第7話 カセットテープA面【1】

文字数 1,580文字

【1】

『昭和十九年の六月、マリアナ沖海戦の惨敗で、帝国海軍機動部隊は事実上壊滅したのですな。
 三ヶ月前に就役したばかりの最新鋭の大型空母でさえ撃沈されたのですから、その負けっぷりは推して知るべしです。
 ちょうどその頃、日本に棄てられた南洋の孤島に閉じ込められていた私は、まさか我が海軍が、太平洋戦線のほとんどの制海権・制空権を一挙に失うような大敗を喫したとは知らずにおりました。
 そして、続く七月にはサイパン島が陥落し米軍に占領されるわけですが、その後間もなく、米軍は日本軍の航空基地であったサイパンのアスリート飛行場に、続々とB-29を配置するのですわ。
 若いあなたでも、B-29という名前は知っとるでしょ? 
 その最新鋭の爆撃機は巡航で高度一万mを飛び、航続距離は爆弾を満載しても六〇〇〇㎞を超えると聞かされておりました。
 サイパンは日本から一三〇〇 (かいり)……、ええっと、一浬は一八五二mですから約二四〇〇㎞、往復で四八〇〇㎞ほどの距離です。
 そこに、往復してもおつりがくるような桁外れの長距離爆撃機が配置されたのですから、その時点で日本本土のほとんどがB-29の空襲圏内に入ってしまったわけです……』

 ――それは聞き覚えのある話し声だった。記憶よりも随分若々しい印象を受けたが、それはたしかに祖父の声に間違いなかった。
 中古のカセットデッキで再生されるテープの音源は、全体的にくぐもっており、ところどころ音が飛んで聞き取りにくい箇所もある。
 軽い咳払いをして祖父は話を続けた。

『絶対国防圏の一角が崩れ、帝都東京がいつなんどき敵機に爆撃されてもおかしくない由々しき事態となった訳です。
 絶対国防圏とは、当時大本営が設定した、日本本土が絶対に攻撃されないための防衛圏のことですがね、当時はそれがどんどん後退し縮小していたのですわ。
 そこで、「可及的速やかに米軍に占領されたアスリート基地への空襲を実施し、駐機するB-29群を破壊せよ」という命令が、海軍と陸軍の航空隊に同時に下されたわけです。
 その命よって、その頃ようやく帰還を果たした私が配属されていた部隊も、昭和十九年十一月二十九日、木更津基地から硫黄島経由でサイパン島アスリート基地攻撃に出撃したのです』

『木更津って、千葉県の木更津ですか?』

 ――それまでメモを取るのに忙しかったのか、寡黙だったインタビュアーが間の抜けた質問をした。

『もちろん、そうですよ』

『木更津にも海軍基地があったのですか……』

『今では陸上自衛隊駐屯地の飛行場になっとりますわ。
 現在の自衛隊や在日米軍の基地のほとんどは、旧日本軍の基地の跡地ですよ』

『そうなんですかぁ、それは知りませんでした。
 で、磯崎さんは当時、海軍に所属されていたのですよね? 
 海軍にも陸上基地に所属する航空部隊があったのですか?』

『はい、海軍の航空隊におりました。
 おっしゃる通り陸上基地を根拠とする航空部隊です。
 戦争当初、日本軍は占領した南海の島々に次々と航空基地や飛行場を建設し戦線を拡大していったのです。
 私は、航空隊のなかでも攻撃飛行隊という、もっぱら爆撃や雷撃を任務とする部隊に所属して、一式陸攻に乗っとりました』

『いっしきりくこう?……』

『正式名称は一式陸上攻撃機……。零戦(れいせん)を生み出した三菱重工製の飛行機ですわ。
 私らが乗った攻撃機というのは、爆弾や魚雷を積んで、地上基地やら艦艇に爆弾や魚雷を落とす役目なんですわ。
 ゼロ戦のように空戦主体の飛行機は戦闘機と言います。
 一式陸攻は中型の陸上攻撃機なので略して中攻(ちゅうこう)、それで私らは中攻乗りと言われておりました……。
 今では背もだいぶ縮んだのですがね、当時私は一八○センチ近く身長がありましてねぇ、当時としてはガラが大きかったもので艦上攻撃機だと狭苦しくてねぇ、それで陸上攻撃機を志望したんですわ』
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