4-4-1 魍魎跋扈

文字数 5,971文字

 トゥーランの戦いに至る一連の流れが常任委員会の判断で進められたことは、直後に開催された連邦評議会でも真っ先に議論に上がった。
 ジノやキュンターがあえて焚きつけるまでもない。キュンター派と目される議員たちだけでなく、対外縁星系(コースト)強硬派の中にも、常任委員会を非難する声は少なくなかった。
 現に今、拳を握り締めた右手を振り回しながら常任委員会の横暴を糾弾する姿が、評議会ドームの中央のホログラム映像で大々的に映し出されているのは、第一世代でも守旧派と見做されるスレヴィアの代表であった。特に軍を司る安全保障局は、これまでの強権的な振る舞いも相まって槍玉に挙げられている。
「安全保障局は、我々の予想以上に恨みを買っていたようですね」
 熱弁を聞き流しつつ通信端末(イヤーカフ)から囁きかけるジノに、キュンターはやや皮肉混じりに答えた。
「彼らは連邦創設以来の評議会議員であることに誇りを抱いている。自分たちを無視するような真似をされて、いつまでも黙っていられるような連中ではないよ」
 常任委員会――というより安全保障局としては、トゥーランの戦いで勝利を収めてジャランデールにいるジェネバ・ンゼマの身柄を抑えてしまえば、戦果を示すことで言い逃れられるという算段があっただろう。
 しかし現実には勝利はしたもののジャランデールへの侵攻は阻止され、辛うじてトゥーランを制圧したに過ぎない。外縁星系(コースト)の戦力もまだ余力を残していると見られ、その動向は不明なままだ。強硬手段を取りながら不十分な結果しか得ることが出来なかったことが、評議会の反発を招いている。
 スレヴィア代表に問い詰められて返答を迫られた常任委員長は、終始しどろもどろで曖昧な答弁に終始した。続いて答える安全保障局長は外縁星系(コースト)の危険ばかりを強調して、強硬手段を取った責任には触れずじまいだった。それがまた列席者の怒りを煽り、評議会は紛糾する。
「今回は常任委員会の権限の解釈の問題だ。どのみち決着はつくまいよ」
 事態の推移を見守っていたキュンターが、冷静に断じる。ジノも同感だったが、状況が変化したこともまた確信していた。
 安全保障局、とりわけ特別対策本部は、もはや評議会の意向を飛び越えて動くことは出来ない。これまで外縁星系(コースト)由来のテロ活動を抑え込むという大義名分の下で強権を押し通してきたが、その結果が外縁星系(コースト)諸国のこぞっての離反である。その上、離反を抑え込むのに掟破りの手順を取りながら、結局めぼしい成果を上げることが出来なかった。これ以上無理を通せば、任期を待たずして常任委員会の改選を迫られる可能性も十分ある。
 そこまで思いを巡らせて、ジノは自席からふと斜め上へと顔を上げた。見上げる先には、湾曲したドームの壁面の上階に迫り出すように設けられた傍聴席がある。そのひとつにダークブラウンの髪を撫でつけた見知った長身があることに、ジノは気づいていた。
 モートン、お前たちの暴走は評議会が食い止めてみせる。
 口に出さないままに決意を噛み締めるジノの目は、いつしか視線の先に生じた微かな異変を捉えていた。それまで腕を組んだまま身じろぎもしなかったモートンが、しきりに隣席と言葉を交わし始めたのである。遠すぎて表情までは窺えないが、傍聴席から席を慌てて立つ者まで現れて、ただならぬ雰囲気であることは十分に伝わった。
 変事の正体は、すぐに明らかになった。それまでの議論という名の罵り合いが、事務局長の発言に遮られたのだ。本来評議会議員ではない事務局長にはこの場での発言権はなかったが、彼が手を挙げたのは急遽もたらされた報告を伝えるためであった。
「たった今、スタージアから緊急の連絡船通信が入りました」
