4-2-5 暗中模索

文字数 5,769文字

 惑星ジャランデールのシャトル発着場に着いたフランゼリカ・ゲラントの第一声は、「暑苦しい星ね」だった。
 低緯度に陸地が集中しているジャランデールは、必然的に赤道付近に居住区域が集中している。ジャランデールの首都部は開けた乾燥地帯に位置しており、肌に突き刺さるような厳しい日差しを避けるため、コートやローブに身を包む人々が多い。フランゼリカもフード付きの白いローブを羽織り、頭からフードを被っている。
「テネヴェに慣れた後だと、ここの気候はきついかもしれませんね」
 出迎えの現地の保安庁職員が、彼女と同じように被りこんだフードの下からそう声をかけた。
「よそからジャランデール支部に赴任される方は、だいたいまずこの暑さに根を上げられます」
 職員の言葉を聞いて、フランゼリカは不審げに問い返した。
「ジャランデール支部のメンバーは外縁星系(コースト)外出身者中心と聞いていたんだけれど、そうじゃない職員もいるの?」
「上層部はそうですが、現場の人員はジャランデール人がほとんどですよ。それはどこの支部でもそうなのではありませんか?」
 彼の言う通り、保安庁は現地の人間を採用し、そのまま現地配属とすることが原則である。現地の情報や土地勘などが重視されることの多い職業柄というのが最たる理由だが、それにしてもジャランデールでも原則そのままだとは思っていなかった。何しろ現在の第一世代と外縁星系人(コースター)の対立の端緒となった、大暴動のあった土地なのだ。いずれ配置の転換を上申することも考えなければならない。
「そういえばあなたは? ええと……」
 そこまで口にして、この職員の名前をきいていなかったことに、フランゼリカは気がついた。
「申し遅れました。ゲラント管理官の補佐を仰せつかってます、モズと申します。不明なことがございましたら、なんでもお申し付けください」
 フードを脱いだ下から現れたのは、肉付きの良い顔立ちに大きな目の、全体的に丸い印象を与える中年男性の赤ら顔だった。
「酔っ払っていると勘違いされることが多いんですが、この顔は地なんです。ご容赦ください」
 本来なら白い肌なのだろうが、日差しの強いこの土地では赤味が増してしまうのかもしれない。モズの自己紹介がおかしくて、フランゼリカは尋ねかけていたことも忘れて思わず吹き出した。
「確かに、初対面だとアル中にしか見えないわね」
「酒は好物なんで、ますますよく間違われます」
 モズがおどけた調子で応じる。彼の案内に促されて、フランゼリカはそのままシャトル発着場からオートライドに乗り込んだ。
 保安庁ジャランデール支部にまで至る道は、大通りをスムーズに走り抜けることが出来た。それどころか道中で擦れ違う車もほとんど見当たらず、歩道を行き交う人影もごくわずかだ。大通りの脇にはいくつもの建物が連なっているものの、どこもかしこも人の気配が感じられない。まるでゴーストタウンのような街並みを目の当たりにして、フランゼリカは尋ねずにはいられなかった。
「ここは首都のメインストリートなんでしょう。それにしては随分と寂れているのね」
 後部座席からの彼女の問いに対して、運転席に座るモズは振り返らずに答えた。
「我々保安部隊の警備が行き届いておりますので。少々行き届きすぎて、表はいつもこんな感じですよ」
「そうは言っても、普段の生活というものがあるでしょう」
「どこでもそうでしょうが、裏街区的なものがありましてね。どうしても警備が後手に回らざるを得なくて、人々の生活の中心もそちらに移っているようです」
「裏街区ね……」
 オートライドのガラス窓越しに生活感の乏しい街並みを眺めながら、フランゼリカはそう呟いた。
「でも、来月になったらおそらく、この大通りも賑わうと思いますよ」
 モズが思い出したように振り返り、大きな丸い目を向ける。
「来月? 何かあるのかしら」
「彼女が帰ってくるんですよ。ジャランデール代表連邦評議会議員、ジェネバ・ンゼマ。テネヴェで孤軍奮闘する彼女は、ジャランデールで一番の人気者ですからね。きっと歓迎する人たちで溢れかえることになるでしょう」
 モズの口調は、どこかしら浮ついているように聞こえた。
 ジェネバ・ンゼマという名前は、フランゼリカももちろん知っている。暴動の当時は彼女自身が連邦通商局のジャランデール支部に勤めていたために逮捕こそ免れたものの、保安庁では要注意人物としてリストアップされている女だ。
 何しろ彼女はブライム・ラハーンディ――ジャランデールの教育に尽力し、没後も慕われ続ける人物――の、最後の愛弟子として知られている。暴動後に通商局を辞した彼女は、その後政治活動に転じて連邦評議会議員に選び出された。今では行政長官よりもジェネバこそがジャランデールの指導者と仰ぐ者も多い。暴動で指導者層がこぞって逮捕されたジャランデールにおいて、リーダーとなり得る数少ない人物なのだ。
