第42話 イベント前の日々(1)

文字数 2,324文字


 翌朝、(あおい)は千恵と一緒に朝食を取ってからカフェラテを連れてマンションに戻った。それからカフェラテに留守番を言いつけると、一人でジョギングに出発した。

 サイクリングロードを二往復するなどして一時間ほど走ってから篠崎邸の横を通ったところ、ガレージに車はなく、窓はすべてカーテンが閉められていた。すでに病院に出かけた後のようだった。

 昼からは図書館に行き、『惑星のなりたち』を返却すると、前回利用した時に目を付けていた『銀河系大図鑑』という大型の図鑑を手に取った。
 碧は他に、宇宙空間と人間の適性に関する本を読みたかったが見つからなかった。カフェラテからは気兼ねせずに館内で時間を使ってくれと言われていたが、彼を外に待たせていることを考えると気もそぞろになってしまい、結局彼女は本の捜索をあきらめて、図鑑一冊だけを借りて図書館を出た。

 日曜日は海が見たいというカフェラテの希望で海浜公園に出かけた。そして水族館にも行った。碧はペット連れでの入館が嫌だったが、カフェラテがどうしても動いている海洋生物を見たがったため、仕方なく抱いて館内を歩いた。

 夜はネット通販で購入したゲージとペット用のトイレを組み立て、リビングに設置する作業をした。千恵が精神体となって地球からいなくなった後のカフェラテの処遇については何も決まっていないが、何となく自分が預かることになるような気がしたので、その準備をしておこうと思ったのだった。

 この二日間、カフェラテとはいろいろな話をした。カフェラテは地球における統治機関というものを知りたがった。一方の碧は地球やアミュターイシュ星と同じように知的生命体が存在する星のことを知りたがった。

 カフェラテの話では、アミュターイシュ星は単一の行政組織により統治されているため、国家というものが存在しないのだそうだ。彼に言わせると究極に成熟した統治機構には対立軸がないのだそうだ。
 決められたルールに沿って人々が生活していれば、何を争うことがあるのか、とカフェラテは碧に問いかけた。

「不平等がある、ということかしら」碧は言った。「誰だって幸せに暮らしたいけれど、不幸せに感じる人がいれば、政治の出番だわ」
 それは碧の考えではなく、どこかで見聞きした台詞だ。政治とは何かなどという設問を、これまでの碧の人生では考えたことなど一度もなかった。

 海浜公園に出かけた時は、カフェラテの希望で人工砂浜を歩いて波打ち際まで行った。碧が嫌がるのを面白がるようにカフェラテは海の中に入り、身体中を塩水でベタベタにして戻ってきた。

「他の星はどんな感じなのよ」
 ベンチに腰掛けた碧は、足先の塩水を舐めるカフェラテに聞く。このベンチは一週間前に雅也と来た時にも座っていた。

「地球以外にも生物が住んでいる星はあるんでしょう。そこではどんな文明があって、どんな生活をしているのよ」
「私たちの星の調査では、碧の認識内での生物の存在が確認できた星はいくつかあった」
「認識内ってどういう意味よ」
「地球では珪素で構成される物質は無機物として理解されているが、一定条件化で珪素化合物が成長し、分裂し、個体数が増えていく場合、それは生物の繁殖と同等なのか、ということだ」

 碧にはカフェラテの話が理解できず、半開きの唇を閉じることもできなかった。

「まあ、そういうケースを含め、生物が確認された星は少なからず存在する。だが文明を有する生物が存在する星は極めて少ない。我が母星と地球を除くと三つだ」
「他に三つもあるんだね」碧はようやく言葉を返す。

 文明を持つ星がアミュターイシュと地球以外に三つと教えられ、眉を上げて驚いた顔を作ってみせたものの、碧は数の多寡(たか)にはそれほど心が動かなかった。どちらかというと三つの星にどのような文明があるのかが興味を引いた。

「その三つの星ではアミュターイシュ星のように宇宙を飛び回っていたの」
「いや、星間移動の技術があったのは、我が星と地球だけだ。もっとも地球は衛星である月に到達したことがあるだけのようだが」

「じゃあ、あんたの星は飛びぬけて技術が進んでいるんだね」
「三つというのは、あくまでも我々が確認した範囲での話だよ」カフェラテはベンチに飛び乗ると、碧の太腿に頭を載せて寝そべった。本体と精神体のどちらの好みかは知らないが、犬の外見をした宇宙生物はしばしばこの姿勢になる。

「アミュターイシュ星から、せいぜい五百光年の距離にある星を探索した結果だ」
 カフェラテは碧との会話で初めて距離の単位を使った。図書館から借りた本で学んだ碧から知識を吸収したのかも知れなかった。

「我々にも寿命があるから、星間移動は約三百光年の範囲に限られる。広大な宇宙に比べれば、ほんの小さな区域を調べたに過ぎない」

 碧は一時間ほど前に図書館で読んだ図鑑に書かれていたことを思い出した。地球がある銀河系の大きさは十万光年だ。アミュターイシュ星人が探索できる距離の三百倍以上だ。そして宇宙にはたくさんの銀河があるのだ。

「私たちの星の科学がいくら進んでいるにせよ、宇宙のほんの一部を知り得ただけに過ぎないということだな」
 太陽系どころか月との距離すら想像もできない碧には、銀河の大きさは理解の外だった。

 碧はカフェラテからアミュターイシュ星のこともいくつか聞いた。
 貨幣制度はあるが数千年を経て形骸化しており、サービスを享受したことの証明ぐらいの用途しかないこと、人間関係は極めて希薄で特定のコミュニティーは存在せず、いわゆる友人関係というものがないこと、個人の娯楽に関する文化というものがないことなど、カフェラテの説明する内容には驚くものの、碧は(うらや)ましさを感じることはなかった。
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