4-1-9 復讐の檻に迷い入る(1/3)

文字数 8,225文字

 銀河系の住人たちは皆、そのルーツである《原始の民》に祈りを捧げるために、毎年の祖霊祭を欠かさない。ジェスター院の場合は四回生たちの卒業式と時期が重なることもあって、在校生が卒業生を送別するための、年に一度の特別なイベントだ。
 ジノたちを快く送り出すために、モートンやカナリーもこの日のために様々な準備を進めている。準備のさなか、去年の祖霊祭では大活躍だったシャレイドの不在をふたりとも痛感していたが、その件についてはお互いに示し合わせたように触れようとはしなかった。
 シャレイドがジャランデールに向かったことをモートンから打ち明けられたとき、最初カナリーはひとりで彼に会いに行ったモートンを責めた。そして「元気でいろ」という一言しか残さなかったシャレイドを詰った。散々当たり散らしたのは、彼女自身がシャレイドの決断を納得するための、儀式のようなものだったのだろう。やがて真っ赤に泣きはらした顔で、なおえずきながら、カナリーはモートンに尋ねた。
「シャレイドはきっと、無事にジャランデールに帰れるよね?」
 彼女の問いに、確答など出来るはずもない。だがモートンは自信を持って言い切った。
「当たり前だろう、あのシャレイドだぞ。保安庁の目を盗んで逃げ切るのも、わけないさ」
 半泣きの顔に無理矢理笑顔を浮かべるカナリーに、モートンが穏やかに頷き返す。モートンの言葉にはなんの根拠もない。だがシャレイドだからというそれだけの理由で、シャレイドの無事を確信出来る。ふたりにとってはそれで十分だった。
 その日から、カナリーがシャレイドの不在について口にすることはない。モートンもあえて話題にしようとはせず、やがて卒業式兼祖霊祭の準備に追われるようになると、それどころではなくなっていく。
 そして卒業式まで残り三日という日に、その事件は起きた。
 院内の祖霊祭に先駆けて、ミッダルトの市街地や祖霊祭会堂の周りでは既にお祭り騒ぎが繰り広げられていた。昨今の不穏な世情を反映して、街中には警備用のドローンが頻繁に飛び交い、また規模そのものも例年に比べれば縮小されていたが、それでも祭に浮かれて街に繰り出す人々は多い。その日、ジェスター院生御用達の店もある大通りは、様々に装われた山車が連なるパレードの会場として、大勢の人混みに埋め尽くされていた。
 パレードにはミッダルトの政府首脳が観覧のために出席するのも、例年の習わしだ。元首以下数名の要人たちがまとまって座る観覧席の前を、華やかな山車が一台、また一台と通り過ぎていく。そして七台目の、特に背の高い尖塔を模した山車が通りかかった瞬間、山車の中から爆発するような轟音が鳴り響いた。
 あっと思う間もなく、巨大な山車は観覧席に向かって、地響きのような音と共に倒れ込む。
 周囲の客たちが悲鳴を上げながら、ある者は立ちすくみ、ある者は逃げ惑う。その中には、山車の下敷きになった人々の名を叫びながら、必死で助け出そうとする者の姿もあった。
 ミッダルトで最も華やかであるはずのパレードは、一転して阿鼻叫喚の惨状となってしまった。
「今年の卒業式及び祖霊祭は、中止になった」
 事件の翌日、卒業式兼祖霊祭の運営委員を務めていたモートンは、準備を進めてきた仲間たちの前で、沈痛な面持ちのままそう告げた。
 抗議の声は上がらなかった。誰もが残念がると同時に、状況を受け入れざるを得ないという諦めの表情を浮かべている。
「仕方ねえよ。昨日、あんな事件があったばかりだしな」
「しかも犯人が、ねえ」
「うちの院生が関わってたんじゃ、さすがに世間も許してくれないよね……」
 パレードの山車の倒壊は事故ではなく事件であることが、直後の捜査によって判明している。山車の中に巧妙に仕掛けられた爆弾を遠隔操作することで、観覧していた要人たちを狙ったものだ。だが山車は犯人たちの狙い通りには倒壊せず、観覧席の隣に集まっていた一般の観客たちの上に倒れ込んでしまった。十名の重軽傷者に、幼い子を含む三名の死者を出したこの事件の犯人は、既に捜査当局によってその何名かが逮捕されている。
