第12話 一匹と二人の打ち合わせ(2)

文字数 3,111文字

篠崎(しのざき)さん、まだ重篤(じゅうとく)なものだと決まったわけではないですよ。検査してみたら意外と軽症だったなんてこともありますし、医学は進んでいますから手術ですぐに治るかもしれません」

 (あおい)は目の前で(うつむ)いている千恵を励ます。誰もが言いそうな台詞を並べただけだが、他に言葉が浮かばなかった。千恵は小さく頷き、「ありがとうございます」と言った。

 碧は改めてカフェラテと目を合わせた。今夜の来訪の目的を説明してほしかった。ただし、自分から「今夜の用は何?」とは聞きづらかった。

「碧にお願いがある」碧の気持ちが通じたのか、カフェラテが口を開いた。
「千恵があの家にいられなくなったら、カフェラテという生物の居住場所を碧の部屋に変更することを了解してほしい」

「あなたをここで預かってほしいということ?」
 居住場所の変更などと回りくどい言い方をしているが、要するに千恵の入院中に碧に面倒を見てほしいということか。だがカフェラテは首を横に振った。

「預かってもらわなくてもいい。私の拠点をこの場所に移すことにしたので、管理者である碧の了解を得たいのだ。千恵の話では、脳機能に措置を講じるには別の場所に移らなければならないとのことだ。そうなれば一定期間、私は千恵の家から移動させられる可能性がある」

 普通に考えればペットを一匹だけ残しておくことはしないだろう。そしてカフェラテがどこかに引き取られるとすれば、千恵の親族の家が第一候補だろう、と碧は思った。

「あんたの生活する拠点というやつを、このマンションにする必要があるの?」
 碧は「必要ないだろ」と言いたいところだったが、千恵がいる手前、質問に替えた。

「もちろん。だから困っている。私はこの場所から動くことができない。救助船を送り出す母艦には、位置情報を送信済みだ。私の待機位置が変わると救助船と遭遇できない」

「今から位置変更の手続きをすればいいじゃないの」
「すでに四十八時間前に救助船は出発している。私の待機位置を変更することは可能だが、現時点では自分が移動させられる場所が分からないので変更できない」

 待機場所を変更できないのなら、篠崎邸から碧のマンションへの変更も同様ではないのか。碧はそう聞き返そうとして、あることに気づいた。

「ちょっと待って。母艦には私の部屋情報を送ってあるということ?」
「そうだ。碧の部屋は千恵の家よりも高い位置にあり、救助船の着船ポイントとして都合が良かった。だから母艦にはこの部屋の位置情報を送ったのだ」

「何を勝手にやっているの。先に私に了解を取るべきでしょ」
 碧は文句を言ったが、カフェラテはそんなことなど気にするつもりもないのか、「この部屋を拠点にできない理由はないはずなので、今から了解してもらいたい」と言った。

 うまい反論の言葉が浮かばない碧は黙り、しばらく腕組みをして考える。見た目は子犬のくせに不遜な態度を取るカフェラテにいら立ちが募った。

「あなたの移動先が分かるまで、救助船が一旦引き返して待機していればいいじゃない」
「そんなに簡単ではないのだ」カフェラテは碧の提案に首を振った。

「母艦は現在、この星の外周で公転する惑星上に停泊している。碧たちが火星と呼んでいる星のことだ」

 地球も火星も太陽の周りを公転しているが、カフェラテの話では間もなく地球が火星を追い抜くのだそうだ。そうすると二つの星の相対位置が変わるので、救助船を送るのが困難になるそうだ。

「どのくらい困難なの」
「互いに近づく場合と遠ざかる場合とでは移動に必要なエネルギーが大きく異なる。しかも今後は遠ざかる一方なので、ある時期を逃したら、次のタイミングまで一万八千時間ほど待たなければならない」

