4-4-3 遼遠の戦火

文字数 10,087文字

 人類の“始まりの星”こと惑星スタージアが在るスタージア星系は、意外なことに星系全体の調査が行き届いているとは言い難い。
 スタージアで初の開拓計画が立ち上げられて、最初に手をつけられたのは星系内の極小質量宙域(ヴォイド)の調査であった。試行錯誤を繰り返した末にようやく発見されたのが、今のエルトランザに至る極小質量宙域(ヴォイド)である。正確には、さらに無人星系をいくつも経由した先にたどりついた惑星が、後にエルトランザと名づけられたのだ。
 やがてエルトランザを切り拓いた人々が、その後の初期開拓時代の主役となった。バララトやサカ、ミッダルトと言った初期開拓時代に見出された植民惑星は、全てエルトランザの人々やその子孫が見つけ出したものである。
 その間、スタージアはエルトランザへの支援は惜しまなかったものの、開拓そのものについてはそれ以上能動的な動きは見せなかった。ミッダルト方面やネヤクヌヴ方面を繋ぐ極小質量宙域(ヴォイド)の発見は、スタージアによるものではない。スタージアが銀河系人類社会の果てに存在するのも、初期開拓時代から人類社会の中心的地位をエルトランザに譲ったためである。
 従ってスタージア星系には連邦航宙局も把握し切れていない、未知の宙域が多く存在する。特に銀河系人類社会の反対側――《原始の民》の来し方と伝わる《星の彼方》方面は、未だ手つかずのままであった。
「一両日中には、スタージア星系に到着します」
 副官からの報告を受けて、ホスクローヴはいかめしい顔のまま無言で頷いた。彼の左右には複数の幕僚が居並び、共に目の前の球形映像に視線を注いでいる。
「想定より五日ほど前倒しで到着出来ましたね」
「ただ、補給艦などの足の遅い艦艇はこぞって脱落している。合流出来るのは一戦交えたあとになるかと」
「仕方ありません。ここまでほとんど最大戦速の強行軍ですから」
「スタージア星系での行動限界は、最大限に見積もって二百時間が精々です」
 外縁星系(コースト)諸国連合軍が迫りつつあるという報せを受けて、ホスクローヴが率いる連邦軍主力はトゥーラン星系からの急行を命じられた。それも可能な限り最大戦力をもって、という注文付きである。
 敵の本拠であるジャランデールを目の前にしての命令に歯噛みする幕僚は多かったが、ホスクローヴは一言も感想を口にすることなく命令に従った。実際、士官クラスはともかく、末端の兵士の中にはスタージアの危機を知って動揺する者も少なくない。連邦評議会がスタージア救援を優先させるのも、わからないではなかった。
「今回スタージアに迫るという敵は、残存する外縁星系(コースト)軍の主力と見做して良いだろう。ここで敵を撃滅出来れば、外縁星系(コースト)諸国も戦意を失う。諸君には回り道に思えるかも知れないが、一連の戦いで勝利を収める方策の一環として、目の前の戦場に集中してもらいたい」
 そう言って周囲を見回すホスクローヴに対して、幕僚たちは思い思いに頷いた。彼の言う通り、トゥーラン星系で打ち漏らした外縁星系(コースト)軍を叩くことが出来れば、その分勝利をたぐり寄せることになるのも、また間違いではなかった。
 幕僚たちの表情を確かめてから、ホスクローヴは目の前の球形映像に手をかざした。スタージア星系には連邦軍より一足先に、外縁星系(コースト)軍が到着しているという。球形映像には、スタージア星系に待ち受ける外縁星系(コースト)軍の想定される進路が表示されている。
「スタージア守備軍から入った情報によりますと、ネヤクヌヴ方面から侵入した敵は、スタージア恒星系を大きく迂回しながら進んでいます」
 球形映像の中心に映し出された、惑星スタージアを含むスタージア恒星系の外縁を時計回りにたどるようにして、外縁星系(コースト)軍を示す光点の群れが突き進んでいく。対して連邦軍はスタージアの恒星を挟んで、外縁星系(コースト)軍とはちょうど対極の位置から侵入する予定だ。
「《星の彼方》方面で待ち受ける、ということか」
 幕僚の誰かが呟いた通り、外縁星系(コースト)軍は伝説の《星の彼方》に続くという宙域に向かっている。
