4-1-5 失われた対局

文字数 5,556文字

 小ホールの舞台裏には、準備室代わりの小部屋が設けられている。通常は視聴覚用の機材や清掃用具などが積み上がった物置と化している部屋なのだが、今日はそれらの荷物は片隅に押しやられて、立方棋(クビカ)大会決勝の対局者控え室とに割り当てられていた。
 室内には申し訳程度の小テーブルを挟むようにして、簡素なソファがふたつ据えつけられている。向かい合うように腰掛けたシャレイドとモートンの顔に浮かぶのは、対局前の緊張でも高揚でもない。テーブル上の端末棒から引き出されたホログラム・スクリーンに見入るふたりの顔は、心なしか青ざめていた。
 スクリーンに映し出されているのは、複数の報道機関が報じる様々なニュース映像、それもジャランデール関連のものばかりだ。ジャランデールの混乱は、一週間以上が経過してようやく鎮静化に向かっている。一時はジャランデール全土に戒厳令が敷かれるのではないかとも噂されていたが、抗議運動そのものは組織だったものではなかったため、やがて保安部隊の秩序だった制圧行動によって鎮圧されつつあった。
 眉間に皺を寄せたまま、いくつもの映像を眺めていたシャレイドは、その中のひとつを目にした途端に息を呑んだ。
 慌ただしい手つきで端末棒を操作して、映像を巻き戻す。再び流れ出した映像は、保安部隊がデモ隊の参加者たちを捕縛し、連行している様子を捉えたものだった。つい三十分前に配信されたばかりという映像には、『保安部隊がデモの首謀者と思われる人物を拘束』という見出しが添えられている。
「親父……」
 静止させた映像に映るのは、両目を腫らし、流血に顔半分を赤く染めた、赤銅色の肌の中年男性だった。ぼろぼろに引き裂かれた衣服をまとった男性は、後ろ手のまま保安部隊に引き連れられようとしている。父親の変わり果てた姿を映し出す静止映像を、シャレイドは唇を引き結んだまま、食い入るように見つめていた。
「間違いないのか」
 モートンが深刻な顔で尋ねる。
「すっかりいい男に見違えたが、あれは間違いなく親父だ」
 シャレイドは冗談めかして答えたが、その口調にはいつもの切れが無かった。モートンが無言で頷きつつ、端末棒に手を伸ばしてホログラム・スクリーン上に指を走らせる。するとそれまでの静止映像が映し出されたウィンドウとは異なる、別のウィンドウが表に現れた。そこに見えるのは、年の頃は三十代に差し掛かった頃だろうか、ちりちりの髪をバンダナで巻き上げた、褐色の肌に筋肉質を思わせる顔つきの女性だった。女性が口を開き、ハスキーな声が語り出す。
「シャレイド、時間が無いから単刀直入に言う。親父さんとアキムが捕まった」
 大きなまん丸の目を無理矢理細めているかのような表情が、女性の苦しい内心を物語っていた。彼女の背景は薄暗く、どこか暗い室内で撮影しているということしかわからない。
「あんたの身も危ないだろう。早いとこ逃げるんだ、いいね」
 そこで映像は終わり、スクリーン上の彼女の顔も苦悶の表情のまま動きを止めた。ふたりは揃ってしばらく彼女の顔に見入っていたが、やがてモートンが先に顔を上げた。
「彼女は?」
「……ジェネバ・ンゼマ。爺さんの教え子で、うちとは昔から家族同然の付き合いだよ」
 モートンの質問に答えるシャレイドの顔が、血の気に乏しい。彼が呆然とするところをモートンは初めて見たが、残念ながら気遣っている余裕は無かった。
「この映像は連絡船通信によるメッセージだな。いつ受け取ったんだ?」
「気がついたのは今朝方だ。どうやら夜半に届いていたらしい」
「保安庁が傍受していたとしたら、もうお前のことを探り出していてもおかしくないな」
「正直なところ、半信半疑だったんだが……今のニュース映像を見たら、信じるしかない」
 そう言うとシャレイドは不意に面を伏せて、堪えきれないように笑い出した。くつくつという笑い声に合わせて、角張った肩が上下する。笑うしかないという表情で、シャレイドはモートンに顔を向けた。
「まさかこんな展開が待ち構えているとは、さすがに想像つかなかったよ。喜べ、モートン。今日の対局はお前の不戦勝だ。二連覇の達成、おめでとう」
「落ち着け、シャレイド」
「俺の勘が告げるんだよ。この立方棋(クビカ)の決勝会場に、もう保安庁の捜査官が潜り込んでいるだろうってね。俺が保安庁でもそうするさ。確実に、しかも外縁星系人(コースター)の大罪人の息子を捕らえたことを衆目にアピール出来る、絶好の機会だからな」
「だからってお前がそれに付き合うことはない!」
