5-3 星の彼方の宇宙船

文字数 5,487文字

「宇宙ステーションは、ちょうどあのバルコニーの向こうに見えるわ」
 すっかり暗くなった窓の向こうへと視線を向けて、ジューンが説明する。彼女の視線につられて、カーロもまた星明かりが灯り始めた外の景色に目を向けた。室内の明かりがガラスに反射してはっきりとは見えないが、夜空と海の境界も溶け込んで曖昧な黒い闇が、バルコニーの先に広がっている様が窺える。
「今頃宇宙ステーションの周りは、開拓団の船が取り囲んでいるかな」
 開拓団の宇宙船十二隻は宇宙ステーションの周囲に停泊し、今まさに多くの荷物が搬入されているはずだ。カーロも来週には静止衛星軌道まで昇って、作業の監督のために宇宙船に乗り込まなければならない。
 しばらく無言で窓越しに夜景を見つめいたジューンは、やがて思い出したようにぽつりと口にした。
「中等院を卒業後、ミゼールとスヴィは惑星調査員の訓練課程に進んだの」
 そう言うとジューンは、たった今飲み干したばかりのカップをソーサーの上に戻した。陶磁器が互いにぶつかり合う澄み渡った音が、室内に微かに響き渡る。カーロの目の前のカップも既にほとんど空になっていた。
 彼女が現像機(プリンター)で再現した柑橘茶も、二杯目を飲み終えたところだ。
「お茶ばかりじゃ、お腹が空くわね。何か食べる? 簡単なものならすぐ用意出来るわよ」
 現像機(プリンター)の操作盤を覗き込みながら、ジューンは息子に接する母親のような口調でそう尋ねた。
 実際、カーロにとってジューンは半分母親のようなものだ。彼が成人するまでの間――いやこうして独り立ちした今でも、彼女には頭が上がらない。
 ただの後見人などとは口が裂けても言えないほどの恩義があるジューン自身のことを、だがカーロは未だ多く知らされていない。
「ジューンは?」
 腹を満たすよりも先に、カーロは脳裏に浮かんだ疑問を口にした。
「私はどうしようかしらね。フライドボールはそろそろ胃にもたれるから、少しさっぱりしたものを……」
「そうじゃないよ。ジューンも宇宙を目指していたんだろう。父さんと母さんと、一緒の道に進まなかったのかい」
 わざとらしく惚ける彼女に付き合うつもりはなかった。単刀直入な質問に、ジューンは黒いカーディガンを羽織った肩を小さくすくめて、「もうちょっと遠回しに尋ねてくれてもいいんじゃない」と呟く。
「私は不合格だったの。筆記は問題なかったんだけど、体力測定でね」
 現像機(プリンター)の操作盤に指を走らせつつ、ジューンは寂しげな表情を浮かべて首を振った。
「ミゼールにもスヴィにも鍛えてもらったんだけど、駄目だったのよ。私以上に、ふたりの方が余程落ち込んでいたわ」
「そうだったのか。知らなかった……」
「そんなときに声を掛けてくれたのが、キンクァイナ師だった」
 ジューンがそう告げると同時に、現像機(プリンター)が小さな電子音を鳴らして、取り出し口の扉が開く。その中に手を入れた彼女が取り出して見せたのは、皿の上で綺麗に六等分されたホール状のキッシュだった。
「ベーコンとほうれん草と、茸のキッシュにしたわ。あなたも好きだったでしょう?」
 そう言ってジューンは小皿の上に一切れを取り分けると、そのままカーロの前に差し出した。
「僕がっていうより、母さんの好物だな。何かあればいつもこればっかり作ってた」
 カーロは受け取った皿の上のキッシュの切れ端を眺めてから、おもむろに素手で摘まみ上げて齧りつく。しっとりとした卵の味わいと茸の歯触りが懐かしい。幼い頃は嫌いだったほうれん草だけ選り分けようとして、よく怒られたものだ。
「今はもう、ほうれん草も食べられるのね」
 微笑みながらそう語りかけるジューンに向かって、カーロはキッシュを頬張りながら文句を言う。
「ジューン、僕の意識を読み取るのはまだしも、それに向かって返事するのは禁止だったろう」
「ああ、ごめんなさい。あなた相手だとつい気が緩んじゃうわ」
 ジューンは謝罪を口にしながら、なおも穏やかに笑っている。
 ジューンに引き取られる際、カーロは彼女が《繋がれし者》であることは知ってはいたが、実際に共に生活するとなるとやはり戸惑うことは多かった。それは環境の変化だったりそれまでと異なる生活習慣だったり様々だったが、もっとも閉口したのは頭で思い浮かべたことに対する反応であった。
「ごめんなさいね、ミゼールとスヴィはすぐ慣れてくれたから、ついつい同じようにしちゃうのよ」