「そもそも連中は、我々とまともにやり合うつもりがあるのだろうか」
 ひとりが発した疑問を、別のひとりが打ち消した。
「あるはずだ。というよりも我々をジャランデールの目の前から引き剥がして、ここまでおびき出した格好だろう」
「スタージアに危険が迫れば評議会が浮き足立つことを見越されて、思惑通りに動かされているのが癪だな」
「当然、なんらかの用意もあると見るべきだ」
「だとしてもトゥーランのときとは違います。今回はこちらの戦力は向こうの三倍以上、多少の小細工など押し潰せる戦力差がある」
「しかも強行軍が功を奏して、予想された日程を大幅に短縮出来た」
「奴らにわざわざ策を弄する時間を与えることはない。このまま速度を落とさずに補足すれば、一戦で粉砕も可能だ」
 意気軒昂と湧き上がる幕僚たちに向かって、ホスクローヴは冷徹な声で釘を刺した。
「行動限界があるのを忘れるな。むしろ一戦で決着をつけなければ、我々の優勢が覆されるものと考えろ」
 アンゼロ・ソルナレスがオープン回線で発表した声明は、ホスクローヴたちの耳にも届いている。あの偶像めいた容貌の博物院長の言外の意思を、ホスクローヴは彼なりに汲み取っているつもりだった。つまりスタージア星系での戦闘をもって、この戦いを終結せよというメッセージであると受け止めている。
 行動限界を置いても、今回の戦闘を最後とする。そのためには、打てる手は尽くさなければならない。
「スタージア星系に到着し次第、艦隊を二分する」
 ホスクローヴが示した方針に幕僚のひとり、まだ若い士官が不思議そうに首を傾げた。ホスクローヴが指揮する艦隊では、提督の示した方針に幕僚たちが疑問をぶつける形で作戦立案を進めることが多い。
「戦力差を考えれば全軍で当たるべきかと思いますが、あえて二分する意図はなんでしょう?」
「私が外縁星系(コースト)軍であれば、伏兵を敷いて待ち受ける。伏兵を炙り出すために、別働隊を組織する」
「我々よりはるかに少数なのに、あえて二分しているということですか」
「だからこそだ。正面からぶつかっても勝算の少ない相手に挑むには、伏兵による奇襲が最も効果的だ」
 球形映像に表示される、外縁星系(コースト)軍の進路予想。こうして易々と動きを把握させているという事実が、その根拠である。
「《星の彼方》方面は、未知の宙域も多い。敵が潜伏出来るような小惑星地帯やデブリ群などが存在している可能性もありますか」
 年かさの幕僚の補足を受けて、ホスクローヴが小さく頷く。
「二分した戦力の内の一方――主力部隊はそのまま《星の彼方》方面に向かう敵戦力に当たる。そしてもう一方となる別働隊は」
 そこで老提督は骨張った指を球形映像に向け、連邦軍のスタージア星系侵入地点から恒星系をぐるりと遠回りするルートを示した。彼の指先の動きにつられるようにして、球形映像の中に外縁星系(コースト)軍の動きを後ろから追うような進路が表示される。
「高速巡航艦を中心に編成し、ネヤクヌヴ方面の極小質量宙域(ヴォイド)を掠めて、遅れて敵の後を追ってもらう。伏兵の索敵も兼ねながらの行動になる」
 伏兵を察知して撃滅出来ればそれでよし。そうでなくとも戦闘中の敵を背後から突いて、前後から挟撃するという目論見である。余裕のある兵力を十分に活用した作戦だが、それ以上の意図があることは幕僚たちも見抜いていた。
「今度こそ極小質量宙域(ヴォイド)封じはさせない、ということですな」
 トゥーラン星系での戦いでまんまと逃げおおせられてしまった二の舞は繰り返さないという上司の意図を、代わりに副官が口にする。
「しかしこれだけ迂回して、しかも索敵しながらとなると、高速巡航艦といえども七十時間は要します。合流後の戦闘も考慮すると、行動限界ぎりぎりになりませんか」
 若い士官の疑問は当然であった。だが老提督は彼の発言を咎めることなく、むしろよく気づいたというように彼の顔を見返した。
「君の言う通りだ。それだけに失敗は許されない。ここで敵主力を全滅させる、それぐらいの心づもりで臨んでくれ」
 提督は、若い士官が指摘するリスクも承知の上で、今回の作戦を提示している。彼の腹づもりを理解した幕僚たちは、それ以上異を唱えようとはしなかった。ホスクローヴが立案した作戦は、やがて連邦軍の隅々まで行き渡る。
