4-3-3 クレーグ・ホスクローヴの逡巡
文字数 9,390文字
トゥーラン星系には、外縁星系 諸国の兵力が続々と集結している。各国の守備艦隊はトゥーラン宇宙港近辺の宙域に揃い踏みし、その光景は壮観と呼んで差し支えない。
「よくぞこれだけ集まったもんだな」
トゥーラン宇宙港を訪れたモズは、ロビーの窓ガラス越しに見える宇宙船の群れを目にして、率直に感動した。宇宙港からは相当の距離を取ってはいるものの、見たこともないような数の宇宙船がずらりと並ぶ様子は圧巻だ。数だけなら連邦軍相手にも引けを取らないだろう。
壮観を前にして大きな目を輝かせていたモズは、窓ガラスに張りつきながら見入るうちに、その肉付きの良い顔を徐々に曇らせていった。
宇宙船たちの群れは舳先こそ方向を揃えているが、よくよく見ればその艦種にまるで統一性がないことに気づく。戦艦、巡航艦、駆逐艦、揚陸艦から補給艦、救命艇までが、規則性も無しに混在しているのだ。各国の戦力を可能な限り掻き集めたものの、混成艦隊の域を出ないという真相を、一目で窺い知ることが出来る。
「なるほど、シャレイドが心配するわけだ」
例え大軍を集めても、この様子では寄せ集め以上の何物でもない。実際の運用は、各国軍が個別に指揮するしかないだろう。急造の連合軍だから無理もないのだが、精鋭の連邦軍を相手にするには不安がつきまとう。
モズが大軍を前にして抱いた不安は、宇宙港からシャトルで惑星トゥーランの地表に降り立つとさらにいや増した。
まずシャトル発着場からして、銃撃砲撃の惨状が生々しい傷跡を残している。オートライドを管制する自動交通システムも機能せず、モズは何年かぶりに有人運転の車に乗り込んだのだが、そこで行き着いた先もまた惨憺たる有様であった。
今回の一斉蜂起で保安庁支部と最も激しい戦いを繰り広げたというトゥーランの市街地は、その三分の一が瓦礫の山と化していた。半ば以上崩れ落ちて構造が剥き出しになった建物の脇を通って、あちこちに穿たれた砲撃の痕を避けながら、車は街中をよろめくように進んでいく。
ただ、廃墟と呼ばれても信じてしまいそうな往来を、道行く人々の姿は思いの外多かった。何より誰もが面を上げて、前へ進もうという表情を浮かべている。この星の人々が本気で、死に物狂いで立ち上がったのだということは、彼らの顔を見ればよくわかった。
車を運転していたのは妙齢の女性だったが、彼女はモズの表情に気がついたのか、街中の光景について説明する。
「ここら辺は保安庁支部に近く、最も戦闘が激しかったんです。非戦闘員も巻き込まれて、多くの死傷者が出てしまいました」
そういう彼女もまた、頭と左腕に巻き付いた包帯が痛々しい。「大変でしたねえ」と答えるモズは我ながら間抜けな反応だと思ったが、その言葉に振り返った彼女の笑顔は力強さに充ち満ちていた。
「いえ、トゥーランが、外縁星系 が自由を得るためですから。泣き言を言う人なんていませんよ!」
モズは来たるべき連邦軍との戦いに備えて、ジェネバの命で送り込まれた腕利きの軍事顧問という肩書きで、トゥーランを訪れている。運転手の彼女がモズを見る目が、希望と期待に溢れてしまうのも無理もない。
彼女の笑顔に作り笑いで応じるモズの脳裏に蘇るのは、ジャランデールを発つ前に交わされたシャレイドたちとの会話であった。
「トゥーランには外縁星系 の未来のため、礎 になってもらう」
そう言ってわずかに首を傾げたシャレイドが、線の細い赤銅色の顔立ちに薄い笑みを浮かべるのを見て、モズは背筋にぞくりと寒気が走るのを感じた。
悪企みするシャレイドの、いかにも意地の悪そうな笑顔なら散々見慣れているつもりだった。だが目の前のシャレイドの口元に閃く微笑には、今までに見たことのない、底知れぬ不吉さがつきまとう。
「俺たちが生き延びるための策はあるにはあるが、いかんせん仕込みの時間が足りない。その時間を稼ぐために、トゥーランには出来る限り連邦軍を食い止めて欲しい」
「食い止めるだけじゃなくて、そこで相手を打ち負かせば済む話じゃないか」
「それこそ万が一の話だな。いくらこちらが数を集めようとも、連邦軍とは質も経験も差がありすぎる」
ジェネバの反論に対して、シャレイドの回答はにべもなかった。
「一戦して、あとはなんとかジャランデールまで退却する。欲を言えば、損害は極力抑えながら。俺が期待するのはそれぐらいだ」
「ジャランデールまで退却したら、じゃあトゥーランはどうなるんだい」
「むしろトゥーランがどうにかされている隙に逃げるんだ」
ジェネバの抗議に対して、シャレイドは悪びれずに言い切った。
「外縁星系 全体を救うための貴い犠牲って奴だ。諦めろ」
青ざめた顔のままそれ以上言い返せないジェネバに代わって、今度はモズが眉を潜めながら尋ねる。
「シャレイド、あそこは一斉蜂起で一番戦いが激しかった星だぜ。なんとか勝利したばかりなのにほかの星のために犠牲になれって、そんなこと納得するわけがない」
「真っ当な説得が出来るとは思っていないよ」
モズに向かって振り向けられたシャレイドの顔には、我が意を得たりと言わんばかりの、口角を吊り上げた笑顔が張りついていた。
「というわけでモズ、お前の出番だ」
「俺の?」