 ドーム中央のホログラム映像には、青ざめた顔をしきりに拭う事務局長の姿が映し出されている。列席者の訝しげな視線が集まる中、事務局長はやや上擦った口調で通信内容を読み上げた。
「現在、外縁星系(コースト)諸国連合軍がスタージアに急迫中。至急、連邦軍の救援を請う……!」
 事務局長の悲鳴のような報告を受けて、ジノは思わず耳を疑う。それは彼ひとりのことだけではなかったらしく、評議会ドームの中には一斉にどよめく声が上がった。
外縁星系人(コースター)が、スタージアを攻略だと……」
 通信端末(イヤーカフ)越しに、キュンターの驚愕の呟きが聞こえる。
 我に返ったジノが再び傍聴席を見上げると、そこにはもうモートンの長身は見当たらなかった。

(罠の可能性が高い)
 モートンに《繋がる》数多くの思念の、大半はそう断定した。
(そもそも外縁星系人(コースター)はジャランデールの防衛で手一杯だろう)
(スタージア攻略に向ける余剰戦力なんて無いはずよ)
(しかし万一スタージアを抑えられたら、エルトランザとのルートを確保される)
(エルトランザ政府は公式には静観を保っているけど……)
(モートン、これも君の友人の仕業か?)
 会議卓の上に両肘をつき、組んだ両手を額に当てながら、モートンは無言のまま目の前の面々を見渡している。スタージアからの救援要請に対してどのように対応すべきか、安全保障局特別対策本部は今まさに討議の最中にあった。
「我が軍の動員可能な戦力は、ほとんどがトゥーラン星系に集結しています」
 連邦軍の制服を着た中年の女性士官が、手元の端末を操作しながら現状を報告する。彼女が指を走らせると同時に楕円形の会議卓の中央が透き通り、そこに黒い球体が嵌め込まれたかのようにホログラム映像が浮かび上がった。漆黒の球形映像には連邦軍と外縁星系(コースト)諸国連合軍、そしてスタージアとの位置関係が映し出されている。報告によれば、外縁星系(コースト)軍はスタージア星系と三つの無人星系を隔てて直結するネヤクヌヴ星系に軍を集結中という。
外縁星系人(コースター)はスタージアに協力を迫っているそうです」
「脅迫の間違いじゃないか」
 会議卓の上座に座る剃髪の男が、苦虫を噛み潰したような顔でそう唸った。彼はこの特別対策本部の本部長を務める、安全保障局の局次長だ。
「大方、外縁星系(コースト)支持の声明を出すよう、スタージアに圧力をかけているんだろう」
「ご推察の通りです。外縁星系(コースト)軍は近日中にスタージアを訪れ、博物院長との会談を申し込んでおります」
「武力を持ち込んでおいて、会談もないものだ。外縁星系人(コースター)の代表は誰かわかるか」
 その問いを予想していたのだろう、女性士官は頷きながら即答した。
外縁星系(コースト)の代表は、シャレイド・ラハーンディ。ジェネバ・ンゼマの代理として、だそうです」
 その名を告げられて息を呑んだのは、それまで黙って腕を組んでいた保安庁の高官だった。
「神出鬼没のラハーンディが、ついに公に現れるのか……」
 保安庁としては長年足取りを追いながらついに捉えることの出来なかった、因縁の相手だ。その彼が表舞台に躍り出ることを許してしまい、高官の顔が苦渋に歪む。
「ンゼマの代理を名乗るなら、外縁星系人(コースター)は恥知らずにも、本気でスタージアを政治利用するつもりですな」
 銀河系人類の“始まりの星”であるスタージアには、連邦の内外を問わず絶大な影響力がある。その力を政治勢力が利用することは、長年の間禁忌(タブー)とされてきた。これまでにその禁忌(タブー)を打ち破ったのはただひとり、銀河連邦の創設者にして初代常任委員長のグレートルーデ・ヴューラーだけだ。逆に言えば、連邦創設という偉大な業績があって、ようやく認められるほどの行為なのである。