 この戦闘で外縁星系(コースト)諸国との内乱に決着をつける。ホスクローヴが率いる連邦軍は完全に統一された意思の下、いよいよスタージア星系に乗り込もうとしていた。

 惑星スタージアから見て、銀河系人類社会とは真逆の方向に離れた、その先は《星の彼方》に繋がると伝わる宙域。銀河連邦航宙局も未だ全てを把握していない、銀河系人類の祖となった《原始の民》の来し方とされる宙域。
「我々はあの宙域を、原初の極小質量宙域(オリジナル・ヴォイド)と呼んでいる」
 大きな楕円形のテーブルを前にして、アンゼロ・ソルナレスは卓上に組んだ両手を軽く乗せつつ、ゆったりとした背凭れに長身を預けたまま院長席に腰掛けていた。スタージア博物院長室の、巨大なドーム状の天井から降り注ぐ暖色の照明を背に受けて、くっきりとした陰影に覆われた顔からは表情がやや読み取りにくい。
 何より彼の背後に圧倒的な存在感をもって浮かぶ巨大な漆黒の球が、ソルナレスと対面する人を威圧する。黒い球はすなわち球状のホログラム映像であり、その中にはスタージア星系の端で、今まさに激突しようとする連邦軍と外縁星系(コースト)諸国連合軍の様子が映し出されていた。
極小質量宙域(ヴォイド)だと」
 ソルナレスの向かいの席には、黒いコートを羽織ったままベープ管を手にしたシャレイドが、やや荒んだ目つきのまま腰を下ろしている。「連邦軍と外縁星系(コースト)軍の戦いの様子を、見守りたいとは思わないか」というソルナレスの誘いに乗って、シャレイドはここ博物院長室までのこのこと顔を出した。まるで娯楽映像を鑑賞するようなソルナレスの物言いが気に障ったが、戦いの行く末を一刻も早く知りたいのもまた確かだった。
「あの先を恒星間航行で超えれば、その先には《オーグ》の群れが待ち受けているんだな」
 シャレイドは皮肉を言ったわけではない。ここまで散々《スタージアン》の思考に触れて、少なくとも《スタージアン》が《オーグ》の存在を当然の事実として認識しているということは、さすがに理解していた。
「その通りだよ、シャレイド・ラハーンディ」
 陰の差した面持ちを微かに傾げながら、ソルナレスが肯定する。
「奴らがここに現れないのは、我々《スタージアン》と同じ、一星系を跳び越えてしまうと《繋がり》が途切れてしまうからだ」
「精神感応的に《繋がる》群れである点は、お前たちも《オーグ》も同じか」
「そうだね。その点はよく似ている」
 そう言ってソルナレスは残念そうに苦笑した、ように見えた。
 博物院公園奥の森林緑地内に聳える記念館の前で、シャレイドはソルナレスたち《スタージアン》の核心部分を読み取った。しかしその全貌についてはまだ不明な点が多い。それ以上探ろうとしても、ソルナレス個人の脳からは、特に《オーグ》の詳細にまつわる記憶が綺麗に消去されていた。
 シャレイドの精神感応力は天然の能力としては恐ろしく強力だが、それにしても作用する対象の数や有効範囲には限りがある。シャレイドと直接顔を合わせる個人の記憶を操作しておけば情報の秘匿も可能だということを、《スタージアン》は既に学習していた。
「精神感応力の有効範囲については、さすがに我々が上回っているな。我々の力は、ちょうどこの天球図に映し出されている、《オリジナル・ヴォイド》のやや先ぐらいまで及ぶ」
 つまり一星系をすっぽりと覆い尽くす程の範囲を、《スタージアン》は精神感応的に見聞きし、あるいは干渉出来るということだ。先ほど、一星系を跳び越えることが出来ないと言ったソルナレスの表情は、いかにも己の力不足を嘆いているように見えたがとんでもない。スタージア星系は、そのまま《スタージアン》の思うがままという宣言に等しい。
「現在の通信技術の限界が、そのままお前たちの《繋がり》の限界なんだな」
 シャレイドはあえて限界を指摘した。《スタージアン》の精神感応力の途方も無さに呑み込まれまいと、虚勢を張っているという自覚はある。だがソルナレスは、彼の思考を読み取ることは出来ないのだ。
「星系を跨ぐ通信技術が開発されれば、我々の有効範囲も飛躍的に向上するのだろうけどね」