「元保安庁ジャランデール支部の幹部にして、一斉蜂起では率先してジャランデールの解放を果たした、そんな男にしか出来ない重要な役目がある」
そう言ってシャレイドは、モズのまん丸の鼻先にベープ管の先を突きつけた。
シャレイドが彼に難題を強いるタイミングを測っていたのだと、気がついたときにはもう手遅れだった。結局モズは彼に言いくるめられて、仰々しい肩書きを引っ提げながらトゥーランを訪れる羽目になってしまったのである。
案内されるままにモズが足を踏み入れたのは、市街地の中でも比較的戦禍を免れることが出来た、トゥーランの行政府庁舎であった。外縁星系 各国の軍関係者は庁舎の会議室に集まって、急ごしらえの連合軍司令部の様相を呈している。モズが通されたのも、その会議室だった。
「お待ち申し上げておりました、モズ殿!」
モズが姿を現した瞬間、居並ぶ面々の視線が一斉に彼へと集中する。いずれも程度の差こそあるが、期待感が込められていることに変わりはない。車を運転していた彼女と同じ顔だ。
誰も彼も、いざ連邦軍との対峙を前にして、足元が覚束ないのだ。武者震いする者もいれば、今さらのように怖じ気づいた者もいるかもしれない。どちらにしても冷静でいられる方が難しいのだろう。誰かに明確な道を指し示してもらいたいと、そう考えるのも無理はない。
ろくでもない道を指し示されて、逃げ出すことも出来ずに進むしかない俺と、果たしてどっちがまし なんだか。
大きな丸い目を見開いて、愛嬌たっぷりに笑い返しながら、モズはこれから彼らを上手に欺かないといけない。シャレイドに策の全容を打ち明けられたとき、なるほどと頷きはした。しかし何食わぬ顔で実行犯を務めることが出来るかと言えば、それはまた別の話のはずだ。
「フランゼリカを騙しおおせたお前こそが、適任なんだよ」
シャレイドの言葉を思い返して、モズは内心で反論する。敵を騙すのと味方を欺くのではわけが違うのだ。
だがモズの人好きのする笑顔には、彼が抱えている葛藤など、おくびにも出ることはなかった。
ホスクローヴ提督が率いる連邦軍は、ミッダルト星系を進発して八日目には、トゥーラン星系に到達していた。
「てっきり極小質量宙域 近辺で待ち構えているものかと思いましたが、杞憂でしたね」
副官が口にした台詞は、幕僚全員が危惧していた可能性でもあった。
各星系がそれぞれの極小質量宙域 を結ぶ形で繋がれている以上、待ち伏せされる可能性は十分に有り得たのだ。だがホスクローヴは、その可能性は少ないと考えていた。
「開拓者の子孫である外縁星系人 が、極小質量宙域 を戦闘で汚す禁忌 は犯すまいよ」
三百年以上も前の同盟戦争の初期、バララトがその禁忌 を無視して勝利を得た。しかし戦場となった極小質量宙域 には未だデブリが散乱して、今もって使用不可能という有様である。
極小質量宙域 は銀河系人類全体の宝であるという観点から、バララトの犯した行為は周囲のみならず、国内からも非難を浴びた。
「あの戦いでバララトは内外の信用を失い、その後劣勢に追い込まれた。私は同盟戦争でバララトが敗北したのは、あの戦いが原因だと考えている」
「さすがに外縁星系人 も、銀河系最大の禁忌 を犯さない程度の良識はあるってことですね」
老提督の言葉に頷いて、副官が前を見る。彼らが乗艦する連邦軍旗艦の艦橋中央には、トゥーラン星系を連邦軍が突き進む様子が、巨大な球形のホログラム映像に映し出されていた。順調にいってあと一両日もすれば、連邦軍はトゥーラン星系の最外周に当たる第七惑星軌道に差し掛かる。
「索敵より報告が届きました。予想通り、敵はおそらくこの第七惑星軌道上で待ち構えていると思われます」
幕僚のひとりが報告すると同時に球形映像の一部が拡大されて、戦場と想定される宙域の詳細図が映し出された。タイミングからして、連邦軍は近接する第七惑星の目の前を通過する形になる。
「敵は惑星や衛星の陰に潜んでいる、といったところでしょうか」
「定石通りならそうだろうが、敵の布陣はどうなっている?」
「それが……」
ホスクローヴの問いに対する幕僚の答えは、やや困惑気味であった。
「どうやら敵は、正面から我々を迎え撃つ構えです」
ホログラム映像の中に、外縁星系 諸国連合軍を意味する赤い光点の群れが浮かび上がる。その光点は第七惑星やその衛星などまるで無視して、連邦軍の進路の先を塞ぐように固まって待ち構えていた。
「外縁星系 諸国の保有兵力総数から逆算しても、おそらく前面の兵力が敵のほぼ全軍であると思われます」
つまり外縁星系 諸国連合軍は、連邦軍との正面決戦を望んでいる。少なくともそう思わせる布陣だった。
「あるいは、そうせざるを得ないということだな」
老提督の呟きに、副官が確かめるように問いかける。
「というと?」
「相手はいかんせん寄せ集めだ。数はどうやらこちらを上回っているようだが、伏兵を敷いて我々を包囲するというような高度な連携は、至難ということだろう」
「なるほど。あちらさんもそれなりに苦労しているということですな」
副官の相槌を聞き流しつつ、生来の憮然とした顔つきのまま、ホスクローヴは改めてホログラム映像に目を向けた。
