横に目を向けると、彼の隣りのサイドテーブルの上にも同様にグラスが姿を現している。
「ここの料理は全て現像機(プリンター)で再現される。順番に現れるから、適当に自分で手に取ってくれ」
 料理人もウェイターもいないという点が、シャレイドには意外だった。現像機(プリンター)でも十分に美味な料理が再現出来るのはわかるが、それを商品として出すような店は大抵が大衆的な店と相場が決まっている。例えばジェスター院時代にシャレイドたちが通い詰めたダイニング・バーのような、若者向けの店ならば合点がいく。
 だが趣きのある民家風の装いに立派なテラス席まで構えたこの店で、現像機(プリンター)が再現した料理というのは、いささかバランスを欠くように思えた。
「この店の現像機(プリンター)は全て、父の工房で作られたものなんだ。洒落た雰囲気の店内で、お手頃価格の料理を提供したいっていう注文でね」
 ちょうどシャレイドの疑問に答えるように、モートンが口を開く。
「そしてお前と俺の脇にあるこの現像機(プリンター)は、ジェスター院に上がる前に俺が作ったもんだ」
 そう言ってモートンは、サイドテーブルの上からシャンパングラスを手に取った。シャレイドもグラスに手を伸ばしながら、その下のシンプルなデザインのサイドテーブルに視線を向ける。
 白い直方体を九十度捻ったような一体成形型の外観は、奇をてらわない重厚な質感がある。天板に手を翳すと表面にコンソール表示が浮かび上がったが、それ自体はとりわけ目を惹く機能でもない。モートンの言う通りなら十五年ほど前に作られたものだろう。むしろ年代物と言っても良い代物だが、それにしてはまだまだ目立った汚れもない、十分に使用に耐えそうな現像機(プリンター)だ。
「この現像機(プリンター)で作った料理を、カナリーに振る舞うつもりだったのか」
「ああ。こいつはまだ立派に現役だ。味は保障するよ」
 モートンが自信たっぷりに頷いてみせると、シャレイドは口角をわずかに吊り上げて、グラスを目線の高さまで掲げてみせた。
「お前がそこまで言うなら、楽しみだ。ともあれ、まずは乾杯といこうじゃないか」
 シャレイドの言葉に、モートンも同じようにグラスを持ち上げる。
 十年以上の時を経て、ふたりはようやく再び食事を共にすることが出来たのであった。
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