4-3-5 アンゼロ・ソルナレスの微笑

文字数 7,201文字

「精神感応力には、二種類ある。その理由がようやくわかったよ」
 スタージア博物院公園の奥深くに繁る緑の中、こぢんまりとした広場の真ん中で、両手をポケットに突っ込んだままシャレイドはそう言った。頬に浮かび上がるのは、彼の常である皮肉をたたえた笑みだったが、いつもに比べれば若干強張っていたかもしれない。
 広場の端に聳え立つ古めかしい記念館の、入り口前の階段に腰を下ろすソルナレスは、シャレイドのそんなささいな緊張に気づかない。
 当然だろう。彼――いや、

にとって、ヒトの精神とは直接触れて観察するものなのだ。どうして今さら、表情や仕草などの外観の細やかな動きから、わざわざ他人の心情を推察する必要があるものか。
 何千万人ものヒトの思念と、膨大な計算資源から成り立つ存在らしいのに、シャレイドの内心を読み取れないことで動揺する《スタージアン》が、おかしくて仕方ない。目の前の長い金髪の男は、石造りの階段に腰掛けたまま身じろぎもせず、シャレイドを凝視し続けている。その視線には動揺と警戒と好奇心がないまぜになって、互いに《繋がり》合う思念たちの想いが男の中で機能不全を起こしているようにすら見えた。
「ソルナレス博物院長――いや、《スタージアン》と呼んだ方が良いのかな。いつまでも驚いていないで、こちらも話が切り出しにくい」
 シャレイドのその言葉には、あからさまな嘲笑の響きがこもっている。
「……シャレイド・ラハーンディと言ったね。君がここまで、我々に全く気づかれぬようたどり着けたことと、先ほどの台詞の間には、何か関係性があるということかな」
 例え精神感応力が通用しなくとも、思考まで鈍るというわけではないらしい。ソルナレスの受け答えが冷静かつ的確であることがわかって、シャレイドは少々ほっとした。
 既にふたりの周囲を、複数の人影が緑に潜んで取り囲んでいることには気がついている。だがいずれも成り行きを見守るだけで、それ以上動き出す気配はない。ここで力任せにシャレイドを拘束しようとする相手だったら、それ以上打つ手はないところだった。
「俺はオルタネイト常用者(ユーザー)だ。あんたたちには、これだけ言えば十分だろう」
 シャレイドの言う通り、彼が提示した一言だけで、相手は全てを理解したらしい。それまで寄せられていた眉間がぱっと開き、訝しげな表情が霧散する。立て膝に片手を突きながら、ソルナレスは驚きの声を上げた。
「N2B細胞を持たない、天然の精神感応力者か!」
 腕組みしながら、ソルナレスは自分で発した言葉に力強く頷いている。
「なるほど、N2B細胞に由来する我々の精神感応力では、君に通じないわけだ」
「精神感応力が二種類に分けられる理由も、それだ。俺の持つ力とあんたたちのそれとは、似ているようで根本的に異なるらしい」
「君はおそらく、ヒトの脳が発する精神感応波を、微細に感知する能力に優れているんだな。太古にはヒトも少なからずそのような能力を備えていたというが、《原始の民》からも同じような能力者が生まれるということか」
 感慨深そうに頷き続けるソルナレスは、先ほどまでの訝しげな表情から打って変わって、シャレイドの赤銅色の顔に好奇心も露わな視線を注ぐ。
「それにしてもN2B細胞を持たず、かつ天然の精神感応力を備えるとは、なんという偶然だ。しかも外縁星系(コースト)の重要人物を兼ねるとなれば、天文学的な確率だろう。驚愕に値するよ」
 偶然に偶然が重なったことに対するソルナレスの感嘆は、シャレイドにしてみればやや見当違いであった。
「逆だよ、院長。これまでもあんたたちの言う、天然の精神感応力者は一定数いたはずだ。現に俺の祖母がそうだった。だが大抵はN2B細胞由来の能力に遮られて、発揮されることなく埋もれていたんじゃないか」
「確かに、N2B細胞は人体の中でもひときわ強靱だ。ほかの器官と機能が重複するとしたら、N2B細胞の機能が優先的に働く可能性は高い」
「そしてN2B細胞を持たない、俺や祖母のような天然の精神感応力者は、昔は生まれた星から飛び出すことが出来なかった。寿命も短かっただろう。俺がこうしてあんたたちの前に姿を見せることが出来たのは、オルタネイトのおかげだ」
「オルタネイトの……」
 ソルナレスが呟くようにしてシャレイドの言葉を反芻する。その言葉と共に博物院長の脳裏に浮かんだ面影を読み取って、シャレイドは小さく頷いた。
「そうだ。オルタネイトを開発したドリー・ジェスター、彼女が俺たちを引き合わせたと言ってもいい」
 彼の言葉は、ソルナレスに――《スタージアン》に《繋がる》全ての思念に、じわりと染み込むように打ち響く。同時に遡って押し寄せてくる膨大な記憶に、シャレイドは思わず息を呑んだ。
「あんたたちはスタージア降下以来の記憶を、全て共有しているのか」
《スタージアン》が呼び覚ます過去の記憶は、その量といい勢いといい、とてもひとりでは識別出来るものではなかった。ソルナレスの頭を覗き込むシャレイドには、超高速で過ぎ去るパノラマと騒音の奔流としか認識出来ない。船酔いに近い気分が胸の奥から込み上げて、シャレイドは思わずソルナレスの思考から注意を逸らさざるを得なかった。
「つくづく気色悪い連中だな。この星の住人どころか、その何倍もの過去と現在が入り混じっている。祖霊なんぞわざわざ祀らなくとも、あんたたち自体が祖霊そのものみたいなもんだ」
 吐き気を抑えるように右手を口元に当てながら、シャレイドがソルナレスを見る目には嫌悪感がありありと浮かんでいた。
「辛辣だな。だが君の言うことは間違っていない。我々はスタージア降下以来の人類の知恵と歴史を蓄え続ける、そのために存在しているようなものだ」
 苛烈な言葉を吐きつけられても、ソルナレスの感情が損なわれることはなかった。今はシャレイドに対する、溢れんばかりの興味が先行している。長年というにも長すぎる時を過ごしてきた《スタージアン》にとって、初めての存在とはそれだけで彼らの好奇心を刺激してやまないのだ。
