3月31日 姉妹闘争1:働くか働くか

文字数 3,253文字

 一生における幸福の総量は決まっているという。

 楽しい日が三日続いても、その後苦しい日が三日続く。どんなに豊かな時間を過ごしても、いずれ同じくらいつらい現実が待ち構えている。一生を平均すれば、山も谷もなく平坦な道だけで、幸不幸に一喜一憂する理由はどこにもない。

 なら別に、幸せなんて願わなくてもいいじゃないか。
 その分苦労するのだから。

 モノクロームで退屈な時間を愛せる才能こそ、最も偉大な才能だ。

 だからわたしは何もしない。
 死ぬまでぐだぐだ生きる。
 いえーい。

「ここ取り壊すことにしたから」

 妹は、帰省と同時にわたしの安息の地を奪おうとした。

「……はい?」

 何度も食べてきた秘境の写真集を落とす。
 驚きの味が口いっぱいに広がり、久しぶりに新鮮な酸味がした。

 首都にほど近い地方都市・三日月橋(みかづきばし)町。奇抜なゆるきゃらや某童話を肖った公園などが有名だが、わたしの住む商店街にはとんと縁がなかった。くすんだ道は曇り空がよく似合い、続くシャッターは軒並み錆びている。たまに近隣の大型感情ショッピングモールに向かうガゼルやレプラホーンが通るくらいで、営業中の店舗はゼロ、辺りは閑散としていた。おかげで騒音に悩まされることなく、非常に過ごしやすい。

 わたしは普段、部屋から出ない。空腹を覚えれば、擦り切れた写真集を眺めればいい。どんなに見飽きても、駆り立てられる感情は存在する。感情はエネルギーに変換され、お腹は膨れる。万年同じ服でも気にしないずぼら、目が覚めたら毎朝同じ天井でもハッピーと思える楽天家は、たいして働かなくとも生きていけた。

 妹は仕事に情熱を燃やすも、わたしはそういう気になれず、何年も退屈に平和に過ごしてきた。

 なのに途端にこれだ。
 この家以外、わたしに行く場所なんてない。

 渋々ソファーから起き上がり、真面目なオーナーに抗議する。

「わたしはどうなるの?」
「知らないけど」

 妹はわたしが散らかした雑誌や美容ローラー、スケッチブックの屑紙を手際よく片付けていく。

「女王様のもとに戻ったら?」
「無理無理。貞操の危機を感じるもの。豆ちゃんだってそうでしょ?」
「さあね。とにかく、もう決まったことだから」

 にべもない。昔からこういう娘だった。全然わたしを甘やかさない。

 全力で脛をかじってやる。

「いいじゃん。生家だよ? 思い出たくさんあるでしょ? 別に豆ちゃんに害があるわけじゃないんだからさぁ。面倒はわたしが引き受けるし!」
「固定資産税や贈与税を払えるのなら考えてもいいけど?」
「……」
「でしょう?」

 妹は嘆息した。

 冷や汗が出てくる。姉だろうが神様だろうが、追い出すと決めたら追い出す。この子はそういう子だ。子供の頃なんか、「この本貸してー、おいしそう!」「いやよ。芥子姉、汚すもの折るもの」「汚さないし折らない!」「約束破ったら、平手打ちね」「オッケー」……めちゃくちゃ痛かった。姉を敬う心意気が足りてないんだ。なら姉らしく振る舞えだって? 脳内妹でさえこの調子だ、やってられない。

 とはいえ、すでに立場は逆転。相続がめんどいと全部任せたら、土地も店舗も全部もってかれた。管理できた自信もないけど。それでも生家に居座ってだらけていたのだが――どうせ妹は別に家持ってるし――気づけば宿なし生活待ったなしだ。

 絶対働きたくない。

 女王様には寵愛され過ぎて、あんなことやこんなことを求められるし。
 やれ掃除しろ、やれ崖の上の花を取ってこい、やれロバの頭をした人間の男を世話しろなんて、わたしは奴隷か。
 ちょっとへましたくらいで散々罵られるし、追加の仕事増やしてくるし、そもそも上司がこの妹って時点で完全アウトだよ。

