第58話 カセットテープB面【24】

文字数 1,005文字

【24】 

 これも後知恵の話ですがね、昭和十七年六月のミッドウェー海戦、十九年六月のマリアナ沖海戦、十九年十月のレイテ沖海戦のこの三つが、太平洋戦争の天王山だったと私は思っておるのですが、たしかにミッドウェーは手痛い敗北でしたが、それでも日本側はまだその時点では有利に戦いを進めておったのです。
 その半年後には、太平洋海域に稼動するアメリカ空母はホーネットただ一隻という状況にまで追い詰めておりましてね、十七年十月の南太平洋海戦では、そのホーネットを撃沈させ、修理を終えて参戦したエンタープライズを大破させたことで、米艦隊の稼動空母をすべて喪失させていたのです。
 そこまでアメリカ海軍を追い詰めておきながら、マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦では、敵情を知らぬまま立案した砂上の楼閣のような作戦計画と現場指揮官の判断ミスによって、もはや取り返しのつかない敗北を喫することになったのです。
 史上最大の海戦といわれたレイテ沖海戦では、敵航空兵力の標的となった戦艦武蔵がなす術なく撃沈されましたが、艦艇同士が激突する重要な局面がいくつかありました。
 大和が敵空母に向けて主砲を発射し、空母を撃破したのもこのときです。
 レイテ島目指して海峡に進入した西村艦隊と、米駆逐艦部隊の熾烈な砲撃戦が繰り広げられたのもこのときです。
 しかし、この十九年十月の時点ではすでに、艦艇同士の海戦でさえ日本はアメリカにまったく歯が立たなくなっておりましてね、三日に及ぶ戦いの後には、戦艦三隻、空母は現有の四隻すべて、巡洋艦と駆逐艦は合計で二十隻以上、合計で三十隻ちかくも失って、これで帝国海軍連合艦隊は終焉を迎えたのです。
 大和の主砲は、命中弾ではなく至近弾でさえ、その衝撃で敵空母のエンジンが破壊されるほどの威力を持っていたのですから、日本が制空権と制海権を握っていた時期に、大和や武蔵を海戦に投入していれば、その砲撃の威力によってもっともっと敵空母を撃滅させることができたのではないかと私は思っておるのですがねぇ……。
 そうであったなら、その後の無謀な特攻だってなかったかもしれません。
 私は、あの世に行ったらば、そのことを戦艦無用論者の山本長官に聞いてみたいと思っていますよ。
 戦艦は温存するくせに、「兵士はいくら死んでもやむなし」というような作戦や用兵によって、若い優秀な人が次々に死んでいき、戦況はどんどん悪くなっていきました……』
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