 ジューンにそう言い訳されても、当時のカーロは到底納得出来なかった。ちょうど思春期に差し掛かった頃であるから、頭の中を覗き込まれて、あまつさえいちいち反応されるのは耐えがたかった。博物院の中で暮らすようになって、《繋がれし者》とはそういう存在なのだということが理解出来るまで、しばらくの間は彼女と目を合わせるのも避けるようにしていたものだ。
「キンクァイナ師が、ジューンを博物院生に誘ったのか」
 キッシュの登場で中断されていた話題を引き戻すつもりで、カーロは空いた小皿をテーブルの上に戻しながらそう尋ねる。ジューンは彼と同じようにキッシュを一口含みながら、口元に手を当てたまま頷いた。

 博物院の敷地内に設けられていた初等院や中等院に通い詰めていたジューンにとって、博物院は十分に馴染みのある場所である。だが自分が博物院生になるという発想は、ついぞなかった。
「博物院生になるってことはつまり、《繋がれし者》になるってことですか?」
 ジューンの問いにキンクァイナは頷きながら、必ずしも強要するわけではなかった。ただ彼は、ジューンにはその資質があると前々から考えていたことを告げ、同時に《繋がれし者》の存在意義について説明した。
「《繋がれし者》たちは互いが精神感応的に《繋がる》だけじゃない。我々のご先祖、いわゆる《原始の民》が《星の彼方》から持ち寄った記憶をも共有し、そこから産み出される知恵を今に還元することが目的だ。もちろん時を経れば、いずれその目的や存在意義も変わっていくかもしれないがね」
 導師の説く《繋がれし者》の在り方とは、概ねジューンも知識として心得ている。いわばスタージアの住人たちを正しい方向へと導く人々たちであり、だからこそ全住民から畏敬の念を抱かれているのだ。
 そんな人々の中に自分が加わって良いものか。いつものジューンならそう躊躇したことだろう。だがミゼールやスヴィと進路を違えることがはっきりしたこの瞬間、彼女の心が平衡を保てているとは言い難い。
「《繋がれし者》は、スタージアの住人全員の心の内を知ることが出来るんですよね?」
 キンクァイナに誘われて、最初にジューンの脳裏に浮かんだのはその一点であった。
「ああ。我々は《繋がらぬ者》の内心を窺うことも、干渉することさえ出来る」
 そう答えた導師の起伏に欠けた顔は、いつにも増して無表情であった。特徴に欠けた面持ちだとは思っていたけれど、こんな顔をする人だったろうか。キンクァイナの言葉には感情が伴っているようには聞こえず、まるで機械が吐き出す無機質な電子音声のようだ。
 ただ、そのときのジューンには、彼が告げた言葉の内容そのものの方が大事であった。
「干渉出来る……人の心を思いのままに操れる、ということですか?」
 ジューンの問いに、キンクァイナは無言で頷いてみせた。
「導師は、私の内心もご存知なんですよね」
 そう尋ねるジューンは細い眉をしかめて、そのくせ黒目がちの目を見開いて、小さな口の片端だけが不自然に引き攣れていた。
 博物院生となった彼女は、欲望の赴くままに《繋がれし者》の持つ精神感応力を振るってしまうかもしれない。自分の中にそんな可能性があり得ることを、精神的に追い詰められたこの状況下で、彼女なりに自覚しているつもりだった。
「例えそうしたとしても、我々は君を掣肘するつもりはない」
 彼女の心の動きを読み取った上で、キンクァイナの回答は相変わらず平板で心がこもっているようには聞こえない。だが自分がどんな酷い表情をしているのか想像もしたくなかったジューンにとって、導師の無表情はかえって有り難かった。
「ただし、付け加えるなら」
 ジューンの内心の葛藤などまるで取るに足らないというように、キンクァイナは最後にぼそりと告げた。
「心配することはない。君がそんな選択をすることは、おそらくないだろう」

 スタージアの住民であれば誰しも、《繋がれし者》はこの星の全ての人々を把握しているということを知っている。だが彼らが全ての人々を、事象をどのように感知し、内に蓄えていくのかという点については、知る由もない。それについて《繋がれし者》たちが語ることもなかったし、であればわざわざ詮索することではなかったからだ。
 実際のところ、《繋がらぬ者》には理解の及ばない感覚だろう。この星の上に立つ全ての人々が見聞きし、感じたことが、怒濤のように全身に降りかかるのである。もしただの一個人であれば、その人の精神はそのまま押し潰されてしまう。
《繋がった》ばかりのジューンも、スタージアの住民たち全員の知覚するところをその小さな身体(からだ)だけで受け止めていたら、気絶してもおかしくはなかった。