 その中に、ジェスター院の一回生が一名、含まれていたのである。
「なんてことしてくれたんだよ、外縁星系人(コースター)の奴!」
 イベントの中止に対する不満は、外縁星系人(コースター)に対する罵声となって噴出した。逮捕されたジェスター院生は外縁星系(コースト)の出身だったのだ。
「やっぱり移動新法は正しいんだ。こんなことしでかす奴らがノーチェックであちこち行き来出来るなんて、犯罪者を野放しにするのと変わらないからな」
 仲間のひとりが口にしたのは先日の連邦評議会で採択された、連邦域内の移動に関する新法案のことだ。保安庁に危険人物としてリストアップされた人々の移動を制限するという、一見当然に見える法案だったが、多少なりとも目端の利く者ならその真意を見抜くことは容易かった。
外縁星系人(コースター)なんて全員危険人物みたいなもんなんだから、外縁星系(コースト)に閉じ込められていればいいんだよ」
 まさにそれこそがこの新法の狙いだろう。制限対象となるのは犯罪者ではなく“保安庁が危険と見做した人物”なのだ。そして保安庁が危険と見做す相手が外縁星系人(コースター)であることは、もはや誰の目にも明らかであった。
「うちの院も、いい加減に外縁星系人(コースター)の入学を断ればいいのに」
「いずれ外縁星系(コースト)外にいる外縁星系人(コースター)は、みんな本国に送還されるようになるんじゃない。あの犯人の一回生だって、それを恐れてあんな事件を起こしたんだろうから」
 ミッダルト代表の連邦評議会議員は、新法の採択に向けて積極的に賛同したと報じられている。つまりミッダルト政府も法案に賛成だったと考えて差し支えない。仲間たちの噂話はあながち的を外してはいないだろう。
 彼らが外縁星系人(コースター)への非難に夢中になる中、モートンは無表情のまま、何も言わずにその場を立ち去った。
「待ってよ、モートン」
 早足で院の敷地内を歩くモートンを、カナリーが小走りで追いかける。だが彼女の声が聞こえていないのか、モートンの足は止まろうとしない。モートンの背中がずんずんと先を行くのを見てカナリーは頬を膨らまし、今度は全速力で駆け出した。
「待ってって言ってるでしょう!」
 結構な衝撃を背後に受けて、モートンが長身をよろめかせる。前につんのめりそうになったモートンは、上着の背中をぐっと掴まれてなんとか踏みとどまった。
「何するんだ!」
 モートンはそう言って振り返り、それ以上何も言えなくなってしまった。彼の上着の端を両手で掴むカナリーは、まるで泣き出しそうな顔で彼を見上げている。
「ひどいよ。私だけ置いてけぼりにして、ひとりで行っちゃうなんて」
 カナリーは片手で目尻を拭いながら、残る片手がなおもモートンを離そうとしない。シャレイドが消息を絶って以来、陽気が取り柄だったはずのカナリーが、モートンの前では涙を見せることが多くなっている。
「あんな話題で盛り上がっているところに取り残されても、私どうすればいいの」
「……俺が悪かったよ。だから泣くな」
 モートンの大きな手が栗毛の頭の上にぽんと置かれて、カナリーが小さく頷く。
 ふたりはそのまま肩を並べて、どこへ行くともなく再び歩き出した。
「みんな、シャレイドのことはもう忘れちゃったのかな」
 カナリーの呟きに、モートンは「どうなんだろうな」という答えにもならない返事をすることしか出来なかった。仲間たちはふたりがシャレイドと親しかったことを承知しているはずなのに、もはや彼らの前でも憚らずに外縁星系人(コースター)を罵るようになっている。
 ふたりの周囲だけではない。
