4-5-3 アクロバティック・スキーム
文字数 5,700文字
「落としどころとしては面白いが、まだ債権放棄の件が残っているな」
シャレイドの言葉に、ジノは小さく頭を振った。
「債権の放棄はさせない。ただでさえ内戦で景気の悪いところに、そんなことをしたら今度は第一世代各国が経済危機に陥って、連邦全体が大不況に喘ぐことになる。そうなったら外縁星系 諸国だって無関係ではいられないぞ」
「その理屈はわかるが、それじゃ外縁星系人 は納得しない」
「安心しろ。連邦直轄の自治領になるんだから、外縁星系 諸国の債務は全て連邦が引き受けるよ。具体的には連邦財務局が肩代わりする」
ジノの回答に、ついにシャレイドが軽く目を見開いた。
「そいつは有り難いが、財源はどうするんだ」
「まず、自治領は正式な加盟国とは違う、外縁星系 の十三カ国がまとめて一カ国扱いになる。連邦評議会に出せる議員も、外縁星系開発局長を兼ねる一名だけだ」
「そいつはまた、随分な扱いじゃないか」
「一方で、連邦加盟金も一カ国分で良しとする」
そこまで言われて、シャレイドの顔に得心の表情が浮かぶ。
「つまり外縁星系 各国の連邦加盟金は、今までの十三分の一になるわけか」
銀河連邦に加盟する各国は、毎年加盟金を支払うことになっている。これは国家の規模の大小を問わず、定額と決まっていた。
「ここから先はやや小細工めいた話になるが」
ジノの提案は、外縁星系 諸国には従前通りの加盟金相当額の支払いを継続してもらいつつ、その十三分の十二を第一世代の債権回収に充てるというものであった。
「形式的には、外縁星系 各国の行政府が民間の債務を一括して引き受けてもらう。そして連邦財務局を経由して第一世代に返済するという形になる。これなら現行法の範囲内でぎりぎり運用出来るし、外縁星系 諸国も今までの連邦加盟金以上の支払いを負うことはない。第一世代の債権回収も、計算上では十年以内に果たせる見込みだ」
「……よくもまあ、そんなアクロバティックな方法を考えついたもんだな」
シャレイドはソファの背凭れに勢いよく背中を預けて、今度こそ感心したという目つきでジノの顔を見返した。
「なるほど、外縁星系人 は評議会での議席数を減らす代わりに、官民問わず事実上債務が帳消しになる、第一世代も連邦財務局が間に入るなら取りっぱぐれはない。見事なプランだ」
「お前に褒められるのは悪くない気分だが、このプランを考えたのは俺じゃない」
ジノはそう言って、隣りで唇を引き結んだままのモートンの横顔に視線を向けた。
「モートンがいくつか用意していたプランのひとつだ。俺は単なる代弁者に過ぎん」
「どのプランを採用するかはジノ、お前の裁量だ」
モートンは切れ長の目を伏せて、ジノの言葉をやんわりと否定する。ふたりの様子を頷きながら眺めていたシャレイドは、おもむろに黒い瞳をモートンに向けた。
「結局、またモートンに尻拭いしてもらうことになったな」
そう言って脚を組み替えながら、シャレイドはことさらに目を細めている。
「俺がやらかした後に上手いこと取りなしてくれるのは、いつもお前だった」
「お前はいつもやり過ぎなんだよ、シャレイド」
モートンもまた少しく目を細めてそう答えたが、次の瞬間にはその表情はいささか引き締められたものになった。
「実際、スタージア星系ではやり過ぎた。死傷者五十万人以上の大敗は、第一世代の人々に想像以上の衝撃を与えた」
戦闘の指揮の一端を担っていたモズが、険しい面持ちでモートンを見返す。だがモートンのダークブラウンの瞳は、あくまで斜向かいのシャレイドひとりに向けられていた。
「第一世代の間にもようやく休戦の機運が持ち上がった一方で、外縁星系人 との間の溝は一層深まってしまったよ」
わずかに眉根を寄せてそう語るモートンの言葉の端々に、沈痛な思いが見え隠れする。
「外縁星系 諸国が自治領として色分けされれば、いよいよ第一世代と外縁星系人 の溝は埋めようがなくなるだろう。今はこれ以外の案は思い浮かばない。だがこの先の連邦にとって果たしてこれで良いのか、俺にはわからん」
