4-2-3 面影の行方

文字数 4,288文字

 ダークブラウンの瞳に真っ直ぐに見据えられて、ジノもまた怯むことなく灰色の瞳でモートンの顔を見返した。
「会ってはいない」
「連絡は取っているんだな」
「あいつから一方的にメッセージが届いただけだ」
 そう言うとジノは言葉を切り、喋りすぎて乾いた唇を湿らせるためだろう。さらにグラスを呷ってから、再び口を開いた。
「俺が連邦評議会議員の選挙で当選してすぐ、通信端末(イヤーカフ)に通信が入ったんだ。『おめでとう、ジノ』ってな」
 まるでそのときの記憶を反芻するかのように、ジノは瞼を伏せる。
「その一言だけだ。俺が呼び返しても、それ以上の返事はなかった。だけどあれはシャレイドの声だった。忘れるはずがない」
「こんな近くまで来ていたっていうのに、なんてこと……!」
 フランゼリカが親指の爪を噛みながら、文字通り歯軋りする。頭に血を昇らせた彼女を、モートンが冷静な声で宥めた。
「その瞬間にシャレイドがゴタンにいたとは限らない。タイミングを計ってあらかじめ仕込んでおいたメッセージを送るぐらい、訳はないだろう」
「でも、少なくともその直前にジノの側まで立ち寄っていた可能性は高いわ。ジノの周囲はずっと監視していたっていうのに」
 ふたりのやり取りに耳を傾けていたジノはその言葉を聞くと、アルコールで充血し始めた目でフランゼリカをぎろりと睨む。
「やっぱりそうか」
 そう吐き捨てるように呟いて、ジノはソファからおもむろに立ち上がった。モートンからもフランゼリカからも顔を背けて、壁一面の窓ガラスに片手をつきながら頭を振るその顔は、苦渋の表情に満ちている。
「ゴタンから帰ったばかりと聞いたときから、おかしいとは思ったんだ。昔のフランゼリカだったら、ゴタンに来たら一度ぐらい俺のところに顔を出しそうなものなのに、俺は君がゴタンにいることも知らなかった」
 窓ガラスに押しつけられていたジノの掌が、徐々に拳の形へと握り締められていく。
「つまり、俺のことを陰から見張っていたんだな」
「――そうよ」
 彼の背中に向かってフランゼリカが投げかけた言葉は、冷徹だった。
「シャレイド・ラハーンディがゴタンを訪れているという情報を掴んで、彼が接触する可能性のある人物のひとりとして、あなたのことをマークしていたの」
「そして今度は、俺から直にシャレイドの居場所を聞き出そうっていう魂胆か!」
 そう言うとジノは、窓ガラスに向かって容赦なく握り拳を叩きつけた。弾みで振動するガラス越しに、セランネ区の一面の街明かりが震えて映る。
「モートン、お前はいったい何を考えている」
 憤懣やるかたないジノの苛立ちは、未だに身じろぎすることのないモートンにも向けられた。
「だいたい、お前が安全保障局にいること自体がおかしい。実家を継ぐ話はどうなった」
「親父には頭を下げて、断った。おかげでここ数年、口も利いてくれないよ」
「そこまでして、どうして安全保障局なんだ。お前自身の手で、シャレイドを追い詰めるような真似をすることはないだろう」
「どうして?」
 そこでモートンはようやく顔を上げて、興奮するジノの顔を見返した。
「どうしてって、カナリーの(かたき)を取るためだよ。それ以外に何がある?」
 まるで不思議なものでも目にするかのような顔だった。
「トーレランス78便は、俺の目の前で爆発した」
 思いがけず素朴な表情で見返されて言葉を失うジノに、モートンは淡々とした口調で語りかける。
「どうして俺はあのときカナリーを送り出してしまったんだろう。本当は離ればなれになんてなりたくなかったのに」
「モートン、あれはお前のせいじゃない」
「俺のせいじゃないかもしれない。でも、あのとき俺が何も出来なかったことに変わりはない。それならば、せめて俺に出来ることをやるしかないじゃないか」
 薄く開かれた切れ長の目の奥で、ダークブラウンの瞳はジノの顔を通り過ぎて、その先に焦点を結んでいる。
 モートンの表情に呑み込まれかけて、その瀬戸際でとどまるかのように、ジノは一歩前へと踏み出した。
「それが安全保障局に入って、外縁星系人(コースター)を弾圧することか」
「この銀河系から理不尽な暴力を排除する。それだけだよ」
「そのためにお前たちが振るう力も、また暴力だろう」
 もはやこれ以上会話が噛み合うことはないことを察して、それでも口を開くジノの眉間に悲痛が漂っていた。
「俺は力を全否定するほどお目出度いつもりはない。だが、今のやり方では遠からず大きな反発を招く。外縁星系人(コースター)と第一世代がいつまでもいがみ合うことを、カナリーは望んでいないぞ」
 ジノの訴えを耳にして、だがモートンの表情に変化はない。その斜向かいではフランゼリカが、冷笑を浮かべてソファに横たわっている。ふたりの顔に相互に視線を送って、やがてジノは無念そうに瞼を伏せてうなだれた。
「俺が評議会議員に当選して、ジェスター院の仲間で祝辞を送ってくれたのは、シャレイドとアッカビーだった」
「……アッカビーか。懐かしい名前だな」
「あいつとは卒業後も親しくしている。テネヴェでの住まいも、アッカビーが扱っている不動産を融通してもらったんだ」
