4-2-1 寒波猖獗 

文字数 6,181文字

 極力照明を落とした、五、六名も入れば一杯になってしまいそうな薄暗い個室に、黒いシンプルなテーブルを囲むようにしてL字型に組まれたソファがふたつ。その片側でどっかりと腰を下ろした恰幅の良い中年の男が、琥珀色の液体に満たされたグラスを傾けている。
「近頃はどうにも息苦しくてかなわんな」
 恰幅の良い男の斜向かいには、彼と同年配のこちらは痩身の男と、ふたりよりもひとまわりは年下と思われる小柄な男が腰掛けていた。ふたりとも恰幅の良い男に付き合うように、同じ酒が注がれたグラスを手にしている。痩身の男の方がアルコールで一口喉を潤してから、恰幅の良い男の言葉に頷いた。
「まったくです。保安部隊の連中がこれ見よがしにうろつき回るものですから、堅気のお客さんは怖がって足が遠のいてしまって、我々としては商売あがったりですよ」
「そうだろうな。ここに来るまでも、街を行き交う人々の姿が随分と少なくなった」
外縁星系人(コースター)のテロ対策だってのはわかってるんですけどね。我々みたいな第一世代の星まで、こんなに厳重に監視する必要があるんですかね?」
 痩身の男は苦々しげな顔を見せると、再びグラスを呷った。その様子を見て、恰幅の良い男が宥めるように言う。
「トーレランス78便の悲劇からここ数年余り、外縁星系(コースト)内外を問わず連邦域内の各地でテロが相次いでいる。ゴタンだけ監視対象から外れるというわけにもいかんのだろう」
「それにしたって、去年辺りからの締めつけの厳しさは尋常じゃない」
 それまで黙っていた小柄な男が、いよいよ我慢しかねると言った体で口を開いた。
「うちの店の場合、これまでは週に一度の定期的な検査だったのが、去年から不定期の不意打ちばかり。ひどいときには週に三度も押しかけてきて、これじゃまっとうなお客さんまでいなくなっちまう」
 小柄な男の言葉を引き取って、痩身の男が厳しい表情のまま顔を突き出す。
「これは我々みたいな飲食業界だけじゃありません。ほかにも現像工房や流通関係者からも、監視が厳しすぎてまともに仕事することも出来ないって悲鳴が上がっています。私はゴタン産業振興会の一員として、議員には是非とも現状の改善を保安庁に訴えて頂きたいんですよ」
「まあ、落ち着きたまえ」
 議員と呼ばれた恰幅の良い男はそう言って、いきり立つふたりに向かって眉尻を下げた鷹揚な笑顔を見せた。
「私が保安庁に何か言っても、ゴタン国民議会議員の身では残念ながら門前払いが関の山だ。それよりも先日選出された評議会議員、彼のことは覚えているかね?」
 議員の問いかけに対してふたりは一瞬怪訝な顔を見せる。先に答えたのは小柄な男だった。
「議員が支援していた、あの若者ですよね。まだ三十手前で大したものだとは思いましたが」
 その答えを聞いて、議員は肉付きの良い顎を満足そうに頷かせる。
「彼はかねてから連邦の外縁星系(コースト)対策について疑問を抱くひとりだ。本当はあと三年は現場で経験を積むつもりだったらしい。だが君たちの言う通り昨今の保安庁の横暴が目に余り、前倒しで評議会議員選に立候補したというわけだ」
 議員の言葉に痩身の男も小柄な男もほう、という表情を浮かべる。実際のところ、保安庁の強権に対して真っ向から異を唱えることの出来る人間は少ない。全て『外縁星系人(コースター)のテロ対策』という言葉ひとつで黙らせられてしまうのが、現状だ。公的な身分の中にそういう人物が現れるのは、それだけでふたりにしてみれば光明であった。
「多少理想主義的なところはあるが、芯の通った見所のある男だ。彼が連邦評議会で活躍するまで、もうしばらく見守ってやってくれないか」
「議員がそう仰るのであれば」
「保安庁の連中を黙らせてくれるのなら」
