第49話 カセットテープB面【15】

文字数 1,108文字

【15】

『考えて見ますとね、私が生き残ったのは、この身長のせいだったのですよ。
 冒頭で、艦上攻撃機は狭苦しくてたまらなかったので陸攻を志望したと言いましたでしょう……。
 艦上攻撃機の搭乗員はね、当時「運よく三度出撃しても四度目はない」と言われるほど損耗率が高かったんです。
 調べて分かったことですが、艦攻の搭乗員の生還率はたった二割弱でした。
 もし私が艦攻の偵察員をしていたなら、とっくの昔に死んでいたでしょう。
 艦攻の搭乗員は命令ではなくても、生還が無理と判断したら魚雷を抱えたまま敵艦に突入するのが慣例でしたからね。
 一式陸攻は脆弱だと云われ、多くの陸攻隊は戦争の後半から次々と壊滅していきましたが、それでも艦攻隊よりはまだ生き残りは多かったと思います。
 しかし、そんな生き残りの中でも、桜花を積んで沖縄戦に出撃した搭乗員は、生き残った後も辛い思いをしたんではないでしょうかねぇ……。
 桜花は、今でいうミサイルです。
 それも無人ではなく特攻隊員を乗せた弾頭ミサイルなのです。一式陸攻はその桜花の母機となったのです。
 目標の近くまで母機に吊るして運び、目標上空で桜花を切り離し、特攻隊員が目標狙って操縦し激突させるのです。
 当時、九州沖戦で実戦に投入され、沖縄戦ではわずかでしたが戦果も上げたのです。
 その桜花を積んで出撃し、実際に投下した搭乗員の心情はいかばかりだったか……、そのときの煩悶は、その後もずっと心から消えることはなかったでしょう……。
 山本長官が生きていれば特攻はさせなかっただろう、という人もいますが、それは違うと思います。
 真珠湾攻撃のとき既に、「特別攻撃隊」として組織された特殊潜航艇による攻撃が実行されました。
 その攻撃は「決死であるが必死ではない」とされて実行されたそうですが、その全てが散華しました。
 戦死された隊員は「九軍神」として祀られることになりましたが、それはやはり「必死」の特攻であったと私は思います。海軍の特攻は戦争の最初からはじまっていたのです。
 山本長官に寵愛され腹心の部下であった黒島主席参謀は、戦争の後半、数多くの特攻兵器の開発を命じ、特攻を推進した首謀者の一人です。
 桜花の開発と作戦投入を認めたのも彼です。
 戦史によれば、あの人の立案した作戦は無茶なものも多く、ミッドウエー海戦では作戦立案でも戦闘指揮でも多くのミスを犯しており、それが大きな敗因となったのだそうです。
 そんな人物がしまいには少将まで昇進して、自分の作戦立案・指揮の間違いの尻拭いに特攻という禁じ手を使ったのですよ。
 そんな人物を抜擢したのは、山本長官の大きなミスだったのではないでしょうか……。
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