「いいんだよ、それで」
モートンの述懐に対して、シャレイドの言葉はまるで突き放すかのようであった。
「異なる立場同士の融和なんてのを馬鹿正直に追い求めると、ろくなことが無い。むしろわかり合えないことを認めた上で折り合いをつけるのが、人類の知恵ってもんじゃないか」
再び脚を組み替えながら、シャレイドは最後に一言つけ足した。
「モートン、繋がるばかりが能じゃないんだ」
口をつぐむモートンを真っ直ぐに見据えながら、シャレイドの顔にはどこか挑発的な、それでいてもの悲しげな表情がよぎって見えた。少なくともジノの目にはそう映った。
同時に違和感を覚えずにはいられなかった。
十年ぶりとはいえ、このシャレイドとモートンの間で交わされる会話にしては刺々しいとさえ思える。あるいは彼らにしかわからない事情が存在して、それがこのふたりの間に緊張感を産み出しているのだろうか。
そこまで考えてジノは、このふたりの間にいるべき、もうひとりの存在に思い当たる。
あの快活な彼女を失ったという事実が、あるいはシャレイドとモートンの関係性に影を落としているのかもしれない。何しろジェスター院時代の彼らは、三人が揃っていないときの方が少ないぐらいだったのだから。
十年という歳月には抗いがたい変化が伴うものなのだ。親友だったはずのふたりの姿を目の当たりにして、ジノは今さらながらに時の流れを思い知らされる。
「そうだな。お前の言う通りなんだろう」
しばしの間を置いてから、モートンはそう言って深く息を吐き出した。そして面を上げた彼の顔には、既に実務に当たる能吏の表情が取り戻されていた。
「ひとつ念を押しておこう。この自治領構想が実現した場合、今まで連邦が保証してきた航宙・通商・安全保障について、今後自治領内については関与しない。加盟金が十三分の一になるというのは、そういうことだ」
連邦が外縁星系 諸国の自治体制を認めるということは、裏を返せば外縁星系人 は今後全てを自らの手で行わなければならないということでもある。それも個々の惑星国家に限らない、外縁星系 諸国間の調整も含めてだ。モートンが指摘したのは、まさにその各国間の調整の部分であった。
「自治領構想とは、言ってみれば連邦の中に複星系国家を認めるようなものだ。外縁星系人 は今後、惑星単位を超えた国家を運営することになる。その点をよくわきまえておいて欲しい」
「ご忠告痛み入る」
もっともな懸念を口にするモートンに、シャレイドが神妙な顔を向ける。
「外縁星系 の未来が薔薇色だとは、これっぽっちも思っちゃいない。むしろこれからが本番だってことは、心得ているつもりさ」
「その覚悟を聞いて安心した。我々はもう、外縁星系 に手出し出来ない。連邦の、銀河系人類社会の安寧のためにも、自治領の安定した発展を心から願うよ」
気がつくとふたりの間に漂っていた、割り込みがたい空気は霧散していた。緊張が和らいだというよりも、お互いの強固な意志によって場の空気が塗り替えられたと言うべきだろうか。それまでジノは、彼らの会話に割って入るのは無粋と思い口を閉ざしていたが、いつの間にか発言を促されているようなプレッシャーを感じた。
いずれにせよジノとしても、そろそろ話を先に進めなければならない。モートン、シャレイド、モズの顔を順に見比べながら、ジノは確かめるように口を開いた。
「では銀河連邦と外縁星系 諸国連合は、外縁星系 諸国の自治領化をもって和平に合意する。その方針に異論は無いな?」
「結構だ。その方向で細部を詰めようじゃないか。だがその前に……」
シャレイドはソファの肘掛けをぽんと叩くと、ジノたち三人の顔をぐるりと見回した。
「そろそろ喉が渇かないか? ここらでコーヒーブレイクを提案したい」
彼の提案は、満場一致で採用された。