 そして彼女の師、ブライム・ラハーンディこそは、シャレイドの祖父でもある。シャレイドもまた、ジェネバと同じくジャランデールのリーダー候補のひとりに違いない。
「当日の警備体制はどうなっているの?」
 フランゼリカの質問に、モズの陽気な声が答える。
「もちろん万全です。後ほど、管理官にもご確認頂くつもりですよ」
「そうね。お願いするわ」
 フランゼリカは無意識に親指の爪を噛みながら、頷いた。
 彼女がジャランデールに赴任した一番の目的は、この星に潜んでいるだろうシャレイド・ラハーンディを見つけ出し、捕らえるためである。ジェネバ・ンゼマの帰国によって大群衆が集まるというのなら、警備の目も行き届きにくくなり、その隙を突いてシャレイドも動き出すかもしれない。
 言い換えれば、潜伏している彼が表に出てくる可能性があるとも言える。
 赴任早々にチャンスが巡ってきたかもしれない。オートライドに乗り込んでも被り続けたままだったフードの下で、フランゼリカは思わずほくそ笑んでいた。

(ジノ・カプリとジェネバ・ンゼマが接触した)
 ひとつの思念がそう告げる。
 その言葉に反応する思念の数は、およそ万を超えた。めいめいがそれぞれの思惑を口にしているようでいて、そうではない。多様な意見もいくつかのパターンに集約されて、議論が容易なレベルまで整理された上で、表出する。雑多な思念をまとめ上げるための手法として、約二百年かけて編み出された思考形態だ。
(ジノ・カプリは第一世代と外縁星系人(コースター)との融和、あるいは協調を目指しているわ)
(最終的な目標としては良い。だが、彼の場合はいささか性急すぎるだろう)
(彼のような存在は必要だが、今の時点では大人しくしてもらうべきだ)
(もちろん、監視は継続してるわ。それよりもジェネバ・ンゼマよ)
 その名を挙げられて、太い眉が微かに跳ね上がった。
(ジノ・カプリと接触したのは、あくまで外縁星系人(コースター)と第一世代の橋渡し役を期待してのことだ。彼を外縁星系人(コースター)側に引き込むことまでは考えていない)
(シャレイド・ラハーンディが描いた絵図だぞ。やはりあの男が裏で取り仕切っている)
(彼女の思考を読む限り、シャレイド・ラハーンディがジャランデールにいるのは間違いないわ)
(だけど、連絡船通信ではふたりの通信記録は見当たらない。だとするとジェネバ・ンゼマの前回帰国時の連絡が直近のものであることは間違いない)
(となると次の帰国時にもふたりが連絡を取り合う可能性は高いな)
(ジェネバ・ンゼマもそのつもりでいる。もっとも具体的な日時や場所などは決まっていない)
「結局、シャレイド次第ということだ」
 安全保障局本部ビルの一室で、ひとりデスクチェアに腰掛けたまま、その言葉を口にする。真っ暗な室内に灯るのは、デスクの上のホログラム・スクリーンの明かりのみ。そのスクリーン上には、なんの映像も文字も浮かんではいなかった。ただデスク上で湯気をくゆらせるコーヒーカップと、その先の人影を浮かび上がらせるためだけの、照明以上の役割を果たしていない。
「シャレイドの捕捉は、フランゼリカに任せてある」
(赴任したばかりの土地で、思うように指示が出せるものか。彼女にそれほどの力量があるとは思えん)
(あら、別に捕まえることは期待してないんでしょう。どちらかといえば、シャレイド・ラハーンディを燻り出すための発煙筒みたいなもの)
(あの男の捉えどころの無さは尋常じゃないからな。とにかく表に出てきてもらわないことには、始まらないよ)
(先天性N2B細胞欠損障害なんて、とても信じられない。精神感応力を備えているとしか思えない抜け目の無さだ)
「シャレイドがオルタネイトを常用しているのは間違いない」
 そう口に出して、無地のスクリーンに視線を落としたまま、カップを一口啜る。
(オルタネイトの流通経路から居場所を探し出せないのは、誤算だった)
(ちょっとした医療施設があれば、簡単に製造出来るからね。製法を編み出したドリー・ジェスターが凄すぎるのよ)
(なんにせよ、シャレイド・ラハーンディとジェネバ・ンゼマ、このふたりを抑えることが出来れば外縁星系人(コースター)の反連邦活動も勢いを失うだろう)
外縁星系人(コースター)を宥めるのはそれからだ。そのときこそ、ジノ・カプリも出番を得る)
 四角い顎を撫でながら、凝り固まった肩をほぐすように首を傾ける。スクリーンの明かりに照らし出されながら、モートン・ヂョウは何度か瞼をしばたたかせた。
「ジノにはその日まで暴走されないよう、しっかりと見張っておかないといけないな」