混成艦隊を率いる場合、下手に緻密な作戦を組み立てるよりは、単純に目の前の敵を数で押す方が、よほど勝率は高い。外縁星系 諸国連合軍の布陣は、それなりに理に適っている。ホスクローヴの思考を裏付けるのは、安全保障局の若き主任局員の言葉だった。
かつてテネヴェでモートン・ヂョウと立方棋 の対局中に、彼の口から聞いたことがある。モートンはホスクローヴも認めるほどの指し手だが、その彼でも苦戦するような立方棋 の達人が、ジャランデールにいるというのだ。
「残念ながらカナリーでも彼には歯が立ちませんでしたね。私も、彼相手の戦績は五分がいいところです」
「カナリーは私がそれなりに鍛えたつもりだが、あの子でも相手にならないとなると、相当の強者だな」
「彼女はまた負けず嫌いでしたから、暇さえあれば彼に対局を挑んでましたよ。私はいつも、そんなふたりを横から眺めているのが好きでした」
そう語るモートンの口調には懐かしさと、一抹の寂しさが混在していた。
「今、彼は外縁星系 の中枢にいるはずです。いつ提督の敵に回るかわからない。十分注意してください」
モートンが警告するその相手が、トゥーランで待ち構える敵の中にいるのかはわからない。いずれにしても、敵が進路に立ちはだかるというのなら、ホスクローヴとしてはこれを粉砕するしかない。
最大戦速で第七惑星軌道上に達した連邦軍は、情報通りに前面に展開する外縁星系 諸国連合軍と対峙する。オープン回線を通じてホスクローヴが呼び掛けた降伏勧告に相手が応じるはずもなく、ついに両者の戦端が開かれることとなった。
同盟戦争以後としては最大規模となる宇宙艦隊戦は、開戦直後から連邦軍の攻勢で進んでいった。
ホスクローヴが見抜いた通り、外縁星系 軍は足並みが揃わず、数的優位を活かすことが出来ない。その隙を連邦軍は見逃すことなく、的確に攻撃を仕掛け続ける。全体的に連邦軍優位の戦況のまま、外縁星系 軍はずるずると戦線を後退させていった。その戦力はじわじわと減じ続けてはいるものの、なお抵抗するだけの力は十分残している。
「時間稼ぎだな」
ホスクローヴは敵の意図を既に見抜いていた。連邦軍からつかず離れずの距離を保ちながら、逃げ出そうともせず、かといって反転攻勢に出るわけでもない。連邦軍の足止めに徹した戦い方だ。このまま戦い続けてもこの場での勝利はほぼ間違いないが、敵の狙いを考えればより速やかな勝利が望ましい。
老提督は局面の打開のため、幕僚のひとりに声をかけた。高速機動部隊に敵の射程外を迂回させて、その退路の遮断を狙ったのである。狙い通りにいけば良し、狙いを見抜いた敵が躊躇して動きを鈍らせるも良し。いずれにしても勝利を早めるための、確実な一手であった。彼の指示が下されていれば、外縁星系 軍は壊滅の憂き目に陥っていたであろう。
だがホスクローヴが指示を口にする前に、彼の元に緊急通信が届く。連絡船通信ではない、戦場と同じトゥーラン星系内からの通信だ。果たして通信の主は、連邦保安庁トゥーラン支部の一員であった。
「保安部隊トゥーラン支部は残存部隊を取りまとめて、トゥーラン軍を市街地から撃退しました!」
ホログラム映像に映し出された報告者は、興奮を満面に浮かべながら、ほとんど叫び出さんばかりの勢いでそう告げた。
「現在、我が方は市街地を占拠し、トゥーラン行政府の主要な顔ぶれを
「こちらは外縁星系 諸国連合軍と交戦中だ。だがこの報告が耳に入れば、敵も戦意を喪失するだろう。今しばらくの辛抱を願いたい」
ホスクローヴは応答しながら、目の前の戦況が既に一変していることに気がついていた。彼らが報告を受けるよりも一瞬早く、外縁星系 軍はまるで蜘蛛の子を散らしたように散開し、逃走を開始している。ただその逃走方向は、てんでばらばらであった。
惑星トゥーランに向かう部隊もあれば、クーファンブート方面に殺到する部隊もいる。中でも最も多いのは、ジャランデール方面へと逃げ出す部隊だ。
「閣下、いずれを追いましょう?」
副官に尋ねられて、ホスクローヴは一瞬だけ逡巡した。最終目標がジャランデールである以上、ジャランデール方面に逃走する部隊を追撃すべきであることは、幕僚たちもわかっているだろう。だがトゥーランで交戦中の保安部隊を見捨てれば、今後保安庁と軍の関係に
そして連邦軍にも、ジャランデール方面とトゥーラン方面に二分出来るほどの戦力はない。速度を重視したために戦力の集結を待たなかった影響が、ここに来て現れている。
「……我々はトゥーランに向かう」
周囲を取り囲む幕僚たちの顔ぶれを一瞥しながら、ホスクローヴは普段通りの憮然とした表情のまま、そう告げた。
「保安部隊の残存部隊と協力しながら、速やかにトゥーランの治安維持回復に努める。ジャランデールの攻略はその後だ」
こうして連邦軍はトゥーラン攻略に取りかかる。程なくして惑星トゥーランは保安部隊と連邦軍によって制圧され、トゥーラン行政府や軍の指導部の大半は逮捕・連行された。一斉蜂起した外縁星系 諸国の中で、トゥーランは真っ先に鎮圧されてしまったのである。
後に『トゥーランの戦い』と呼ばれることになる一連の戦闘は、こうして連邦軍の勝利で幕を閉じた。
(だが連邦軍によるジャランデール攻略は、これで遠のいた)
(連邦軍の発表によれば、外縁星系 軍が極小質量宙域 を封鎖したとのことだが、時間をかければ撤去可能な場合も封鎖というべきなのかな?)
