第120話 足跡を辿って【9】

文字数 1,243文字

【9】

 剣号作戦では二十五機の一式陸攻が三沢基地に集められたという。
 当初私は、それが国内に残存する一式陸攻のほとんどなのかと思っていたが、調べてみるとそれは違っていた。

『戦闘機 2036機 
 ※零戦 1117機
  (総生産数11000機・残存率10・1%)
 攻撃機 1306機 
 ※一式陸攻 159機
  (総生産数2435機・残存率6・5%)
 偵察機 
  701機
 輸送機 
  58機
 練習機 
  3431機
 陸軍機 
  34機
 合計  7566機 
(総生産数47000機・残存率16・1%)』

 ノートに書き留めていたのは、GHQの命令により、昭和二十九年九月現在の日本国内に残存している軍用機の機種と機数を調査した資料の数字だ。
  これを見ると、一式陸攻は全体の15%が三沢基地に集められたにすぎない。
 しかし、それにしても一式陸攻の残存率6・5%という数字は、全体の残存率16%と比較すると極端に低く、特攻の主力となった零戦の10%をも下回っており、一式陸攻がいかに酷使され損耗していったのかが分かる数字だ。
 三沢に集結した一式陸攻の搭乗員は、わずか6・5%の生き残りであり、機体が残存していても搭乗員の数が圧倒的に不足していたことが推察される。

 しかしながら、合計の7566機という数字を見ると、
〈あれほどの消耗戦を行っても、日本にはまだこれだけの航空兵力があったのか?〉
 と思えるような数字であるが、終戦直前の頃は、これらの残存機を飛ばすためのガソリンが欠乏していたのだ。
 ノートにはそんな状況がうかがえる数字をメモしている。
 
『 原油について
◆戦前、原油の90%を輸入 
 → 内70%をアメリカに依存
(それはアメリカの産油量の1%) 
 
①開戦前の国内消費量     
 400万リットル
②開戦時の国内原油備蓄量   
 800万リットル
③戦時中の消費量      
 1300万リットル
④戦時中の国内生産量     
 150万リットル
⑤戦時中の占領地からの輸入量 
 500万リットル
(制海権を失い海上輸送が不可能となり昭和二十年には途絶える)

◆②800万+④150万+⑤500万
=⑥1450万リットル
(⑥は戦時中日本が賄い得る原油量 ⇒ ③1300万リットルを上回る計算だった)

◆終戦時残存原油量     
 10万リットル 
(開戦時の1.25%) 』

 大和を旗艦として沖縄特攻に出撃した第二艦隊計十隻は、海軍に残存する重油を掻き集め、タンクの残余の残余まで積み込んで出港したといわれているが、更にその三か月後の燃料状況なら、たった二十五機の一式陸攻をサイパンに飛ばすことさえも容易でなかったことは想像に難くない。
  頼みの綱の占領地からの輸入原油500万リットルが全て途絶えたのだから、戦争継続など土台無理な状況だったのだ。

〈それにしても、日本の平時の国内消費量の70%が、アメリカでは国内総生産量のたったの1%なんてな……、日本はとんでもない国と戦争したんだな〉
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