 彼のその一言をもって、当座の議論は終了となった。めいめいの思念はそれぞれが手がけている現場に集中する。思念が散開する気配を脳裏に感じながら、モートンはゆっくりと席から立ち上がった。
 シャレイドをなんとしても見つけ出すのだ。その想いは、思念の渦に絡み取られてしまった今も、変わることはない。
 保安庁には最初の任地は出生地優先という原則がある。モートンもまた、生まれ育ったテネヴェでキャリアをスタートさせた。その途上で安全保障局員に抜擢された彼が、入庁以来一度もテネヴェ星系の外に出たことがないとしても不思議ではない。
 しかしそれ以上に、彼にはもはやテネヴェ星系を飛び出ることの出来ない理由があった。
 安全保障局員となってどれほど経ってからのことだろうか。モートンはいつの間にかこの、数多の思念たちの見えない腕に絡み取られていることに気がついた。ふと気を緩めれば、思念の統合体に放り込まれて融合を誘われる。やがてその正体を知らしめられた頃には、もはやモートンは膨大な思念の塊の一部であることに疑いも抱かなくなっていた。
 彼を包み込むようにあるその存在は自らを《クロージアン》と名乗り、想像を絶する精神感応力を備えていた。今や銀河系最大の惑星都市テネヴェの全てを見聞きし、干渉し、そして記憶することが出来る。その対象は人間に限らない、ありとあらゆる機械群まで思いのままだ。
《クロージアン》の精神感応力を知ったモートンは、その力をもって安全保障局のデータベースにアクセスすることを望んだ。強烈に望んだのだ。彼の望みは《クロージアン》にとってさしたる重要性もなかったが、にもかかわらずモートンの想いは《クロージアン》に力を行使させた。機械を通じて安全保障局の中枢に手を伸ばし、まだ閲覧権限の無い情報に触れることが出来たのである。
 モートンの強力な意思は、《クロージアン》を己の意の下に捻じ伏せてみせた。
 そこで彼が求めたのは、外縁星系人(コースター)が関わったとされるあらゆる事件の記録であった。溢れかえる電子情報の山を、彼はひとつも見逃すことなく目を通し続けた。その中にはカナリーの命を奪い、最終的に千五百人以上の死者行方不明者を出した、あのトーレランス七八便事件に関する報告もあった。犯人グループは既に全員が逮捕され、然るべき刑に服している。あの事件に関してモートン自身に出来ることは、もはやない。
 さらに膨大なデータの山を掻き分ければ、ジャランデール大暴動の顛末をまとめた情報もあった。シャレイドの父サードと兄アキムが主犯として逮捕され、今に至る第一世代と外縁星系人(コースター)の対立の狼煙となった事件である。アキムが釈放後間もなく衰弱死したことは知っていたが、サードもまた獄中で取り調べ中に死亡していたことを、モートンはそこで初めて知る。
 だがそこで彼は真に望む情報――シャレイド・ラハーンディの所在を見出すことは、ついにかなわなかった。
 既にその頃には、シャレイドは外縁星系(コースター)によるテロ事件の首魁のひとりではないかと目される存在であった。ジャランデール大暴動の主犯と目された父と兄を持つ、神出鬼没の黒幕。それが当時の保安庁が抱くシャレイド像であった。多くの事件の裏でシャレイドらしき人物の存在についての報告はある。ただ彼が事件に関与したという確実な証拠はどこにもなく、いずれの報告でも重要参考人として名前が挙げられているのみ。
 シャレイドの行方はモートンがこれまで《クロージアン》の全力を動員しても、杳として知れなかった。
 それがここに来て、彼がジャランデールに潜伏しているという確度の高い情報がついに得られたのである。この機を逃すわけにはいかない――それはモートンにとって渇望にも似た想いであった。
 お前ともう一度会って話したいんだ、シャレイド。
 あのとき俺はどうするべきだったのか、保安庁に進んだ俺はまた間違ってはいないか、これから俺はどうするべきなのか。
 お前と話さなければいけない気がするんだ。
 カナリーを失ったあの日から足元も覚束なくなってしまったモートンにとって、シャレイドとの絆は蜘蛛の糸にも似た唯一の頼りの綱であった。シャレイドを探し出すという彼の執念に似た想いがある限り、今もって《クロージアン》という巨大な思念の群れの中にあっても、彼はモートン・ヂョウという意識を頑なに保ち続けている。
 イェッタ・レンテンベリが銀河連邦を作り上げた時代から連綿と続く、テネヴェの中枢を支配するという巨大な思念の統合体――《クロージアン》と《繋がった》モートンは、むしろ彼らを従えその能力を最大限に活用しながら、シャレイドを探し続けているのだ。
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