 ミッダルトに限らず、外縁星系人(コースター)を敵視する声は既に銀河連邦中に広まっている。その原因は、ジャランデールの暴動が鎮圧されて以降かえって激しさを増した、外縁星系人(コースター)の抗議活動にあった。彼らの活動は外縁星系(コースト)各地から外縁星系(コースト)外まで飛び火し、昨日のパレードのように暴力的な事件を引き起こす場合も少なくない。
 外縁星系人(コースター)と第一世代の対立は、既に引き返せないところまで来ている。
「昨日の事件の犯人なんだけどさ」
 モートンは切れ長の目に暗い表情を浮かべて、おもむろに口を開いた。
「俺、そいつの顔知ってるんだ」
 カナリーが驚いた顔で、モートンの顔を見返す。
「知ってるの? 誰?」
「名前は知らない。でも、覚えているか? 俺がアッカビーと揉めて、お前が仲裁に入ったの」
「そういえばそんなことあったね」
「あのときアッカビーたちは、一回生の女の子を寄ってたかって脅していたんだ」
 モートンがそこまで言って、カナリーは細い眉をひそめた。
「それって……」
「ニュースで流れてた犯人の顔、その子だった」
 モートンの顔は、まるで彼自身がどうしようもない業を背負わされたかのように、苦渋に満ちていた。その場で彼の足が止まり、カナリーもまた歩みを止める。
「俺はいったい、何をやっているんだろう」
 大きな手で顔を覆いながら、モートンは苦しげに呻いた。
「どいつもこいつも、相手の息の根が止まるまでお互いに殴り合わないと気が済まないんじゃないか、行き着くところまで行かないと、この状況はどうしようもないんじゃないか。そんなことばかり考えてしまう」
「モートン」
 わずかに震えているように見えるモートンの背中に、カナリーがそっと右手を添える。だが彼女の温もりが彼の全身に行き渡るには、その掌は余りにも小さすぎた。
「カナリー、俺はもうどうすればいいのか、わからないよ」

「俺はいずれ、政治家になろうと思う」
 例年に比べて寂しい卒業式となってしまったその日、わざわざ仕立てたに違いないぱりっとしたスーツに身を包んだジノは、モートンとカナリーに向かってそう宣言した。
 ジェスター院の卒業式では、銀河系中で正装とされる長衣をまとう者は少ない。
 初代学長のドリー・ジェスターはスタージア嫌いで知られており、スタージアの博物院生たちが着用する長衣姿にもいい顔はしなかったため、というのがもっぱらの定説だ。ジェスター院から博物院へは毎年研修生が送り出されているが、その内のひとりも博物院生に採用されないことが、彼女の癇に障ったのだろうと伝わっている。噂の真偽のほどはともかく、彼女が晩年に「人類の拡散」を唱えたのは、スタージアから離れて、いわば独り立ちすることこそに人類の未来がある――そう信じての提言だということは、彼女自身が明言している。
 だが彼女の言う通りに切り拓かれた外縁星系(コースト)が、今や銀河連邦の最大の危機を産み出しているのは、なんとも皮肉な話だった。
「ジェスター院にいる間、俺は今置かれている状況に対して何も出来ない自分が、歯がゆくて仕方なかった。何とかしようと思ったら、自分で行動するしかない」
 モートンとカナリーは、ジノにとって最後となるカフェテリアでのひとときに付き合っていた。タンブラーに注がれたコーヒーを片手に、口髭を震わせながら真っ直ぐに決意を語る友人の顔が、モートンの目には眩しく映る。
「ジノはゴタンで法律家になるんじゃなかった?」
 カナリーの言葉に、ジノは小さく笑って答えた。
「ああ、地元の代理人事務所で働く予定だよ。トラブルを抱えた人々の間に入って仲裁するって仕事だ。そこで経験を積んでからの話だな」
「そういえば政治家も似たような仕事かもね。相手にする人の数が桁違いだけど」
「確かに、ジノには向いてるかもしれない」
 モートンにとってジノ・カプリとは、出会ったときからプライドの高い優等生型の秀才であり、その印象は今でも変わらない。だが同時に、これまでジェスター院で出会った誰よりも芯の太い男だとも思う。