 なんかそれっぽくうやむやにするしかない。
 わたしは考え始める。

 ああー……。
 考えるのも面倒くさい。

「芥子姉にも出来る代替案が一つ」

 妹の釣り糸に、わたしは即刻食いついた。

「え? ほんと? やるやる!」
「言ったね?」

 妹はしてやったりと笑みを浮かべる。
 あ、しくった。
 これはイヤなパターン。

 わたしの後悔を脇に、妹は滔々と語り出す。

「相続について話し合った時、母様言ってた。芥子姉は寝てたけど。賑やかな商店街が懐かしいって。いつもの仲間がいつものように集まって、夕暮れを背に談笑する。時折訪れる一見さんに寄って集ってお節介して、嫌がられたり、驚かれたりするの。みんながおかえりと私に笑いかけて、私はただいまと返す。あの温もりが、私も大好きだった」

 そっと部屋から抜け出そうとしたが、目前でドアが閉じられる。
 妹はにこやかに言った。

「私はふるさとを取り戻したい。だけど私には別の役目がある。ここにはいられない。そこで芥子姉よ。どうせ暇つぶしに飢えていたところでしょう? ちょうどいいのを提供してあげる」

「いや間に合って」

「もう一度店を開けて。感情商店街〝シキサイ〟の再出発よ」

 わたしはぽかんと口を開けた。

 何を馬鹿なことを。
 そんな厄介極まりないこと、やるわけがない。

 店を手伝った経験もないし、近くの大型感情ショッピングモールに勝てるわけないし、というか商店街なのに一店舗だけ開けてもしょうがないじゃん。

 妹は昔から狡猾で残忍だった。

「良郎君は快く引き受けてくれたよ? 彼が集めている石をちょっと粉砕機に入れたら、ぜひやらしてくださいって目に涙を浮かべてさ。ロバートもそう。こんなに燃料があるならよく燃えそうってライター片手に世間話したら、うんうんってかわいく頷いてくれた。ほんと、みんな、聞き分けの良い子で助かったよ」

「それ脅しだよ。オーナーの横暴だよ?」
「芥子姉も早く選んで。店を開くか、女王様にぶち犯されるか。ね?」

 妹の目の奥が全然笑っていなくて、わたしは震えあがる。
 この子、本気だ。
 ノーと言ったら女王様に売られる。

「一年で改善が見られないようなら、私も諦めるから。時代の変化には逆らえないもの。店を畳んで、土地を売って、芥子姉を女王様に差し出して、万事解決」

「ぜんぜん解決してないよ! 最後のやつ、最後の!」
「唯一の取り得なんだから、役立てなくちゃ」

 そんなわけあるかい。

 妹はてきぱきと働き、店の中を小奇麗に整えた後、時計を確認した。

「私もう行かなくちゃ。あとよろしく」
「あちょっとぉ」
「たまには顔出せると思うから。良郎とロバートと一緒に頑張ってねー」

 のろまなわたしが抗議の言葉を考えている隙に、てきぱきと身支度を整えて妹は行ってしまった。
 わたしは一人部屋に取り残される。

「はぁああ」

 心底落ち込む。

 一生における幸福の総量は決まっているという。この不幸に見合う幸福が、この先本当に手に入るのだろうか。不安、うんざり、悲嘆。こんなくそ不味い感情ばかり湧き上がり、口内の苦味をすすぎたくてたまらない。

 夕日に伸びた二つの影。
 店員もお客さんも喜びの感情に満腹だ。
 生きることを無条件でゆるされる、愛される日々……。

 ふるさとを取り戻したい、か。
 少しだけなら、わかるかな。

 かくしてオーナーに脅されたわたしこと妖精・芥子の種、転生ペンギンの良郎、ロバの皮を被ったロバートは、安息の地を護るため、感情商店街〝シキサイ〟再建に励むことになった。

 店舗経営に成功し、一年後も忙しない日々に身を置くか。呆気なく一年で撤退し、女王様と仲良くするか。どちらにせよ詰んでいる。最悪と最悪を比較検討せよなんて、世の中は酷だ。

 まあ、まだ一年あるし。
 なんとかなるでしょう。

 わたしは楽天家だった。

 わたしのモノクロームで退屈な時間は一度終わりを告げた。
 結末はノルマの来客数/PV100000越え次第。
 もし応援してくれるなら、商店街をひたすら出たり入ったりしてくれたらとても楽だなぁと、密かに思うわたしだった。

 本日はここまで。
 明日から商品開発に励まなくちゃ。

 そんな感じで……。

 またのお越しをお待ちしております!
 一分後でも大歓迎!

 またのお越しを、すっごくお待ちしております!
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み