 仕方ない、という雰囲気が室内を満たす。元々ふたりとも、この会合で何が変わるということを本気で考えていたわけではない。不満を抱える仲間たちに突き上げられて、議員に対して少しでも訴えたという事実を求めてのことである。新たな評議会議員の人となりに希望が見出せただけでも、十分な成果といえた。議員にしても、ふたりがそれで満足するだろうことは承知している。
 三人がグラスを掲げて乾杯を交わそうとする、そのときだった。
 俄に個室の外で騒がしい音が響くのが聞こえた。最初、遠くから聞こえるように思えたその物音は、やがて彼らのいる個室へと迫るように徐々に大きくなっていく。不穏な気配を察して痩身の男が通信端末(イヤーカフ)に耳を伸ばそうとしたのと、個室のドアが乱暴に開かれたのはほぼ同時だった。
「動くな!」
 反論を許さない、大上段からの命令口調と共に、狭い室内へと数名の人影が雪崩れ込んだ。乱入者は男女様々だったが、全員が黒を基調とした制服のように統一されたスーツに身を包んでいる。そのいずれの手の中にも携帯型の神経銃があり、全ての銃口が三人の顔に突きつけられた。
「なんだ、これは!」
 銃口の列を前にして怒りの声を上げる議員に対して、ショートボブに切り揃えられた黒髪の女が場違いに艶やかな唇を開いて、無味乾燥な口調で答える。
「我々は連邦保安庁です。議員、あなた方には銀河連邦に対する反社会活動の容疑がかかっています」
「反社会活動だと……濡れ衣だ!」
「拘束しろ」
 それ以上議員の言い分を聞く素振りすら見せず、保安部隊は室内にいた三人を立たせようとした。彼らに抵抗しようとした議員は振り回した手首をあっさりと掴まれて、壁に押しつけられながら後ろ手に電子手錠を掛けられてしまう。その様子を見ていた痩身の男は顔を青ざめさせて、されるがままに拘束された。
 小柄な男は、無言でじりじりと壁際に後退っていた。彼はしばらく銃口をつきつける面々を睨みつけていたが、ドアの入口に立つひとりを横目で見ると、不意に手にしていたグラスを中身ごと投げつけた。一瞬相手が怯んだ隙を逃さずに部屋の外へ駆け出そうとするが、ショートボブの女が手にしていた神経銃の銃床を後頭部に振り下ろされ、そのまま悶絶して床に崩れ落ちた。
「よし、連行しろ」
 ショートボブの女は、どうやら保安部隊のリーダー格らしい。彼女が下した指示に従って、ほかの面々は三人を銃で突きつけながら、あるいは両手両脚を掴んで抱えながら、室外に運び出していく。最後に残った女は、全員が出払ったのを確認してからひととおり室内を見回すと、耳朶に装着された通信端末(イヤーカフ)に手を添えた。
「容疑者三名、無事に確保しました」
 通信端末(イヤーカフ)を通じて、女は状況を簡潔に報告する。現場を立入封鎖し、鑑識用のドローンは既に手配済みであることを告げた彼女は、最後に定型の連絡文を口にした。
「フランゼリカ・ゲラント捜査官、これより本部に帰投します」
 
 九年前、乗客乗員千五百人超の命を奪ったトーレランス78便の爆発事故は、その後の捜査で外縁星系人(コースター)の過激派が引き起こしたテロと断じられた。
 同便の目的地であるイシタナでは銀河連邦中の金融界トップによる会合が予定されており、ミッダルトの金融関係者もこの会合に出席するために乗船していたのである。連邦第一世代の金融関係者は、通商局や保安庁と共に外縁星系人(コースター)たちの目の敵にされており、その憎悪が最悪の形で表面化したものだった。
「トーレランス78便の悲劇を繰り返すな」
 その後、銀河連邦中で声高に唱えられることになる合い言葉と共に、外縁星系人(コースター)の弾圧は以前と比べられないほどに激しさを増す。それまでの経済的な圧力に加えて、連邦保安庁は外縁星系(コースト)各地に配備された支部隊を大幅に増強したのである。
 ただでさえ日々の生活苦に喘ぐ外縁星系人(コースター)たちは、暴力による息苦しい支配まで押しつけられることとなった。