 やけくそ気味のシャレイドの口を遮るように、モートンが一喝する。
「どんなに追い詰められようが上手に逃げ回って、最後にカウンターを決めるのが、お前のやり方だろう」
 モートンの切れ長の目が、一杯に見開かれていた。髪の毛と同じダークブラウンの瞳が、シャレイドの顔を睨みつけるように射貫いている。友人の真剣な眼差しに貫かれて、徐々にシャレイドの表情に落ち着きが戻っていく。
「それもそうだな。このまま大人しく捕まるのは、俺の性に合わない」
 そう言って優男風の顔に薄い笑みを浮かべる様は、もういつものシャレイドだった。
「ありがとう、モートン。さすがに動揺していた」
「こんな状況じゃ無理もない。でも、もう大丈夫みたいだな」
「ああ」
 こめかみを人差し指で軽く叩きながら、シャレイドが不敵に笑う。
「保安庁を巻く算段はある。だが、それにはお前の協力が必要だ」
「なんでも協力するさ」
 力強く頷くモートンに、シャレイドは唇の片端を吊り上げるいつもの笑みで答える。彼とルームメイトになってからこの三年近く、毎日のように見てきた仕草だ。安心したモートンがつられるかのように笑顔を浮かべると、不意にシャレイドがぽつりと呟いた。
「今日の対局は、お流れだな」
 皮肉混じりの笑顔に変化はない。だが口調の端々から、本気で残念がっていることが窺える。
 彼が周囲の声に煩わされることなく過ごしてこれたのは、モートンとの対局を心待ちにしてきたからだ。同室であり、対局相手であるモートンは、そのことをよく知っている。心なしか肩を落としているようにさえ見えるシャレイドに、モートンは宥めるかのような口振りで声を掛けた。
「今生の別れってわけじゃない。次の再会まで、この対局は持ち越しだ」

 決勝会場の最前列に設けられた関係者席もまた、満席だった。通路脇の右端の席に着席したカナリーは、落ち着かない気分で対局の開始を待ち続けている。彼女の隣にジノが座るのは問題ない。だが、さらにその隣にアッカビーがいることで、微妙に居心地が悪い。
 以前の騒動の際、アッカビーは相当酔っ払っていたが、カナリーがいたことは覚えていたらしい。先に着席していたカナリーと目が合った瞬間、元々いかめしい人相をことさらに歪めて、無言のまま腰を下ろした。ジノとふたり並んで腰掛けることの出来る席がほかになかったせいだが、おかげでカナリーもどこまで口を利いて良いものかわからず、ジノとも二言三言挨拶を交わしただけで、以後は沈黙を守っている。
 カナリーたちが座る関係者席からは、目の前の舞台上の対局席がよく見えた。といっても所詮が院生有志によって運営される大会なので、そこにあるのはカフェテリアで対局するときと同じ、ホログラム投影盤が嵌め込まれた丸テーブルに二脚の肘掛け椅子だ。だが会場となる小ホールが視聴覚用であることを最大限に活かして、対局席の上の空間には巨大な立方体のホログラム映像が浮かび上がっている。
 この映像は丸テーブル上に展開される立方体映像と連動しており、会場の最後列の観客も戦況を把握出来るようになっている。さらにその両脇にはホログラム・スクリーンが展開されて、ふたりの対局者の表情が映し出されることになっていた。
「いよいよだな。カナリー、君はどっちを応援するんだ?」
 それまで反対側のアッカビーと会話を交わしていたジノが、不意にカナリーに尋ねかけた。空気を読まない唐突な問いかけに、カナリーは内心慌てながらなんとか笑顔を返す。
「そうね、どっちもって言いたいところだけど、六対四ぐらいでモートンかな」
「へえ。それはまたどうして」
「そりゃあ、たまにはシャレイドが凹むところを見たいからよ。私もあいつに打ち負かされた口だからね、モートンには敵討ちしてもらわないと」
 するとジノの向こうから、アッカビーがいかにも嫌みたらしい口を挟んできた。
「どうだかな。案外今頃、外縁星系人(コースター)の奴が袖の下でも包んで、話をつけてるんじゃないか」
「アッカビー!」
 ジノが窘めるが、アッカビーはカナリーに挑発的な視線を寄越すのを止めようとしない。カナリーは一瞬むっとして、だがすぐに自らの目の前で大きく手を振った。
「モートンに袖の下なんて逆効果よ。そんなことしたら逆に怒りを買うだけだって、あいつ、そういうところは思い切り真面目なんだから」
「それはそうかもしれないが、反論するポイントがずれてないか」
 戸惑うジノに、カナリーは白い歯をにっと見せて笑顔を向けた。
「もちろん、シャレイドがそんなことするわけないと思ってるわ。あいつ、去年はモートンに完全に実力負けしてたからね。モートンには真っ向から勝ちたいと思ってるはず」
