5月15日 鏡の欠けた部屋1:羨望

文字数 2,195文字

 感情商店街〝シキサイ〟の花形は、いつも絵の具屋の妖精姉妹だった。

 長女の蜘蛛の巣は背が高く鳶色の髪が妖しく波打ち、次女の蛾の翅はゴスロリファッションが似合い過ぎる小悪魔系。三女の芥子の種と末娘の豆の花は、さながら双子の天使だ。歩いた道には花が咲き、鼻歌は天上の調べ、踊れば世界の穢れは軒並み浄化された。

 妖精姉妹は愛し愛され、周囲に幸せを振りまく。
 惜しげもなく。

 そんな彼らの後ろを歩く、凡庸な自分が嫌いだった。

 取り得はない。妖精姉妹と比較して卑下し、自信もない。笑う資格がない。つまらないヤツと責められるのが怖くて、視線は常に下に、話しかけられれば異常に下手に出る。そんな態度が余計自分を「つまらない奴」にするとわかっていても、止められない。

 ガラスの靴を履きたかった。
 糸巻のつむに選ばれたかった。
 塔より長い美しい金髪が欲しかった。

 でもそれは、私じゃない。
 妖精姉妹の特権だ。

「××ちゃんも好きなの?」

 学校の図書室で童話集を読んでいると、妖精姉妹の一人が話しかけてくる。
 友達のように横に座る。

「私も好きなんだー、××ちゃんはどの話が一番好き?」
「え、えと、その、」
「私は、ろばの皮かな」

 彼女は大人びた笑みを浮かべた。

「自分の才能を知り、巧みに使いこなして、策略の果てに自力で栄光を掴み取ったんだから」

 頭が真っ白になっていた私は、彼女の言葉の半分も聞いていなかった。

 ろばの皮。
 一番好きな話。

 それだけが頭に残った。

 お姫様に変身できなくとも、ろばの皮にはなれる。
 意図的に醜くなれば、どんなに事実醜くとも、策のうちと誤魔化せる。
 いつか誰かが、その内のきれいな私に気づき、手を差し伸べてくれるかもしれない。

 私は四六時中獣の皮に身を包み、泥で顔を汚した。

 当然、いじめられる。
 耐え忍ぶ。
 だって、皮の内は、お姫様なんだもの。

 一日が終われば、皮を脱いで泥を落とし、鏡の欠けた枠の前に立った。

 うっとりする。
 なんて私は美しいんだろう!

「××ちゃん! 久しぶりー」

 妖精姉妹の一人が私に声を掛ける。
 道端で友達を見つけたように、駆け寄ってきた。

 私は皮を硬く握る。
 身が竦む。

 こんな醜い姿、知られたくなかった。
 もし否定されたら――。

「それ最高だね! わたしも常日頃引きこもりたいよ!」

 感嘆の言葉。

「でも最近妹がうるさいからなー。あーあ、いいなぁ、××ちゃん! ろばの皮じゃん!」

 そして満面の笑み。

「ロバートだね! かっこいい!」

 彼女は、私を手放しに褒め称えた。

 誰一人、ろばの皮を受け入れなかった。友達は離れていった。家族は白い目で見るばかりだ。臆病な私を臆病と蔑み、一般的でない選択を、私の気持ちも尋ねず頭から否定した。
 一つの肯定も知らなかった。

 だから、その一言が、どれだけ私を救ったか――。

「ロバート! ペペロンチーノ食べに行こう!」

 誰もいない本屋のカウンターで読書していると、芥子が飛び込んできた。

 私は渋々本を閉じる。

「お店は?」
「いいよいいよ、どうせ誰も来ないし! 良郎にでも店番させとこ!」
「ペンギン使いがほんと荒いよね」

 もう溜息も出てこない。この無精者が蜘蛛様(くもさま)翅姫様(はねひめさま)の妹で、御豆(おまめ)さんの姉なんて。昔、あんなに憧れた自分に教えてやりたい。

「今日分の仕事は終わったの?」
「え? ああ、ええっと、あははは……。そ、そうそう、それでまたロバートに手伝って欲しくてさぁ! 差しあたってペペロンチーノでも食べながら」

「あれが、手伝う?」

 私は芥子を睨み付けた。
 ほとんど私の知識じゃない。芥子は最後においしいおいしいって、付け足しただけ。

「ちゃんと社会復帰しないと、御豆さんがっかりするよ?」

 芥子は口を尖らせた。

「二言目には豆ちゃん豆ちゃんって……面倒くさいなぁ。私も御芥子(おからし)さんって呼ばない?」
「いやよ。芥子には救われていないもの」
「ちぇっ!」

 芥子は大きく舌打ちした。

 あの肯定の一言を契機に、私は変わった。
 自信満々に、部屋に引き籠る。書籍と物語を愛し、周囲の些末な声は全て無視した。少しずつだが理解者も増え、書評や同人誌で名も知れた。

 私の王子様は、御豆さん一人だけ。
 ライターの揺れる炎が、ほんとよく似合っていた。

 うっとりする私の腕を掴み、芥子は半ば強引に私を外に連れ出す。

「とにかくいこ! 子どもの頃に憧れた洋食屋さん、いまなら堂々と入れるよ!」
「写真でいいでしょ。お腹満たすだけなら」

「ダメだよ! おいしい感情の気分なの! 想像するだけでお腹が……って、ダメダメ! 想像は無し! ちゃんと腹ペコで向かわなきゃ!」

 私は首を振った。
 諦めよう。こうなると芥子はしつこい。

 ショーウインドウに芥子と自分が映り、その美醜のコントラストを認識した途端、私は即座に顔を背けた。
 心臓がばくばくと高鳴る。

「ねえ」
「なあに? もしかしてナポリタンの気分? いや和風も捨てがたい」

 全然違う。
 私は問う。

「私と一緒にいて、嫌じゃない?」

 芥子は即答した。

「そんなわけないじゃん! ロバートかっこいいもの!」

 昔どこかで見たことあるような、満面の笑みだった。

 私は相好を崩す。
 再認識する。

 やはり妖精姉妹には敵わない。
 彼女たちは、今まで通り、私の憧れだった。

 二人で食べた久しぶりの食事は、独り読書で食べる感情より、不思議とおいしく感じられた。
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