(とはいえトゥーラン攻略後にジャランデールに向かった連邦軍が、極小質量宙域 に展開された宇宙船群に行く手を阻まれたのは、事実だよ)
(無人の宇宙船を極小質量宙域 にばらまくことで、連邦軍を足止めするなんてね。尋常な発想じゃない)
(五十隻以上の艦船がどれも無人と確認するまで、一週間以上かかったそうよ)
(それぞれ撤去するには、さらに時間がかかるだろう)
(攻撃爆破すればデブリ化して、それこそ極小質量宙域 を駄目にしたバララトの二の舞になってしまうからね)
(連邦軍はいちいち全ての船に乗り込んで、移動させなきゃらならないというわけだ)
トゥーランの戦いで連邦軍は十分な戦果を挙げたが、外縁星系 一斉蜂起の首魁とされるジェネバ・ンゼマの捕縛は、未だ成し遂げられていなかった。
外縁星系 軍の巧妙とも、姑息とも言える極小質量宙域 封鎖によって、ホスクローヴたちはトゥーラン星系で足止めを食らっている。
「トゥーランの保安部隊が反撃に成功したのは、行政府側から保安部隊に通じる者がいたという話だが」
スタージア博物院公園の、緑地の奥深くに聳える記念館の前で、アンゼロ・ソルナレスは記念館の入口に連なる石造りの階段に腰を下ろしながら、そう呟いた。
「保安部隊は最初に軍の武器弾薬の備蓄場所を襲撃して、火力を奪い取ってから反撃を仕掛けている。その通報者は、よほど行政府や軍中枢に詳しい人間だったんだな」
(その上で保安部隊との連絡手段を持つとなると条件は絞られるはずだが、未だに誰だか特定されていない)
(艦隊戦の真っ最中というタイミングが、作為的なのは確かだ)
(保安部隊の反撃によってトゥーランは陥落したが、一方で連邦軍はジャランデールに雪崩れ込む機会を失った)
(外縁星系 はトゥーランを犠牲にして、ジャランデールを守ったということかな)
(だとしたら、外縁星系 には随分と冷徹な戦略家がいるということになる)
思念の群れは各々が思索するものの、いずれも憶測の域を出ない。外縁星系 諸国に関する情報は、第一世代各国に比べて限られている。連邦加盟国の教育課程には、銀河系人類の“始まりの星”であるスタージアへの巡礼研修が義務づけられているが、開拓間もない外縁星系 諸国では徹底されているとは言い難い。スタージアを訪れる人々たちに精神感応的に触れることで情報を得ている《スタージアン》にとって、巡礼者の数とその情報量は比例する。
(我々も、外縁星系 についてはまだまだ不勉強な部分が多いからね)
(外縁星系 の実質的な指導者ジェネバ・ンゼマ、その知恵袋とされるシャレイド・ラハーンディ、いずれもスタージアの巡礼研修には参加していない)
(シャレイド・ラハーンディという人物は興味深いよ。保安庁に目をつけられながら、まるで意に介さずに銀河連邦中を渡り歩いている)
(連邦だけじゃないわ。一時期はエルトランザでも目撃情報がある)
(安全保障局特別対策本部を仕切るモートン・ヂョウは、シャレイド・ラハーンディと親しいと聞くが)
(彼はジェスター院を卒業してテネヴェに帰国後は、一度も出国していないのよ。相当に優秀らしいから、おそらくイェッタ・レンテンベリたちの思念に《繋がって》いるんじゃないかしら)
記念館の前に広がるささやかな広場は、生い茂る木々の落ち葉で埋め尽くされている。静寂に包まれた広場を目の前にして、尻の下からじんわりと伝わる石造りの階段の冷たさを感じながら、ソルナレスは脳裏を吹き抜けていく思念たちの囀りに思考を委ねていた。
極小質量宙域 を禁忌 すれすれの手段で封鎖するという発想。そしてトゥーランの戦いの最中に引き起こされた、保安部隊による絶妙なタイミングの反撃。もしそれらを描いた人物がいるのだとしたら、ソルナレスは是非とも直接その頭の中身を覗いてみたい。それは彼個人の興味というだけでなく、《スタージアン》の指針に関する重大事となる可能性を秘めている。
「その人物なら、我々の《オーグ》対策に一役買ってくれるだろう」
ソルナレスの呟きは、《スタージアン》に《繋がる》全ての思念が等しく抱く想いであった。《スタージアン》が思い描いた手段を実行しうる、適任と思える人物がいる。それはソルナレスだけではない、《スタージアン》にとって喜ばしい事実であった。
「出来ることならその人物には、是非スタージアまで来てほしいものだが」
だがまだそれと覚しき人物の訪問は、スタージア星系全域を覆う《スタージアン》の精神感応力も捉えていない。連邦軍がトゥーラン星系で足止めされ、一時的な膠着状態に陥っている今こそ、外縁星系 はスタージアに助力を仰ぐタイミングだと思う。それとも外縁星系 は、エルトランザに協力を求めるつもりなのだろうか。
そのときふとソルナレスの耳に、かさりという音が飛び込んだ。広場に敷き詰められた落ち葉を、踏みしめる音のようだ。思索に耽る余り、誰かが近づくのも気がつかなかっただろうか――
ソルナレスがたたずむこの博物院公園どころではない、スタージア星系を出入りする人物であれば見逃すはずのない《スタージアン》の精神感応力が、他人の――いや《スタージアン》以外の存在の接近を見落としていた?