「そうか、なら名勝負が見れるかな」
 その言葉にジノは期待を膨らませ、隣ではアッカビーがふん、と鼻を鳴らす。
 彼女の言ったことに嘘偽りはなかった。常に皮肉か冗談しか言わないように見えるシャレイドが、唯一真摯に向き合う相手、それがモートンなのだ。もちろん普段の態度はほかの面々に接するときと変わらないが、特に立方棋(クビカ)の対局のときだけは顔つきが変わる。ふたりが対局する様子をカナリーは何度か見たことがあるが、いついかなるときも手を抜こうとしないモートンに負けず劣らず、シャレイドもこのときばかりは真剣そのものの表情で駒を指し続けるのだ。
 ふたりが対局する姿は、まるで絵画のように様になる。そんなことを彼らに告げたことはないが、カナリーは彼らの対局を観戦する度にそう思っていた。
 立方体を挟んで向き合っているときのふたりの間には、とても他人が割り込む余地はない。カナリーにはそんな彼らが羨ましくもあり、そこに自分が入り込めないことが悔しくもある。
「それにしても、ふたりとも出てこないな。何をしているんだ」
 ジノだけではない。シャレイドもモートンも時間を過ぎても一向に姿を見せないことに、観衆がそろそろ痺れを切らしつつあった。場内のあちこちがざわついて、やがてどこからか「おい、まだかよ」「早く始めろ」「待ちくたびれたぞ」という野次が飛び出し始める。舞台に上がった運営スタッフが今しばらくの待機を呼び掛けるが、それも事情説明がないためにかえって火に油を注ぐだけであった。
「おおかた外縁星系人(コースター)が怖じ気づいて、逃げ出したんじゃねえか?」
 アッカビーの悪態も場内の喧噪に掻き消されて、カナリーの耳まで届かない。立ち見客だけでなく座席に着いた客にも立ち上がる者が現れて、盛大なブーイングが湧き上がる。
 もはや収拾がつかなくなりつつある場内の雰囲気が一変したのは、観客の一部が舞台の袖の異変に気づいたときであった。
「おい、あれ……」
「煙?」
 シャレイドとモートンが現れるはずの舞台袖から、初めは微かに、だが間もなくしてもうもうとした煙が零れ出す。やがて煙と共に転げるように舞台に現れたのは誰あろう、モートンその人であった。
 舞台上で片膝をつきながら、押さえていた口元の手を外して、モートンが大声で叫ぶ。
「火事だ!」
 一瞬の静寂の後、ただでさえ興奮状態にあった観客たちは、あっという間にパニックに陥った。絶叫と怒号が飛び交い、興奮した人々の群れが小ホールの出口へと殺到する。
 カナリーもまた恐怖に駆られて立ち上がろうとするが、周囲の人々の乱雑な動きに阻まれて、とてもその中に飛び込めそうもない。そのまま机と背凭れの間に挟まれたまま身動きが取れないままでいると、耳朶に装着した通信端末(イヤーカフ)から、不意に聞き慣れた声が聞こえた。
「下手に動くなよ。モートンが来るまでじっとしてろ」
 皮肉めいた口調がよく似合うはずのその声は、いつもに比べると低くこもった声音でそう告げる。
「……シャレイド?」
 カナリーは周りを見回すが、無論シャレイドの姿は見当たらない。
 やがて舞台を覆い尽くした煙は小ホール全体へと広がり、出口へと殺到する人々の背中にまで追いつきつつあった。最前列の関係者席はとっくに煙に巻かれていたが、その中でカナリーと同様に身動きが取れないままでいたジノが、二度三度と鼻をすすり、口髭を揺らす。
「全然苦しくないぞ。これは火事の煙じゃない」
 その隣でアッカビーが、眉をしかめながら言う。
「こいつは水蒸気、ベープの爆煙だ。その証拠に警報も鳴らない、スプリンクラーも作動しねえ」
「どういうことだ」
 ふたりが言う通り、カナリーも煙にむせるということはなかった。それどころか、鼻の奥を微かに刺激する香りが、彼女には慣れ親しんだものであることに気づく。どうやら危険はないらしいということがわかったカナリーの目の前に、徐々に晴れ渡っていく煙を掻き分けて、モートンの長身が現れた。
「大丈夫だったか、カナリー」
 モートンの表情にはやや疲労が差していたものの、彼が笑いかけてくるのを目にして、それまでひそめられていたカナリーの眉根がぱっと開いた。同時に緊張が解けて涙腺が緩む。目尻に浮かぶ涙を拭き取りながら、カナリーが何か言葉を掛けようとしたその瞬間、再び通信端末(イヤーカフ)から聞き慣れた声が告げた。
「じゃあな、カナリー」
 その言葉の意味を、カナリーはまだ理解していなかった。
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