外縁星系 諸国を銀河連邦直轄の自治領に再編するという、これまでにない試みを現実のものとするため、その後の交渉にはさらに一週間が費やされた。
自治領への加入・離脱の条件や、連邦加盟金の見直し期限の設定。既に外縁星系 各国に残る連邦四局の設備や、第一世代が債権回収のために接収した外縁星系人 の担保物権の扱いなど、その項目は多岐に渡る。
一方で明文化されない、暗黙の合意というものもまた存在した。
例えばジェネバ・ンゼマの初代自治領総督任命は、最たるものだろう。外縁星系人 をまとめ上げる役目を担うのは、既に外縁星系 諸国連合でリーダーシップを発揮している彼女以外には考えられない。
だがいまひとつの新たなポストである外縁星系開発局長については、四人の間でもなかなか結論が出なかった。というよりは、シャレイドひとりが反対を続けた。
なぜなら残る三人が初代局長に推したのは、ほかならぬシャレイド・ラハーンディそのひとだったのである。
「勘弁してくれよ。局長ってことはテネヴェに常駐するってことだろう?」
ジノに局長就任を要請された瞬間、シャレイドは露骨にうんざりした表情を見せた。
「いくら和平を結んでも、テネヴェなんて外縁星系人 への敵意剥き出しに決まっている。そんな居心地の悪そうな星でやっていけるほど図太くはないぞ。こう見えて俺は小心者なんだ」
「いや、俺はカプリ議員に賛成だね。シャレイドに務まらないようじゃ、ほかの誰でも駄目だろうさ」
膝を叩いて太い首を縦に振るモズを、シャレイドはまるで裏切り者を見るかのように恨みがましい顔で見返した。
「モズ、お前、ここぞとばかりにそういうことを……」
「お前こそ、心臓に剛毛を生やしているような男が、小心者とか笑わせる」
ふたりのやり取りに吹き出しそうになるのを堪えながら、ジノが口を挟む。
「シャレイド、別に俺は同窓だからとかそういう理由でお前を推しているわけじゃない。ましてや昔、立方棋 でやり込められた借りを返したいわけでもない」
「わざわざこの場で引き合いに出しておいて、そいつはあんまり説得力が無いぞ」
「それもそうだな。確かにお前をやり込めたい気持ちも、無くはない」
シャレイドのげんなりした顔を見て、ジノは口髭の下で思わず笑みを浮かべた。だがそれもほんの一瞬のことだ。すぐに表情を引き締め直したジノは、会議卓の上に組んだ両手を心持ち前に突き出した。
「そんなことは置いても、お前が適任なんだ。外縁星系 諸国を渡り歩いて、見事に横の連携を築き上げたその交渉力。そして俺やモートンという伝手を持つという点でも、お前が相応しい。むしろ外縁星系人 のために、外縁星系開発局長にはお前が就任するべきだ」
「おい、モートン。このふたりになんとか言ってやってくれ」
シャレイドに助け船を求められたモートンは、かすかに首を傾げて不思議そうな顔を見せた。
「なんとかと言われてもな。ジノにお前を推薦したのは俺だ」
「元凶はお前か!」
「お前の交渉力にしてやられたのは、何より俺が痛感している。外縁星系開発局長は、言うなれば自治領という複星系国家が連邦に寄越す全権大使みたいなもんだ。海千山千の常任委員会や評議会の連中を相手に渡り合うのに、お前以上の人材がいるのか?」
モートンに訥々と説かれて、シャレイドは言葉を呑み込まざるを得なかった。内戦となる前から外縁星系 諸国は評議会に議員を送り出していたが、彼らでは第一世代の老獪な政治家たちに太刀打ち出来なかった。そして彼らに次ぐ世代の中では、シャレイドが実力も実績も飛び抜けている。
ついに観念したシャレイドは、両手を頭の後ろに回しながら、どっかとソファの背凭れに身体 を沈み込ませた。
「わかった、わかった。腹を括るよ。だがジェネバたちが納得しなかったら、この話は白紙だからな」
「ジェネバには俺からよく言っておくよ。きっとあいつも賛成してくれる」
自信満々に胸を叩くモズの顔を、シャレイドは忌々しげな目つきで睨みつける。その横顔に向かって、モートンが付け足すように言葉をかけた。