《スタージアン》に《繋がる》以前、幼少の頃の記憶にしかない感覚を呼び起こされながら、ソルナレスは恐る恐る面を上げた。
「お望み通り、来てやったぜ」
ソルナレスの視線の先にあるのは、痩せぎすの体型に黒いコートを羽織る、赤銅色の肌が特徴的な青年の姿だった。無造作に伸ばした黒髪をうなじの辺りでひとくくりに結わき、その下の線の細い顔立ちには挑発的な笑みが浮かべられている。
ソルナレスは、《スタージアン》は、彼らが存在して以来ほとんど初めてと言っても良い驚愕を感じていた。まずもって他人の接近に気がつかないという事態が、彼らの経験上有り得なかった。そしてそれ以上に驚くべきは、こうして目の前に現れてなお、彼の考えが読み取れないのである。
他人の思考に触れることが出来ないという衝撃のあまり、ぽかんと口を半開きにしたままのソルナレスに向かって、痩せぎすの青年はぼりぼりと頭を掻き毟りながら近づいてくる。
「“始まりの星”ってのはどんなもんかと思っていたが、気持ち悪いったらありゃしないな。人口のほとんどが《繋がって》いるんだって? 俺だったら悪酔いしそうで、御免被るね」
「……君はいったい、誰だ?」
おそらく《スタージアン》が初めて口にした言葉で、ソルナレスは眼前の人物に問いかけた。
「そう警戒するなよ。あんたたちがさっきから会いたくて仕方ない、その当人がこうして顔を見せたんだぜ」
青年は薄い笑みをたたえた唇の端を一層吊り上げながら、己の名を口にした。
「《スタージアン》の皆さんにはお初にお目にかかる。ジェネバ・ンゼマの知恵袋にして神出鬼没のシャレイド・ラハーンディとは、この俺のことだ」
「よくぞこれだけ集まったもんだな」
トゥーラン宇宙港を訪れたモズは、ロビーの窓ガラス越しに見える宇宙船の群れを目にして、率直に感動した。宇宙港からは相当の距離を取ってはいるものの、見たこともないような数の宇宙船がずらりと並ぶ様子は圧巻だ。数だけなら連邦軍相手にも引けを取らないだろう。
壮観を前にして大きな目を輝かせていたモズは、窓ガラスに張りつきながら見入るうちに、その肉付きの良い顔を徐々に曇らせていった。
宇宙船たちの群れは舳先こそ方向を揃えているが、よくよく見ればその艦種にまるで統一性がないことに気づく。戦艦、巡航艦、駆逐艦、揚陸艦から補給艦、救命艇までが、規則性も無しに混在しているのだ。各国の戦力を可能な限り掻き集めたものの、混成艦隊の域を出ないという真相を、一目で窺い知ることが出来る。
「なるほど、シャレイドが心配するわけだ」
例え大軍を集めても、この様子では寄せ集め以上の何物でもない。実際の運用は、各国軍が個別に指揮するしかないだろう。急造の連合軍だから無理もないのだが、精鋭の連邦軍を相手にするには不安がつきまとう。
モズが大軍を前にして抱いた不安は、宇宙港からシャトルで惑星トゥーランの地表に降り立つとさらにいや増した。
まずシャトル発着場からして、銃撃砲撃の惨状が生々しい傷跡を残している。オートライドを管制する自動交通システムも機能せず、モズは何年かぶりに有人運転の車に乗り込んだのだが、そこで行き着いた先もまた惨憺たる有様であった。
今回の一斉蜂起で保安庁支部と最も激しい戦いを繰り広げたというトゥーランの市街地は、その三分の一が瓦礫の山と化していた。半ば以上崩れ落ちて構造が剥き出しになった建物の脇を通って、あちこちに穿たれた砲撃の痕を避けながら、車は街中をよろめくように進んでいく。
ただ、廃墟と呼ばれても信じてしまいそうな往来を、道行く人々の姿は思いの外多かった。何より誰もが面を上げて、前へ進もうという表情を浮かべている。この星の人々が本気で、死に物狂いで立ち上がったのだということは、彼らの顔を見ればよくわかった。
車を運転していたのは妙齢の女性だったが、彼女はモズの表情に気がついたのか、街中の光景について説明する。
「ここら辺は保安庁支部に近く、最も戦闘が激しかったんです。非戦闘員も巻き込まれて、多くの死傷者が出てしまいました」
そういう彼女もまた、頭と左腕に巻き付いた包帯が痛々しい。「大変でしたねえ」と答えるモズは我ながら間抜けな反応だと思ったが、その言葉に振り返った彼女の笑顔は力強さに充ち満ちていた。
「いえ、トゥーランが、
モズは来たるべき連邦軍との戦いに備えて、ジェネバの命で送り込まれた腕利きの軍事顧問という肩書きで、トゥーランを訪れている。運転手の彼女がモズを見る目が、希望と期待に溢れてしまうのも無理もない。
彼女の笑顔に作り笑いで応じるモズの脳裏に蘇るのは、ジャランデールを発つ前に交わされたシャレイドたちとの会話であった。
「トゥーランには
そう言ってわずかに首を傾げたシャレイドが、線の細い赤銅色の顔立ちに薄い笑みを浮かべるのを見て、モズは背筋にぞくりと寒気が走るのを感じた。