 そう答えたソルナレスの顔が次の瞬間、生気に欠けた――まるで面を被ったかのような表情に切り替わったことに、シャレイドは気がついた。
「そんな技術が日の目を見るのは、まだまだ先の話だろう。複数の星系への拡散をスムーズに果たしたこの世界では、絶対的な距離に阻まれて、情報の収集と分析にどうしても時間がかかる。技術革新のスピードは、ひとつの惑星上で文明が発展する場合に比べれば緩やかにならざるを得ない」
 ソルナレスが唐突に、何と比べてそんな話を口にしたのか。実はそこに彼個人の意思はほとんど反映されていない。たった今彼の口から紡ぎ出されたのは、《スタージアン》に《繋がる》全ての思念が共有する想いが、ソルナレスの口を使って語らせた言葉である。
 ソルナレスという個人の意識をまるで気にもかけない《スタージアン》の振る舞いが、シャレイドの生理的な嫌悪感を一層掻き立てる。
「それがどうした。ひとつの惑星に閉じこもったまま急速に発展して、あげく煮詰まった結果が、その《オーグ》なんだろう」
 そう言うとシャレイドは、それまで卓上で弄んでいたベープ管を口元に寄せて、管の端の吸い口を唇に挟んだ。やがて開いた口の隙間から白い煙が、質量をもって吐き出される。煙に遮られたその向こうでは、ソルナレスが椅子の中でわずかに身じろぎする気配がした。彼の動きに合わせて揺れる背凭れから、小さくぎしりと音が鳴る。
「かもしれない。それにしたって、未だ我々に干渉してこないのだから、《オーグ》もまだ恒星間通信技術を手にしていないということだ」
 ふたりの間に漂っていた水蒸気の煙が、エアコンディショニングの微風に流されて立ち消えていく。白煙の向こうから再び現れた博物院長の顔には、うっすらとした笑みが口元にたたえられていた。
《オーグ》の精神感応力が及ばないのなら、

は十分に通用する――
 ソルナレスの笑みは、そんな《スタージアン》の確信を物語っている。
 ベープ管から唇を離して、シャレイドは醒めた目つきで博物院長の顔を見返した。《スタージアン》はよほど《オーグ》との接触を避けたいらしいが、彼らこそシャレイドには忌まわしく思えて仕方が無い。
「……いくら強力な精神感応力でも、百万人以上の連邦軍が相手だぜ。さすがにこの人数を相手にするのは、お前たちでも荷が重いんじゃないか?」
「確かにこれだけの数のヒトと向き合うのは、我々でも厳しいだろう。特に今回は、一瞬の干渉で済むわけではない。継続的に働きかける必要がある」
 シャレイドの言葉を肯定しながら、陰影の濃いソルナレスの顔にはなお余裕が漂っている。
「だがシャレイド・ラハーンディ、我々が《繋がる》のは、ヒトだけではない」
 そう言ってシャレイドを見返すソルナレスの瞳もまた、陰に埋もれてはっきりとは窺い知れない。室内の照明が逆光となってソルナレスの表情が判然としないことに、シャレイドは内心安堵していた。彼の金色の瞳に悪戯っぽい、自慢げな表情が浮かんでいるところを目にでもしたら、きっとむかむかとする感情に襲われたに違いないからだ。
「ヒトに比べれば機械に干渉することは、大した労苦じゃない。機械相手ならどれだけの数が相手でも、何百年でも働きかけることが可能なんだ」
 スタージア星系に存在するものは、それがヒトであれ機械であれ、彼らの掌中にあるのと同じことなのだ。とっておきの秘密を聞かせるようなソルナレスの言葉は、シャレイドになんの感銘も与えることはなかった。
「いくら嬉々として機械との《繋がり》をひけらかされても、俺にはお前たちと《オーグ》の区別がつかないとしか言えないな」
「今までも何度かそんな指摘をされたけどね。残念ながら《スタージアン》は、とても《オーグ》には及ばない」
 そう言うと博物院長はふと背後を振り返り、漆黒の天球図に向かっておもむろに左の手を上げた。
「といってもまずは我々の実力を目にしないことには、君も想像しづらいだろう」
 ソルナレスの言葉に、シャレイドは答えない。
 彼は《スタージアン》がこれから何をしようとしているのか、知っている。そしておそらく《スタージアン》の思う通りに事態が進むだろうことも、わかっている。ただ理解はしているものの、実感を伴っているかといえば別の話であった。想像しづらいだろうというソルナレスの指摘は、当を得ている。