「お前には無用かもしれんが、テネヴェでの身の安全は保障する」
「そいつは有り難いね」
「そうしょげた顔をするな。美味い店も沢山ある。お前にはとっておきを紹介しよう」
「とっておきか。そこまで言うなら期待させてもらうよ」
「きっと気に入るさ。何しろカナリーを連れて行くつもりだった店だ」
その名を耳にして、シャレイドの目がおもむろに見開かれる。
ジノは、モートンがまさかこの場でカナリーの名を口にするとは、思ってもいなかった。再びふたりの間に張り詰めた空気が満ちるのではないか。そんなジノの予感は、幸いにして杞憂に終わる。
ただ室内にしばしの静寂が訪れたのも、また確かであった。
「……そうか」
やがて沈黙を打ち破ったシャレイドの言葉には、ほかの誰にも計り知れないほどの、蓄積された想いが込められていただろう。その想いを汲むことが出来るのは銀河系でただひとり、モートン・ヂョウだけに違いない。
「俺がテネヴェに着いたら、真っ先にその店に連れてってくれよ、モートン」
「ああ、約束しよう」
シャレイドもモートンも、互いの視線を受け止めながら、ゆっくりと頷き合う。ふたりがそれ以上を口にしなかったのは、言葉にせずとも理解し合えたからなのか。それとも余人には判然としない想いが、なお渦巻いているからなのか。
昔からふたりを知るはずのジノでも、彼らの間にあるものを窺い知ることは出来なかった。
銀河連邦と外縁星系 諸国連合の準備協議は、当初期待されていた以上の成果をまとめ上げて終了した。その後の和平交渉が比較的スムーズに進められたのも、準備協議によるところが大きいというのは、関係者の間では衆目の一致するところだ。
銀河連邦常任委員長ヘレ・キュンターと外縁星系 諸国連合代表ジェネバ・ンゼマの間で和平協定が結ばれたのは、交渉が始まってから三ヶ月後のことである。
ジャランデール大暴動に始まる、第一世代と外縁星系人 の十年に及ぶ対立は、外縁星系 諸国の自治領化という形で決着の目を見ることとなった。
シャレイドの言葉に、ジノは小さく頭を振った。
「債権の放棄はさせない。ただでさえ内戦で景気の悪いところに、そんなことをしたら今度は第一世代各国が経済危機に陥って、連邦全体が大不況に喘ぐことになる。そうなったら
「その理屈はわかるが、それじゃ
「安心しろ。連邦直轄の自治領になるんだから、
ジノの回答に、ついにシャレイドが軽く目を見開いた。
「そいつは有り難いが、財源はどうするんだ」
「まず、自治領は正式な加盟国とは違う、
「そいつはまた、随分な扱いじゃないか」
「一方で、連邦加盟金も一カ国分で良しとする」
そこまで言われて、シャレイドの顔に得心の表情が浮かぶ。
「つまり
銀河連邦に加盟する各国は、毎年加盟金を支払うことになっている。これは国家の規模の大小を問わず、定額と決まっていた。
「ここから先はやや小細工めいた話になるが」
ジノの提案は、
「形式的には、
「……よくもまあ、そんなアクロバティックな方法を考えついたもんだな」
シャレイドはソファの背凭れに勢いよく背中を預けて、今度こそ感心したという目つきでジノの顔を見返した。
「なるほど、
「お前に褒められるのは悪くない気分だが、このプランを考えたのは俺じゃない」
ジノはそう言って、隣りで唇を引き結んだままのモートンの横顔に視線を向けた。
「モートンがいくつか用意していたプランのひとつだ。俺は単なる代弁者に過ぎん」
「どのプランを採用するかはジノ、お前の裁量だ」
モートンは切れ長の目を伏せて、ジノの言葉をやんわりと否定する。ふたりの様子を頷きながら眺めていたシャレイドは、おもむろに黒い瞳をモートンに向けた。
「結局、またモートンに尻拭いしてもらうことになったな」
そう言って脚を組み替えながら、シャレイドはことさらに目を細めている。
「俺がやらかした後に上手いこと取りなしてくれるのは、いつもお前だった」
「お前はいつもやり過ぎなんだよ、シャレイド」