悪企みするシャレイドの、いかにも意地の悪そうな笑顔なら散々見慣れているつもりだった。だが目の前のシャレイドの口元に閃く微笑には、今までに見たことのない、底知れぬ不吉さがつきまとう。
「俺たちが生き延びるための策はあるにはあるが、いかんせん仕込みの時間が足りない。その時間を稼ぐために、トゥーランには出来る限り連邦軍を食い止めて欲しい」
「食い止めるだけじゃなくて、そこで相手を打ち負かせば済む話じゃないか」
「それこそ万が一の話だな。いくらこちらが数を集めようとも、連邦軍とは質も経験も差がありすぎる」
ジェネバの反論に対して、シャレイドの回答はにべもなかった。
「一戦して、あとはなんとかジャランデールまで退却する。欲を言えば、損害は極力抑えながら。俺が期待するのはそれぐらいだ」
「ジャランデールまで退却したら、じゃあトゥーランはどうなるんだい」
「むしろトゥーランがどうにかされている隙に逃げるんだ」
ジェネバの抗議に対して、シャレイドは悪びれずに言い切った。
「
青ざめた顔のままそれ以上言い返せないジェネバに代わって、今度はモズが眉を潜めながら尋ねる。
「シャレイド、あそこは一斉蜂起で一番戦いが激しかった星だぜ。なんとか勝利したばかりなのにほかの星のために犠牲になれって、そんなこと納得するわけがない」
「真っ当な説得が出来るとは思っていないよ」
モズに向かって振り向けられたシャレイドの顔には、我が意を得たりと言わんばかりの、口角を吊り上げた笑顔が張りついていた。
「というわけでモズ、お前の出番だ」
「俺の?」
「元保安庁ジャランデール支部の幹部にして、一斉蜂起では率先してジャランデールの解放を果たした、そんな男にしか出来ない重要な役目がある」
そう言ってシャレイドは、モズのまん丸の鼻先にベープ管の先を突きつけた。
シャレイドが彼に難題を強いるタイミングを測っていたのだと、気がついたときにはもう手遅れだった。結局モズは彼に言いくるめられて、仰々しい肩書きを引っ提げながらトゥーランを訪れる羽目になってしまったのである。
案内されるままにモズが足を踏み入れたのは、市街地の中でも比較的戦禍を免れることが出来た、トゥーランの行政府庁舎であった。
「お待ち申し上げておりました、モズ殿!」
モズが姿を現した瞬間、居並ぶ面々の視線が一斉に彼へと集中する。いずれも程度の差こそあるが、期待感が込められていることに変わりはない。車を運転していた彼女と同じ顔だ。
誰も彼も、いざ連邦軍との対峙を前にして、足元が覚束ないのだ。武者震いする者もいれば、今さらのように怖じ気づいた者もいるかもしれない。どちらにしても冷静でいられる方が難しいのだろう。誰かに明確な道を指し示してもらいたいと、そう考えるのも無理はない。
ろくでもない道を指し示されて、逃げ出すことも出来ずに進むしかない俺と、果たしてどっちが
大きな丸い目を見開いて、愛嬌たっぷりに笑い返しながら、モズはこれから彼らを上手に欺かないといけない。シャレイドに策の全容を打ち明けられたとき、なるほどと頷きはした。しかし何食わぬ顔で実行犯を務めることが出来るかと言えば、それはまた別の話のはずだ。
「フランゼリカを騙しおおせたお前こそが、適任なんだよ」
シャレイドの言葉を思い返して、モズは内心で反論する。敵を騙すのと味方を欺くのではわけが違うのだ。
だがモズの人好きのする笑顔には、彼が抱えている葛藤など、おくびにも出ることはなかった。
ホスクローヴ提督が率いる連邦軍は、ミッダルト星系を進発して八日目には、トゥーラン星系に到達していた。
「てっきり
副官が口にした台詞は、幕僚全員が危惧していた可能性でもあった。
各星系がそれぞれの
「開拓者の子孫である
三百年以上も前の同盟戦争の初期、バララトがその
「あの戦いでバララトは内外の信用を失い、その後劣勢に追い込まれた。私は同盟戦争でバララトが敗北したのは、あの戦いが原因だと考えている」
「さすがに
老提督の言葉に頷いて、副官が前を見る。彼らが乗艦する連邦軍旗艦の艦橋中央には、トゥーラン星系を連邦軍が突き進む様子が、巨大な球形のホログラム映像に映し出されていた。順調にいってあと一両日もすれば、連邦軍はトゥーラン星系の最外周に当たる第七惑星軌道に差し掛かる。
「索敵より報告が届きました。予想通り、敵はおそらくこの第七惑星軌道上で待ち構えていると思われます」
幕僚のひとりが報告すると同時に球形映像の一部が拡大されて、戦場と想定される宙域の詳細図が映し出された。タイミングからして、連邦軍は近接する第七惑星の目の前を通過する形になる。
「敵は惑星や衛星の陰に潜んでいる、といったところでしょうか」
「定石通りならそうだろうが、敵の布陣はどうなっている?」
「それが……」
ホスクローヴの問いに対する幕僚の答えは、やや困惑気味であった。