 高官が忌々しげに語るのは、ヴューラーにしか認められなかった行為を真似しようとする、外縁星系人(コースター)の形振り構わぬ動向への苛立ちと侮蔑がある。
 外縁星系人(コースター)の動向に呻くのは、本部長も同様であった。
「それと同時に、ジャランデールの守備を放棄してスタージアに戦力を向けたということのも、また事実ということだ。正気とは思えん」
極小質量宙域(ヴォイド)に小細工しただけで、ジャランデールが守り通せるとは思ってないでしょうが」
「スタージアの発言力を利用して、連邦内のみならずエルトランザやサカの支持を取りつける目論見でしょう。実際、エルトランザが今まで沈黙を保っているのは、我々と外縁星系人(コースター)のどちらにつくか、見極めているものと思われます」
 内戦状態に突入した連邦に対して、サカや旧バララト系諸国からはしきりに内情を問うだけでなく、隙あらば介入しようという接触が何度もある。だが複星系国家一番の雄国であるエルトランザは、外縁星系(コースト)一斉蜂起以後もなんの反応も示していない。
 女性士官の分析はほぼ間違いないと思われたが、列席者にはひとつの懸念があった。
「エルトランザの内偵からは、ラハーンディを見たという報告が入っている。奴らはいつ介入してきてもおかしくないというのに、ジャランデールに乗り込む見通しはまだ立たないのか」
 本部長が口にした内容は、その場にいる全員が既に共有している情報である。剛胆に見える容貌に相違して神経質そうに爪を噛む本部長の、苛立たしげに吐き出された言葉に対して、明快な回答を持つ者はいなかった。
 会議室に漂う重苦しい沈黙を打ち破ったのは、末席に座るモートンの声であった。
「残念ながら、そうもいかなくなりました」
 それまで無言を貫いていたモートンの発言に、列席者の視線が集中する。モートンは末席にありながら、特別対策本部の作戦立案のほとんどに携わっている。若輩とはいえ、彼の言葉は無視出来るものではなかった。
「先ほど評議会で、スタージア救援の動議が全会一致で可決されました。連邦軍が総出でトゥーランの極小質量宙域(ヴォイド)掃除に精を出す前に、人類の始まりの星を救う方が先決である、だそうですよ」
 通信端末(イヤーカフ)に指を当てながらモートンがそう告げると、会議室の面々が一様に苦々しげな表情を浮かべた。
 スタージアからの救援要請を受けてパニックに陥った評議会の様子を鑑みれば、予想された結果ではあった。だがここでジャランデール攻略を後回しにせざるを得ないのは、明らかに戦略的な後退である。
(ジノ・カプリは安全保障局の暴走を危惧していたものだが)
(いやはや、実際に暴走したのは評議会の方だったね)
(といってもスタージアの危機を見逃せば、連邦そのものへの信頼が揺らぎかねないのも確かだ)
(《スタージアン》ならば、きっと評議会議員全員の精神に干渉して、捻じ曲げてしまうのだろうな)
我々(クロージアン)には無理な話だ。力に差がありすぎる)
 これまでも何度も評議会の議員たちの精神に干渉してきた《クロージアン》だが、そのいずれもごく一部の議員の、選択に迷う精神をどちらか一方に軽く後押しする程度であった。評議会の全員が一定の方向性を――それも相当の熱狂を持って向いているところを強引に転向させるには、万を超える《クロージアン》と銀河連邦随一にまで高度情報化された惑星テネヴェの計算資源をもってしても、まだ不足であった。
 かつてイェッタ・レンテンベリの目の前で披露された、《スタージアン》の少女オーディールの歌声のような強力な精神感応力を振るうには、果たしてどれだけのヒトと機械が必要なのか。《スタージアン》はどこからその能力の源泉を得ているのか。
 銀河連邦の創設以来、《クロージアン》にとって《スタージアン》とは、外縁星系人(コースター)以上に警戒すべき潜在的な脅威なのである。