モートンもまた少しく目を細めてそう答えたが、次の瞬間にはその表情はいささか引き締められたものになった。
「実際、スタージア星系ではやり過ぎた。死傷者五十万人以上の大敗は、第一世代の人々に想像以上の衝撃を与えた」
戦闘の指揮の一端を担っていたモズが、険しい面持ちでモートンを見返す。だがモートンのダークブラウンの瞳は、あくまで斜向かいのシャレイドひとりに向けられていた。
「第一世代の間にもようやく休戦の機運が持ち上がった一方で、
わずかに眉根を寄せてそう語るモートンの言葉の端々に、沈痛な思いが見え隠れする。
「
「いいんだよ、それで」
モートンの述懐に対して、シャレイドの言葉はまるで突き放すかのようであった。
「異なる立場同士の融和なんてのを馬鹿正直に追い求めると、ろくなことが無い。むしろわかり合えないことを認めた上で折り合いをつけるのが、人類の知恵ってもんじゃないか」
再び脚を組み替えながら、シャレイドは最後に一言つけ足した。
「モートン、繋がるばかりが能じゃないんだ」
口をつぐむモートンを真っ直ぐに見据えながら、シャレイドの顔にはどこか挑発的な、それでいてもの悲しげな表情がよぎって見えた。少なくともジノの目にはそう映った。
同時に違和感を覚えずにはいられなかった。
十年ぶりとはいえ、このシャレイドとモートンの間で交わされる会話にしては刺々しいとさえ思える。あるいは彼らにしかわからない事情が存在して、それがこのふたりの間に緊張感を産み出しているのだろうか。
そこまで考えてジノは、このふたりの間にいるべき、もうひとりの存在に思い当たる。
あの快活な彼女を失ったという事実が、あるいはシャレイドとモートンの関係性に影を落としているのかもしれない。何しろジェスター院時代の彼らは、三人が揃っていないときの方が少ないぐらいだったのだから。
十年という歳月には抗いがたい変化が伴うものなのだ。親友だったはずのふたりの姿を目の当たりにして、ジノは今さらながらに時の流れを思い知らされる。
「そうだな。お前の言う通りなんだろう」
しばしの間を置いてから、モートンはそう言って深く息を吐き出した。そして面を上げた彼の顔には、既に実務に当たる能吏の表情が取り戻されていた。
「ひとつ念を押しておこう。この自治領構想が実現した場合、今まで連邦が保証してきた航宙・通商・安全保障について、今後自治領内については関与しない。加盟金が十三分の一になるというのは、そういうことだ」
連邦が
「自治領構想とは、言ってみれば連邦の中に複星系国家を認めるようなものだ。
「ご忠告痛み入る」
もっともな懸念を口にするモートンに、シャレイドが神妙な顔を向ける。
「
「その覚悟を聞いて安心した。我々はもう、
気がつくとふたりの間に漂っていた、割り込みがたい空気は霧散していた。緊張が和らいだというよりも、お互いの強固な意志によって場の空気が塗り替えられたと言うべきだろうか。それまでジノは、彼らの会話に割って入るのは無粋と思い口を閉ざしていたが、いつの間にか発言を促されているようなプレッシャーを感じた。
いずれにせよジノとしても、そろそろ話を先に進めなければならない。モートン、シャレイド、モズの顔を順に見比べながら、ジノは確かめるように口を開いた。
「では銀河連邦と
「結構だ。その方向で細部を詰めようじゃないか。だがその前に……」
シャレイドはソファの肘掛けをぽんと叩くと、ジノたち三人の顔をぐるりと見回した。
「そろそろ喉が渇かないか? ここらでコーヒーブレイクを提案したい」
彼の提案は、満場一致で採用された。
自治領への加入・離脱の条件や、連邦加盟金の見直し期限の設定。既に
一方で明文化されない、暗黙の合意というものもまた存在した。
例えばジェネバ・ンゼマの初代自治領総督任命は、最たるものだろう。
だがいまひとつの新たなポストである外縁星系開発局長については、四人の間でもなかなか結論が出なかった。というよりは、シャレイドひとりが反対を続けた。
