4-4-2 決戦前夜

文字数 5,091文字

 外縁星系(コースト)諸国の代表は一斉蜂起からこちら、ジャランデールに集結していたが、各々が思惑を抱えつつも未だとどまり続けている。
 トゥーラン星系での戦いで敗北し、トゥーランを制圧した連邦軍が極小質量宙域(ヴォイド)の向こうにまで迫りつつあるとわかったとき、本国に逃げ帰ろうとした輩がいなかったわけではない。
 だが動揺する彼らに向かって、この星を代表する評議会議員ジェネバ・ンゼマは、こう説いたのだ。
「トゥーランは我々を守る盾となったのです!」
 ジャランデール行政府の建物内の一室で、青ざめる列席者たちの顔を見比べながら、ジェネバはよく通る声で、だが努めて冷静に語りかけた。
「ここで我々が散り散りになってしまっては、彼らの貴い犠牲が無駄になる。今こそ団結して、トゥーランの再びの解放を目指すべきです」
 席から立ち上がった彼女は真っ直ぐに背を伸ばし、ゆったりとした身振り手振りを加えながら居並ぶ面々のひとりひとりに視線を送る。彼女の大きな黒い瞳が放つ熱のこもった眼光は、相手を落ち着かせるだけの効果があった。
「ジンバシー長官」
 ジェネバは列席者の中でも、ひときわ顔面蒼白な中背の男に声をかけた。おそるおそる細い目を彼女の顔に向けた彼は、陥落したトゥーランを代表する、かの国の高官である。
「長官の心中お察しします。連邦軍がトゥーランを蹂躙したという事実を、我々も忘れることはありません」
「……お気遣いありがとうございます」
 ジンバシーは喉の奥から振り絞るようにして言葉を紡ぎ出しながら、重たげな一重瞼に隠れそうな小さい瞳には、隠しきれない激情が宿っていた。
「ですがンゼマ議員の仰る通り、ここで外縁星系人(コースター)の結束が乱れるようでは、我が国の住人が舐める辛酸も報われません。願わくばどうか皆様のお力に縋らせてもらうことを、お許し頂きたい」
 震える声を辛うじて抑え込みながらの訴えに、ジェネバは力強く頷いた。
「もちろんです! むしろ長官にはトゥーランの解放のため、お力をお借りしたい」
 そう言うとジェネバは、大仰な仕草で席に着く全員の顔を見回した。当然といった顔で彼女に視線で同意を求められて、この場で拒否出来る者はいないだろう。
 室内の誰からも異論が無いことを確かめてから、ジェネバは高らかに宣言した。
「既にラハーンディがスタージアの助力を取りつけ、連邦軍を彼の地におびき出すことに成功しました。我が軍は準備万端でこれを待ち受け、必ずや勝利を掴むでしょう。トゥーランが連邦軍の支配から解放される日、そして外縁星系人(コースター)がこの手で自由を勝ち取る日は、そう遠いことではありません」
 トゥーランとジャランデールを結びつける極小質量宙域(ヴォイド)のうち、トゥーラン側にばらまかれた艦船を撤去するべく殺到していた連邦軍の大軍は、その大半が姿を消したという情報は既に届いている。シャレイドとスタージア博物院長との交渉が実り、その結果として連邦軍を誘い出すことに成功したのは明らかだった。
 ここまではシャレイドから事前に聞いていた目論見通りである。ジャランデールに連邦軍が押し寄せる可能性が遠のいた今、ジェネバにはその時間を使って外縁星系(コースト)諸国の結束を引き締める役目が課されていた。
 そして今のところ、彼女はその務めを十分に果たしていると言える。
 会議を終えて行政府内の自らの執務室に戻ったジェネバは、デスクチェアに腰掛けるや乱暴に両脚をデスクの上に投げ出した。深々と背凭れに身体(からだ)を預けながら、褐色の肌には疲労が色濃く滲んでいる。
 ジンバシーが心を折ることなく持ちこたえてくれたのは、ジェネバにとって幸運であった。元々見かけによらず胆力に優れた男だが、故郷の陥落の報を受けてなお正気を保っていられるか、彼に声をかけたのはジェネバにとって半ば賭けだったのである。結果は思った以上の言葉を引き出すことが出来て、彼にああ言われて当面は各国の離反もないだろう。少なくともスタージアでの両軍の衝突の結果が出るまでは、このままの状態を維持出来るはずである。
 それにしても必ず勝利するなど、我ながら口から出任せもいいところだ。シャレイドの口八丁をいよいよ馬鹿に出来ない。先ほどの会議での自分の言葉を振り返って、ジェネバは肉厚な唇を自嘲気味に歪めた。