「連邦はどうしてこれほど外縁星系(コースト)を強圧的に支配しようとするか、わかるかね」
 真っ白な髪のところどころに、かつては栗色だった髪の毛の名残を残す老人が、目の前に浮かび上がる立方体のホログラム映像から視線を逸らさずに、そう尋ねた。
 連邦軍の将官級の制服に身を包んだ老人は、肘掛け椅子に腰掛けてもぴんと通った背筋を崩さず、ホログラム映像を映し出すテーブルの端にはごつごつとした節くれ立った手が組まれたまま置いている。
外縁星系(コースト)諸国はいずれも国家としては脆弱ですが、それぞれが豊富な資源を有しています」
 立方体を挟んで老人の向かいの席から答えたのは、老人にしてみれば子供と言って良いほど年の差の離れた、青年の声だった。
「有り体に言えば、外縁星系(コースト)にその資源を独占させるのではなく、銀河連邦全体で有効活用するため。こんなところでしょうか」
 青年はそう答えながら長身を屈めて、おもむろに立方体に向かって何やら指を動かした。すると立方体の中に散りばめられていた赤と青の二色の駒の内、青い駒のひとつが淡く光り出したかと思うと、真っ直ぐに赤い駒の群れの中へと切り込んでいった。青い駒の動きに合わせて、赤い駒のひとつが音もなく弾けて消える。その様子を見て、老人の白い眉がぴくりと動いた。
「ふむ、そう来たか。思いの外大胆な手を指す」
「前回は慎重に行きすぎて痛い目を見ましたからね。少し手を変えてみました」
 穏やかな笑みをたたえる青年に対して、老人はいかめしく保たれた表情を崩そうとはしない。ひとしきり唸ってから、テーブルの端で組まれた手を解いて指先を動かすと、赤い駒のひとつが陣中に飛び込んだ青い駒の背後に移動した。
外縁星系(コースト)の資源の確保が目的という、君の推量は正しい」
 駒を動かし終えた老人が口にしたのは、先ほどの話題の続きだった。
「だが根源にあるのは、古い記憶だ」
「記憶?」
 老人の指し手に対して青年は間を置かずに駒を動かすと、そう言って顔を上げた。老人もまた青年の顔を見返して、いかめしい顔のまま頷く。
「そうだ。かつてバララトが経済支援に前のめりになった結果、支援先はまとめてローベンダール惑星同盟として独立してしまった。その惑星同盟を母体とする銀河連邦は今、外縁星系(コースト)諸国も力をつけた途端に連邦を飛び出してしまうのではないか、と恐れている」
「惑星同盟……歴史の講義で習ったことはありますが、それ以上に意識したことはありませんね」
「それは私もだよ。惑星同盟の構成国だったイシタナ人の私ですら、その程度だ。だが、どういうわけかテネヴェは、惑星同盟の二の舞を恐れている」
 ふたりの会話の間にも、立方体の中の駒はときにゆっくりと、ときに間髪置かずに動き続けている。赤い駒と青い駒は一進一退の攻防を繰り返しているように見えたが、手が進むに連れて眉根を寄せていったのは老人の方だった。
「これは参った。各個撃破の餌食になってしまったな」
 そう言って投了した老人に向かって、青年が満足そうな微笑を浮かべてみせた。
「これで私が星ひとつ勝ち越しですね、提督」
「今日の対局は、あれかね。君が立案した対外縁星系人(コースター)対策を披露してくれたものと、そう考えれば良いのかな」
 そう言って老人が、青い瞳を動かして視線だけを青年の顔に寄越す。すると青年は白い歯をちらりと見せて、頷いた。
「提督には出過ぎた真似だったかもしれませんが、仰る通りです」
外縁星系人(コースター)を抑え込むには、戦力を集中させずに個別に叩くのが良策だというわけか」
「反連邦を掲げる外縁星系人(コースター)のグループはいくつもありますが、彼らは各々が勝手に行動しているだけで、横の繋がりはありません」
 青年がテーブルの端に手を触れると、立方体の中でそれまでの対局が巻き戻されていく。やがて対局が終盤に差し掛かった時点、ちょうど赤い駒が個々に分断されたばかりの状態になったところで、巻き戻しは止まった。
