第8話 カフェラテの来訪(3)

文字数 2,284文字


「このままの姿勢でもいいから、もうちょっと話を聞いてほしい」カフェラテは言った。「知識を共有するだけで奪うことはない。この星に関しては、千恵よりも碧の知識量が上回っているんだ。私はそれが欲しいだけなのだ」

「なぜ欲しいのよ。この星を侵略するためなの?」
「違う。母艦に帰還するために決まっている。そのためにはこの星の組成や構造についての情報を母艦に伝達して救助を求めなければならない。例えばこの星は自転における傾き二十六・十一パーセント、それに公転軌道の近日点までの時間が――」

「いやいや、そんな情報は私の頭にはないわ」(あおい)は首を振った。「そういう情報が欲しかったら、大学の先生だとか、専門家のところに行ってよ」

「大丈夫。碧の二十五万五千時間の記憶と位置情報でだいたいの把握ができる。このままお願いしたい。」
カフェラテは目を閉じた。

 気がつけば、混乱気味だったカフェラテの口調は統一されつつあった。女性がよく使う語尾が使われなくなっている。男っぽくなった印象があった。

「ねえ、あなたの言葉遣いが男っぽくなってきたのは、ひょっとして私の語彙(ごい)の影響なのかな」
「そうだろう」カフェラテは眼を閉じたままで答えた。「千恵の文法形態を用いていても支障はないが、碧の語法の方が、表現が端的だから」

 碧は自分がそんな言葉遣いをしているとは考えられなかったが反論はしなかった。どうせ理解不能な解説をされるに決まっているからだ。

「いつまで抱いていなければならないの?」
「あと〇・六時間だ」

 碧は目の前の犬と会話を続けながら、実はまだ半信半疑だった。カフェラテが高性能のAIロボットか何かで、第三者がどこかから遠隔操作している可能性もあるのでは、と考えていた。

 聞きたいことはたくさんあるが、それを端から聞いていくのは相手の土俵に乗ったような気がして碧には(しゃく)だった。もしも嘘だった場合、恥をかくのは自分だ。

 これが本当の話だとしても、この宇宙から来た精神だけの存在と今後二度と会うことがないのであれば、知るべきこと以外は知らなくてもいいのでは、と思った。

 とは言え、どうしても知りたいことが一つあった。
「ねえ、あなたの名前は何と呼べばいいの」

「名前?」カフェラテが目を開けて碧を見た。
「この生物の名前はカフェラテではないのか」

「違うわ。あなたの名前」
「カフェラテでいい。もちろん私にも個体識別用のコード的なものはあるけれど、碧たちには発音できないし、この生物を別名で呼ばれたら事情を知らない千恵が驚く。だから統一してもらったほうがいい」

 カフェラテはそう言うと、口を開けたり閉じたりした後、ワン、ワンと鋭く吠えてみせた。「碧たちが使っている言語を使うことだけではなく、私はこのようにこの生物に指示をして、カフェラテを演じることもできる」

 碧は釈然としなかったが、精神体の提案を受け入れることにした。

 近所のお婆さんの家に飼われている小型犬の中身が宇宙人で、その宇宙人から宇宙船に戻るために協力を頼まれ、自分の頭の中の情報をすべて見られている。ということは、私のプライベートな部分も犬に知られてしまうということか。

 碧はカフェラテを抱いたまま、フローリングの床に寝転がった。

 ここ数日の雅也に対するもやもやする感情も知られているんだな、と思うと碧はやるせなさを感じた。と同時に、他人に見せたくない思い出も宇宙規模で記録されていくのか。と思って暗澹(あんたん)たる気分に陥った。

 中学時代に密かに書いていた詩を兄に見つかり、家族の前で詠まれたこと。
 買ったばかりの服からサイズを表示したシールを()がし忘れて着ていたために、部活動の先輩からたちから「L女」というニックネームを付けられたこと。
 入社直後の同期の食事会で、パスタを口に入れたままで咳き込み、鼻からパスタを出してしまったこと。考えてみれば恥ずかしいことだらけだ。こんな記憶をカフェラテに見られるのは(たま)ったものではない。

 碧は我慢ができなくなって、目を固く瞑った。そんなことをして何になるものでもないが、余計なことを考えまいと必死だった。

 いつまでこんなことをしているのだ、と考えていると、「終わったよ」と声がした。目を開けると、すぐ目の前にカフェラテの顔があった。

 碧はカフェラテの身体を持って横に退けると上半身を起こした。少し頭がフラフラした。

「これで終わりね」碧は聞いた。
「そうだ。協力に感謝する」カフェラテはぴょこりと頭を下げると、「では、千恵の家に戻ることにする」と言って玄関に向かって歩き出した。

 碧は慌てて立ち上がると、カフェラテを追い越して玄関に行き、ドアを開けてやった。
「じゃあ、さようなら」

 ようやく解放される。安堵した碧はカフェラテが出て行くのを待ったが、子犬は碧の足元で立ち止まり、ドアから出ようとしなかった。

「どうしたのよ」
「いや、私だけではエレベーターのボタンが押せない」
 碧は一瞬天井を見上げると、リビングに戻ってタオルを持ってきた。それにカフェラテを包んで抱き上げると、何も言わずにエレベーターホールに向かう。頭の中で「めんどくさ」と叫んでいた。

 一階まで降りると、碧は入口の自動ドアを出たところでカフェラテを解放した。
「それじゃあ、今度こそさようなら」

「ちょっと待ってくれ。首輪を着けてほしいんだ」
 マンションに戻ろうとした碧は立ち止まって顔だけをカフェラテに向ける。

「首輪?」
「碧が通用口に置いていった首輪だよ。千恵に気づかれる前に着けてほしい」

 碧は肩を落とすと、尾を振って歩いていくカフェラテの後ろをついていった。
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