 彼は自身を高めることに最も重きを置いているし、そんな自分に誇りを抱いている。正しいプライドの在り方を心得ているのだろう。だから己の失敗や敗北にも向き合えるし、相手のことも慮れるのだ。アッカビーのように偏屈な男とも対等に付き合えるのだから、きっと多くの人の声に耳を傾けることが出来るに違いない。
「俺はどちらかというと、モートンの方が政治家向きだと思っているんだけどな」
 ジノにそう言われて、モートンは予想外という顔で首を振る。
「俺には無理だよ。いつも迷ってばかりだし、目の前のことで手一杯だ」
「目の前と言ったって、お前の目には普通の人よりも色んなものが見えているんだと思うけどなあ。色々見えすぎて迷ってしまうんだろう」
「今さら買い被っても、なんにも出ないぞ」
「そいつは残念だ。次に立方棋(クビカ)を指すときには、手心を加えてもらうつもりだったのに」
 モートンとカナリーはそろって顔を見合わせて苦笑した。ジノは冗談が今ひとつなのが玉に瑕だ。そのままコーヒーを啜っていたジノは、ふたりの表情には気づかないまま言葉を続ける。
「またみんなで対局できればいいんだが」
“みんな”という言葉に、ここには居ない人物が含まれていることを読み取って、モートンもカナリーもつい表情を沈ませる。今度はジノもふたりの顔に気がついて、彼もまた少し神妙な顔つきになった。
()()()は無事に帰れたのかな」
 あえて名前を伏せながら、ジノはそう呟いた。彼もモートンから、シャレイドがジャランデールに向かった話を聞かされている。その後シャレイドの消息は(よう)として知れないまま、既に半年近くが経過してしまった。
「報せがないのは良い便りなんだろう、きっと。例の移動新法が施行された後だったら、そんなことも言ってられなかったんだろうが」
「域内の移動の自由を保障するために結成された銀河連邦で、あんな馬鹿げた法案が採択されるなんて、本末転倒もいいところだ」
 タンブラーを握り締めて憤慨しながら、だがジノの声は控えめに抑えられていた。カフェテリアには彼ら以外にも別れを惜しむ卒業生たちなど多くの人々が集まっている。だがその中に外縁星系人(コースター)の姿は見えない。今やジェスター院でも外縁星系人(コースター)憎しの声が幅を効かせており、そんな中でジノのような意見を大声で唱えるのは危険だった。
「俺が目指しているのはゴタンの議員じゃない、連邦評議会議員だ。大それた望みかもしれないが、実際のところ連邦に物申すとしたらそれが一番確実なんだ」
 声をひそめながら、だがその口調には熱がこもっている。もしかしたら本当に連邦評議会議員になってしまうかもしれない――そう思わせるだけの意気込みが、ジノの熱弁からは感じられた。
「ジノが評議会議員になれば、いつかまた立法棋(クビカ)のために集まれる日が来るかもしれないな。期待してるよ」
「頼んだよ。でないと私、()()()には負けっ放しなんだから」
「それは俺も同じだ。そうだな、()()()立法棋(クビカ)でリベンジを果たすために政治家を目指すというのも、悪くない」
 三人の間に、長らく味わうことのなかった和やかな空気が流れる。ここのところ常に誰かが悩みを抱えたり苛立ったりしてばかりで、こんな風に笑い合う時間を過ごせるのは久しぶりのことだった。
「もし評議会議員になれたら、テネヴェに常駐することになるんだな。その頃には俺もテネヴェに戻っているはずだから、是非遊びに来てくれよ」
「何年先の話になるかわからないのに、気が早いな。でもそうか、モートンはテネヴェに戻るのか」
「ここに来るのも、親父の現像工房を継ぐための勉強って名目で、なんとか許してもらったからな」
「院からは導師にならないかって誘われていただろうに、もったいない。俺はてっきり、カナリーと一緒に残るのかと思ってたよ」
 そう言ってジノがカナリーの顔を見る。
「確か、カナリーは院に残るって言ってたよな?」
「ええ? うん、まあ、そのつもりではいるけど」