(突然大音響の中に放り込まれたて、まともに聞き分けようとしたらあっという間に鼓膜がいかれてしまう。それと同じことだ。慣れるまでは情報量を絞るようにするから、安心するといい)
 膨大な情報量が自らの身体(からだ)を駆け抜けていく感覚に、悪酔いに似た目眩を覚える。脳裏に直接語りかけてくるキンクァイナの声に、ジューンはまだ口に出して訊き返していた。
「キンクァイナ師が情報量をコントロールしてくださっているんですか?」
(私やほかの院生も手を貸しているが、大半は博物院の機械が制御している)
 キンクァイナの思念がそう告げた途端、ジューンの脳裏に巨大な博物院の建物が、鮮やかな映像として浮かび上がった。横になった長大な円筒と、その両側面のふたつの弧状の建物から成る外観は、俯瞰の視点からは巨大なφ字状に見える。
 同時にジューンの意識野には、博物院の内部の様子が違和感なく併存していた。
 彼女がミゼールやスヴィと共に何度も足を運んだ、天球図のホログラム映像が浮かぶ北側ホールや、公園に面した南側の展望室は、ほんの表層的な部分でしかない。《繋がらぬ者》であれば一生知ることのない、博物院の建物の中身はまるで――
「これは、宇宙船じゃないの……」
 仮にも宇宙を志しただけあって、彼女も宇宙船の基本的な構造は理解している。博物院とは、想像を絶するスケールではあるものの、そこに収まる内部構造は宇宙船そのものであることに、ジューンは唖然とするしかなかった。
 正確には、元々宇宙船の中に収まっていた動力部分や計算資源としての機械類の大半は、建物の地下奥深くに移設されている。その結果生じた空洞部分が建物として利用されているのだ。例えば北側ホールのアーチ状の入口は、推進エンジンの噴出口の形状の名残だ。
 それ以上にジューンが驚かされたのは、地下部分に収容された動力や機械そのものであった。
「スタージアの生活を支えているのは、もしかしてこの宇宙船の動力源なんですか?」
 ジューンがおそるおそる口にしたその言葉を、キンクァイナの思念はこともなげに肯定した。
(その通り。《原始の民》がこの星に降り立って以来、人々の生活を支えるエネルギーの大半はこの宇宙船――今は博物院が供給している)
「そんな、嘘でしょう」
 彼女から問いかけたことだというのに、ジューンは信じられないといった面持ちで、導師の言葉を即座には受け入れられなかった。
「だって、降下直後ならいざ知らず、今はもうスタージアの人口は二十万人を超えるはず……」
(博物院の動力源は、今の生活レベルなら二十万人どころかその数百倍の人口を、およそ千年は支えられる)
「なんですか、それ。そんなの、人間の技術じゃありえない」
(そうとも、少なくとも今の人間の技術じゃない。遙か昔に、《オーグ》が編み出した技術だ)
 キンクァイナの思念が告げる言葉は相変わらず抑揚に欠けるので、ジューンは重要な単語も思わず聞き流してしまうところであった。
「《オーグ》? あの、《原始の民》を追い出した、《星の彼方》の化け物ですか?」
(それは違う。君はまだ《繋がった》ばかりだから、そう思うのも無理はないが)
 この場にいないはずのキンクァイナが、瞼を伏せてゆっくりと首を振る様が、ジューンの思念に手に取るように伝わってくる。初めて感情らしきものを表出させた彼が、やがて口にした内容は、ジューンにさらなる驚愕を与えた。
(《オーグ》とは“起源(origin)”にして“組織(organization)”を意味する。彼らは古代人が成熟の末にたどり着いた究極の態様であり、同時に我々をこの銀河系に放った、産みの親だ)
 何気ない口調のまま脳に直接語りかけられる言葉が、ジューンの脳裏にこれ以上ない衝撃を刻み込んだ。
 ただ、彼の言うことがあまりにも突拍子がなさ過ぎて、思考が追いつかない。
 反応に窮するジューンに対して、キンクァイナの言葉はあくまで淡々としていた。彼女のような反応は既に何回も見てきたという導師の想いが、まるで肌に染み込むように伝わってくる。
(博物院には、《オーグ》から産み出されて以来の我々の記憶が蓄積されている。《繋がる》ことに慣れれば、君も自然と知ることになるだろう)
 キンクァイナの言葉に対して、ジューンはしばらくの間何を口にすることも、問い返すこともなかった。ただひたすら、その場で呆然とすることしか出来なかった。
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