第83話 検索【11】

文字数 1,442文字

【11】 

 祖父の口から直接戦争体験の話を聞いたことはなかったが、戦争に関わるテレビニュースや新聞記事に涙したり腹を立てていた祖父の姿はよく覚えている。

 私の最初の記憶は、祖父がテレビを見ながら涙を流していた光景だ。
 テレビの中では、痩せこけて丸刈りで無精髭の男の人が怖い顔で敬礼をしていた。
〈ジイちゃんが泣いている……〉
当時、幼稚園生だった私に、それは衝撃的なことだった。
 だからこそ鮮烈な記憶となっている。
 「よく帰ってきた、よく帰ってきた」そう呟きながら祖父は拳で涙を拭っていた。
 それが、フィリピンのルバング島から、小野田中尉が帰還したニュースであったことを知ったのは大人になってからのことだ。

 「政府は謝っているばかりじゃないか」「日本ばかりが悪者呼ばわりされる」「いったい、園田さんは何をやってるんだ」祖父はよく、テレビに向かってブツブツとそんな独り言を言っていた。
 祖父の口から頻繁に「園田さん」という名が出てくるものだから、幼かった私は、なぜ祖父が園田さんという人に怒っているのか不思議でならなかった。
 その険しい表情は、普段の好々爺然としていたものとはあまりに違っていて恐ろしくさえ思えた――。

 東日本大震災における米軍のトモダチ作戦に対して、当時の親米政権とはいえない政府の防衛大臣でさえ「米軍に感謝と賞賛を申し上げたい。今ほど米国が同盟国であったことを頼もしく、誇りに思うときはない」と謝意を述べたが、ある地方自治体の幹部は、新聞協会の会合の席で「トモダチ作戦の美化だけはやめてほしい。米軍への感謝と基地問題は別ではないでしょうか」と発言し、メディアからも「救援活動を利用した在日米軍正当化のアピール」という報道が盛んに行われたが、それら一連のニュースをもし祖父が見ていたら、テレビを前になんと言っただろうか――?

 震災関連の記事を検索していて、東日本大震災に対する諸外国のメッセージのなかから、興味深いものをみつけた。

【パラオは持てる力の限り支援する意向である  パラオ共和国大統領】

【日本の皆様の不安や焦り、悲しみなどを思い、私は刃物で切り裂かれるような痛みを感じている。自然の猛威を前にけっして運命だとあきらめず、元気と自信、勇気を奮い起こしてほしい。 
中華民国(台湾)元総統 李登輝】

 李登輝は大正十二年生まれ、台湾から京都帝国大学農学部に進学、昭和十九年に学徒出陣で出征し、陸軍中尉として名古屋の高射砲部隊に配属され終戦を迎えた、という経歴を持つ人物であった。
 台湾からは総額二百億円を超える義捐金が送られたが、それは世界各国中最多のものであった。
 台湾もパラオもかつて日本が統治した国である。
 台湾とパラオのこの厚意の事実こそが、かつて日本がどのような統治をしていたかの証左と云えるのではないだろうか?

 小さな島国の台湾が、世界最多の義捐金を集め日本に送ってくれたこと、台湾よりもさらに小さな小さな島国であるパラオが、かつての宗主国の窮状に寄せた「持てる力の限り支援する」という心意気を知って、祖父はあの世で「俺たちのしてきたことは無駄ではなかった!」と喜んでいるだろうか?

 しかし私は、「俺の孫であるおまえは、いったい何をしていたんだ!」と祖父からの叱責を覚悟せざるを得ない。
 私は、その祖父からの声なき叱責に対して、「ジイちゃん……、俺がそのとき、病室のベッドで一日中点滴されてたの、そっちから見てただろ?」と心弱く答えるしかない――。
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