「どうやら敵は、正面から我々を迎え撃つ構えです」
ホログラム映像の中に、
「
つまり
「あるいは、そうせざるを得ないということだな」
老提督の呟きに、副官が確かめるように問いかける。
「というと?」
「相手はいかんせん寄せ集めだ。数はどうやらこちらを上回っているようだが、伏兵を敷いて我々を包囲するというような高度な連携は、至難ということだろう」
「なるほど。あちらさんもそれなりに苦労しているということですな」
副官の相槌を聞き流しつつ、生来の憮然とした顔つきのまま、ホスクローヴは改めてホログラム映像に目を向けた。
混成艦隊を率いる場合、下手に緻密な作戦を組み立てるよりは、単純に目の前の敵を数で押す方が、よほど勝率は高い。
かつてテネヴェでモートン・ヂョウと
「残念ながらカナリーでも彼には歯が立ちませんでしたね。私も、彼相手の戦績は五分がいいところです」
「カナリーは私がそれなりに鍛えたつもりだが、あの子でも相手にならないとなると、相当の強者だな」
「彼女はまた負けず嫌いでしたから、暇さえあれば彼に対局を挑んでましたよ。私はいつも、そんなふたりを横から眺めているのが好きでした」
そう語るモートンの口調には懐かしさと、一抹の寂しさが混在していた。
「今、彼は
モートンが警告するその相手が、トゥーランで待ち構える敵の中にいるのかはわからない。いずれにしても、敵が進路に立ちはだかるというのなら、ホスクローヴとしてはこれを粉砕するしかない。
最大戦速で第七惑星軌道上に達した連邦軍は、情報通りに前面に展開する
同盟戦争以後としては最大規模となる宇宙艦隊戦は、開戦直後から連邦軍の攻勢で進んでいった。
ホスクローヴが見抜いた通り、
「時間稼ぎだな」
ホスクローヴは敵の意図を既に見抜いていた。連邦軍からつかず離れずの距離を保ちながら、逃げ出そうともせず、かといって反転攻勢に出るわけでもない。連邦軍の足止めに徹した戦い方だ。このまま戦い続けてもこの場での勝利はほぼ間違いないが、敵の狙いを考えればより速やかな勝利が望ましい。
老提督は局面の打開のため、幕僚のひとりに声をかけた。高速機動部隊に敵の射程外を迂回させて、その退路の遮断を狙ったのである。狙い通りにいけば良し、狙いを見抜いた敵が躊躇して動きを鈍らせるも良し。いずれにしても勝利を早めるための、確実な一手であった。彼の指示が下されていれば、
だがホスクローヴが指示を口にする前に、彼の元に緊急通信が届く。連絡船通信ではない、戦場と同じトゥーラン星系内からの通信だ。果たして通信の主は、連邦保安庁トゥーラン支部の一員であった。
「保安部隊トゥーラン支部は残存部隊を取りまとめて、トゥーラン軍を市街地から撃退しました!」
ホログラム映像に映し出された報告者は、興奮を満面に浮かべながら、ほとんど叫び出さんばかりの勢いでそう告げた。
「現在、我が方は市街地を占拠し、トゥーラン行政府の主要な顔ぶれを
保護下
に置くことに成功しました。トゥーラン軍はシャトル発着場まで後退しながら、なお反攻の気配を見せております。連邦軍には速やかな支援を要請します!」「こちらは
ホスクローヴは応答しながら、目の前の戦況が既に一変していることに気がついていた。彼らが報告を受けるよりも一瞬早く、
惑星トゥーランに向かう部隊もあれば、クーファンブート方面に殺到する部隊もいる。中でも最も多いのは、ジャランデール方面へと逃げ出す部隊だ。
「閣下、いずれを追いましょう?」
副官に尋ねられて、ホスクローヴは一瞬だけ逡巡した。最終目標がジャランデールである以上、ジャランデール方面に逃走する部隊を追撃すべきであることは、幕僚たちもわかっているだろう。だがトゥーランで交戦中の保安部隊を見捨てれば、今後保安庁と軍の関係に
しこり
を残しかねない。そして連邦軍にも、ジャランデール方面とトゥーラン方面に二分出来るほどの戦力はない。速度を重視したために戦力の集結を待たなかった影響が、ここに来て現れている。
「……我々はトゥーランに向かう」
周囲を取り囲む幕僚たちの顔ぶれを一瞥しながら、ホスクローヴは普段通りの憮然とした表情のまま、そう告げた。
「保安部隊の残存部隊と協力しながら、速やかにトゥーランの治安維持回復に努める。ジャランデールの攻略はその後だ」
こうして連邦軍はトゥーラン攻略に取りかかる。程なくして惑星トゥーランは保安部隊と連邦軍によって制圧され、トゥーラン行政府や軍の指導部の大半は逮捕・連行された。一斉蜂起した
後に『トゥーランの戦い』と呼ばれることになる一連の戦闘は、こうして連邦軍の勝利で幕を閉じた。
(だが連邦軍によるジャランデール攻略は、これで遠のいた)
(連邦軍の発表によれば、
(とはいえトゥーラン攻略後にジャランデールに向かった連邦軍が、
(無人の宇宙船を