 だが標本のように観察対象とされることは、シャレイドにとっては不本意以外の何物でもなかった。彼がわざわざこんな僻地まで自ら赴いたのは、《スタージアン》の好奇の目に晒されるためではない。
「そのためだけに、この星に釘付けにされたままでいるってのか?」
 口元を覆っていた右手をおもむろに前に突き出したシャレイドは、ソルナレスの額に向かって人差し指を突きつけた。
「いい加減に隠し事が出来るとは思うな。俺にはあんたの思考の奥底まで、よく見える」
「……もしかして、そこまで読み取れるのか。これでも二重三重にブロックしているつもりだったんだが」
「あんたみたいに大勢の人間と《繋がる》なんてのは勘弁願いたいが、目の前の相手の頭の中ならそうそう読み違えることはない」
 ソルナレスの額に指先を向けたまま、彼の思考を読み進めていくシャレイドの表情は、やがて一秒ごとに急速に曇っていった。
 シャレイドにとっては例え相手が《スタージアン》であろうとも、一個人に的を絞れば思考を観察するのは難しい話ではない。
 ただソルナレスの表層的な思考を一皮剥いたその下は、シャレイドにとっては未知の領域であった。そこではソルナレスに《繋がる》膨大な思念が絶え間なく注ぎ込まれ、渦巻き、またどこかへと流れ出しているのだ。
 さながら動きを伴った巨大な抽象画のような思念の在り方は、シャレイドの理解をはるかに超えていた。そこに何が描かれているのか、説明のしようもない。見知らぬ言語で書き殴られた文書を目にしても、さっぱり解読出来ないのと似ている。ヒトの思念の集合体だという《スタージアン》とは、もはやヒトに似て非なる存在なのではないか。ソルナレスの思考を読み解くほどに、シャレイドの赤銅色の額に脂汗が滲む。
 だが瀑布のように打ちつけてくる思念の奔流の中で、彼の目にも認識可能な思考の欠片は存在していた。それはおそらく《スタージアン》に《繋がる》全てのヒトに共通して存在する、彼らにとって核となる思考だ。
 激しくうねる極彩色の思念の群れの中から、シャレイドはその思考の核を正確に把握しようと努めた。《スタージアン》の行動原理とはいったい何なのか。どうして彼らは、こんな辺鄙な星に引きこもったまま、強大な精神感応的な集合体で在り続けるのか。
 やがてシャレイドの優男然とした端正な顔が、大きく歪む。俄には信じられない、《スタージアン》の真意を読み取って、理解は出来ても受け入れることが出来ない。外観や仕草から他人の感情を推察するという行為から久しく離れていたソルナレスにも、シャレイドの感情はあからさまに伝わっただろう。
「どうやら、本当に見抜かれてしまったようだね」
 肩を竦めて嘆息するソルナレスの顔を、シャレイドの瞳が凝視する。
「……《スタージアン》てのは、揃いも揃ってろくでもないな」
「ろくでもないとはあんまりだな。これでも銀河系人類のために、常に最善を考えているというのに」
 腹の内を見透かされて、余裕があるのはソルナレスの方であった。彼の柔和な顔つきには、むしろシャレイドに対する申し訳なさそうな表情がよぎる。それは幼児に対して不相応な話を聞かれてしまった大人が見せる、取り繕うような苦笑に似ていた。どこまでも高みにいるつもりの《スタージアン》の目線が、シャレイドの神経を逆撫でする。
「ヒトであることをやめた身が、人類のためとかどの口でほざく」
 胸の奥から再び込み上げてくる吐き気を堪えながら、シャレイドの目に激情が浮かび上がる。突き刺さりそうな鋭い視線を浴びても、ソルナレスはなお平然としていた。
「私の思考を読み取ったのならわかるだろう? 銀河系人類に迫りつつある脅威、その兆候を我々は捉えている。もちろん人類を脅威から守ろうという、それ自体が我々のエゴだと言われれば否定しないが」
「お前たちの言う脅威ってのは、単なる妄想の産物だ」
「……なるほど。先ほどから君の指先が震えているのは、我々の思考に触れてなお、脅威の存在を認めがたいからなのだね」
 ソルナレスにそう言われて、シャレイドは指差す先が小刻みに揺れ動いているということに、初めて気がついた。慌てて手を下ろす彼に向かって、ソルナレスがふっと小さく息を吐き出してみせる。その仕草を見て頭に血を昇らせそうになったシャレイドに、金髪の博物院長は冷静な口調で告げた。
「脅威は確かに存在する。《オーグ》は実在するんだよ」
 ソルナレスの言葉を耳にして、シャレイドの動きが止まる。
 木漏れ日が降り注ぐ記念館前の広場の中央で、シャレイドはソルナレスと目を合わせてからほとんど動き出していなかった。今、ブーツの下の落ち葉を思わず踏みしめて、足元から響くがさりという音が、やけに大袈裟に耳朶を打つ。
 ソルナレスもまた石造りの階段に腰を下ろしたまま、立ち上がろうとする気配はない。
 黒い防水コートを着込んだ赤銅色の肌に黒髪の青年と、白い長衣に身を包んだ金髪に白い肌の少壮の男は、しばしの間無言のままに対峙する。少なくともシャレイドには、ソルナレスが口にした言葉の意味を咀嚼するための時間が必要だった。
 いわくヒトと機械が融合した化け物であり、銀河系人類の祖である《原始の民》を追放したという《オーグ》とは、誰しもが寓話で耳にする忌避すべき存在である。
 シャレイド自身、「悪い子は《オーグ》に攫われてしまうよ」という脅し文句を、数え切れないほど聞かされてきた。もっとも彼の場合、そう叱る当人が《オーグ》の存在を信じていないことがわかっていたので、あまり効果があったとは言えなかったのだが。
「《オーグ》なんて、お伽噺で十分だ」
 額にうっすら汗を滲ませるシャレイドに対し、ソルナレスは淡々とした口調で答える。
「お伽噺じゃ済まないんだ、シャレイド・ラハーンディ。このまま放っておけば、いずれ必ず《オーグ》は銀河系人類社会に干渉する」
「機械と繋がった化け物の群れが、人間に襲いかかるって?」
「そうじゃない。だが少なくとも君にとっては、襲われるよりももっと耐えがたいことになるだろう」
 今やすっかり余裕を取り戻したソルナレスはそう言うと、それまで座り込んでいた石造りの階段からようやく腰を上げた。
「しかし我々も、