「最も恐れるべきは、彼らが組織的にまとまることです。その前に軍や保安庁の総力を投じてひとつひとつ潰していく。時間はかかるかもしれませんが、これが最良と考えます」
 その言葉と共に立方体の中の駒たちは、先ほどの対局の終盤の様子の再現を始める。互いに連携が取れない赤い駒たちは青い駒の集団に次々と粉砕されていき、やがて総数を半分にまで減らしたところで動きを止めた。
「先日、ゴタンの反連邦組織の掃討が完了したとの報告が入りました。これで外縁星系(コースト)外の反連邦組織の拠点は概ね一掃出来たことになります。次は外縁星系(コースト)における反連邦勢力の制圧です」
 彼の言葉と共に、立方体のホログラム映像がテーブルの上からベープの煙のように霧散する。ふたりはしばらくそのまま顔を見合わせていたが、やがてホログラム映像投影盤だけが記された卓上で組まれていた老人の手が、おもむろにほどかれた。
「いいだろう。だとするといよいよ我々の出番ということになるかな」
 老人の親指が自らの胸元を指しているのを見て、青年が小さく頷く。
「はい。直接の戦闘行為は今のところ想定しておりませんが、反連邦組織だけでなく、外縁星系(コースト)各国政府に対して圧力をかけるためにも、軍には出撃をお願いすることになります」
「そんなに下手に出なくとも、もっと堂々と命令すればいい。安全保障局が特別対策本部を設けて、直接現場の指揮を執るということに抵抗があったのは事実だが、ここまで順調に成果を出しているんだ。今では軍も保安庁も、表立って反対する者はおらんよ」
「対策本部の設置は、提督のお口添えがなければ上手くいきませんでした。感謝してもしきれません」
「ほかならぬ君の頼みだ。私情が混じったことは否定しないが、私は君の能力をこそ信用している。そして君は私の見込みを上回る働きぶりを見せてくれている。それで十分だ」
「恐縮です」
 そう言って青年が、長身の上に乗ったダークブラウンの頭を軽く下げる。低頭する青年を見守る老人の目は、心持ち細められていた。
「娘は人を見る目は確かだった。あれのお墨付きなら、私も信用出来るというものだよ」
 それまで憮然として見えた老人の顔には、その言葉を口にした瞬間だけ、懐かしむような表情がよぎって見えた。青年もまた、老人の表情に共鳴するかのように切れ長の目を伏せる。
「お墨付きだなんてとんでもない。私はいつも間違ってばかりです。お嬢さんのことだって……」
「それを言うなら私こそ、どうして無理にイシタナに呼び戻そうとしたのか、未だに後悔し続けているよ」
 はっとして口をつぐむ青年をよそに、老人は肘掛け椅子から立ち上がると、壁に掛けられていた制帽を手に取った。
「さて、そろそろ戻らないと副官に睨まれてしまう。出来ればもう一局指したかったが、次回の楽しみとしておこう」
 白髪の頭に制帽を被せた老人は、そこで初めて口元に笑みを浮かべた。彼に続いて席を立った青年が、老人を見送るためにその横に立つ。その顔には既に穏やかな表情を取り戻されていた。
「ホスクローヴ提督は特別対策本部の幹部メンバーです。気兼ねなさらず、いつでもお越し下さい」
「そのときにはまた、立方棋(クビカ)を指す時間も空けておいてくれ、ヂョウ主任」
「もちろんです」
 連邦安全保障局ビルの一室で、連邦軍の制帽に添えるようにして敬礼を取る老人は、銀河連邦軍でも輝かしい戦歴を誇る名将クレーグ・ホスクローヴ提督。そして彼と相対して敬礼を返すのは、安全保障局特別対策本部付の主任局員として連邦軍や保安庁を統括し、外縁星系人(コースター)のテロ対策の指揮を執る、モートン・ヂョウであった。
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