第33話 カフェラテの提案(1)

文字数 2,326文字


 カフェラテの提案は、(あおい)には唐突なものに感じられた。

 手術が難しいからと言って、なぜ精神体になる必要があるのか。まさか精神体になれば腫瘍(しゅよう)が治癒するとでもいうのだろうか。

 千恵に至ってはカフェラテが言ったこと自体が理解できていないらしく、「精神体とは、どういう意味なの?」と聞き返している。

「教えて。どうしてあんたのような体質になる必要があるの?」
 碧が聞くと、カフェラテは「体質ではない」と訂正してから、「私の提案は、千恵の身体の支障を改善するものではないのだ」と答えた。

「私には千恵の病気を治癒できない。これは前提だ。そのうえで、手術後に身体に障害が発生して以後の精神活動に支障を来すようであれば、あらかじめ精神体となっておけば、術後の肉体の状態に関係なく自由に思考し、活動することができる」

 カフェラテの提案とは、手術前に身体から精神を分離して、精神の自由度を維持しようというものだった。

「でも、手術で腫瘍をすべて切除できる可能性もあるでしょう」碧は反論した。「成功しない可能性もあるけど、改善しないだけで――」ここまで言って、碧は口を(つぐ)む。改善しない場合はじわじわと悪化していく。本人にあまり想像させるものではない。

「だから、手術の結果を待ってから、精神体になるかどうかを決めればいいんじゃないの」
「碧、それは間違っている。手術の結果によっては、千恵さん自身に判断能力が失われていることも考えられるだろう」

「それはそうだけど、精神体になっても病気は良くならないのだとすれば、何のための分離なのか、私には分からない」
「碧には理解しやすい話だと思ったのだが」カフェラテが少し声を落とした。何となくカフェラテが自分に落胆しているように思えて、碧は耳の後ろが熱くなった感じがした。

「碧さん、ちょっと私もカフェラテと話をさせてね」
 千恵が碧の目前に両手を広げていた。ついついテーブルに上半身を乗り出していた碧は、我に返って身を引いた。
 千恵はカフェラテの頭を撫でると、「ねえ、私は宇宙に行けるのかしら」と聞いた。
「カフェラテ教えて。あなたのようになるということは、私は宇宙を自由に飛び回ることができるようになるということかしら」

「自由に、ということは少し違うが、千恵が望むのであれば地球の重力圏を脱して他の星への移動も可能だ」
 そうなんだ、と呟くと千恵は両手を自分の頬に当て、思案するような仕草を見せた。

「精神体になるのに難しい手術をするの?」
「いや、技術的には簡易だ」そう言うとカフェラテは首を動かして窓の外を示した。「実は、私の救助船には精神を分離するための装備が搭載されているのだ」

 千恵が深く頷く様を見て、碧はそこはかとなく不安になってきた。さっきまで姿勢を崩して茫然自失としていた千恵が、今は身体を起こし、真剣な目でカフェラテと話をしている。どうも精神分離を前向きに考えているようだ。

「精神が分離してしまったら、この身体はどうなってしまうの」
「そのままでは生命維持は難しいな。自立呼吸はできるが、外部から栄養補給を受けなければならない」

 つまりは意識不明状態のまま、様々な計器でモニターされながら病室で生きていくことになるのか。碧は洋介と枝里子の顔が頭に浮かんだ。

「肉体の方は昏睡状態になるということね」碧は念を押すつもりで言った。「そして神経膠腫(こうしゅ)が治るわけでもない」

 カフェラテは碧を見ると、少し間を開けて「そのとおりだ」と答えた。そして自分を挟むようにして顔を寄せている二人の顔を交互に見てから、舌なめずりした。口を動かしやすくしたようだった。

「碧が言ったとおりで精神体になることと神経膠腫の治療とは関連するものではない。手術が成功しなければ、いずれあなたの身体は活動を停止する。その時は精神も消滅する」

「じゃあ、何が目的なのよ」碧が聞くと、千恵が「碧さん、もう少し待ってね」と言って、カフェラテににじり寄った。

「カフェラテ、どうして私に精神体になれと提案するの」
「私は千恵を誘っているのだよ」カフェラテは言った。「私には千恵の身体の活動限界を引き延ばすことはできない。その代わり、千恵が望んでいる『宇宙の旅』というものを実現することができるということだ」

 碧は呆気に取られた。喜怒哀楽を示さず、合理的な考え方しかしないカフェラテが、千恵に精神体への分離を勧めた理由を千恵の希望の実現と説明したことは意想外(いそうがい)だった。まるで観光旅行に誘っているようだった。

 思わず「宇宙の旅なんて洒落た言葉でふざけないでよ」と問い詰めようとして、碧は踏みとどまった。カフェラテがふざけて発言するはずがないのだ。彼なりの合理性に基づいた判断で、この提案をしているのに違いない。

 しかし、どういう判断なのだろう。どんな思惑があるのだろう。

「宇宙に出かけた後、私は戻ってくることはできるの?」
「技術上は可能だ」

 碧の疑念を置き去りにして問答は続く。
「ただし、戻ると言っても篠崎千恵という生物体の身体に精神を戻すことはできない」

「じゃあ、精神体になれば、宇宙の果てまで行くことができるようになるの?」
「あなたの肉体の活動限界までの期間を想定すると、地球から比較的近距離にある恒星系の周辺をいくつか回るぐらいだろうな」

 他に質問はあるか、とカフェラテが聞いた。千恵は「今までの話を整理させて」と言って、顔の前で両(てのひら)を合わせると眼を閉じた。

「どうしようかしら」

 やがて千恵は天井を見上げてぶつぶつ呟き始めた。カフェラテの提案を悪く思っていないことは、その穏やかな表情から窺えた。目尻からまだ涙が一筋(こぼ)れ落ちたが、碧にはその涙の意味を推し量ることはできなかった。
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