なぜなら残る三人が初代局長に推したのは、ほかならぬシャレイド・ラハーンディそのひとだったのである。
「勘弁してくれよ。局長ってことはテネヴェに常駐するってことだろう?」
ジノに局長就任を要請された瞬間、シャレイドは露骨にうんざりした表情を見せた。
「いくら和平を結んでも、テネヴェなんて
「いや、俺はカプリ議員に賛成だね。シャレイドに務まらないようじゃ、ほかの誰でも駄目だろうさ」
膝を叩いて太い首を縦に振るモズを、シャレイドはまるで裏切り者を見るかのように恨みがましい顔で見返した。
「モズ、お前、ここぞとばかりにそういうことを……」
「お前こそ、心臓に剛毛を生やしているような男が、小心者とか笑わせる」
ふたりのやり取りに吹き出しそうになるのを堪えながら、ジノが口を挟む。
「シャレイド、別に俺は同窓だからとかそういう理由でお前を推しているわけじゃない。ましてや昔、
「わざわざこの場で引き合いに出しておいて、そいつはあんまり説得力が無いぞ」
「それもそうだな。確かにお前をやり込めたい気持ちも、無くはない」
シャレイドのげんなりした顔を見て、ジノは口髭の下で思わず笑みを浮かべた。だがそれもほんの一瞬のことだ。すぐに表情を引き締め直したジノは、会議卓の上に組んだ両手を心持ち前に突き出した。
「そんなことは置いても、お前が適任なんだ。
「おい、モートン。このふたりになんとか言ってやってくれ」
シャレイドに助け船を求められたモートンは、かすかに首を傾げて不思議そうな顔を見せた。
「なんとかと言われてもな。ジノにお前を推薦したのは俺だ」
「元凶はお前か!」
「お前の交渉力にしてやられたのは、何より俺が痛感している。外縁星系開発局長は、言うなれば自治領という複星系国家が連邦に寄越す全権大使みたいなもんだ。海千山千の常任委員会や評議会の連中を相手に渡り合うのに、お前以上の人材がいるのか?」
モートンに訥々と説かれて、シャレイドは言葉を呑み込まざるを得なかった。内戦となる前から
ついに観念したシャレイドは、両手を頭の後ろに回しながら、どっかとソファの背凭れに
「わかった、わかった。腹を括るよ。だがジェネバたちが納得しなかったら、この話は白紙だからな」
「ジェネバには俺からよく言っておくよ。きっとあいつも賛成してくれる」
自信満々に胸を叩くモズの顔を、シャレイドは忌々しげな目つきで睨みつける。その横顔に向かって、モートンが付け足すように言葉をかけた。
「お前には無用かもしれんが、テネヴェでの身の安全は保障する」
「そいつは有り難いね」
「そうしょげた顔をするな。美味い店も沢山ある。お前にはとっておきを紹介しよう」
「とっておきか。そこまで言うなら期待させてもらうよ」
「きっと気に入るさ。何しろカナリーを連れて行くつもりだった店だ」
その名を耳にして、シャレイドの目がおもむろに見開かれる。
ジノは、モートンがまさかこの場でカナリーの名を口にするとは、思ってもいなかった。再びふたりの間に張り詰めた空気が満ちるのではないか。そんなジノの予感は、幸いにして杞憂に終わる。
ただ室内にしばしの静寂が訪れたのも、また確かであった。
「……そうか」
やがて沈黙を打ち破ったシャレイドの言葉には、ほかの誰にも計り知れないほどの、蓄積された想いが込められていただろう。その想いを汲むことが出来るのは銀河系でただひとり、モートン・ヂョウだけに違いない。
「俺がテネヴェに着いたら、真っ先にその店に連れてってくれよ、モートン」
「ああ、約束しよう」
シャレイドもモートンも、互いの視線を受け止めながら、ゆっくりと頷き合う。ふたりがそれ以上を口にしなかったのは、言葉にせずとも理解し合えたからなのか。それとも余人には判然としない想いが、なお渦巻いているからなのか。
昔からふたりを知るはずのジノでも、彼らの間にあるものを窺い知ることは出来なかった。
銀河連邦と
銀河連邦常任委員長ヘレ・キュンターと
ジャランデール大暴動に始まる、第一世代と