(五十隻以上の艦船がどれも無人と確認するまで、一週間以上かかったそうよ)
(それぞれ撤去するには、さらに時間がかかるだろう)
(攻撃爆破すればデブリ化して、それこそ
(連邦軍はいちいち全ての船に乗り込んで、移動させなきゃらならないというわけだ)
トゥーランの戦いで連邦軍は十分な戦果を挙げたが、
「トゥーランの保安部隊が反撃に成功したのは、行政府側から保安部隊に通じる者がいたという話だが」
スタージア博物院公園の、緑地の奥深くに聳える記念館の前で、アンゼロ・ソルナレスは記念館の入口に連なる石造りの階段に腰を下ろしながら、そう呟いた。
「保安部隊は最初に軍の武器弾薬の備蓄場所を襲撃して、火力を奪い取ってから反撃を仕掛けている。その通報者は、よほど行政府や軍中枢に詳しい人間だったんだな」
(その上で保安部隊との連絡手段を持つとなると条件は絞られるはずだが、未だに誰だか特定されていない)
(艦隊戦の真っ最中というタイミングが、作為的なのは確かだ)
(保安部隊の反撃によってトゥーランは陥落したが、一方で連邦軍はジャランデールに雪崩れ込む機会を失った)
(
(だとしたら、
思念の群れは各々が思索するものの、いずれも憶測の域を出ない。
(我々も、
(
(シャレイド・ラハーンディという人物は興味深いよ。保安庁に目をつけられながら、まるで意に介さずに銀河連邦中を渡り歩いている)
(連邦だけじゃないわ。一時期はエルトランザでも目撃情報がある)
(安全保障局特別対策本部を仕切るモートン・ヂョウは、シャレイド・ラハーンディと親しいと聞くが)
(彼はジェスター院を卒業してテネヴェに帰国後は、一度も出国していないのよ。相当に優秀らしいから、おそらくイェッタ・レンテンベリたちの思念に《繋がって》いるんじゃないかしら)
記念館の前に広がるささやかな広場は、生い茂る木々の落ち葉で埋め尽くされている。静寂に包まれた広場を目の前にして、尻の下からじんわりと伝わる石造りの階段の冷たさを感じながら、ソルナレスは脳裏を吹き抜けていく思念たちの囀りに思考を委ねていた。
「その人物なら、我々の《オーグ》対策に一役買ってくれるだろう」
ソルナレスの呟きは、《スタージアン》に《繋がる》全ての思念が等しく抱く想いであった。《スタージアン》が思い描いた手段を実行しうる、適任と思える人物がいる。それはソルナレスだけではない、《スタージアン》にとって喜ばしい事実であった。
「出来ることならその人物には、是非スタージアまで来てほしいものだが」
だがまだそれと覚しき人物の訪問は、スタージア星系全域を覆う《スタージアン》の精神感応力も捉えていない。連邦軍がトゥーラン星系で足止めされ、一時的な膠着状態に陥っている今こそ、
そのときふとソルナレスの耳に、かさりという音が飛び込んだ。広場に敷き詰められた落ち葉を、踏みしめる音のようだ。思索に耽る余り、誰かが近づくのも気がつかなかっただろうか――
気がつかなかった
?ソルナレスがたたずむこの博物院公園どころではない、スタージア星系を出入りする人物であれば見逃すはずのない《スタージアン》の精神感応力が、他人の――いや《スタージアン》以外の存在の接近を見落としていた?
《スタージアン》に《繋がる》以前、幼少の頃の記憶にしかない感覚を呼び起こされながら、ソルナレスは恐る恐る面を上げた。
「お望み通り、来てやったぜ」
ソルナレスの視線の先にあるのは、痩せぎすの体型に黒いコートを羽織る、赤銅色の肌が特徴的な青年の姿だった。無造作に伸ばした黒髪をうなじの辺りでひとくくりに結わき、その下の線の細い顔立ちには挑発的な笑みが浮かべられている。
ソルナレスは、《スタージアン》は、彼らが存在して以来ほとんど初めてと言っても良い驚愕を感じていた。まずもって他人の接近に気がつかないという事態が、彼らの経験上有り得なかった。そしてそれ以上に驚くべきは、こうして目の前に現れてなお、彼の考えが読み取れないのである。
他人の思考に触れることが出来ないという衝撃のあまり、ぽかんと口を半開きにしたままのソルナレスに向かって、痩せぎすの青年はぼりぼりと頭を掻き毟りながら近づいてくる。
「“始まりの星”ってのはどんなもんかと思っていたが、気持ち悪いったらありゃしないな。人口のほとんどが《繋がって》いるんだって? 俺だったら悪酔いしそうで、御免被るね」
「……君はいったい、誰だ?」
おそらく《スタージアン》が初めて口にした言葉で、ソルナレスは眼前の人物に問いかけた。
「そう警戒するなよ。あんたたちがさっきから会いたくて仕方ない、その当人がこうして顔を見せたんだぜ」
青年は薄い笑みをたたえた唇の端を一層吊り上げながら、己の名を口にした。
「《スタージアン》の皆さんにはお初にお目にかかる。ジェネバ・ンゼマの知恵袋にして神出鬼没のシャレイド・ラハーンディとは、この俺のことだ」