の干渉を黙って見過ごすつもりはない。

を封じる策は、既に用意している」
 ゆっくりと背筋を伸ばしたソルナレスは、シャレイドよりも頭半分ほど上背が高い。均整の取れた長身を白い長衣に包んで、肩にかかるほどの長い金髪をゆらしながら、その金色の瞳には慈悲深い光さえ宿って見える。
 いかにも寛容を体現したかのようなソルナレスの立ち居振る舞いが、シャレイドには胡散臭く思えてならなかった。人々を安心させると同時に、その信仰を一身に集めるよう計算された、《スタージアン》の顔ともいえる“博物院長”という役割を担う男。
 アンゼロ・ソルナレスという人物の、一挙手一投足の裏に潜む計算が気に障るのではない。そんな計算に唯々諾々と従い続けるソルナレスの姿が、理解しがたいのだ。
「そして君は、我々の策を託す相手としては最適だ。こうして君と出会えたのは天恵だろう。シャレイド・ラハーンディ、是非我々の策に協力して欲しい」
 その口調も表情も誠実そのもののソルナレスの申し出は、シャレイドの心には全く響かなかった。まるで腐臭を嗅いだばかりのように鼻の付け根に皺を寄せて、ソルナレスの顔を見返す目には生理的な嫌悪がまざまざと浮かぶ。
「精神感応力が及ばない相手に対しては、どこまでも距離感が掴めないようだな」
「どこか失礼なところがあったとしたら、お詫びしよう」
「お前らは何から何までろくでもないが、最たるものはその