 突然話を向けられてカナリーは狼狽えながら答えたが、その動揺の仕方はいささか大仰だった。
「でも私は導師の推薦をもらえるレベルじゃないから、まだわかんないかな」
「推薦がもらえる奴なんて、ほんの一握りだ。そんなのなくても、準導師にはなれるさ」
「そうだね、うん……」
 カナリーの表情はどことなく曖昧で、返す言葉も歯切れが悪い。彼女らしからぬ態度を見てモートンが口を開き掛けるが、ちょうどそこにジノの名を呼ぶ声が聞こえてきた。
「しまった、もうこんな時間か」
 声のした方向に振り返るとカフェテリアの入り口辺りに、アッカビーを始めとする数人のスーツ姿の卒業生たちが待ち構えていた。これから卒業生同士で集まるのだと説明しながら、ジノが席から腰を上げる。いよいよ別れのときを迎えて、モートンとカナリーも共に立ち上がった。
「じゃあふたりとも、元気でな。絶対にまた集まって、立方棋(クビカ)を指そう」
 ふたりとそれぞれに固く握手を交わしてから、ジノは爽やかな笑顔を残してカフェテリアを立ち去っていった。やがて彼の姿がほかの卒業生たちに混じり、その集団が見えなくなってからも、ふたりともしばらくそのままそこから動こうとはしなかった。
外縁星系人(コースター)も第一世代も、私たちみたいに立方棋(クビカ)の対局で片をつけられればいいのにね」
 カフェテリアの入り口に目を向けたまま、カナリーはため息混じりに一言を漏らした。
立方棋(クビカ)でやり合う分には、リベンジし合ったってお互いに鍛えられるけど、現実に復讐なんか始めたらきりがないよ。自分がやり返せば、今度はまた相手にやり返されるかもしれないんだから」
 カナリーが頭に思い浮かべているのは、ジャランデールの暴徒に姉を惨殺され、その報復としてシャレイドを通報したであろうフランゼリカのことだろうか。それとも保安庁に父を拘束され、兄を失ったシャレイドが、今後どんな行動を取るのかを危惧しているのだろうか。
「復讐の連鎖だな。でも一度囚われてしまったら、なかなか抜け出すことは出来ないんだろう」
「そうかもしれないけど……じゃあ、モートンはそれでもいいっていうの?」
「馬鹿馬鹿しいとは思う。でも、例えば誰か身内が被害に遭ってしまったら、俺だってどうなるかはわからないよ」
 兄の死を語るシャレイドの顔を思い出すと、モートンは復讐に駆られる者たちを簡単に否定することはできなかった。例えそれが不毛な未来を突き進もうとすることになるのだとしても。
「もう、そういうことを聞きたいんじゃないのに」
 モートンの言葉を聞いたカナリーは不満そうに口を尖らせて、ぷいと顔を背けた。唐突に不機嫌になる彼女に戸惑いながら、モートンは仕方なしに尋ねる。
「なんだよ」
「それでも俺がなんとかするとか、格好いいこと言えないの?」
 視線を逸らした彼女の声が微妙に震えていることに、モートンは気がついた。
「どうしたんだよ、いったい」
「だって、このままだとミッダルトもいつまたテロ騒ぎが起こるかわかんないんだよ。ジェスター院の中だって、何があるかわかんない」
「パレード事件の犯人が院生だったから? お前がそんなこと心配するなんて、なんだかさっきからおかしいぞ」
 モートンがそう言って肩に手を掛けても、カナリーは振り返ろうとしない。頑なに背を向けたまま、栗毛頭の少女は囁くような小声で呟いた。
「お父様がそう言うの。ミッダルトは、ジェスター院は危ないって」
 彼女の言葉にモートンは肩に置いた手を思わず浮かせて、そのまま硬直させる。
「お父様って……」
「今朝、連絡船通信が届いたの。すぐ帰国しろって」
 そしてようやく振り向いたカナリーの顔には、今までモートンが見たこともない、縋りつくような表情が浮かんでいた。
「どうしよう、モートン。私、まだ帰りたくないよ」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み