第131話 錆びた線路【2】

文字数 907文字

【2】

 古間木駅の真向いにあったという寺山食堂は、建物跡はおろか跡地さえも存在しなかった。
 三沢駅のエントランスから真向かいの方向に目をこらしても、そこには急勾配の坂道があるだけだ。
 その道が高度経済成長期に開通した県道であることは青地から聞かされてはいたが、寺山食堂のなんの痕跡も見出せない光景を実際に目にすると、寺山の書いたものはおろか、当時十歳だったはずの寺山少年の存在自体も虚構ではなかったのかという気にさえなる。

〈あの日の船はもう来ない、あの日の船はもう来ない、か……〉

 寺山食堂があったという場所の右手には小さな郵便局、その隣には〈寺山食堂もかくや?〉と思わせるようなレトロな店構えの大衆食堂が並んでいた。
 その食堂は、パスタで作ったラーメンやら砂糖入りカレーやら寺山の好物だったというメニューが売り物だと青地から聞かされていたので、駅のロータリーから前の通りを渡ってその食堂を覗いてみたが、玄関に「店主が腰痛のため半年ほど休みます」という張り紙がしてあった。隣の郵便局も閉まっていた。

〈そうか、今日は土曜日か……〉

 気がつくと、どこか遠くで蝉が鳴いていた。
 静まり返った駅前の街並みは、終戦当時とあまり変わっていないように思えた。
 それは、
【決闘のある日の、小さな西部の町である。床屋のあめん棒は止まり、すべての食堂は閉鎖され、駅前通りには人っ子一人いない】
 と寺山が書いたとおりの光景を彷彿とさせた。
 そして、今日も晴天の真夏である。見上げると、雲ひとつ無い青空が広がっていたが、その空の色は私が見慣れているものとは少し違っていた。

〈イーハトーヴォのすきとおった風、夏でも底に冷たさを持つ青いそら、だな……〉

 この三沢の空は、賢治が描いたモリーオ市こと盛岡よりもずっと北にあるのだ。
 しかし北の空とはいえ、真夏の日差しは眩しくて寝不足の身には暑さが身に堪えた。
 今朝は四時過ぎまで起きていたことは覚えているのだが、ベッドに突っ伏したまま寝てしまったようで、目を覚ましたらチェックアウトの時間まで一時間も無かった。
 急いでシャワーを浴びて慌しく出かけてきたので、炎天下に身を晒すと頭がグラグラとした。
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