「間もなく戦闘が始まる」
 球形の映像の中では、《星の彼方》方面の宙域に陣を敷く外縁星系(コースト)軍に向かって、連邦軍の主力部隊がいよいよ襲いかかろうと速度を上げている。その様子を指先で指し示しながら、ソルナレスはあくまで穏やかな口調で告げた。
「この戦闘に及ぼす我々の力がどれほどのものか、君にはとくとご覧頂こう」
 ソルナレスの横顔を眺めながら、シャレイドは無言のままベープ管を咥えていた。鼻腔から零れ出す白煙がくゆって、赤銅色の顔面を覆う。
 まるでショーを披露するかのようなソルナレスの言葉は、シャレイドにしてみれば的外れであった。
 シャレイドは外縁星系(コースト)の勝利のために、《スタージアン》の行動を黙認することにした。彼らの思惑を許容した時点で、もはやただの見物客では有り得ない。それがどんな結末を迎えようと、当事者として事態の推移を見届ける義務がある。
 だからこそシャレイドは、わざわざこの博物院長室を訪れたのだ。

 クレーグ・ホスクローヴ提督が率いる連邦軍主力部隊は、索敵範囲に外縁星系(コースト)軍を捉えると速やかに攻撃を開始した。
 連邦軍は二分されていたとはいえ、主力部隊の数はなお眼前の敵を十分に凌いでいた。連邦軍の艦隊から放たれる攻撃に、外縁星系(コースト)軍も合わせるようにして応戦する。
 銀河系人類史上初となる《星の彼方》方面宙域での戦闘は、正面からのぶつかり合いで始まった。
「《星の彼方》方面と言うだけあって、測定される宙間質量も相当に少ないですな」
 提督をはじめとする艦隊首脳陣が詰めるのは、連邦軍旗艦の艦橋内でも一段高い位置に迫り出すバルコニー上のフロアだ。艦橋内を睥睨するフロア周辺には、戦況を伝える様々な情報を表示したホログラム・スクリーンが、いくつも浮かび上がっている。そのひとつに目を凝らしていた副官は、戦闘宙域の情報を示す測定値を読み取って、そう呟いた。
「ほとんど極小質量宙域(ヴォイド)と呼んでも差し支えない。ここで恒星間航行すれば、その先には本当に《星の彼方》があるのかもしれません」
 艦橋内の前面には、ホログラムではない巨大なパネル型のモニタが嵌め込まれて、そこには目の前の宇宙空間で繰り広げられる戦闘が映し出されている。敵と味方の間を幾千もの光線が行き交い、間断なく閃いては消える光球の輝きがモニタを満たす。戦場の真っ只中にありながら、副官の言葉はどこか牧歌的にすら聞こえた。
「伝説の通りだとしても、その先にいるのは《オーグ》の群れだ。あまりそそられる話ではないな」
 モニタ上に展開される戦闘の様子を目で追いながら、ホスクローヴが無愛想に答える。副官はそんな上司の口振りは慣れっこといった体で、にやりと笑った。
「案外《オーグ》の方が話が合うかもしれませんよ。少なくともヒステリックな評議会や、何を考えているのかわからない常任委員会よりはね」
 ジャランデールを目前にしての急な作戦変更について、彼なりに腹に据えかねているのだろう。あからさまに態度に出すことはないが、皮肉が口を突いて出るのは抑えられないようだ。
「あたら血を流すのは本意では無いが、ここで勝利を収めておけば今後外縁星系(コースト)の反攻も弱まるだろう。そろそろ目の前の状況に注視したまえ」
「失礼しました。自重します」
 老提督に窘められて素直に引き下がると、副官は改めて周囲のホログラム・スクリーンに目を向ける。彼我の戦力差や陣形など、この戦場で最大限把握しうる情報に目を配りながら、やがて彼の口から漏れ出た言葉は疑問形だった。
「それにしても、敵は随分と気前よく後退し過ぎじゃないですかね」
 正面からぶつかった以上、数に勝る連邦軍が押し気味になることは予想されていた。ただ外縁星系(コースト)軍の後退ぶりは、連邦軍の予想を上回っている。そこはホスクローヴも気に懸かっている点であった。
 真っ当に考えれば彼が事前に予想した通り、伏兵が控える宙域へと誘導していると見るのが常道だ。だが副官の報告は、その常道を否定する。