「やむを得ません。トゥーラン星系にはジャランデール攻略のための最低限の戦力を残しつつ、ホスクローヴ提督には動員可能な最大戦力でスタージアの救援に向かってもらいます」
「……そうだな。評議会の決定とあらば、従うしかない」
 そう呟いた本部長の声には、やり切れなさと同時に微かな安堵が滲む。
 実際のところ、それ以外に選択肢はないことは、この場の全員が理解している。モートンが真っ先に口にしてくれたおかげで、皆が内心の葛藤を抑え込むことが出来たのだ。
「ホスクローヴ提督には至急スタージアに向かうよう、連絡船通信を放ちます」
「うむ」
 本部長が渋い顔のまま頷くのを見て、モートンはさらにもうひとつ、さりげない口調で提案した。
「同時に博物院長には、外縁星系人(コースター)に対して連邦の平和と秩序をむやみに乱すなと声明を出すように呼び掛けましょう」
 思わぬ提案を受けて、本部長のみならず全員の顔色が変わる。
「スタージアの発言力を外縁星系人(コースター)にばかり利用させる手はありません」
「しかしそれでは我々まで、スタージアを政治的に利用とする、外縁星系人(コースター)と同じになってしまう」
 保安庁高官が非難めいた言葉を上げる。しかし彼を見返すモートンのダークブラウンの瞳は、あくまで無機質だった。
「“呼び掛ける”だけです。博物院長も現状を憂いているだろうことは間違いありません。連邦加盟国でもあるスタージアに対して平和と秩序の回復を訴えるよう促すのは、我々の義務でもあります」
 モートンの強い口調に気圧されて、保安庁高官が思わず口ごもる。そしてその瞬間、本部長の内心もまた揺らいだのを、彼は見逃さなかった。
 すかさず本部長の精神に干渉し、スタージアへの“呼び掛け”を許可する方向へと後押しする。すると本部長は何度か目をしばたたかせた後、憮然とした顔つきのままおもむろに口を開いた。
「……ヂョウ主任の言う通りだ」
 本部長の発言が、結局その後の会議の方向を決定づけた。
 特別対策本部はさらに小一時間をかけて“呼び掛け”の具体的な内容を詰めると、間もなく解散となった。列席者が次々と退室し、最後に席を立ったモートンが脳裏に思い浮かべる敵は、もはや外縁星系人(コースター)だけではなかった。
(スタージアが声明を出したところで、外縁星系人(コースター)がすんなり鎮まるとも思えないが)
(だがエルトランザは介入しにくくなるだろう)
(ホスクローヴ提督には、いっそスタージアを制圧させるべきかもしれない)
(そもそも傍観者に徹するはずの《スタージアン》が救援要請なんて、不自然なのよ)
(既に外縁星系人(コースター)は《スタージアン》と接触している可能性もあるな)
(《スタージアン》が外縁星系人(コースター)と手を組んだとしたら、迂闊に手は出せないぞ)
(彼らの精神感応力も及ばないだけの、大人数を用意する必要があるね)
(だからこそ、最大戦力を動員するんだろう)
(スタージアに向かう戦力は、おそらく人数にして百万人は超える)
(さすがに《スタージアン》も、全員に干渉することは出来ないでしょう)
「案ずるな」
 老若男女を問わない大小様々な声が、モートンの脳内でざわめき続ける。いつ果てるとも尽きない会話を黙らせるかのように、モートンは口に出してぴしゃりと言い放った。
立方棋(クビカ)を指すつもりで臨めばいい」
 モートンは会議室を後にしながら、《クロージアン》の思念たちというよりも、むしろ自分自身に言い聞かせるように、低く呟いた。
「シャレイドに勝つには、間断なく物量で圧倒すること。それが定石だ」
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