だ」
 そう言ってシャレイドは乱暴に一歩を踏み出した。足元の落ち葉が、また乾いた音を立てる。
「人類の知識を掻き集めた末が

だというなら、《スタージアン》とやらの程度も知れるぜ」
「現時点では最善手だよ。それは君が一番よくわかっているだろう」
 ソルナレスはあくまで穏やかな笑みを崩さない。
「策を腐すのは構わないが、それなりの代案がなければ我々も譲れないな」
「代案も何も、俺は《オーグ》の脅威なんてどうでもいいんだよ」
「例えその通りだとしても、策の成否は外縁星系人(コースター)の行く末も左右する。君は私の申し出を無視出来ない」
 ソルナレスの言う通りだった。シャレイドには彼の手を払い除けて、この場を立ち去るという選択肢は残っていない。
 そもそもシャレイド自身、博物院長に交渉を持ちかけるつもりでこの星に赴いたのだ。得るものもないまま帰途についても、やがてジャランデールに連邦軍が殺到する未来が待つだけである。成果を得るためには、多少の譲歩もやむを得ない。そんなことは端から覚悟しているつもりだった。
 だが、それにしても彼ら――《スタージアン》に対する嫌悪感は拭いようもない。
《スタージアン》がシャレイドたちを見るときの、睥睨するかのような目線。それは決してヒトを下に見ているわけではないということは、もうわかっていた。ただ、《スタージアン》はヒトに似て非なる存在であり、もはやヒトと同等の立ち位置には有り得ない。その生物としての観点の差異が、高みから見下すように思わせるだけなのである。
 では《オーグ》とはなんなのか。ヒトとは異なる《スタージアン》よりも、さらに次元を違えた存在なのか。《スタージアン》と《オーグ》との間の諍いに巻き込まれたばかりの彼に、いったいどうしろというのか。
 シャレイドの胸の奥に、言いようのない憤りが渦巻いている。
「いいだろう」
 そう言ってシャレイドは心持ち胸をそらしながら、両手を再び防水コートのポケットに突っ込んだ。
 ソルナレスの言うことに納得したわけでは、無論ない。だが彼らの策を受け入れなければ、その協力を得ることも出来ないのだ。一見してのどかな趣きさえ漂う、この緑に囲まれた広場で、いつまでも押し問答をしている暇はない。
「お前たちの策に乗っかってやる。報酬は、外縁星系人(コースター)と第一世代の仲裁だ」
 シャレイドの言葉に、ソルナレスは長衣の襟元をただしながら柔和な笑顔を浮かべた。
「もちろんだ。我々は、我々に助けを求める者に対して手を貸すことに、やぶさかではないよ」
 申し出を受ける対価として示された条件は、既に織り込み済みなのだろう。満足げに頷く博物院長の顔に、シャレイドが冷ややかな一瞥を投げかける。
「もっとも策を実行した、その後のことまでは保証しかねるぜ」
「そこから先は我々の責任だよ。君は安心して、君の仕事に専念するといい」
「そいつは有り難いね」
 博物院長に鷹揚に頷かれて、シャレイドはその返事とは裏腹に小さく肩を竦めた。
 肩の荷を下ろしたかの如く晴れ晴れとした表情を浮かべるソルナレスを見て、シャレイドは彼らの言うことに未だ納得出来ないでいた。《スタージアン》という存在の、傲然という表現も超越した次元の異なる立ち位置が不愉快なのは、言うまでもない。だが彼の脳裏に浮かんだのは、嫌悪感や憤りとはまた別の疑念である。
 あるいは違和感と言うべきか。全てを見通しているかのような《スタージアン》に対して、なんらかの粗探しを試みているだけ。それ以上に根拠のない、ただの穿った見方かもしれない。
 いずれにしてもシャレイドは、頭の中を掠めたささやかな疑念について、わざわざソルナレスに伝えようとは思わなかった。
 最低限の言質を取ることは出来たのだ。ならこれ以上、あえて余計な口を差し挟む必要もない。
 未だ実感の湧かない《オーグ》の脅威など、知ったことか。
 それは紛うことのない、彼の本心であった。
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