「院生時代から続く友情は、大切だ」
「俺はお前たちのことも、同じように大切な友人だと思っている」
 そう言いながらジノはふたりの前を横切り、ソファの背凭れに無造作に引っ掛けられていた上着を手に取った。
「だけど、今日はこれでお暇するよ。旧交を温めるのが目的、というわけではないようだからな」
「……俺もお前も、同じエクセランネで働く身だ。気が向いたらいつでも声を掛けてくれ」
 上着に袖を通したジノが、モートンの言葉を受けて半身を振り返る。ジノはしばらく割り切れない想いのこもった目でモートンたちを見つめていたが、やがて無言のまま玄関へと向き直ろうとして、途中で何かに気がついたように動きを止めた。彼の視線の先、エレベーターの乗降口を兼ねた玄関脇の壁には、いくつかのポートレートが連なって吊されている。
「……ここに写っているのは、イェッタ・レンテンベリ?」
 ポートレートのひとつには、蜂蜜色の長い髪を肩に下ろして、肘掛け椅子の上でたたずむ美しい女性の姿があった。その隣には、同じ女性のほかに黒い肌の精悍な顔つきの男性が、もうひとりのモトチェアの女性を挟むようにして、三人並んでいる。そのいずれも、銀河連邦で教育を受けた者ならば一度は目にしたことがある、歴史上の著名な人物ばかりであった。
「こっちはロカ・ベンバに、確かタンドラ・シュレス。そういえばセランネ区郊外の八十八階建ての建物の、最上階のペントハウスといえば。この部屋はもしかして、かつてのレンテンベリの住まいなのか?」
 ジノは再びモートンに、今度は訝しげな視線を向ける。
「そうだ」
 モートンは無表情に近い顔のまま、平板な口調で答えた。
「ちょっとしたコネでね。たまに使わせてもらっている」
「それはまた。どんなコネだか、想像もつかんな」
 その説明にジノが納得したのかどうか。ただふっという小さい笑みを残してからエレベーターに乗り込み、そのままジノはフロアから立ち去っていった。
「行かせちゃって良かったの」
 エレベーターのドアが閉じると、ほとんど空になったグラスを傾けながらフランゼリカが発した声には、好意的な響きが欠けていた。
「シャレイド・ラハーンディと接触したかもしれない、重要参考人よ」
「お前はもう少し冷静になれ。現役の連邦評議会議員に対して、無茶する必要はない」
 肘掛け椅子に腰掛けたまま、モートンは背凭れに長身を預けてそう言った。
「それにジノは嘘はついていない。正直が美徳なのは変わってないな。シャレイドに会っていないというのも、間違いない」
「まあ、あなたがそう言うならいいんだけど」
 空のグラスをテーブルの上に置いたフランゼリカは、上目遣いでモートンの顔を覗き込む。
「それで、ゴタンでの任期を終えた私は、次はどうすればいいの」
 するとモートンは切れ長の目の端で瞳だけを彼女に向け、事務的な口調で告げた。
「お前の次の任地はジャランデールだ」
「ジャランデール?」
「第一世代各国の拠点を取り除かれた今、反連邦組織の活動範囲は外縁星系(コースト)に封じ込められている。これまでは対象範囲が広かった分、個々の組織が連携する前に個別に叩くことが出来た。だが奴らの活動範囲が狭められたということは同時に、ばらばらだった個々の組織が結びつきやすくなるという可能性を孕んでいる」
 椅子の肘掛けの端に添えられたモートンの手が軽く握り締められて、長い脚がおもむろに組み替えられる。
「その中心になる可能性が高いのが、ジャランデールだ」
「地理的にも、象徴という意味合いでも、十分有り得るわね」
「お前には管理官として、ジャランデールに赴いてもらう。現地の保安部隊を指揮して、反連邦組織の取り締まりと」
「シャレイド・ラハーンディを見つけ出して欲しい、でしょう?」
 フランゼリカは厚ぼったい、真っ赤な唇の端を吊り上げたが、その目は笑ってはいなかった。
「そういう理由なら、彼がジャランデールに戻っている可能性も高いものね」
「その通りだ」
「でも、何度も言っているけど、彼を見つけても生かしておける保証は出来ないわよ。きっと彼、私の顔を見たら()()()()()()()()()()()から。そうしたら私だって、()()()()()()()使()()()しかないのよ」
 ことさら挑発的な表情と物言いで、フランゼリカの顔がモートンに迫る。妖艶であろうとしても、隠しきれない憎悪をまとった吐息が、モートンの耳元に吹きかかる。
「俺はシャレイドと話がしたいんだ」
 モートンは鉄面皮を保ったまま、表情を崩さない。
「話が出来るかどうか、それは私次第よ」
「そんなわけがない」
 そのままフランゼリカの顔が覆い被さってこようとも、モートンの無表情に綻びが生じることはなかった。ダークブラウンの瞳には目の前のフランゼリカの顔が映し出されていながら、その実彼の脳裏に浮かんでいるのは全く別人の面影だった。
「俺とシャレイドの絆は、お前如きがどうこう出来るようなものじゃないんだ」
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