 トゥーランの戦いで外縁星系(コースト)連合軍が敗退したのは、予定通りである。だが数は集めたものの、所詮は寄せ集めに過ぎないという事実は覆せなかった。しかも予定では全軍が揃って退却するはずが、実際にはばらばらに逃げ惑い、ジャランデール方面に帰還出来たのはその半分あまりに過ぎない。
 つまりスタージア星系に向かう外縁星系(コースト)連合軍も、想定の半数ということである。そんな状態で、果たして連邦軍を迎え撃つことが出来るのか。
 あとはスタージアにいるシャレイドに託すしかない。
 銀河系人類社会の果ての星にいるはずの、人を食った表情が似合う顔を思い浮かべながら、ジェネバは執務室の窓越しに晴れ渡った空へと目を向けた。彼女の視線はどこまでも遠くを見つめたまま、照りつける日差しに抗うかの如く、しばらく動くことはなかった。

 ネヤクヌヴ星系での集結を果たした外縁星系(コースト)諸国連合軍は、ようやくスタージア星系にたどり着いて間もなく、驚くべき報せを受け取ることになった。
「スタージアからの声明が届いています!」
 通信オペレーターの叫ぶような報告が、外縁星系(コースト)軍の旗艦艦橋に響き渡る。間を置かずして、艦橋中央のホログラム映像投影盤に浮かんでいた天球図に代わり、白い長衣に長い金髪を背後に垂らした男の上半身が映し出された。映像からも伝わる柔和な雰囲気をまとう彼が、スタージア博物院長アンゼロ・ソルナレスであることは、誰の目にも一目瞭然であった。
「《原始の民》より連なる人類の歴史を、その“始まりの星”から見守り続けた民のひとりとして、銀河系人類の皆さんに謹んで申し上げます」
 壮年の男らしく低く重い、だが聞く人の耳朶に残る明瞭な声で、博物院長はまるで艦橋に揃う全員に向かって語りかけるようにして口を開いた。
「人類はこれまで様々な困難を経験してきました。中には血で血を洗う、凄惨な出来事も数多く含まれます。スタージアの民は銀河の果てにあって、それらの出来事に対して常に忸怩たる想いを抱えたまま、ただ犠牲者の冥福と、能う限りの平和の回復を祈り続けることしか出来ませんでした」
 長い睫毛を伏せながら沈痛の面持ちを浮かべていたソルナレスの映像は、次の瞬間には面を上げて心持ち目を見開き、金色の瞳を露わにする。
「ですが今からおよそ二百年前、我々はこの銀河系人類に貢献する術を得ました。即ち多くの異なる惑星国家を結びつけるという銀河連邦の樹立に向けて、皆に呼び掛けるという役目を担うことが出来たのです」
 ソルナレスの言葉を聞いて、艦橋内にざわめきが走った。
 もしや博物院長は、スタージアは、銀河連邦――第一世代に与する旨を公にするつもりか。艦橋にいる面々はお互いに怪訝な顔を見合わせ、博物院長の映像を固唾を呑んで見持っている。
「お互いの諍いを知恵をもって共に乗り越えようという銀河連邦の理念に基づき、以来この銀河系では目立った争いもなく今を迎えることが出来たのは、皆さんもご存知の通りです。しかしここに至って、その銀河連邦の内で再び大きな騒乱が生じています」
 声明の内容の雲行きがいよいよ怪しくなって、その場に居合わせる面々の顔に焦燥が浮かぶ。ソルナレスの映像はまるで彼らの表情が見えているがごとく、それぞれに対して慈しむかのような視線を投げかけてくる。
「お互いに諍い、争うという人の本能は避けがたいのかもしれません。ですがこの銀河系人類社会の原初から在り続ける民のひとりとして、あえて申し上げたい。目的のため、あるいは報復のために暴力に訴えても、最終的な解決には程遠いのです。今こそ、これまで培ってきた知恵と経験を活かすときでしょう。私は銀河系人類が相争う姿を見ることになるのが、これで最後となることを、切に願います」
 そう言うとソルナレスは瞼を閉じ、拳に固めた右手を心臓の位置に当てた。博物院長が公式なメッセージを送るときの、決まったポーズを見せてから、ホログラム映像は動きを止めて間もなく霧消した。投影盤の上に再び漆黒の天球図が浮かび上がっても、艦橋のざわめきは止むことはなく、むしろますます喧噪を増す。
