第43話 イベント前の日々(2)

文字数 2,708文字


 夜、一緒に入浴した時にも(あおい)は宇宙人に質問をした。
「要するに、あんたの星では個性というものが必要とされていないのね」
「個性はある。違いもある。だがそれが押し並べて一様にあれば、特に必要とされないかも知れないな」珍しくカフェラテが同意した。

 だが友達というものの存在については見解が合わなかった。
 浴槽の湯の中に身体を沈めた碧は、カフェラテが「碧の言う友人とは、一定の情報を共有することを認めた契約関係のことではないのか」と言ったことに反論した。
「契約をしないからこその友達なのよ」

 目の前の犬は、ぬるめのシャワーを全身に浴びて体毛が身体に貼り付き、見た目の大きさが半分になっていた。
「碧の反論は論理的ではないね」
そんなことは自分でも分かっている。悔しいから屁理屈を言ってみただけだ。

「あんたには本当に友達がいないの?」
 カフェラテはガウッと短く吠えた。
「だから、友達という概念がない。一緒に行動する者がいれば情報はすべて共有する。行動も一緒だ。これを友達と呼ぶのなら、アミュターイシュ星人は全員が友達だ」

 碧は浴槽の縁に両肘を置いた。
「一緒に行動する者の中に嫌な奴がいればどうするの」
「嫌な奴、という存在がいないからね」
 カフェラテが全身をブルブルと震わせたため、冷たい飛沫(しぶき)が碧の顔に掛かった。

「一人で宇宙を旅行していて、寂しくならないの」
「寂しいという感覚もよく分からない」
 では今こうして、私と会話していることについてどう感じているのだろう。単なる情報交換、彼の目的である知識習得の作業に過ぎないのか。

「私から質問するが、田口雅也という人間は、碧の言うところの友達なのか」
「友達ではないわね、カレシだもの」
「お互いの情報の共有に関して、他者と差別化しているのではないか。あれを友達と認めないのだとすると、友達の定義が間違っていることになる」
「だから、あんたの定義が間違っていると言っているじゃない。それに雅也はカレシ」

 カフェラテは碧の顔を見ると、「どういうことなのだろうか」と呟いた。碧に聞き返したのではなく、自分に問うている様子だった。

「ねえ、じゃあ私とあんたは友達なの?」碧はカフェラテの黒い瞳を見つめた。
「違う」
 即答だった。だが、犬は舌をだらんと垂らしたまま、動かなくなった。
 碧が文句を言ってやろうと口を開いたとき、カフェラテは首をブルブルッと振った。
「――そうか、だから定義が間違っているということなんだな」
 カフェラテは勝手に納得すると、ぽかんとする碧を残して尾を振りながら浴室から出て行った。

 この宇宙人にすれば私は友達ではないのか。定義が間違っているとはどういう意味なのか。碧は食べ終わっていない料理の皿を下げられてしまったような不完全さに我慢ができず、湯船から立ち上がった。

 やはりカフェラテの中にいる宇宙人と碧との間は、大きな崖で隔てられていると認めざるを得ないのか。碧は少し悔しかった。碧の跳躍力ではその崖を飛び越えることは絶対にできず、カフェラテ側にはその力があるかも知れないが、本人に越えるつもりがないように感じるのだった。

「カフェラテ、じゃあカレシを定義してよ」碧は洗面所にいるカフェラテに言った。
「碧の思考から読み取った内容では、繁殖行為またはそれに類する行為を行うことを前提に二者契約した相手ということになるが、それで正しいか?」
「何だよ、それは」碧はカフェラテの答えに心底落胆したのだった。

 夕飯を一緒に食べながら、地球を出発してからの千恵について話をしたこともあった。
「あんた、いつまで千恵さんの面倒を見るつもりなの」
「面倒を見るとはどういうことか」ミルクを飲んでいたカフェラテは、口の周りを白く濡らした顔で聞き返してきた。「千恵を同行して移動することもできるが、それは面倒を見ることではない。ナビゲートするだけだ」
「私は千恵さんを一人ぼっちにしてほしくないから聞いているの」

 暗く広がる宇宙空間に一人で残されたら堪ったものではない。千恵がどう思うかは分からないが、自分だったらあまりの寂しさで人事不省に陥ること確実だ、と碧は思っていた。

 カフェラテは長い舌で鼻の下のミルクを拭うと、「宇宙空間の移動は基本的に単独行動だ。今回は特殊だから一定期間は私が同行することになるだろうが、いずれ一人ぼっちになるんだよ」と言った。

 カフェラテは、単独で宇宙空間を長時間移動できる覚悟がないと星間移動などできるものではない、と断言した。そして千恵はそれを承知していると強く言った。
 本当だろうか、と碧は思った。本当に千恵にはそれだけの強い精神力があるのか、と碧は信じられない思いが残った。

 いよいよ日付は月曜となった深夜、碧はこれまでの数日間の付き合いの中で溜まってきたことについてカフェラテに質問していた。
 アミュターイシュ星の犯罪について聞いてみると、カフェラテからは良いこと、悪いことという概念がないので、犯罪というものがないという回答が返ってきた。アミュターイシュ星人たちは物事をすべて合理性で判断しているので、是非はあるが善悪はない。物事が効率的に進むのであればそれが正解であって、その逆としては間違いがあるだけだとのことだった。

「地球でも、人間以外には善悪は存在しないだろう」
 カフェラテからそう言われると、碧はなるほどと頷くのだった。

 そして碧がカフェラテと出会ってからずっと気になっていることに、感情の存在があった。カフェラテ自身は感情があると繰り返し言っているが、それが外に出てきたところを見たことはない。感情を発現させず、原因を解決することに意識を向けるやり方は、地球人にはとても真似できるものではないと碧は感心するのだった。

「感心されるほどのことではない。私たち精神体は、お互いの感情を視覚的に伝える術がないからな」
 カフェラテがそう答えた時、碧はベッドの上で半分眠りかけていた。時刻は午前三時になろうとしていて、なかなか寝付けなかった彼女に、ようやく睡魔が訪れようとしていた。

「何度も説明しているが、感情の揺れで判断が左右されてしまうのは非合理的だ。感情の高ぶりに関係なく物事は進んでいくのだから、私たちはやるべきことをやればいいのであって、感情を表現する必要はない」

 そういう考え方をしていけば、この世界もっと発展するはずだ、カフェラテは断定的に言った。やるべきことだけをやればいい。そのためには感情を抑制したほうがいい。カフェラテは眼を半分閉じた碧に、熱心に話しかけてきた。

「そうなのかなあ」碧は同意できなかったが、すぐに睡魔に取り込まれて意識を失った。
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