 碧にはカフェラテの説明内容を理解できた気がしなかったが、タイミングを外したくないから篠崎邸から動きたくないということなのか、くらいに考えた。

「でも篠崎さんの大事な時に、私が横から出てきて『カフェラテを引き取りたいです』と言うなんてどうかしら。だって――」

 碧は口籠(くちごも)った。家族は千恵に病状を内緒にしている。どのタイミングでカフェラテをどうするのか考えるのか分からない。

「私から息子たちに話をしますから、水原さんはお願いされた立場でいてもらえればいいのです」
 千恵が言った。

「そういうことなら」碧は頷いた。
「でも篠崎さんの御家族が引き取るつもりだったら、それに抗ってまで預かることはできませんよ」

「分かっています。息子の家族は説得します」
 ほっとした表情を見せた千恵の顔にわずかな満足感を得ながらも、碧はマンションの管理規定をきちんと確認する必要があると考えていた。

「救助船が到着するのは、一体いつなの?」碧はカフェラテに聞いた。
「碧の部屋を訪れたときに、母艦と五百時間後で調整した」

 五百時間ということは、何日後なのか。スマホの電卓アプリで計算すると、それはおよそ三週間後だった。

 検査結果によっては、治療も入院も必要が無いという可能性がある。その場合はカフェラテが帰るまでは今の状況が続くことになり、碧が犬を預かることはない。
 もし預かることになってとしても、千恵の入院から三週間後までなので、せいぜい二週間程か。

 それから程無くして、千恵とカフェラテは帰っていった。千恵が検査を受けるのは明後日の午前九時からで、この辺りでは一番規模が大きい市立病院に行くのだという。
 結果はその日のうちに分かる、と千恵は言っていた。

 碧はノートパソコンを開いて、「脳/病気」と打ち込んで検索してみた。どこかの医療機関のサイトに病名がリスト化されていたが、それ以上は調べようがなかった。
 脳に異常があるのだから、素人考えでは深刻な病気に思えるが、いろいろなサイトを見てみると、たとえ腫瘍であっても現代は完治することも多いようだ。

 やっぱり目の前の人が死んでしまうのは嫌だった。碧はシャワーを浴びることにして立ち上がる。ついでにスマホを取ると、雅也からLINEメッセージが三件届いていたことが分かった。

 今夜、家に行きたいと言われていたが、カフェラテとの約束があったので断っていた。雅也からのメッセージの内容は明日の夜の予定を聞く内容だったが、正直、明日のことを考えるのが億劫(おっくう)になっていた。

 碧は「明日の予定は分からない」と返信メッセージを打ち込んだところで手が止まった。この際、カフェラテのことを雅也に話してみようか、という気持ちが湧いてきたのだ。

 碧は打ち込んだメッセージを削除すると、「ちょっと相談したいことがあります」と打ち込んでみた。そして画面の文字を見て、また手が止まる。

 自分は何を相談するつもりなんだろう。今のところ、碧は犬を預かることを承諾しただけなのだ。
 碧はカフェラテの中に宇宙から来た精神体が入っているんだと雅也に説明をする場面を想像してみた。間違いなく、カフェラテが日本語を喋るというところで雅也は笑うか呆れるか、もしくは怒るだろう。

 口で説明するだけで信じてくれる人などいない。碧自身は実体験があるから受け入れざるを得なかっただけだ。

 雅也をカフェラテに会わせてみるか。

 碧は「明日の夜、見てほしいものがある」と打ち込み、すぐに削除した。そして「喋る犬を見せたい」と打ち込み、やはり削除した。
 雅也をカフェラテに会わせるまでに自分が費やす労力が途方もなく大きく感じられて、気持ちが萎えた。

 碧は「ごめん。明日は都合が悪い」と打って送信ボタンをタップした。

 あいつ、本当に宇宙人なのかな。そんな思いがふと頭を過った。
 
 碧はシャワーを浴びることにして、髪の毛を上にまとめると洗面所へと歩いていった。
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