 この声明はオープン回線を使用して、銀河系中のあらゆる連絡船通信を通じて全国各地に配信されている。一週間もすれば銀河連邦の内外を問わず、全ての人々の耳目に届くことだろう。
「どういうことだよ、シャレイド」
 艦橋の、幕僚たちが居並ぶ列から一歩下がって、モズは通信端末(イヤーカフ)に小声で囁きかけた。スタージアにいる友人に向かって問い質す声には、少なからず非難が込められている。
「スタージアは外縁星系人(コースター)に味方したんじゃないのか。今の声明じゃまるで休戦を呼び掛けるみたいじゃないか」
「安心しろよ、モズ。スタージアとの交渉は成立している」
 通信端末(イヤーカフ)から聞こえる声は、至って悠長だ。それがまたモズの苛立ちを搔き立てる。
「じゃあなんだよ、さっきの声明は」
「あれは博物院長が連邦の要請に応じて出したんだ。一字一句読み返せばわかるが、具体的に俺たちを名指ししているわけじゃない」
「どういう意味だ」
「あの声明で実際に動きを封じられるのは、エルトランザだ。連中はスタージア星系での結果を見てから介入を判断するつもりだったが、これでどちらに転んでも動きづらくなった」
 シャレイドの解説を聞いて、モズは片方の眉が大きく跳ね上げる。
「エルトランザの助けは得られない、てことか」
「そうなるな。それなりに当てにしてたんだが、鮮やかに封じられたよ」
「感心している場合じゃないだろう」
 思わず大声を張り上げそうになって、モズは慌てて己の口元を掌で塞いだ。
「それじゃあ、もしここで勝ってもその後が続かないじゃないか」
「落ち着けよ。お前の声は通信端末(イヤーカフ)越しでもよく聞こえる」
 おそらく肩を竦めているだろうシャレイドの姿が、モズの脳裏をよぎる。この期に及んで、苛立たせようとしているとしか思えないその声音が、どうしようもなく腹立たしい。すぐに返事をしては再び声が大きくなってしまうことを恐れて、モズは一息大きく深呼吸した。
「……それで。勝算はあるんだろう。俺はどうすればいい」
 モズがそう答えると、通信端末(イヤーカフ)の向こうでシャレイドの口角が吊り上がるのが目に見えるようであった。
「さすが、よくわかってるな。これから作戦を伝えるから、一字一句逃さず頭に叩き込んでくれ」
 シャレイドの言う作戦を聞き終えたモズは、大きな丸い目をこれ以上無いほど見開く羽目になった。
「馬鹿げてる」
「これしかないんだ、モズ。スタージア星系の最奥――《星の彼方》方面には、航宙局も把握していない未知の力場が作用する宙域がある。俺たちはこれを利用する」
「そんな都合の良い力場なんて聞いたことが無いぞ。お前こそ、本当は博物院長に担がれてるんじゃないか?」
「どちらかというと、持ちつ持たれつだ」
 シャレイドが漏らした一言に、モズが首を傾げる。
「エルトランザの助けはないし、俺たちの戦力はかつかつだ。どっちにしろ俺たちはここで決着をつけるしかないんだよ」
 モズの疑問を封じるように発せられたシャレイドの言葉は、確かにその通りであった。そして真っ向から戦えば、今度は戦力がはるかに劣るだろう外縁星系(コースト)諸国連合軍に勝ち目はない。
「わかったよ。まともにぶつかったとしても、負けは目に見えているからな。問題はまず、味方にどうやって説明するかだが……」
 ため息をつきながら作戦を承諾したモズに、シャレイドは笑声混じりに告げた。
「大丈夫だよ。お前のお人好しな外面なら、味方の説得なんてわけないさ」
 それが一番の難事業だというのに、簡単に言ってくれる。
 思えば彼の兄アキムに面倒を見るよう頼まれて以来、モズはシャレイドの言うことに振り回されっぱなしだ。この大一番でもその関係に全く変化が無いことに、呆れ果てるべきかどうか。
 ただ、事ここに至ってなおいつもと変わりが無いという事実は、モズに腹を括らせることにもなった。いつもと同じなのだと思えば、肩に張り詰めた力もいくらかは抜ける。
「作戦の首尾は我らが軍事顧問さまにかかってる。頼んだぜ」
 シャレイドの心にもない激励もいつものことだ。モズは適当に答えて通信を切ると、大きく一息吸い、吐き出してから、目の前の幕僚たちに向き直った。
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