「この先に艦隊が隠れることが出来るような宙域は見当たりません。あるいは別働隊の進路上に潜んでいるのかもしれませんが」
 今のところ別働隊からは何の連絡も無い。別働隊には合流間近になるか、もしくは敵の伏兵と遭遇するまでは連絡を控えるよう言い含めてある。ということは少なくとも、現時点でまだそれらしきものを発見してはいないということだ。
 連邦軍が数に任せて前進するのに対し、外縁星系(コースト)軍は大袈裟すぎるほど距離を取りながら反撃を試みる。その反撃も、後退しながらのせいか数に比べて弱々しい。常ならば一部隊を割いて敵の退路を断つところだが、高速巡航艦の大半は別働隊に配備しているのでその手段は取れなかった。結果そのまま戦況は推移して、戦場は開戦当初の位置から大幅に移動している。
「完全に極小質量宙域(ヴォイド)のど真ん中に来ましたね」
 副官が言う通り、戦闘宙域には目に見える敵と味方と、それ以外の質量はほとんど計測されていない。まさかこの戦闘中に新たな極小質量宙域(ヴォイド)を発見することになろうとは、さすがのホスクローヴも予想していなかった。
「せっかく見つけ出した極小質量宙域(ヴォイド)を、こうして戦闘で汚すのは後ろめたいものがあるな」
「そうも言ってられないでしょう。この極小質量宙域(ヴォイド)の向こうにいるのはヒトと機械が融合した化け物たちだそうですから、そいつらが我々の世界に来られないよう蓋をしているものだと考えれば良いんですよ」
 戦闘が開始してから、既に五十時間以上が経過している。その間、外縁星系(コースト)軍は後退に後退を重ね続けていた。反撃も徐々に、だが確実に減少している。このままだと別働隊と合流する前に決着がつくかもしれない。幕僚たちの脳裏にそんな考えがよぎろうとしたところに、別働隊が到着したとの報告が入った。
「戦闘に乗り遅れないよう、相当かっ飛ばしてきたな。しかしここまで連絡が無かったというとは……」
 副官の呟きに被せるようにして、通信オペレーターの声が通信端末(イヤーカフ)を通じて幕僚全員の耳に届く。
「進路中に伏兵は見当たらず、あと二時間後には当宙域に到達するとのこと。ただ……」
「ただ、なんだ? はっきり言え」
「はい。戦場が当初予定より大幅に移動しているため、このままの進路ですと敵を挟撃するのではなく、そのまま我々に合流する形になるそうです」
 通信オペレーターの報告に対して、ホスクローヴは間髪入れずに指示を下す。
「構わん。そのまま合流して、戦闘に参加しろと伝えよ」
 別働隊が合流したのはそれからおよそ百分後のことだった。ホログラム・スクリーンに映し出された別働隊の指揮官が、ばつの悪そうな顔を見せる。
「伏兵の発見は適いませんでした。任務が果たせないまま、美味しいところだけを掻っ攫いに来たようで申し訳ありません」
「発見出来なかったのは、私の見込み違いだったということだ。早速で悪いが、君たちの部隊の脚の速さを活かして敵の退路を断ってくれ。なるべく見せびらかすようにな」
「畏まりました」
 別働隊が敵の背後に回って一撃をくれれば、さすがに敵も戦意を喪失するだろう。そこで降伏勧告を発すればおそらく戦闘は終わる。
 伏兵が見当たらなかったというのは、敵を買い被りすぎただろうか。しかし極小質量宙域(ヴォイド)を戦場にしている以上、敵が身を隠すところなどあるわけもない。別の宙域に潜んでいたとしても、今から駆けつけて戦況をひっくり返すのは難しい。
 ホスクローヴが戦闘の終了までの未来を予想した、そのときである。
 通信端末(イヤーカフ)越しに突如響き渡った索敵担当オペレーターの報告は、ほとんど絶叫に近かった。
「後背から熱源多数! 急速に接近中!」
 オペレーターの危機感に満ちた報告に、艦橋内が一斉にざわめく。幕僚たちが顔を揃えて驚愕する中、最初に反応したのはホスクローヴだった。
「ミサイルか? 迎撃、回避しろ!」
「無理です、数が多すぎます!」
 提督の咄嗟の指示も虚しく、オペレーターの悲鳴が艦橋内に響く。
「弾着まで百秒を切りました! 総員、耐衝撃体勢を取ってください!」
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